第166話 生き地獄の始まりだった


──約束の日。

朝早くに学校に呼び出された莉々菜。朝に弱い梵 愛葉にしては大変珍しく、だからか少しだけ不安だった。知略家でサイコパスの梵 愛葉の事だ!恐らく罠はある。なので身構えながら校舎へと入る。


「あれ……?」


何故か校舎の中へ楽に入れた。まだ先生や生徒は一人も来ていないはずなのにおかしいと、疑問に思い少し調べると、どうやら内側から鍵が開けられていたようだった。これも梵 愛葉の仕業だろう。

やはり少しおかしい。梵 愛葉はこんなに大胆で危険な事はしないからだ。


「…………」


だがらか、莉々菜の頬に汗が伝う。

……その汗はもちろん、冷や汗だ。


あと、もう少し時間が経過すれば生徒達が登校し始めるが、待っている暇など無い。莉々菜は気を付けながら、歩みを進める。


静寂な校舎。いつもはガヤガヤと活気で満ち溢れている校舎も……人がいなかったらただの校舎で、クラスのの中心人物(陽キャ)である莉々菜には少し居心地が悪い。


そんな嫌な気分になりながら、約束の場所の教室の前まで来ると、


「ん……?」


何か変な臭いを感じた。それは普段嗅ぐことの無い、独特な臭いだった。教室に何かある。

それが罠だと莉々菜はすぐに理解出来た。なので、呼吸を整え、覚悟を決める。


「ふぅ……入るよ。」


そして慎重に教室に入ると……

それはすぐに莉々菜の目に映り込んだ。


「──えっ?」


その目に映ったものを見たが……すぐには“彼”だとは判断できず、数秒頭がショートした。


そしてようやく“彼”だと判断した莉々菜は、血相を変えて“彼”の元へと走ったのであった。


☆☆☆


──莉々菜が来る数時間前。前日から拘束され“調教”という極悪非道な行為を受け続けていた大地は既に満身創痍。ボロボロな体は言うことを聞かず、涙や声も枯れ果てていた。

でも……心はまだ折れていなかった。それは姉や椎名さん。そして……莉々菜という大きな存在があったからだ。


絶対に信頼できる人達が助けに来てくれると信じていたからこそ、大地の心は折れていなかったのだ!


それでも……まだ大地の心は幼く、脆い。微かな綻びが出来てしまえば一瞬にして決壊してしまうだろう。そんなギリギリの状態でもあった。


「う……っ。」


疲労と痛みで気絶していたのか、気付くとどうやら朝のようだった。痛みで起きたので最悪な目覚めだが……何とか生きていると“生”を実感する。


周りに目を配り、あの狂気の女は……いないと、分かると少しだけ安心出来た。今まで張り詰めていた精神に少しだけゆとりが生まれる。


「──あ、起きたんだ。」


だけどその安心は、ほんの束の間。すぐに大地の前に狂気の女は現れた。


「ひっ……」


女が近付くと悪寒が大地を襲う。完全にトラウマとして体と心に染みついてしまったのだ。


「い、いい加減にしろよ!僕を……こんなんにして、タダで済むと思うなよ。」


でも、大地はまだ折れてなどいない。恐怖を推進力へと変え、強気を装って言う。だが、恐怖の震えは止まらない。

そんな無謀な大地を見て、狂気の女は何故か涙を流し始めた。


「は……?」


状況をすぐに理解出来ない大地は戸惑いを隠せない。痛みは消えないが、強い怒りは何処かに行ってしまった。

どんなに追い込まれている状況だとしても、素の本性は変わらない。どこまで行っても優しさに溢れる性格だからこそ、大地は好青年なのだ。


「本当はやりたくなかったの。でも、やれって言われてたからしょうがなく……っ。ごめんなさい。ごめんなさいっ!」


演技……なのか!?疲弊した大地にはそこまで詳しい判断力は無い。だから女が言っていることが、本当に聞こえる。


「だ、誰にさ?」


枯れきった声だが、振り絞って出す。でもあんなにも自分を楽しげに弄んだ女を信用することは……流石の感慨な大地にでも無理だった。


「ごめんね、でも弱みを握られてるから……しょうがなかったの!」

「………………っ?」


どんどんどんどん、女の話が真実味を帯びていく。

……心がザワつく。一体なんなんだ。そこから後の話はなんだか聞きたく無かった。


「誰に?嘘でしょ。どうせ……」


だから否定する。この女を単独犯だと自分の中で決め付ける。だが、女の話は止まることなく頭に入り続ける。耳を塞ごうにも、体を拘束されているので耳を塞げない。大地はただ聞く事しか出来なかった。


「私はね、その弱みを握っている人から情報を提供されてそれをネットに載せてたの。」

「ネット?」


じゃあ、最近何故か自分の事に詳しかったり、待ち伏せされたり……と、色々と奇妙だったのはそれが原因だったのか……!?


いつの間にか固唾を飲んで聞いていた大地は既に梵 愛葉の策略にハマっていた。


「もう、誰なんだよ。そんな……酷い事をする人は?」


気付いた時には自分で聞いてしまっていた。自分が一番知りたくない事なのに……


大地の中では……1人、女の話を聞いて頭を整理したら該当する人物がいた。でもそれが信じられなくて、間違っていると信じたかったのだ。


──ビキッ……!


大地の心に少しの亀裂が入る。


大地の心の綻びを見逃さなかったのか……一瞬だけニヤついた表情を作った女は、スマホを素早く操作し、ある動画を再生する。


──これが決定打となる。


それは女が自分の情報を受け取る時の動画。

撮り方が雑で、どうやら隠し撮りのようだ。


「“はい……これ、いつものだよ。”」

「っ……!?」


その動画から聞き慣れた声が大地の耳に入る。

そして、画面に移る顔を見て大地は絶句した。


──ビキビキッ、ビキッ!!

さらに心に亀裂が入ってゆく。


「う、嘘だ!違う。間違ってる。こんなの合成とかに決まってるっ!」

「“──大地には悪いけど、私の為だから……”」


どうして……どうしてだよ莉々菜っ!なんでそんなに非情なんだ。僕をなんだと思ってるんだ!


「“──最近は大地に無理やり情報を聞いてるんだ。だって、もう殆ど情報とかは出し尽くしちゃったから。だからもう大地に用はない……”」


次々と莉々菜の本音が聞こえてくる。その一つ一つに大地は強く苦しめられる。

枯れたはずなのに……大地の目から大量の涙が溢れる。


──ビキビキビキビキッ、ビビキッ!!

体が痛いはずなのに、その痛みを感じないぐらい心が締め付けられて痛む。


じゃあ、本当にっ。本当に僕の事を騙してたんだ。

……裏切ってたんだな。もう、そんな事されたら僕は誰も……誰も信じられなくなっちゃうじゃないか……全部嫌いになっちゃうじゃないかよ……


「あ……ぁぁっ、」


心の亀裂はもう止められなかった。そして…………


──バキッ!!!

大地の心が限界を迎え、悲鳴をあげて壊れた。心が完全に崩壊したのだ!


これまでずっと信じてきた人……そして初めて意識した人。その人からの裏切り。それは今の状態の大地にはキツく、容易に精神崩壊を巻き起こした。


「あぁあぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!!!!」


そして、大きく発狂した後、大地は再び気絶したのであった。体と心の2つが共に限界となり、防衛本能が働いたのだろう。


──綿密に計画された、姑息な洗脳工作だった。

この為だけに梵 愛葉は演技の技術を磨き、面倒で危険な策を何度も行った。でもその苦労が全て解消されるほど今の梵 愛葉には多大な凌辱感と満足感、興奮を感じていた。


「ふふゥ♡やっぱりサイコーだよォ。」


鼻血を大量に垂れ流しながら、壊れてしまった大地を見る梵 愛葉。これこそが彼女の本性だった。


「後はァ……最後の仕上げを頑張らないとねェ。」


そう今までで一番の歪んだ笑みを作ると、すぐに行動に移す梵 愛葉であった。


☆☆☆


椅子に拘束された彼の目は虚ろ。体の所々が痙攣していて、見るからに正気の沙汰では無い。


莉々菜は精一杯の声で彼の名を叫ぶ。


「──大地っ!」


大地は襲われていたのだ。周りにある道具を見ると、使われた形跡があり、非人道的な事をされたのだろうと容易に想像できた。


焦りながら莉々菜は大地の拘束を解き、大地を解放するが……気絶しているのか、大地は莉々菜の声に応えてくれない。


「──えェ?どうしたのォー!」


そんな時、しれっと憎き相手が教室に入って来た!

反応的に大地を初めて見た感じでは無い。やはり……やはりお前の仕業かッ!


「──梵 愛葉ぁぁぁぁァァァ!!!」


莉々菜は激怒した。莉々菜の初めて意識した人をこんなにも傷付けたのだから。感情的になるのは仕方が無かった。


──ボガッ!


莉々菜が気付いた時には梵 愛葉を本気で殴っていた。


「ぐゥ……」


渾身の一撃に想像以上に吹っ飛んだ梵 愛葉は痛みで

叫ぶ。


「ッッッ!何をするんですか、莉々菜さん。」


急にいつもの(仮)の梵 愛葉になった。

何故かは分からない。だけど、あと何発か殴らないと気が収まらなかった。


「は?何って、大地があんなんになったのはあんたが……」


そう言いかけた時に莉々菜は言葉を止め、振り下ろそうとしていた拳をピタリと止めた。


何故なら、クラスメイトの数人が莉々菜の事を見ていたからだ。


「──莉々菜さん、何をやって……って!?大地君!?」


クラスメイト達が大地の最悪な姿を見て驚く。


「──これは梵 愛葉が全部……」


すぐに状況をクラスメイト達に伝えて大地の保護と梵 愛葉の拘束をして貰おうと、言っている時……


「──助けてッ!」


莉々菜より1歩早く、まるでクラスメイトが来ることを予め見越していたかのような速さでクラスメイトの1人に抱き着いて助けを求める梵 愛葉。


状況が状況だと言うのに妙に冷静になれた莉々菜。自分でも、どうしてかは分からない。運命を察した神のイタズラなのかもしれない。

そして……


「朝、学校に来たら大地くんが東雲さんに襲われてて……私も急に殴られて……怖かったよ!」


などと、演技をする梵 愛葉。殴られて赤くなった頬を見せて真実味を持たせている。

なるほど、梵 愛葉は莉々菜を殴らせるように仕向けたようだ。半分真実、半分嘘を言葉に織り交ぜることで嘘を無理やり押し通している


やはりこの女には計画性がある。だが、莉々菜の事を罠にはめたと思っているかもしれないが、被害者である大地が証言してくれれば全ての嫌疑は晴れ、梵 愛葉は追い込まれると思ったからだ。


「大地君、大丈夫?」


クラスメイト達は莉々奈を警戒しつつ、大地の元へ駆け寄り声を掛ける。


「うっ……」

「大地君っ!!!」


意識を取り戻した大地は……周りにいるクラスメイトを見て、


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


絶叫した。

もういつもの大地では無く、全くの別人だった。


「──大地、それは誰にやられたの?教えてっ!」


皆に知ってもらう為には大地に答えてもらうしかない。だけど、聞き方が余りにも大地を気遣ってなく自分勝手だった。


「さぁ、犯人はあなたよ、梵 愛葉。」


そう自信満々に梵 愛葉を睨みながら言う……だけど、どうしてだ?どうしてそんなにも梵 愛葉は余裕の表情なのだ?


「えェ?何、言ってるんですかァ。大地くんが指さしてるのは、私じゃないですよォ?」

「え……?」


莉々菜は振り向き、大地を見る。

な、な、な、なんでっ?莉々菜は動揺を隠せない。何故なら大地は……莉々菜の事を指差していたからだ。


「ど、ど、どうして……大地?」


大地は潤んだ目で莉々菜を見ている。なんで、なんでよ大地っ!?


「やっぱり、東雲さん!あなたっていう人はっ!」


クラスメイト達からの軽蔑の視線を一身に受ける。


「ちょ、違う。私じゃない。皆、信じて。犯人は梵 愛葉なの!」


本当に違うのだ。罠に嵌められたのだ。全部全部、梵愛葉がやったのだ。


「──キモイ。話しかけてこないで。」

「え……」


莉々菜の必死の叫びは無情にもクラスメイトには届かなかった。何故なら、既に莉々菜の事を尊敬するクラスメイトはどこにもいなかったからだ。いるのは完全に敵に回ってしまったクラスメイトだけだった。


「──サイテー、生きてる価値ないじゃん。」

「──クソゴミじゃん。」

「──そんな本性隠してたんだ……まぁ、前からそうだろうとは思ってたけど。」


「え、えっ……!?」


どうして……?どうして信じてくれないの?それに、なんで、大地っ!?どうしちゃったの?


莉々菜は何かの間違いだと大地に駆け寄って問い詰めたかった。だが、彼の前にクラスメイト達が立ち塞がった。


「もう、大地君には近付けさせない!」

「そうよ、ここは死守よ!狂気の女を近付けさせないで!」


クラスメイトの半分が大地を急いで病院へ連れて行き、残りの半分が全員で莉々菜を警戒&軽蔑の目で見ている。


莉々菜はどうしようも出来なかった。ただ立ち尽くす事しか出来なかった。


「…………はい、終了ォ。これで、アンタはこれまで積上げてきた人望、信頼は全て無くなったよォ。それに親も仕事を無くさせて追い込ませた。更に愛しの“大地くん”をあんなんにしてしまった張本人なんだからねェ。これからしんどいだろうねェ。まぁ、頑張ってね。応援してるからさァ。」


小さな声で、去り際に言ってきた梵 愛葉。その声からは過剰な満足感を感じられる。


あぁ、そうか……私は梵 愛葉の話に乗った時点で、既に負けていたんだ。


「っ……狂ってる。」


もう、それぐらいしか莉々菜にできる抵抗は無かっ

た。


「知ってるよォ?じゃあまたね。バイバイ!私の元玩具の“東雲 莉々菜”ちゃん!」

「くっ……」


莉々菜は歯を強く食いしばる。悔しいのだ。何も出来ない自分に対して。


もう、無意識に莉々菜は教室から飛び出していた。

全てを置き去りにして莉々菜は逃げた。絶対に逃げちゃダメだと分かっていた。だけど心と体が言うことを聞いてくれなかったのだ。


──そして、そこから……生き地獄の始まりだった。

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