第151話 東雲 莉々菜


女子トイレの前まで来たものの……さてこれからどうするべきか?


流石に俺も常識は弁えている。無断で女子トイレなんて入ったりでもしたら即変態認定だ。


それだけは嫌だ。でも、もしトイレの中でとんでもない事が行われていて、命の危険があったりでもしたら……

そう考えると自分の事なんてどうでも良くなる。


「もう、そのまま突撃するか!」


……でも。

俺にはもう守らなければならない“家族”がいる。家庭がある。俺のせいでその“家族”に迷惑をかけたく無い。

その事が頭を過ぎったため寸前で俺は立ち止まる。

茨のように俺の足に絡み付き、足が動かない。


くっ……じゃあ、どうすれば?俺はすぐに別案を考える。そして、1つ。いい作戦を瞬時に思い付いた。


自信はあまり無いけど、多分大丈夫なはず……

俺は覚悟を決め、大きく息を吸い込む。


そして──


「きゃ、きゃぁっー!あれってあのカッコイイ後輩くんの神楽坂 優馬じゃないっぅ!?」


俺の全力の裏声で、女の子がトイレ前で叫んだかのように醸し出した。そしてすぐに俺は物陰に身を隠す。


そう、俺の考え出した作戦は『俺の名前を出して女子トイレにいる女子に出て行ってもらおう作戦』だ!


自分で自分を褒めるってなんだが情けなく感じるけどまぁ、いい。迫真の演技に見せるために、頑張った。安直な作戦だけど、結果はどうだろうか……


数秒後、ドタドタと女子トイレから3人の女子達が勢いよく飛び出て来た。


「優馬君っ!」

「マジで……どこどこっ!」

「まだ、近くにいるかも探しに行こう!」


目が血走った女子3人だ。これが、獣女子と言うものかもしれない。この3人がトイレで誰かをイジメていたのかもしれない。その容疑があるので一応顔を覚えておく。“危険人物”として。


3人は俺の事を探しに走って行った。

初めに見つけられなかった時点で俺の事を探すのは既に無理だいうのに。


でもこれで、女子トイレを確認できるな。

この女子トイレは古いし汚れていて人気の無いトイレだと思うけど使う人もいる。


無駄に緊張すると返って怪しい。なので、平常心で……別に変な事は考えてないんだ。ただの確認で入るだけなのだから。

自己暗示を続けながら、俺は女子トイレに向かう。


「誰かいますか……?」


一応、俺は確認をする。


「──────」


返事はない。誰もいないのか……?

でも、一応のために中を見ておくか。

もしかしたらイジメられていた人が恐怖で声が出せないかもしれない。もしかしたら拘束されているのかもしれない。もしかしたらケガをしているかもしれない。そう思ったからだ。


「失礼しま……す。」


ゆっくり、女子トイレに入る。


生まれて初めて入った女子トイレは案外普通な造りで簡単に言うと個室しかないトイレだ。


その個室の中で1つの個室が一際汚れている。というか、すごい水浸しだ。


さっきの水の音はやはり女子トイレからで、こんな豪快に水を零すなんて……普通はありえない。なのでイジメだと考えるのが妥当だ。


俺はその個室の前まで歩き、扉を開けようとするが……

鍵が掛かってる。


……イジメられていた人が中にいるのか?


「あの──」


俺が声を掛けようと思った瞬間、ガチャンと個室の鍵が空いた。

そして、そこからずぶ濡れの女子がゆっくりと出て来た。


「っっ!?」


ずぶ濡れのこの人、髪は水滴を含んでいるがそもそもがボサボサな黒髪で、酷く消耗した様子だった。

更に制服の隙間から見える包帯、場所からしてただの怪我には見えない。恐らくリストカットという自傷行為のようなものもあった。

顔は長く伸びた髪で見えない。でも髪の隙間から見えた瞳が潤んでいることが分かった。恐らく泣いている。


「あ……」

「っ………!?!?」


彼女が俺に気が付いた。


「──す、すいません。勝手に女子トイレに入って!でも、心配で……」


俺はすぐに声を掛けたが……


彼女は俺に気づいた瞬間、全力で走って逃げてしまった。全身が濡れているので、水を撒き散らしながら……


俺は弁明に頭を使っていたため咄嗟に止めることは出来ず、彼女の逃走を許してしまった。


「えっと……一体何だったんだろう。」


1人、女子トイレに残された俺。

まず、彼女を追いかけるのはやめておこう。

だってあの彼女の表情とあの驚き方を見た時。大地先輩の事を思い出した。

完全に彼女は男の俺を“恐怖の対象”として見ていた。その恐怖の対象の俺が彼女を追いかけたら……

それだけで彼女にとっては相当なトラウマものだろうと思ったからだ。


でも、男が苦手って……一体何があったんだろう?

夜依みたいな感じなのかな?


「うおっと、あーあっ、ビシャビシャだなぁ。」


個室のトイレから水が溢れだしてきた。

それぐらい多くの水をかけられたのだろう。


俺は水を踏んで靴を濡らさないように気をつけながら、彼女が入っていた女子トイレを覗く。

彼女は手ぶらだった。だから、何か手掛かり忘れ物があるかもしれないと思ったからだ。


「っ…………」


俺の予想は見事大正解。

個室のトイレには、彼女の忘れ物があった。


でも、その全ての物は水浸しでその中には携帯や教科書など日常で必要なものもあった。


悪質なイジメだな。

許せないし、相当タチの悪い。


俺はあの3人を“危険人物”特定し、二度と近付かないし話さないと心に決めた。


俺はぐじゃぐじゃになってもう使い物にならないと思われる教科書を1冊1冊拾い上げる。


「ありゃぁ……」


どうするんだよ。完全に弁償ものだ。それに、教科書の1冊1冊には水性ペンで書かれた誹謗中傷の文字があった。


バカや、死ね、カス、ブス、ゴミなど……抽象的なものばかりだけど、書かれた本人にとっては心をえぐる凶器になり得る。


これはいくらなんでも酷すぎる。

彼女が何をしたって言うんだ!


俺は深い怒りが湧く。この気持ちは1度、葵の時に経験している気持ちだ。


「ふぅ……」


1回落ち着けよ、俺。

まずは、彼女の忘れ物の被害を最低限にする。それが今俺がとるべき選択だ。怒りが湧いても発散は出来ないし、時間を無駄にするだけだ。


俺は気持ちを切り替えて、彼女の持ち物を水浸しの床から順々に拾い上げていく。でも既に手遅れのものが多く、携帯とかは完全に水没していた。


「そういえば……彼女の名前ってなんて言うんだろう?」


名前が分からなければ、教科書を返すのに一苦労する。なので、俺は教科書の裏に書いてある名前を見る。水でインクが滲んで見にくいけど、何とか名前を読み取った。


「……あぁ、そっか…そうだったんだ。彼女が…」


俺は一瞬思考を停止する。そして、なんとも表現出来ない曖昧な気持ちになるのだった。


☆☆☆


「はぁはぁはぁはぁ……」


彼女は息が上がっても、なお走り続け人通りが皆無な廊下まで来た。


ここは屋上の近くの廊下、そのため物置に使われている空き教室が多く、用事がない限り人が来ない。

ここは1人になるには最適の場所だ。


「うっ……くっ……」


なんだろう。いつもの事なのに……もう慣れたはずなのに涙が出てくる。

我慢して我慢して我慢したのに……あれからもう一年以上経っているのに、まだ自由にされない。放っておいてくれない。


もう嫌だ。情けない自分も、信用してくれなかった奴らも。全部全部、大嫌いだ。


それに……何?あの男は?私の事、分かって近付いてきたの?それとも、偶然?

彼女はあの男について思考を巡らせるが何も分からず考えるのをやめた。


彼女の全身は水浸し、この季節に濡れた制服では寒いのは当たり前。でも、人の手は借りられない。助けてくれないと分かっているからだ。


自分でもその事は理解している。

なので彼女は廊下の壁にもたれ掛かかりながら蹲り、熱を逃がさないようにする。


でも寒さは一向に収まることは無く、涙も止まらない。


しばらく、彼女はそのままでいた。自分で自分を慰めないと精神が保てなかったためだ。


──1時間後、下校のチャイムが鳴り響く。


それで彼女はようやく立ち上がった。


「そうだ……帰る前に、荷物を取りに行かなきゃ。」


トイレに忘れてきた自分の荷物。水浸しで携帯も教科書も全てお釈迦になってるかもしれないけど、取りに行く。手ぶらで帰ったら……心配されると思うから。


涙を拭い、彼女は歩く。でも、1歩1歩の足取りが重く、酷く痛々しい。


それでも彼女は歩く。

もう下校時間を過ぎていて、外は真っ暗。部活動も強化指定以外は下校し、校内には巡回の先生ぐらいしか残っていないはず。


彼女が唯一、自由に、何も考えずに学校を歩ける時間帯。それが下校時間を過ぎた時間帯だった。


そして、彼女はさっきまでいた女子トイレまでゆっくり戻る。先生に気付かれる訳にもいかないため、廊下に電気をつけない、真っ暗な中歩いたのでもちろんペースは落ちる訳で、走って逃げた時よりも倍以上の時間を掛けて彼女は女子トイレまで戻った。


「───えっ……」


彼女は驚きの声を上げる。何故ならば、絶対にいないと思っていた人が自分の事を待ち構えていたからだ。


「ど、どうして?」

「待ってましたよ、“東雲 莉々菜りりな”さん。」


そこには自分の忘れ物を持った、神楽坂 優馬という男がいた。


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