第164話 悪魔との契約
最近、莉々菜には新しい友達が出来た。その友達の名前は梵 愛葉さん。
たまたま莉々菜が雨の日に傘を忘れて途方に暮れている時に快く車で家まで送ってくれた優しい人で、その事をきっかけに仲が良くなった。
彼女は大手大企業の社長の娘さんで相当のお嬢様だった。なので、貧乏な莉々菜には到底理解する事の出来ない価値基準の人なのだが、それが莉々菜にとって新鮮で面白かった。
高校での彼女は影がかなり薄く、人前に余り出たがらない。彼女はかなりのお嬢様なので、周りと気が合わなくてクラスで浮くのを避けるためだと言っていた。
「──ねェねェ莉々菜さんって、九重君のこと……好きなの?」
だけど、莉々菜と二人っきりの時はよく素をさらけ出してくれる。自分の事を信頼してくれているからだと莉々菜は快く思っている。
「ぐっふぅ!」
莉々菜は梵さんの質問に、飲んでいた飲み物を動揺で吐き出してしまう。まさか大地の名前が出てくるとは思わなかったのだ。
「な、な、なんで!?」
あからさまに反応し、取り乱す。
「だってさァ……いつも九重君と一緒にいるから、そうなのかなァって?」
くっ……鋭い観察眼だ。確かに彼女の言う通りで、莉々菜は大地の事が好きである。それも最近はどうしようもないくらいに。彼の前では絶対にそういう雰囲気は出さないけど。
「ち、違う………………………くない。かな。
うん……好き、かな。」
自分の感情をそのまま言葉に出して言うのはこれが初めての事だった。すごく恥ずかしいが妙に清々しく、自分の気持ちを改めて強く実感出来た気がした。
「ふーんそっか。まァ、だよね。男の人だもんね。
──あ、そういえばさァ……莉々菜さんのお母さんって、ウチの経営する会社で働いてるんだよ
ねェ?」
莉々菜の本音を聞いて少しだけ歪んだ笑みを作った彼女は、今まで話していた事を全部ぶった切って、突然母の仕事の話を始めた。莉々菜は少しだけ不思議に思いながらも話を合わせる。
「えっと、うん。そう言えばそうだったね。いつも母がお世話になってます。」
「いやいや、とんでもないよ。でも、最近は忙しいんだよね?」
「え……よく、知ってるね。」
そう、最近の母は仕事がやたらと入って来て、忙しなく働き続けていた。そんな寝る間も惜しんで働く母に少しだけ心配をしながらも、自分の為に働いてくれる母には感謝と尊敬をしていた。
莉々菜には昔からの変わらない夢がある。
それは、いつか大金を稼いで母に楽をさせてあげる事だ。
だからその為に努力は惜しまないと心に決めていた。
☆☆☆
──それは梵 愛葉と友達になってから数週間が経過した頃だった。最近は大地とも学校の外で遊ぶ事が多くなり毎日がとても充実していた。
今日も大地や梵さん、クラスの皆と楽しい学校生活を送って、家に帰って来た莉々菜。笑顔のまま家に入る。
「ただいまー……………………っ……あれ?」
莉々菜の帰宅時はすぐに母が出迎えてくれるのが、東雲家にとって、莉々菜にとって普通だった。
……だが今日は母が出迎えてくれなかった。
なんだろう。家に入って気付いたが、家に流れている空気が非常に悪くて澱んでいる。
「母さん?」
どうかしたんだろうか。
莉々菜は少し心配になり、急いで母を探す。
……母は部屋の奥でひっそりと椅子に腰を掛けていた。いつもの明るい母とは雰囲気が全く違う。一瞬でそう判断した莉々菜はすぐに母の元へ駆け寄る。
「母さん、どうしたの!?」
何かケガをしたのだろうか、それか仕事のし過ぎで……精神が病んでしまったのか……様々な事態が莉々菜の頭の中で右往左往する。
「ごめんね、莉々菜。」
唐突な謝罪に困惑するが、詳しく事情を聞くと……
なんと、母が会社をリストラされてしまったのだ。
「なんで……なんで母さんが?」
実際に母が働いている姿を見た事は無いが、母の人柄的にリストラされるはずがないのだ。
「それが……分からないのよ。別に悪さをした訳でも無いし……ちゃんと会社のノルマもこなして来た。一緒に働いている人とも仲が良かったもの。
だけど、今日出社したらいきなりリストラだって上司に言われて……」
母は拳を握りしめる。歯も強く食いしばる。
物凄く悔しいのだろう。
母は今の仕事に誇りを持っていた。情熱を注いでいた。だから人一倍悔しいのだ。
それを隣でいつも聞いていたので莉々菜には分かった。
「じゃあ……これからどうする?学費とか……足りる?私……働こうか?」
月ノ光高校の学費はそれなりに高い。今までだって母が頑張って働いてギリギリだったのだ。母の仕事が無くなった以上、莉々菜も働かなければ……と、思い至ったのだ。
「大丈夫よ。だってお母さん、めげずに働くから。
絶対に莉々奈をちゃんとした大人に育て上げたいもの。」
母は悲哀の感情を殺し、明るい表情を無理やり作って言ってくれる。
それを見て感動する莉々菜。だけど、どうして母がそんな不当なリストラをされなければならないのかと納得出来ず、強い怒りの感情が湧いていた。
そしてその怒りの矛先が、母の勤めていた会社の社長の娘である梵さんに向くのは自然な事だった。
☆☆☆
切羽詰まった状態の莉々菜は次の日に梵 愛葉を空き教室に呼び出した。
「ねぇ!梵さん。母が昨日、会社をリストラされました。それで……何か事情を知らない?」
莉々菜は強く質問する。身長差はあまり無いが、目力と圧力で今にも胸ぐらを掴んでしまいそうな雰囲気はあった。
「ちょっと、なに?莉々菜のお母さん、リストラされたの!?
って、そその聞き方的に、私が親に何か言ったって言いたいの?」
まるで、知らなかった……かのようにとぼけてみせる梵さんだが、今の莉々菜には嘘を着いているようにしか見えなかった。
「そうじゃない……けど、母が突然リストラされる理由が分からない。
あ、もしかして、私が原因?私が邪魔で嫌いだから母をリストラしたの!?」
友達を裏切ってしまう事になる。けど、今の莉々菜には疑う他無かった。怒りの感情がそれほどまでに強かったのだ。
「はァ……本当にリストラのことは知らないよ。」
ため息混じりに否定する、梵さん。
その微妙な態度からは……本当の事が分からない。
「本当に?」
「本当。友達を信じてよ。」
友達……か。確かにそうだ。何をしているんだ!
“友達”と聞き、自分が友達として最低な事をしていると気付いた莉々菜。
「く……っ。疑ってごめん。私、気が動転してたみたい。疑心暗鬼って言うのかな……」
莉々菜は誠意一杯謝る。許して貰えないかもしれない。だけど、全力で謝る。
「いいよいいよ。少しだけ驚いたけど、許すよ。」
梵さんは快く許してくれた。
本当に申し訳ない。
「はぁ……これからどうしよう。」
もう単純に母はリストラをされたのだろう。そう考える事にした。
莉々菜は脱力して、床に座り込んでしまう。もう、どうしようも無いと理解してしまったからだ。
でも、そんな莉々菜に希望の手を差し出す“天使”がいた。
「──じゃあさ、私が親に直談判してお母さんを会社に戻して貰えるように促してあげよっかァ?」
「え!」
それを聞いて、希望の表情になる莉々菜。さっきまでの暗い雰囲気などは無くなり、明るい雰囲気に一瞬で切り替わった。
「でもね……代わりにって言っちゃなんだけど、手伝って欲しい事があるんだ。」
「手伝って欲しい事って……?」
自分に出来ることなら何だってする!
これからも皆と……大地と一緒にいたいのだから。
「うん。私ね、九重くんの写真とか情報とかが欲しいんだ。」
「え……えっ、だ、大地?」
梵さんの言う手伝いは、莉々菜の予想していたものとは大きくかけ離れたもので動揺を隠せなかった。
「うん、あの男の九重くんだよ。」
「なんで?なんでここで、大地が出てくるの?」
大地は関係ないはず……
「だってさァ、いいじゃん。九重くんと1番一緒にいて、1番仲が良いのは“アンタ”なんだから。」
「え……」
いつもの梵さんとは口調と雰囲気がガラリと変わり、強い圧で自分の意見を押し通そうとして来る。こんな梵さんは初めて見たので恐怖の感情が莉々菜の中で出現する。
──冷や汗が垂れる。本能で今の梵さんは危険だと判断しているからだ。
「さァ……選んでよ!」
莉々菜の前に大きな2つの選択肢が現れる。
1つ目は大地を守るが、自分の将来を蔑ろにすること。
2つ目は大地を売り、母や自分の将来を守ること。
「私は彼を……大地を裏切る事は出来ないっ。」
あれほどまで純粋で無垢な大地。そんな彼を傷つける訳にはいかない。莉々菜は守ると前に決めたのだ。今更、自分の決意を曲げる事など出来ない。
「じゃあ、このまま学費を払えないで自主退学する?中卒のあんたがこの先働くのは中々に辛いよォ?それに大地くんと離れ離れになるのは精神的苦痛なんじゃないのォ?
大丈夫。アンタは写真とか動画、情報を私にくれるだけでいいの……後は全部私がやるからさァ。」
「…………私は、」
「もっと、よく考えなよ。お母さんのこと、自分の将来のことをさァ。」
肩にポンと手を当てられ、深く考えさせる事を強要される。
「ぅ…………」
天秤が左右に大きく揺れ動く。感情が莉々菜の覚悟を徐々に打ち消していく。
頭の中に彼の顔では無く、母の顔が思い浮かんでしまう。
「大丈夫だって。九重くんにバレない程度でいいし、些細な事でもいいから。ただ私が知りたいだけなんだから。」
「それって、梵さんだけが持つ情報なの?」
「うんうん、もちろんもちろんだよ。」
「じゃあ……それなら。」
莉々菜が渡す情報などがネットとかに公開された場合、取り返しのつかない事態に発展するが梵さんの個人だけで保有するのならば…………
そう思ってしまったら最後、天秤は傾いたまま動きを止めた。
「──ねぇ、私と梵さんって“友達”だよね?」
…………もう莉々奈には友達という定義が分からなくなっていた。だけど、今は梵さんに頼らざるを得ないのだ。
「うん。もちろんだよォ。」
梵さん……いや、梵 愛葉は機嫌良さそうに頭を縦に振る。今から莉々菜が言う言葉を既に察しているからだろう。
「情報を流すから……お願いっ。お願いします。母を会社に戻すように頼んで!」
「うん!いいよ。じゃあ、これからもウィンウィンな関係でよろしくねェ。」
これが……悪魔との契約だと、莉々菜が知るはずも無かった。
今の莉々菜にはこれで母を安心させられる、という心からの安堵しか無かった。
そしてそれから……莉々菜は大地の写真、動画、情報を梵 愛葉に流し続けたのであった。
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