第188話 雫との約束


俺は大地先輩との第2回温泉巡りを終え、ホカホカに体を火照らせながら皆のいる大部屋に遊びに来ていた。


ご飯はさっき皆で楽しく食べた。どれもこれも高級料理ばかりで、本当に最高だった。


でも、姫命がご飯にも来なかったという事が少しだけ気になったけれど……


うーむ……姫命は料理を食べるのが大好きで、いつもご飯の時間だけは全てを差し置いてでも食べに来ていたのになぁ…………


という事は、今まで以上に拗ねてるっていう事か。

……でも、正直珍しい。あんなにも姫命が感情的に怒るなんて。何かしらの事情があるのかもしれないけど、神様が考えている事は常人の俺には分からない事だ。


どうにかしてこの旅行中に機嫌を直して、いつもの姫命に戻ってもらいたい所だけど……まぁその内、機嫌を直してまたイチャついて来ると思うけどね。


……そんな、俺は姫命の事を軽く考えていたのかもしれない。


「それにしても、この旅館は良いねぇ。正直言って最高だ。」

「……ええ、そうね。また来ましょ。」

「うん。そうだね。」


俺と雫は大部屋の端の方にある高級そうな木製のイスに2人で腰を下ろし、話をしていた。


雫もさっきまで温泉に入っていたようで、体を熱々に火照らせていた。


甘い柑橘系の香りが俺の鼻を少しくすぐる。雫にしては珍しく、香水のような物をつけているようだった。


「次は……行けたとしたら冬休みとか、かな?」

「……そうね。冬だから部活も少ないだろうし、恐らく行けるかも。」

「あぁ。楽しみだ。」

「……えぇ、楽しみ。」


そう2人で顔を見合せ、互いに笑顔になる。

『楽しい。好き。幸せ。』

……その三拍子が俺の心の中をいっぱいにしてくれる。


俺は雫の事を改めてもう一度、見つめる。

葵が注いでくれたお茶をゆっくりとおしとやかに飲む、浴衣姿の雫。その姿を一言で表すのなら、“色っぽい”というのが適切であろう。


「そういえばさ、俺の部屋の温泉もすごいんだよ。1人部屋のはずなのに結構湯船が大きくてさ、のびのび出来て、眺めも良好で、本当に最高なんだよ。しかも、夜はライトアップとかもされててさ……」

「……それは良さそうね。」


興奮気味に話す俺、だが雫はいつものテンションで静かに答える。


あ、やべ。ただの部屋自慢になってたかも。

たまたま偶然、俺達男が最高級の部屋に泊まれる事になっただけなのに。


「……ねぇ、ゆーま。」

「ん?────ウブっ!!!」


俺が少しだけ焦りながら、雫の顔を見ようとした時、タイミング良く飛んできた枕が俺の顔面にクリーンヒットした。


「ごめーんなの、パパ。」


どうやら鶴乃、葵、夜依の枕投げの流れ枕が俺に命中したのである。


「あ、あ、うん。大丈夫、大丈夫だから。」


心配そうに駆け寄ってきた鶴乃を優しく撫でながら、枕を渡し、もう一度2人の元へ送り出す。


「えっと……雫、それで、なんの話だったっけ?」

「……う、うん。」


ん……?どうしたのだろう。雫は浴衣の裾をぎゅっと掴み、覚悟を決めたかのような表情で俺を見ていた。


「……あのね、ゆーま。私とした約束ってまだ覚えてる?」

「う、うん。もちろんだよ。」


その雫の問いに俺は即答で答える。

雫の言う約束とはこの温泉旅行中に2人っきりになろうというものだった。


なので、俺は雫の耳元にぐっと近付き、


「──夜、皆が寝静まった頃に……俺の部屋に来てよ。待ってるから。」


俺は雫の耳元にそっと言葉を残した。


「……うん。」


雫は俺の言葉に堪えきれず、笑顔で頷いた。


「よしっ!さぁてと、パパも枕投げ混ざるぞー!」


嬉しくなった俺は鶴乃達が楽しんでいた枕投げに飛び入り参加し、パパの圧倒的身体能力で我が子と婚約者達を圧倒するのであった。


☆☆☆


──時間も深夜になり、皆々が真に活動を開始する時間帯になった。


雫は高鳴る心臓を頑張って抑えながら、1度深呼吸をした。


鶴乃はもう寝てしまった。今日は山道も沢山歩いたし、長時間乗り物にも乗ったし、色々とはしゃいだからぐっすり寝てしまうのも無理は無いだろう。


今、この大部屋には雫、葵、夜依、鶴乃の4人しかいない。


椎名先輩はしれっと大地先輩の所へ遊びに行き、空先輩は飲み物を買いに行くと言って出て行ったっきり、未だに帰って来ていない。

あの、ブラコンを豪語する茉優でさえも、煌輝の所へ覚悟を決めた表情で向かって行った。


「鶴乃ちゃん、ぐっすり寝ちゃいましたね。」

「そうね。」


鶴乃は葵と夜依の2人に囲まれ、飛びっきり可愛がられている。これ程までに愛情を一身に注がれて、鶴乃は本当に幸せ者だと思う。


「……さてと、私もそろそろ行くから。」


雫は2人にそう告げて、立ち上がる。

葵、夜依の2人はそんなよそよそしい雫を見て、


「はぁ、初めては、しずのん……かぁ。悔しい。」

「でも、ゆぅーくんと最初に約束をしたのは、しずのんです。私達は潔く譲る事にしましょう。ね、夜。」

「そう……かもね。まぁ、私はまたチャンスを伺う事にするわ。」

「ですね。私もです!!」

「……アオ、夜っ。」


初めは2人にキツく怒られると思っていた。早い者勝ちとは暗黙の了解だった話だけど、この約束はどう考えても自分から誘ったと捉えられてもおかしくは無かったからだ。


だけど2人は雫の事を構わず熱心に応援してくれた。


「もう、ちゃんとしっかり、ゆぅをリードしなさいよ。ゆぅに恥をかかせちゃダメだからね!」

「……うん。任せて。」

「頑張って来て下さいね!!」

「……えぇ。分かってる。」

「じゃあ、そろそろ行ったら。そろそろ、ゆぅが待ちくたびれてる頃だと思うから。」

「今頃、雫ぅ、雫ぅ……って言ってると思いますよ。」


2人は笑顔を少し浮かべながら、気にせずに送り出してくれた。雫は気合と覚悟を改めて入れ直した。


そしてもう振り返らなかった。これ以上の言葉の交換は2人に対して侮辱になるからだ。


雫は2人に感謝し、大部屋からそっと出ようとする。






───────だが、それよりも早く。大部屋が勢いよく開かれた。


「……え!?」

「どうしたんですか!!」

「一体何事!?」


雫、葵、夜依の3人は大きな音にビックリし、咄嗟に臨戦態勢を取ってしまった。3人共“恐怖”はよく知っている。だからこその反応だ。


雫は一定の距離をとって、ビクビクしながら来客者の顔を見る……そして、ほっと一息をついた。

なぜなら、


「って、神ちゃんじゃないですか!!」

「ふぅ……ビックリさせないで下さいよ。」


そう、雫よりも早く大部屋の扉を開けたのは神ちゃんだったのだ。


雫と同様に一安心した葵、夜依の2人は少し冗談交じりで怒りながら、神ちゃんに愚痴を入れる。


「…………」


だけど、神ちゃんからの反応は一切無い。

いつもなら、あどけなさを全開に醸し出しながら、天使のようにはしゃぐ筈なのに。


「……神ちゃん?」


雫が名前を呼ぶも……応えてはくれない。


あの、常に明るい太陽のような神ちゃん……だが、今の神ちゃんは、死んだ魚のような目をし、邪悪で真っ黒な雰囲気を纏っていた。


もうただ事では無いと、瞬時に雫は判断した。


「──ごめんなさい……本当にごめんなさい。」


神ちゃんは右手をすっと雫達に向け、それだけを呟いた。


「……っ!」


咄嗟に雫は神ちゃんに背を向け、2人の元へ走る。

そして、


「……アオ、夜。逃げて!鶴乃の事も守ってッ!」


神ちゃんからは圧倒的な敵意を感じた。完全に勘だが、1度だけ向けられた事のある雫は自分の勘を信じられずにはいられなかった。


「「っ!!」」


2人も雫と同じ考えだったようで、すぐに雫の言う事を信じ行動に移した。


──だが、もう遅かった。

神ちゃんの両手から発せられた眩い光に雫達は包まれ……いや、飲み込まれたと言う方が正しい……雫達は何もする事が出来ずにただただ無理やり、無慈悲に、意識を深い闇へと落とすのであった。


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