第146話 特別休学終了


俺は久しぶりに月の光高校の制服を着て、靴を履く。


「はい、これ!」


姫命から笑顔でカバンを渡される。それは、まるで熟年の夫婦のように無駄のない動きで……

それに、夫婦のように馴れ馴れしい感じが姫命らしい。だけど、雫達がいるから本当にやめて欲しいんだよな。


「ありがと、姫命。」


俺は注意せずに受け取る。いちいちツッコミを入れていても姫命は変わらないと思うし、ただ俺が疲れるだけだからな。


「……じゃあ、行くわよ、ゆーま。」

「早くですよ、ゆぅーくんっ!!」

「ゆぅ、用意はちゃんと出来たの?忘れ物は無い?」


雫と葵は俺の事を急かし、夜依は忘れ物など俺が特別休学でたるんでいないかを確認する。


「準備は大丈夫だよ、夜依。じゃあ行ってくるよ。」


ずっと楽しみにしていたんだ。忘れ物なんて無い。

俺はカバンを肩にかけ、ドアに手をかける。


「パパぁ!いってらっしゃいなの!」


すると、鶴乃が寝起きの状態=パジャマ姿で俺に抱き着いてくる。俺はすぐにしゃがんで鶴乃を受け止め、抱っこする。


これだけは……数週間で体に染み付いた動作だ。

まるでパパのように抱っこする俺。


「鶴乃、パパがかえってくるまでまってるから、はやくかえってくるの!」


俺は鶴乃を抱っこして、鶴乃がいい子でお留守番していられるように優しく優しく抱きしめる。

鶴乃もそれに答えるようにギュッとしてくれる。


「うん、パパも今日は出来るだけ早く帰ってくるからね。いい子で姫命とお留守番してるんだよ!」


俺は頭を撫でながら鶴乃に言う。


「えへへ、うん!神ちゃんといっしょなら、たのしくていいの!」


鶴乃は万遍の笑みで笑う。

鶴乃のために今日は早く帰ってきてやらないとな。

そう、頭の中にメモして置く。


「じゃあ後は任せるからね、姫命。」

「はい!任せてよ。ご飯作って待ってるからね!」


鶴乃も姫命もやる気満々だ。なんのやる気なのか分からないけど。


「じゃあ、行ってくるよ。」


俺は元気よく、皆と一緒に家を出たのだった。


☆☆☆


学校に着く前から、俺は注目の的だった。

なぜなら、新男会の会長で少し前にテレビに出演してたった1人だけ顔出しをしてしまったからだ。


俺に気づいた女の子達はすぐさま俺の元へダッシュ。そして、興奮しながら話しかけて来る。

中には涙する子もいた。


女の子達の中でどうやら俺はもう至高の存在へと変わっていたようで、手を合わせて拝められる始末。

それぐらい、俺がいなかった特別休学中の影響は大きかったようだ。


そして、彼女達が聞いてくるのは男会の事ばかり。まぁ、褒めてくれたりして嬉しいんだけど、女の子達はその事ばかりしか話をしてこない。まあ、気になるのはしょうがないんだけどさ。

何度も何度もその事について丁寧に受け答えしているとなんだか面倒くさくなってくる。


そんなのを数え切れないくらい、まるで作業のように繰り返し登校だけでも色々と大変だった。


そろそろ、学校だ。


やっと、一時的だけど解放される。

ほっと安心するのも、学校でもどうせ同じ事をしばらくはしなければならないと思うとなんだかだるくなってくる。


はぁ……まぁ、俺が大変にしたんだし、覚悟はしたんだ。これぐらいで、へこたれていたらダメだな。


……ん、お!あれって、春香じゃん。


俺は1人でとぼとぼと歩く春香を見つけた。

でも、見た目は勿論あの春香だ。だけど、俺が知る春香とは大きくかけ離れている。そんな印象を今の春香には感じさせた。


いつも明るく元気で、クラスのムードメーカー的な存在の春香。でも、今の春香はボーッとしているようで暗い。ずっと下を見続け、そのせいか転んだり、電柱にぶつかったりしている。さらに、ケガをしているのか腕にギブスを付けていた。


そんな状態で何度も転んだりすると受身が取れ無くて危ない。


「おーい!春香ー!」


俺は一旦周りにいる女の子に謝り、急いで春香の元へ駆け付けた。


転んでいる春香に手を差し出すが……無視して立ち上がり、俺を素通りして行く。


………え!?


「春香!」

「………………………」

「おーい、春香聞こえてる?」

「………………………」

「春香?」

「………………あ!優馬君♪」


何度か春香に声を掛けても聞こえていないのか春香は黙ったまま。手を目元でパタパタとしてようやく春香は俺に気付き、顔を俺の方に向けた。


春香の顔は酷くやつれていて、何よりクマが凄かった。それに、泣いた後がくっきりと残るような涙後があった。


「ど、どうしたの?春香、元気無いみたいだけど?」

「あ……うん、そうだね♪」


空元気のような、久しぶりに俺に会えて嬉しいのか、さっきよりは元気になっていた春香。だけど、そんな小声で話す春香を見てただ事ではないと思った俺。


「私ね、ダメダメなんだよ。スポーツ推薦で学校に入学して部活で、ものすごく頑張らなきゃならないのに……試合に出れない先輩達の分まで活躍しなきゃならないのに……先輩の最後の試合なのに……私最後の最後でやらかしちゃってさ♪チームは負けちゃったんだ♪それでね、先輩は引退だよ♪」


春香は思い出したのか涙ぐむ。歯を食いしばり耐えようとはしているが込み上げてくるものには勝てず泣き出してしまう。


「そっか……それは、うん。」


春香は今どうしようも無い気持ちにいるんだろうな。


その経験は俺にもある。

転生する前の俺が中学2年生だった時、俺が大事なゴールを決めきれず、逆転負けで先輩とする最後の試合を終わらせてしまったことがある。


先輩はすぐに引退。だけど、まだ2年生の俺はもう1年がある。こんな理不尽なことは実際に起こり得るのだ。


その時は俺も春香のように項垂れ、崩れた。もう、サッカーなんてしたくないとも思った。

だけど、その時は仲間に支えてもらった。


あの経験は辛くしんどいものだったけど、仲間との信頼関係が高くなった時でもある。今では笑って話せるほどだ。


その仲間に支えてもらったおかげで今も俺はサッカーが大好きで続けられているんだ。まぁ、もう二度とあいつらには会えないんだけどな。


って、しみじみしている場合じゃないぞ。

俺の話じゃない、今は春香だ。


だから……俺も仲間達のように春香を支えてあげようと思った。無粋だったけど、俺にはそれしか思い付かなかった。


俺は春香の背中にポンっと手を置き、


「春香、俺は春香の笑った顔が見たいな。」

「え?な、なんで今、そんなこと言うのかな…♪」


俺のぶっ飛んだ言葉に春香は戸惑う。


「うーんっとね、俺には語彙力は無いから上手いことは言えない。だけどね、俺は春香は常に笑っていてくれないと調子が狂うなって思うんだ。俺は春香の事を支えたいんだ!」

「ムリだよ、そんな気分にはなれないよ♪」


春香は俺の言葉を否定し、下を向く。


「それにケガもしちゃったし、しばらくはチームメイトにも迷惑を掛けちゃうんだよ!?」


春香は悔しそうに歯を食いしばる。怪我をしていない方の手にも力が入っている。


「優馬君は私の事、なんにも知らないくせに、そんなこと言わないでよ!」


春香は泣きながら、そう言い残し、走り去って行く。

俺はその場に取り残される。周りで俺と春香の会話を聞いていた女の子達は俺への暴言に唖然としている。


「春香……」


今の春香はやるせない気持ちでいっぱいなのだろう。俺に強く当たってしまうのも仕方が無い。

だけど、それはもうやり返せない過去のことだ。

悔やむだけ悔やんで、過去のことにするしかないのだ。


どうやら、俺には仲間達みたいに春香を支えることは出来なかった。まず、共にその部活動を高めあっていないのだから、赤の他人にそんなことを言われても腹が立つだけだろう。


完全に蛇足をした俺。機会があれば後で謝っておこう。


だけど、そんな俺だけど出来ることはきっとあるはずだ。お節介?そんなの関係ない。俺がしたいと思ったんだからいいのだ。


俺は涙を浮かべながら走っていく春香の背中を見てそう思ったのであった。


☆☆☆


俺の特別休学が終了した事に学校中の女の子達は歓喜した。

久しぶりに会うクラスの皆や先生、先輩方。

皆笑顔で俺の事を迎えてくれて嬉しかった。


まず、葵と夜依が正式に婚約者になった事を報告。

そして、既に同棲している事も報告した。


今日1日は俺は色んな所に迷惑を掛けたと謝りに行ったり、溜まったテストをやる日となった。

そのため、春香と話す時間は一切無かった。


──放課後。


さて、行くとするか。


俺は学校が終わって、まだ色々と断りに行かないといけないんだけどまず、それは後回しにし1人である目的の場所に行くのだった。


☆☆☆


春香は学校が終わり、すぐに教室を出る。

いつもの自分ならこの時間は走って部活に行くのだが、今日は怪我の大事をとって休む事にした。それに……今はそんな気分にはなれなかったのだ。


「う……」


ギブスを付けた右腕はビシビシと痛む。病院では骨には異常はなかったが筋肉をやってしまいしばらく野球は出来ないと言われた。しばらく野球をしたくも見たくも無かったので別にそれはいい。

だけど、腕の痛みよりも心の方が軋み、痛み、弾けそうだった。


春香にとってこれは初めての“挫折”。それは、そう簡単に立ち直れるものでは無かった。


春香は優馬君が言ったことを思い出す。


“笑った顔が好き” “支えさせて”か……

それって告白なのかな?


挫折してからほとんど笑みを零さなかった春香だったがほんの少しだけ口角が下がる。

だけど、気持ちはまだ暗いままだ。


私って、バカだなぁ。久しぶりに会う優馬君はカッコよくて、前にあった時よりも更に大人びていた。

だけど、あんな態度……絶対嫌われちゃうよね。


──そんな暗い春香の元に複数人の女子が固まって走って来た。


「「「春香っ!」」」


そして春香の名前を呼び、春香を呼び止めた。


その人達は、春香と共に苦楽を共にし春香の初の挫折を生で見ていた野球部のチームメイトだった。

その表情はどこか必死そうで何故か緊張もしているようだった。


「その……ごめん、春香!」

「え?」


チームメイトの1人が大声で言った。周りにいる生徒はその声に驚くが、そんなのお構い無しにだ。


「私達のチームメイトなのに大切な仲間の春香の気持ちを考えていなかった。」

「え、なに?突然……」


春香はチームメイトの珍しい姿を見て戸惑いを隠せなかった。


「「「だから、支えさせて!」」」


声を揃えてチームメイトは言う。

でもその言葉に春香は、


「はははっ、なにそれ♪」


自分でも分からない。だけど、その言葉に春香は聞き覚えがあって、彼の顔を重ねてしまい。笑いを堪えきれずに笑ってしまった。感情はまだいつも通りではない。でも、ほんのわずかだけいつもの春香だった。


「それにね、あの試合は春香だけのせいじゃないよ。」

「私なんて春香よりエラーとかいっぱいしちゃったし。」

「いやいや、私だって全く活躍出来なかったんだし。」


チームメイト達は次々に春香を支えようとしてくる。でも、まだ慣れないのかどこかぎこち無い。

だけど今の春香には十分だった。


「う……ちょっと長くなるけど話していい?」


話を聞いて、春香の溜まっていた感情が込み上げてきたのだ。その感情はすぐに吐き出したかった。

チームメイト達が頷いたことを確認し、春香は叫んだ。


自分のミスも、心の弱さも、自分の力の程も。それは溢れて溢れて、止まらない。全部全部ぶつけた。

ここまで感情をストレートにチームメイトに放ったのは春香にとって初めての事だった。


数分それは溢れ、全部溢れる切る頃には、なんだか自分が挫折している事が馬鹿馬鹿しくなっていた。

それに、先輩達の最後の言葉を思い出す。


“後は任せた”……と。


あの言葉はただ優しい先輩が自分を慰めてくれているものだと思っていた。実際そうかもしれない。

だけど、今はその言葉の意味がよく分かる。


「ありがとう、皆。もう、大丈夫だよ♪」


春香はいつも通りの明るい笑顔で言う。


「そっか、よかったよ。」


チームメイトはホット安心したようだった。

そして部活に戻ろうとする。

だけど、


「あ、そうだそうだ、ちょっと待ってよ。聞きたかったんだけどさ♪どうして、私の事を支えようと思ってくれたの?」


今日一日でその言葉を2回聞いたので、何となく聞いてみた。


「「「「っ…………と。」」」」


だけど、チームメイトは沈黙。

でも、顔に出やすい皆。春香は何かあると確信し深く聞く事に決めた。


「そうだ!教えてくれたら、今度私がラーメンを奢ってあげるよ♪」


ならばと、報酬を出す事にした春香。何故か?自分にも分からなかったが、この事は聞いておかなければならないと本能で感じたのだ。


「いや……でも。約束を破る訳には行かないよ。でも……ラーメンだと。うーっ、揺らいじゃうよ。」


チームメイトの1人がそんなことを言うが何とか堪えたようで教えてはくれなかった。


それを聞き、春香はおかしいと思う。

……チームメイトの大好物“ラーメン”を報酬に出せばすぐに教えてくれると思ったのだけど、今回は違うらしい。


そこまでの約束なのか?


「う……私の財布に大大ダメージだけど、しょうがないな……今なら大サービス!ラーメンのトッピングも2個まで可にするよ♪」


しばらく自分はラーメンが食べれなくなるけど、致し方が無い。春香は更に報酬を上乗せした。もう報酬は増やせないけど、どうだ?


チームメイトは流石に報酬に目が眩んだのか、嫌々ながらも話してくれた。


☆☆☆


春香は頬を赤く染めながら帰路に着く。チームメイトとはさっき別れたばかりだ。


「………………………………………っ♪」


春香はさっきのチームメイトとの会話を思い出す。


───


「──えっとね、今日突然部室に“優馬君”が現れたんだよ。」


春香は予想外の名前に驚愕する。


「ゆ、優馬君!?な、なんで!?」

「それでね、優馬君に春香のことを支えてやってくれないかって頼まれたんだよ。」


───


春香はここまで感情が昂った事は無いほど感情が高まる。心が火照り、体が火照る。そして、彼だけのことしか考えられなくなる。


もう……素直じゃないんだから♪


夕焼けが、春香を照らす。まるで、夕焼けも支えてくれているかのように。


ありがとう、優馬君♪

優馬君のおかげで私、これからも頑張れそうだよ♪


そうして、笑顔で笑いながら春香は歩くのだった。


明日、優馬はいつも通りの春香に会って早々に抱きつかれる羽目になるのは言うまでもない。


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