第153話 嘘で嘘を塗り潰し、隠す毎日


その日の夜。


莉々菜は走っていた。理由はさっき彼にも言った通り母の事が心配だったからだ。


「はぁはぁ、」


息を切れ切れにしながら、莉々菜は走る。

そして、数十分間まるでマラソン選手かのようなスピードで走り切り、ようやく家に到着した。


莉々菜の自宅は、古くボロいアパート。築100年だと大家さんは言っていた。

このアパートは狭く、音漏れも激しく、雨漏りも酷い。夜は外のように寒いし、ゴキブリも沢山出る。


一言で言えば最悪な家だ。だけど、ここに住まなければならないという理由がある。

それは家賃がすごく安いからだ。

低賃金で働く母と高校生の私。生活するにはここに住むしか無かったのだ。


「ふぅ……」


莉々菜は家の前で1回立ち止まり、深呼吸。荒れた呼吸をゆっくり整える。

そして、毎日。学校帰りにするルーティンをする。

頭の中で、今日起こった嫌な気持ち、悲しい気持ち……

その全てのものを心に隠して蓋をする。

そういうイメージを持つとなんだか楽になる。

家にいる時は少しだけ気が紛れるのだ。


これで……母にとってのいつも通りの莉々菜の完成だ。


「た、ただいまー」


元気で明るく声で家に入る。学校での莉々菜とは大きく違う。まるで別人である。


莉々菜の声に反応し、家の奥から作業着姿の母が出て来た。


「おかえりー、莉々菜。」


仕事帰りだと分かる母は、酷く憔悴しきった顔をしていて目にクマも凄い。だが自分の為にと満面の笑みで迎えてくれる。


「莉々菜、随分遅かったわね、部活忙しいの?」

「うん!だって、私は先輩だからね。」


──嘘だ。私は部活にはもう行ってない。行ったら何をされるか分からないから。


「学校は楽しい?嫌な事とかない?」

「うん!友達もいっぱいいるし、毎日楽しいよ!」


──嘘だ。友達なんていないし、ましてや味方が皆無に等しい。毎日イジメられ辛い。


「そうだ!はいこれ、お小遣いよ。ボーナスでいつもよりいっぱいお金貰ったから渡しておくわ。

だからこれで美容院とか新しい服を買ったりとかしなさい。莉々菜は可愛いんだからもっとおしゃれしなきゃダメよ。」

「わぁー、ありがとう……大切に……使うね。」


──ごめんね。嘘ついた。

ありがとうねお母さん。でも、分かるよ。これがボーナスなんかじゃないってことぐらい。このお金って、お母さんが毎日少しずつ貯めてくれていたお金だよね?そんなお金、私なんかにくれなくていいのに。


でも……

莉々菜は歯を食いしばりながら、素の感情を押し殺し笑顔で受け取る。


「そうだ!今週か来週に確か“月光祭”ってのがあるのよね?それにお母さん、行ってもいい?」

「え……」


母のとんでもない発言に、莉々菜は口を紡ぐ。一瞬だけ素に戻ってしまう。


「もしかしたら仕事で行けなくなるかもしれないんだけど、たまには娘の学校生活を見て息抜きしたいなぁって思ったんだけど?」

「………………そっか。うん。いいよ。来ても。」


──学校での自分の立場を見たら母は悲しむだろうな。でも、ここで「ダメ」と言ったら母に不審がられ問いただされる。

そうしたら自分が今まで着いてきた“嘘”に綻びができ、やがて決壊する。

ここは「うん」と言うしか無かった。


「じゃあ、ご飯にしよっか。」


と……母が莉々菜の肩に手を当てて一緒にリビングへと行こうとした時。

気付かれた。


「あら、莉々菜。制服濡れてるじゃない!何かあった?」

「あ!?えと、あ、雨、雨だよ!急に降ってきてね……最悪だよね。」


そう言えば、まだ制服が湿っている事を忘れていた。

失態だ。気を付かなければ……

冷や汗を垂らしながら、母の様子を伺う。


「雨ね……それは災難だったわね。じゃあ、もうシャワーを浴びちゃいなさいな。寒いでしょ?風邪でも引いたら大変だもの。」

「あ、ありがとう。」


……どうやら大丈夫だったようだ。何も疑わず、母は言ってくれる。


「それじゃ、お母さんはもう時間的にご飯食べて仕事行くから戸締り、よろしくね。」

「うん。」


母は1年前程から、仕事を増やした。

それは全部自分の為だと理解している。高校に入ってからは中学の時より圧倒的にお金がかかる。

本当にありがたい。ありがたいけど……莉々菜は罪悪感で心がいっぱいになる。


「お母さん……」

「どうしたの、莉々菜。」

「体には絶対に気を付けてね。お母さんに何かあったら私……泣いちゃうから。」

「大丈夫よ。何子供みたいな事言ってるの。莉々菜を育て終えるまでは絶対にお母さんは死なないから。」


母はいつも私の前では笑顔で笑ってくれる。


☆☆☆


莉々菜は風呂場でシャワーを浴びる。

こんなに寒い日にはお風呂に入りたいがそれは我慢だ。風呂桶にお湯を貼るのは1年に1回程度、毎日が節約生活。そう心がけている。

だが、そろそろ冬で寒いので肉体的につらい。

けど慣れたことなので我慢。


莉々菜は頭からシャワーを浴びる……


「………………」


無言。

莉々菜は無表情で鏡に映る自分を見る。


鏡にはボロボロでやつれた自分が映る。


「惨め……ね」


そう呟きがから、彼女はハサミを持つ。

百均で売っている安いハサミだ。


「………………。」


覚悟を決める。空いた手の左手で長く伸びた前髪を持つ。


そして────シャキン、シャキン……


バッサリと髪を切る。

母は莉々菜に毎月お小遣いをくれる。娘の私のことを思ってだ。その心遣いに莉々菜は毎回涙を流す。


こんな娘でごめん。

お小遣い……壊れた文房具とか、病院代に使ってごめん。服も、新しいの買ったとか言ったけどあれ嘘で、手作りなんだ。古い服を使って作ってるだけなんだよ。


自分で情けないと思う。悔しいと思う。自分の高校生活には後悔しかない。

でも、過去はもう変えられない。


莉々菜は声を押し殺して泣く。叫びたい。助けを呼びたい。もう耐えられない。

莉々菜の涙はお湯で流されていく。

もう終わりにしたいとも何度も思った。それぐらい自分の心が抉れていると分かる。


試したりもした。そう……リストカットだ。

でも、途中で怖くなる。母の顔が浮かぶ。

そして失敗する。死ねず、痛みだけが自分を襲う。


母の為に二度としないと誓っても、何度も自暴自棄になりリストカットを繰り返す。

必死に必死に必死に、耐えて耐えて耐えてッ……


莉々菜は涙を流しながら髪を切り続けた。


──数分。

髪を相当切り、ショートカットになったが少しだけ歪の髪。美容院に行ったらこうはならない。でも、十分だ。


別に自分は可愛くないし、学校でも目立たない。

ましてや魅了する男なんて、こんな歪な世界にはひと握りしかいないのだから。


母は、多分明日の昼ぐらいまでは帰らない。

だから、自分が髪を美容院で切ったと嘘を付ける。


嘘で嘘を塗り潰し、隠す毎日……それが彼女の……東雲 莉々菜の日常であった。


莉々菜は母が出掛けるのを風呂場で待ちながら、ぼーっと。

あの彼の事を考える。

……いま、大丈夫なのかな……“大地くん”……


☆☆☆


次の日の明朝。


莉々菜の母は低賃金の職場で肉体労働の仕事をしていた。体と気力の仕事で辛く危険が多いがその分報酬がいいのだ。


とにかくお金が欲しい莉々菜の母はこの仕事をすぐに選んだ。


深夜から働き、もう働いて3時間は経っている。

寝不足と、疲労、栄養不足。既に限界は超え、足が震えている。だが、最愛の莉々菜のためにと。根気強く働いていた。


「──東雲さんー、あそこの瓦礫片付けて置いてね。」

「はい!」


そう、何度も。


「──東雲さんー、人数足りないから応援で行ってくんない?」

「はい!」


何度も何度も。

言われるがままに従い、働く。


「──東雲さんー……」

「は……」


返事をしようと思った。だけど体から力が抜け、声が出ない。

どうして?まだまだ体を酷使しないといけないのに?いくら頭で命令しても体は動かない。


景色が真白くなる。意識が遠のいて行く。


「り……りな……っ。」


そう言い残し、莉々菜の母は、倒れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る