第190話 茉優と煌輝
茉優はゆっくりと……ある部屋へと向かう。
「っ……」
彼の部屋へ近付くにつれ、心臓の鼓動がうるさくなる。もう既に茉優は周りの音すらまともに聞き取れない程であった。
そんなんじゃダメだと、グッと心臓を抑えてみるも……そう易々とは止められない。
ここまでの緊張は、これまで様々な大会に出場し、キャプテンとして活躍し、優秀な成績を残し続けて来た茉優にとっても……全くの別物で、緊張しない訳が無かった。
頭がいっぱいいっぱいになりながらも何とか歩いていると、あっという間に彼の部屋の前まで着いてしまった。
でもまだノックは出来ない。いざ部屋の前に立ってみると、例え覚悟して来ていても心が怖気付いてしまうからだ。
ツゥ──と、冷や汗が茉優の頬をつたる。
茉優の緊張もそろそろピークで、いつ暴発してもおかしくはなかった。
「あ、そうだ……こういう時って、何か持っていった方が良かったのかな?」
だから少しでも彼の部屋から離れる口実が欲しかった。……だが、その口実の理由でさえもまともなものが浮かばず、未経験なものばかり思い浮かんでしまう。
相当戸惑っているのだと、自分でも分かる。
「はぁ、はぁっ……どうしよう。」
いつしか茉優は若干の過呼吸気味になっていた。
でもそんな事を気にする余裕など今の茉優には無い。何度も何度も自問自答を繰り返す事しか今の茉優には出来ないのだ。
──だけれど、未だに茉優の運命の2択に決着はつかない。
そんな事で自分自身と戦っている内に、茉優は彼の部屋の前でぐるぐると、ただ無言で無意識に歩き始めてしまっていた。それぐらいの葛藤が茉優の頭の中をぐちゃぐちゃに掻き乱すからだ。
だけれど、その茉優の葛藤も途中で中断せざるを得なければならなくなる……
「──オーイ、茉優?」
「え……っ!?」
唐突に自分の名前を呼ばれ、瞬時にその声のした方向に振り向く……
茉優は本当に気付いていなかった。ま、まさか煌輝が部屋から顔を出していて、謎行動をする茉優を少し気まずそうにしながら見ていた事に。
「っ!煌輝。い、い、いつから……見てたの?」
煌輝は部屋風呂にさっきまで入っていたのか、少し体から湯気が出ており、まーた懲りずにコーヒー牛乳を飲んでいた。
茉優は瞬時に全身を煌輝に振り向き、臨戦態勢を取る。そして茉優の迷いの元凶が目の前に現れた事で、茉優の体温は一気に急上昇し、顔を瞬時に赤面させた。
「え……ッと。茉優が謎に回り始めた頃から、だな。で……回って何をしてたんだ?」
そう言われ、中々の序盤から煌輝に見られていたと分かり……もっと、赤面する。
「もうッ!早く言ってよ、バカ!」
恥ずかしすぎて悶絶したいのを必死に我慢しながら、茉優は怒りを顕にさせる。でも、目を見て話をすと悶絶必死なので目は絶対に合わせない。下の方を向きながら必死に怒る。
「イヤイヤ、悪かったって。すまないとは思ってるんだぜ。」
動揺する茉優を笑いを堪えながら宥める煌輝。
この2人、一件仲の良さそうな関係に見える……知らない他人から見ればカップルだと見間違われる程であろう……だが、この2人の関係はつい最近までは喧嘩ばかりの最悪な関係であった。そう考えると、茉優と煌輝の関係はこの温泉旅行で凄い進歩をしているのである。
「──さ、早く中に入れよ。オレは茉優が来るのを首を長っがーくして待ってたんだぜ?」
「あっそ!」
そんなテンションMAXの煌輝に促されるまま、茉優は恐る恐る煌輝の部屋へと入るのであった。
☆☆☆
暖かい……
外が少し肌寒かったので、煌輝の部屋はとても居心地が良い。
……なんて最初に思った感想はそんな些細な事だった。
煌輝の部屋はどちらかと言えば洋風な造りで、時代物のキンキラに光る家具が丁度いいくらいに並べられていた。正しく煌輝に相応しい部屋だと、次に思った。
「へぇ……」
「オレも最初は圧倒されたんだぜ、正しく俺の部屋に相応しいってな!」
煌輝も茉優が思った事を続け様に口に出した。
「ほら、お茶飲むか?腹、減ってないか?おやつも色々買ってきてあるぜ!」
部屋に入って早々に煌輝は茉優にそう聞いてくる。そして茉優が答えてすらないのに、濃い緑色のお茶を用意してくれたり、少し乱雑だけどオヤツを用意してくれたりなどなど……前の煌輝には絶対に有り得ない“おもてなし”を実践してくれた。
それだけで少し心がぽっと……更に暖かくなった。
「まぁ、座れよ。どこでもいいから。」
「え、」
煌輝の部屋に入ってから茉優は、ずっと煌輝と一定の距離を取りながら立っていた。すぐに退散出来るようにと生存本能が働いているせいだ。
そんな警戒態勢な茉優を見兼ねて、煌輝は座るのを促した。
「何もしない?」
つい、弱気に聞いてしまう。
「ハっ!何もする訳ないだろ。まぁ……茉優が望むんだったら、いつでも襲うがなぁ!」
恐らく冗談であろうが、両手を大きく広げ襲うポーズをする。
「それに、」
「それに?」
「茉優が立ってるんならオレも立ってるぜ?」
そう言って金色のイスから腕組みをしながら立ち上がる煌輝。
「は?そう言うのいいから。」
「イヤイヤ、それはコッチのセリフだぜ?」
正しく意地のぶつかり合いだった。
だけどそんな煌輝を見て、茉優は何となく安心出来たのかもしれない。
「──なら、大丈夫かもね。」
そうキッパリと言い切れた。自分のわがままで煌輝も立たせ続けるのは悪いとも思ったのだ。
何となく……今気付いたが、茉優はこの場の雰囲気に酔っているのかもしれない。判断がいつもより遅いのと、煌輝の事がやけに魅力的に見えるのがその証拠だ。
だが、いつも通りの煌輝のバカバカしくも男らしい姿を見て、茉優の酔いは少し覚めた。
だから少しだけ深く判断が出来る様になった茉優は、煌輝の対角線上にようやく腰を下ろし、煌輝が用意してくれたお茶に口を少しだけつけた。
「ッ!?うっ……苦い……ッ。」
色や臭いで何となく味は察していたが……やはり苦い。というか濃い。お茶っ葉をどう考えても使い過ぎである。
苦味で顔を少しだけ顰めた茉優を見て、煌輝は悔しそうにしながら立ち上がる。
「やっぱり……っかぁ。悪いな、茉優。やっぱり挑戦なんてしないで普通に買って来ておけば良かったな。」
煌輝は不慣れな事になるとめっぽう弱くなる。すぐ投げ出しそうになる。それが煌輝の弱点であり欠点でもある。
煌輝はすぐに茉優の湯のみを回収しようとする。多分、もう茉優が飲んでくれないと思っているからであろう。
──だが、茉優は湯のみから手を離さなかった。
「え……どうした、茉優?」
「回収はまだよ。だってまだ、これ飲むから。」
「は?え、なんで?」
再びの茉優の奇行に煌輝は再び驚く。
「ちょっと、喉が渇いてるから単純に液体で喉を潤したいのよ。」
「いやいや、別にそんなものじゃなくてもいいだろ?正直言って苦いんだろ、それ。だったら、いーよ別に無理しなくて。オレが今から自販機で何か買ってくるからよ!」
「いい、大丈夫。問題ない!」
そう何故かは分からないけど、茉優はこのお茶を飲まなければならないという使命を感じた。なので無理やりにでも回収しようとしてくる煌輝を強く突き放し、覚悟を決め……お茶に口をつけた。
ゴクリ……ゴクゴク……ゴクッ……………………
濃く、苦いお茶を一気に全て飲み干した。
「っ………ぅう!!!」
濃い苦味が全身に広がり、舌を強く痺れさせる。更に体が苦味を真っ直ぐ受けきれず、悪寒が襲い、吐き出しそうにもなる。だがサッカーで鍛え続けたタフネスと根性で何とか耐え凌いだ。声が少し漏れるのは致し方が無い事だった。
だが、茉優はすぐに何も無かったかのように装い、
「────────ご馳走様、おいしかった。」
と、言い切った。
……一体自分は何をやっているのだろう。
煌輝にも……茉優にもこの行動の意味が分からなかった。
──煌輝の純粋な優しさが嬉しかったの?
──それが心に強く染みたの?
──煌輝の悲しい顔を見たくなかったの?
そんな多くの感情が複雑に混ざり合い、茉優にこんな行動をとらさせた。
……全く、本能には勝てないなと悟った、茉優。
「…………ま、茉優。」
「なに?」
「ありがとう……すごく嬉しいぜ。」
「そう。」
──茉優の強がり、それは煌輝に強い決意と覚悟をさせた。
「すぅ……」
煌輝の大きな深呼吸。何かが来ると直感した茉優は、ギアを上げて心の準備を開始させた。
「茉優。お前が部屋に来てくれたら、オレから話があるって昼に言ったよな?」
「え、えぇ。」
「それを今、この場でお前に宣言するぜ……ッ!」
そう煌輝は言うと……真っ直ぐ。ただ茉優だけを見た。茉優もようやく、今初めて煌輝の目を見た。
2人の目が会った瞬間、煌輝は──────
「茉優っ!オレは、お前が、大好きだ!大好きだ!大好きだァァァァーッッ!!!!!」
とても大きな声での3連“大好き”告白。
とうとう煌輝は言い切った。自分の想いを全部茉優にぶつけた。男として、正々堂々挑戦した!
トクン……と、茉優の心臓が強く脈打った。
煌輝の告白が大きく、原形となって茉優の心へと響いたからだ。そして茉優を酷く苦しめる感情が……より一層に強くなった。
「っ……」
茉優の心の許容値は既に限界ギリギリで、煌輝の熱い告白によってそれが崩壊した。
☆☆☆
「──ありが、とう。」
最初に茉優の口から漏れ出たのはそんな一言であった。
「じゃあ、オレと──」
「──でもッ、」
だが、煌輝の喜びの祝砲を茉優は止め、潤んだ目で煌輝を見た。
「──私はお兄ちゃんが大好き。心の底から。愛してる。家族なんだからじゃない。妹だからでもない。1人の女として……だよ。」
「もちろん、知ってるぜ。お前は極度のブラコンだってな!」
「でも私はお兄ちゃんにとってはいつまで経っても……妹で。そのポジションは不動だった。何をしても……どんなアピールをしようともね。」
「…………」
どうしてだろうか……早く素直になって、身を委ねて……自分の将来を喜べばいいはずなのに。どうしようもない事がボロボロボロボロ、口から溢れ出して来る。
「更にね、お兄ちゃんはもう3人の婚約者さん達に囲まれている。雫さん、葵さん、夜依さん………どの女性も魅力的で、カッコよくて、可愛くて、私よりもお兄ちゃんの事を分かっていて、受け入れていてッ────もう、私の付け入る隙なんて、無くなってたんだよ。私は……永遠に“家族”の枠からは出られないんだよ。」
──その自分への変わることの無い真実に、茉優はとうとう涙腺が崩壊してしまう。
「うっ……も、もちろん煌輝、あなたの事も好きになった。初めはただのわがままで、乱暴で、自己中で、最低で、ナルシストだとも思ってた。どうせお兄ちゃんとは比べ物にならない程の底辺な男だって決め付けてた。」
茉優の涙で震えた声に、ただただ黙って煌輝は聞く。だが、煌輝だって一人の男だ。どうしようも無い感情を押し殺す為に、着ている服を強く握り締める。
「それは謝る。ごめんなさい。」
そして一言の謝罪。初めて茉優は煌輝に頭を下げた。
「──そして、煌輝は変わった。自分の意思で変わろうと決断し実行した。本当に……本当に、すごいと思った。尊敬出来ると密かに思ってたし、カッコイイとまで思ってた。」
そう茉優は言い終えると……目の前にいる煌輝に向かって……
「でもッ……でもッ、でもッ!私はお兄ちゃんの事が大好きなの! ──だから、ごめんなさい。煌輝の気持ちには私は応えられない。ごめんなさい。ごめんなさい。
…………こんなバカで、どうしようも無い女でごめんなさい。煌輝の気持ちに応えられなくてごめんなさい。」
これが……茉優自身が長く葛藤し、最終的に決めた応えであった。
☆☆☆
煌輝は茉優の決死の叫びをただただ聞いていた。
本当は何か茉優の為にしたかった。だが、茉優のその感情は自分には全くと言っていいほど分からない代物であった。なので黙って聞くという選択肢しか煌輝には無かった。
でも酷く泣きじゃくっている自分の大好きな人を見て我慢ならなかった。
茉優がある程度の言葉を吐き出し終えたと確認した後で、煌輝はそっと茉優に近付くと……正面で跪いて、茉優の手を取った。
筋肉質ながらも、ハリがあり、キレイな茉優の手。
いつもなら女が泣き出すと、どうすればいいのか分からなくなる。男と女は違う生き物だと、昔はそう考えていたからだ。だけど今の煌輝は違う。ちゃんと考えて行動する。相手を敬い、大切にする。それが今の煌輝の考え方である。
「茉優、言っとくがオレがそんな簡単に諦めると思うなよ。何度振られても、何度振り払われても、何度拒絶されようとも、オレの心は一向に変わらない。オレはお前に心の底から惚れちまってるんだからな。」
茉優には酷な事かもしれない。だが、煌輝はそれでも……自分の意思を真っ直ぐに伝えた。1人の男として譲れないものがあったのだ。
「悪いが、茉優。もう少し俺のわがままに付き合って貰うぜ。オレだってお前のわがままに付き合うんだ。お互い様だろ?」
「う……うっ、もう、相変わらず煌輝らしい。でも、ありがとう。ちょっとだけ、元気出た。」
「あぁ、それとな。考えたんだが、一夫多妻制がこの世でアリなら一妻多夫制もアリだとは思わないか?まぁ、アニキは既に一夫多妻だからよく分からない事になりそうだがな……?」
「ふふふ、煌輝にしては珍しく難しい言葉を使うし、面白い事を言うじゃない。」
煌輝の本気の言葉は茉優には冗談に聞こえたのであろうが、それでもクスクスと笑ってくれた。
「まぁ……な。オレも茉優と同じ高校に進むのなら多少の知識を身に付けないとって思ったんだぜ。」
実際、茉優という人間に釣り合う男はアニキみたいな高スペック人間しか居ないと煌輝自身、勝手に決めつけている。なのでアニキのように勉強が出来て、運動も出来る。そんなカッコイイ男になろうと密かに特訓を続けていたのだ。
「いい心掛けね。」
「あぁ!いずれ茉優の隣を堂々と歩けるようになる事がオレの目標だ。」
「そっか……すごい。」
いつの間にかに泣き止んでいた茉優は煌輝の話を真面目に聞き始めていた。
「だがな、茉優。たまにはオレの事も見てくれよな。オレはお前の事しか見てないからよ。構ってくれないと、死んじまう。」
「うん。分かった。約束する。」
「あぁ、約束だ。」
そう言って2人は約束を結んだ。
今日この瞬間もまた茉優と煌輝の関係は大きく変化した。だが、恋人未満友達以上という……そんなヘンテコな関係のようなものだった。
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