第133話 雨上がり。俺は鶴乃を……


「はぁはぁ。…ふぅ。」


疲れた息を大きく吐きながら、雨の中を1歩1歩進む。


雨は時間が経つにつれ徐々に弱まっては来ているけど、レインコートを着ていない今の俺にとって雨が降っているという時点で相当辛い。辛すぎる。


既に雨でスポーツウェアはずぶ寝れ。体は芯まで冷え切っている。


よく鶴乃はこんな雨の中、何もせずにお母さんの事を待っていられたのだろう?ちょっとすごいと思う。いや……それほどの恐怖だったのかもしれない。


ううっ……寒っ。

最優先はもちろん鶴乃だけど、俺もすぐに体を温めないと風を引くな。


家に帰れば予め用意していた風呂が湧いているはずだ。それで体を温めよう……


俺はそう思い必死に進む。走って覚えた近所の道を、最短コースで進んでいるため、あともう少しで家に到着する。


俺の腕の中で眠っている鶴乃はレインコートを羽織っているため、それほど濡れている訳では無い。むしろ温もりを感じているのか、幸せそうな笑みを浮かべながら寝ている。


なんだよ……今まで顔が強ばっていたため、あまり感じなかったけど、今のこの寝顔はまるで天使のように可愛いらしいじゃないか。


だけど、鶴乃を見つけたのは本当にたまたまだ。俺がもしあの場にいなかったらと思うとゾッとする。


こんな子を虐待するなんて親の顔が見てみたいものだ。そして、ガツンと言ってやりたい“お前は親失格だ”と。


そんなことを考えつつ、俺は進みようやく家に到着した。


よしやっと、家だ。


「はぁはぁはぁ……」


相当疲れた。俺がほっと肩を撫で下ろしていると。


「ん……?」


そこまで視界がクリアと言う訳では無いけれど、家の前に誰かが立っている事に気付いた。

目を凝らして見ると、その姿が誰なのか分かった。


「あれって、葵じゃないか!?」


家の前には葵が藍色の傘をさして立っていたのだ。

葵は俺に気付くと走って駆け寄ってきた。


「優馬君っ!!」


葵の声には心配と怒り?のような感情が混ぜられている気がした。


いや、?じゃないな……確実にその怒りの感情はあるようだ。だって頭にこういう💢マークだって付いてるし。


「ど、どうして葵がここにいるの?まだ学校の時間だろう?」


まだ昼頃の時間帯のはずで、葵は普通だったら昼休みで皆と一緒に昼ご飯を食べているはずだからだ。


「いえ、今日は台風が急接近という緊急速報が出たので早帰りになったんです………って、そんな事よりもどうしたんですかその子!?」


葵は鶴乃に気付くと、かなり驚いた表情を作った。

まぁ、普通そうだろうな。俺が見ず知らずの女の子をお姫様抱っこで運んで来たのだから。


「んーと、話せば少し時間が掛るから後にしてくれないか?まずこの子のこと、葵に頼むよ。低体温症の可能性もあるかもしれないから。すぐにお風呂で温めてあげて。」


俺は葵に鶴乃を渡し、症状も何となく伝えた。

葵は抱っこで受け取ると、


「この子の事は分かりました。ですけど、優馬君もすぐにお風呂に入って温まってくださいね。風邪引いちゃいますよ!!」


もし、葵達がいなかったら俺が鶴乃とお風呂に入らなければならなかった。いや…まあ、気にしないようにするけど…若干、いやかなりの罪悪感みたいなものもあった。


俺が一緒にお風呂に入ることは、本当に他に方法が無かった時の最後の方法だったので、鶴乃をお風呂に入れてあげることは葵に任せる。


「いや、まず俺なんかより鶴乃の事を最優先にしてくれ。」


鶴乃の方が長い時間雨に濡れているし、体力も減っているはずだ。


「わ、分かりました。すぐにお風呂に入れてあげるので優馬君は待っていてください!!」


葵は慌てて鶴乃を連れて行った。


俺は家に入り、家にいた雫と夜依から貰ったタオルで体を拭きながら、鶴乃の事を軽く説明して葵の事を待った。


そして数十分待ち、ようやく風呂に入れ終え出て来た葵と鶴乃を確認して、俺は体の芯まで冷え切った体をゆっくりと温かい湯船につけたのだった。


☆☆☆


体を温め終わった俺は風呂から上がった。


冷え切った体を完全に温めるため終わるまでに結構湯船に浸かっていたので、かなりのぼせた気がする。


だけどおかげで完全復活だ。

この感じだと風邪も引いている事は無いな。


体を拭き、パジャマを着て、髪を乾かす。それが終わり、リビングに行くと髪を葵から溶かしてもらっている鶴乃がそこにはいた。


パジャマは葵のを貸してあげたのか、かなりぶかぶかで今にも服がはだけそうなので、目のやり場に困る。


あ、近くに行って気が付いたけど鶴乃は傷の手当をして貰っていた。多分夜依がしてくれたんだな。


「元気になって良かったよ。」


俺は鶴乃の隣に座って言う。

今の鶴乃は体調が悪そうでもなく、傷の痛みもそれ程でもないのだろう。


「あ……あの……さっきは……ありがとう。」


鶴乃は少し恥ずかしいのか顔を赤くしながらも笑顔で言った。


やっぱり可愛いくていい子だよな。


「体調はどう?寒気とか感じる?」

「だ……大丈夫……です。」

「そっか、良かった。」


鶴乃とそこから少しの間話をしたけど、ちょっと言葉がたどたどしいと感じたけど、しっかりと会話ができるし、素直な子だと思った。


「ちょっと、いいですか優馬君……」


葵が声を掛けてきた。俺は振り向くと鶴乃とは正反対の辛そうな表情の葵がそこにはいた。


「どうしたの葵?」

「ちょっと、話があるので1回場所を変えませんか?」

「あ……あぁ。分かった。」


何となく葵の言いたい事が理解出来た俺は素直に従い葵について行った。鶴乃を1回置いて、リビングを離れた俺と葵。


リビングから2階に上がり葵の部屋に入る。


「あ。」


葵の部屋には雫と夜依もいた。


どうやら2人も鶴乃のちゃんとした事を聞きたかったらしい。


葵の部屋はThe・普通のような無難な部屋で何の個性も変哲もない部屋だった。


「はぁ……」


葵は椅子に腰かけ重いため息を吐く。


「優馬君は気付いてましたか?その……あの子の怪我のこと。」


やっぱりな……


「あぁ。腕しか見てないけど……もしかして、そこ以外にも虐待の怪我はあったの?」


葵は鶴乃の事をお風呂に入れてくれた。つまり……鶴乃の怪我を全て見たということになる。


「はい……パッと見ですが、擦り傷や、内出血や重度のやけど痕が体の至る所にありました。それに、全然食べていなのか酷く痩せていて、睡眠もろくに取れていなかったのか、かなりの睡眠不足です。本当にあの子は辛い生活を送ってきたのだろうと思います……」


1度呼吸を整え葵は最後に付け足した。


「今も、相手の様子を慎重に伺って、必死にいい子を演じているし……」

「え?そうかな……俺にはあれが演技だとは思わないけどね。」


俺から見ると鶴乃が演技なんてしている気はしないけどな。


「そうですか…?私には演じているようにしか見えませんよ。私が昔そうでしたから何となく……分かるんです。」


葵は過去の経験で鶴乃を見て、言っているようだ。

昔の葵には鶴乃とどこか似ているような感じだったのだろうか……


「そっか……じゃあ、葵。」

「なんですか優馬君?」

「少しの間、鶴乃の事を見ててくれないかな?もちろん俺も協力するからさ。」


鶴乃は身体的にも精神的にも幼く脆い、このまま辛いことばかりされ続けていると鶴乃が壊れてしまう。俺達には本物の親になる事は出来ない。だけど鶴乃の事を支えてあげる事はできるはずだ。それに守ってもあげれるはずだ。

まだ会って数時間しか経っていない見ず知らずの女の子なのに?と、世間の人は言うかもしれない。だけどそんな事俺には関係ないのだ。

守りたいと思ったら守るのだ。救いたいと思ったら救うのだ。

俺は俺の決めた信念を貫き通す。それが俺の理想だから。


「はいっ、分かりました!!」


葵も元気な返事をくれた。


「……勝手に話が進んでいるみたいだけど?結局、あの子のことどうするの?私達が保護するより保健所とか警察に任せた方が絶対にいいんじゃないの?」


雫が根本的なことを言う。


「私も雫に賛成よ。あの子の体はまだ幼なく。それに、あの怪我はいつ悪化するかも分からない。私は警察とかに任せて病院に連れて行ってもらった方がいいと思う。」


医者を志す夜依の意見を聞くに、確かにそう考えるのが妥当だろう。

……………けど。


「───つ、鶴乃っ……は……かえりたくない。」

「え?つ、鶴乃!?どうしてここに?」


どうやら鶴乃はこっそり俺達の後をつけてきていたようで扉越しに話を聞いていたようだ。


鶴乃は部屋に恐る恐る入ってきた。顔は涙目で必死だ。


「つ、鶴乃は……もう……いやなの。もうつらいのとか……いたいのとか……ぜんぶぜんぶ……いやなの。」


鶴乃は断固として拒否した。

鶴乃は俺の後ろに隠れ、今の所恐ろしい存在と認定されてしまった雫の事を見ている。夜依の事は手当てをしてくれたからあまり恐れてはいないのだろう。


「……あなたがお母さんの所に行きたくないのは分かった。だけど、保健所とか警察に助けを求めに行くのが普通では無いの?」


それでも雫は気にしている様子は無い。


「う……うぅ。」


今にも泣き出してしまいそうな鶴乃。


雫も確かに言葉が強いけど、雫の意見こそが的確で正しいから何も言えないのだろう。

鶴乃の言っていることは、ただのわがままだと自分でもわかっているのだろう。

男の俺にすがっている事は誰から見ても分かり、良い事とは思われないはずだ。


だけど……


「じゃあ提案だ鶴乃。しばらくだけど……この家で暮らさないか?」


存分に俺を利用してくれて構わない。

それで鶴乃が辛くなく、幸せになれるのだったら。


「い……いいの?」


鶴乃の表情は、ぱっと明るくなり嬉しそうに言う。

掴んでいる俺の腕にも若干力が籠る。


「あぁ、もちろんだよ。」


俺はもう、この子の事を守ろうと決意した。こんなにも小さな子供の事を虐待するなんて許されることではないからだ。


「……ちょ、優馬!?」


雫は驚く。

当たり前の反応だ。


「鶴乃は俺が守る。」

「……いいの優馬?今は大変な時期なのよ!?それでいいの?」


確かに俺は今は特別休学中で、ろくに外に出れる訳でもない。それに、男会の代表でもある俺。


「雫、大丈夫だよ。後でちゃんと警察の知り合いの人に相談をするし、病院にも連れて行くから。」


これで、雫も納得してくれるといいんだけど。


「……そ、そう。優馬がいいのだったら私は別に構わないのだけど。」


雫はブツブツと言いながらだったけど何とか納得してくれた。


「じゃあ、しばらくよろしくな鶴乃。」


俺は鶴乃の正面に立ち、手を差し出す。


「うん…………ぁ………えっと……」

「ん?どうした鶴乃?」


鶴乃は口ごもった。どうしたんだろう?


「鶴乃、なまえ……みんなのなまえ……わかんない。」

「あぁ、名前か。確かに名乗ってなかったね。俺の名前は神楽坂 優馬。そして、右から順に葵、雫、夜依だよ。」

「優馬……。」

「ん?どうした夜依。」

「忘れてる。………苗字。」

「苗字……あ、あぁ。」


俺は一人一人顔を見て、目を合わせ終わった後──


「俺の婚約者の神楽坂 葵、神楽坂 雫、神楽坂 夜依の3人だよ、鶴乃。」


俺が言い終わると、名前を呼ばれた3人は顔が真っ赤になっていた。


親御さんの許可も貰ったし、まだ結婚できる歳でも無いし国に正式な書類とかも出していない。だけど、この家の中だけではそういう感じになっている。


「???」


鶴乃にはよく分からないのだろう。頭に?マークを浮かべている。


「まぁ、鶴乃にも時期にわかるさ。あ、俺の呼び方は何でもいいよ。俺が呼ばれて分かるものだったらね。」

「わ、わかった………じゃあ、鶴乃……“パパ”……って呼んでもいい?」

「「「「パ、パパっ!?」」」」


そんなこんなで……俺は鶴乃の事をしばらくの間、この家に住む事になった。


結局、俺の呼び名を“パパ”から変更する事は出来ず、俺達は諦めたのだった。


☆☆☆


「ところで優馬?どうして外にランニングなんて行ったの?私達にその連絡は一切無かったんだけど?」


ギクッ──


鶴乃が葵と一緒に部屋から出て行った後、夜依から指摘された。


確かに俺は藤森さん達には連絡を残したけど、3人には連絡を残しておかなかった。

だって、台風で早帰りなんて知る由もないからだ。


「ははっ、」


もう、笑っちゃうよ。

俺は2人に説教をくらう。


はぁ、最近俺って怒られすぎてないかな?

まぁ全部俺が悪いんだけどな。


雨上がり。俺は鶴乃を……神楽坂家にしばらくの間、住んでもらうことにした。

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