第187話 保険は何事にも必要である


茉優のいる部屋から出た煌輝。


「…………………っ!」


出た瞬間に声が溢れそうになった。歓喜の声で。

感情が爆発しそうになった。歓喜の感情で。


だが、こんな所でやたら無闇に叫んだら絶対に茉優に聞かれて幻滅される。それは嫌なので、煌輝は自分の部屋まで走った。


そこで全てを一旦放出し切ると決めて……


「はぁ、はぁ、」


漏れる呼吸。だが、言葉は漏らさないように気を付けながら走る。


そうして息を切らしながら自分の部屋に到着し、すぐさま部屋を施錠。なるべく音漏れを減らす努力をした後に……


「──よ、よ、よっしゃぁァァァァァ!!!!!」


今まで出した事の無いくらいの大声で叫んだ。

初めて感じる初々しい感情が一気に、煌輝の全身から声になって溢れ出した。


「よっしゃァ、よっしゃァァァァァァァァ!!!

ウシウシウシウシッ!ヒャッハァァァァォ!!!」


奇声を発しながら、謎の踊りもしてしまうくらいだ。


正しく奇怪。誰にも絶対に見せられない無様な姿だ。だが……それほどまで嬉しかったのだと、どうか分かって欲しい。


「それにしても……それにしてもなぁ!」


煌輝は壁にもたれ掛かりながら、両手でゆっくりと自分の頬を触る。


「はは、熱っちぃな、オイ。」


予想通り過ぎてついつい笑ってしまうのだ。


やっぱり熱い。今までに感じたことの無い程の熱さだ。それに、


「…………心臓もさっきからうるせぇな。

ずっとずっと心臓がドクンドクンって言って鳴り止まねぇ。こんなにも心臓がパンプアップすんのは初めてだぜ。」


だから体が激熱なのだと……そう煌輝は解釈した。


「フゥ……」


煌輝が部屋に戻ってから数分。かなり濃密な思考を巡らせた。そしてようやく落ち着いた煌輝はボソリと呟く。


「茉優、すげぇー可愛かったなぁ……」


そんな心からの褒め言葉。だから煌輝らしいと言えた。


いつも茉優から受ける罵倒は酷いもので、煌輝もそれで慣れていた。むしろ好んでもいたと言ってもいいくらいだ。だが、さっきの茉優はあんなにも……あんなにも可愛らしい顔をしていた。つい「反則だぞ」と言って抱き締めそうになった。


だが、そんな欲望に塗れた行動は男としての名が廃る。男は女を敬い、大切にしなければならない。

アニキからの素晴らしい教えだ。

だから耐える事が出来た。が、かなりギリギリだった。


煌輝はそれを従順に守り、正々堂々勝負する事に決めていた。


今回の温泉旅行で1歩……いや、半歩でも……茉優との距離を縮められれば上々だと思っていた。だが、もういい。ゆっくりじっくりなんて性分に合わない。一気に、大股1歩で大接近してやる。


自分の気持ちを全部全部茉優にぶちまけてやる。


例え拒絶されると分かっていたとしても、心の奥底から自信が込み上げて来る感覚が今の煌輝にはあった。


「ッ!待ってろよ……茉優。オレは男になるぜ!正真正銘の男にな!だから覚悟しておけよ!」


煌輝は意気込みを虚空に投げ捨てると、今日の夜へ向けての精神統一を開始したのであった。


☆☆☆


茉優は煌輝を追い出した後、数十分程悶々と考え改めてバカだと思った。煌輝が何を言い出すかなんてあらかた予想は出来ているのに。


「あー、なんで行くって言っちゃったんだろう。」


だったら行かない……という選択肢が今の茉優には無かったのだ。


「──たっだいまー」

「あ、」


そんな時鶴乃ちゃんの元気な声で、皆さんが帰って来た事に気が付いた。


「おかえりなさい。随分と遅かったですね?」


よく見ると皆さんは泥だらけ、汗だらけでかなり疲れ気味の様子だった……


「あれ、姫命さんは……まだ帰ってきてないんですか?」


茉優は姫命さんだけがまだ帰ってきてない事に気付き、近くにいた夜依さんにそう質問する。


「神ちゃんは……分からないわ。でも、一緒に帰って来たから、この旅館の何処かにはいると思う。」

「そう、なんですか……?」


だが帰ってきたのは曖昧な答えで、他の人に聞いても答えはほとんど一緒だった。


別に今すぐ会いたい訳じゃ無いから構わないけど、煌輝を唆した事で少し文句を言ってやりたかったのだ。


「はぁ……」


そんなため息吐くと……


「……ほら、茉優。温泉行こう。」


1番尊敬する雫さんがそっと茉優に手を差し出した。


「温泉……ですか?」

「……まだ体調が悪いのならいいけど、私達はこれから温泉に行くから茉優も一緒にどうかなって思って。」

「いえいえ、体はもう大丈夫です。私もお供させて下さい。」

「……そう、なら行こ。」

「はい!」


茉優は雫さんの手を握り返した。


茉優はお兄ちゃんの婚約者の皆さんの事が好きだ。

優しいし、頼れるし、カッコイイし、とにかく可愛いし。たまにドジるおっちょこちょいの人もいるけど、信頼出来る。それに……憧れも持てた。


まぁ、まだお兄ちゃんの妹ポジションは譲れないし、姫命さんも信用してないけど。


そう考えながら鶴乃ちゃんを嫉妬の念を込めながら睨む。


「──はうっ!」

「どうしたの鶴乃ちゃん?」

「わからないの。だけど、なにかかんじたの。」

「そう……?」


もう、お兄ちゃん一筋でお兄ちゃんの事しか考えられない狂った茉優は居ないのだ。大人に1歩近付いた茉優は大好きな先輩達と一緒に温泉に行くのであった。


☆☆☆


それから茉優達、女性陣は疲れを癒すために温泉に浸かった。


皆さん、初めの方は温泉にすごくはしゃいでいたようだったけど、もうここの温泉に入れる時間も長くは無い。それに互いに夜の用事もあるらしいので少しよそよそしい感じもあった。


「コラー鶴乃ちゃん、温泉で泳いじゃダメでしょ!!」

「いーいーのー!」

「いーいーんだよ、だって貸切なんだしー」


やっぱり何時でも何処でも元気な鶴乃ちゃん。それを母性溢れる葵さんが然り、椎名さんが鶴乃ちゃんの味方をし葵さんを困らせていた。


「ダメですよ、椎名先輩!!鶴乃ちゃんにはちゃんとした教育を施してあげたいんです!!」

「えー、まだまだ鶴乃ちゃんは遊び盛りの子供なんだよ。そんな教育なんかで縛っちゃ可哀想だよー

それに充分過ぎるぐらい鶴乃ちゃんは、ちゃんとしてるよー」


ニタニタ、笑いながら椎名さんは葵さんを困らせる。


……なんて先輩の後輩いじりを呆れながら見たり、


「──最近の生徒会はどうだ、夜依?」

「はい。通常業務は滞りなく出来ています。ですが、ゆぅがたまに仕事をサボってすぐに部活に行ってしまうのが玉に瑕ですけど……」

「ほぉーそうかそうか。分かった。後で生徒会長の私がアイツに喝を入れておく。」

「ありがとうございます。助かります。」

「夜依、お前は2年後の生徒会長候補だ。これからも生徒会を頼むからな。」

「…………っ!分かりました。任せて下さい。」


空さんと夜依さんの生徒会の難しい話を小耳に挟めたり、


「……私ね、中学の頃テニスの大会でね──」


雫さんの中学のテニスのダブルスで無双した話も聞けた。


本当に温泉では嘘偽りの無い、楽しい時間を過ごせた。先輩達も活き活きしていた。


──だが、茉優は気付かれてしまう。

それは温泉を上がり、皆さんと一緒に浴衣に着替えている時だった。


決して油断していた訳でも無いし、モタモタしていた訳でも無い。だけど少しの躊躇はあったのかもしれない。


「キャー、可愛いね。茉優ちゃんの“それ”かなり大胆な下着だねー」

「え、そ、そうですか……?」


隣で着替えていた椎名さんが茉優の下着をチラ見すると、気づいた所があったのか……ねちっこく絡んで来た。


確かに茉優の新たに身に付けた下着は、いつものスポーツブラなんかでは無く、純粋に女の子のフリフリが付いた可愛らしいブラシャーだった。


これは少し前に、衝動買いしてしまった物で1度も付けたことの無い代物だった。まだ自分には早いと……封印している物でもあった。


だけど……今回の旅行で一応の保険の為に持って来ていたのだ。いずれお兄ちゃんの為に使おうと思っていたのに、まさか煌輝の為に使う事になるとは。


「椎名さんっ!」


恥ずかしさを我慢しながら、茉優は椎名さんを怒る。恥ずかしすぎて、その感情を怒りに変換するしか出来なかったのだ。


「うんうん。そっかそっか……頑張ってねー!」

「なんですか!?何が頑張ってね、なんですか?」


何処と無く察せられた温かい目で見守られる。周りの皆さんも何も言って来なかったが、状況を察知し顔を赤くしていた。それを見て茉優は人一倍恥ずかしくし、顔を真っ赤にした。


「ち、違うんですよー!」


こ、これは……あくまでの保険なのだ。実際に使うつもりの無いもので、ただ“心持ち”を軽減させる為の道具なのだ。


茉優は赤くなった顔を全力で隠しながら、皆さんに弁解しつつ。そう自分に言い聞かせるのであった。


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