第69話 偶然の連鎖
葵はリンさんの後を付いて行った。暗闇の森を数分歩き、どこまで歩くつもりなんだろうと不思議に思いつつ人気がない場所まで来た。
辺りは完全に暗闇なので今自分がどこにいるのかもよく分からない状態だ。でもこの感じだと多分ここは滝の近くだろう。懐中電灯の僅かな光と朝のハイキングの時に聞いた滝の音で葵はそう判断した。
「こんな所で謝罪をするんですか?」
ここだと滝の音はまぁまぁうるさいし、崖の近くで単純に危ないし……謝罪をする場には明らかに適していない。安全の為の木の柵も一応あるけど、いつ設置されたのかも分からない古い木の柵に安心は出来ない。
「…………あ、えぇ。」
葵の問いにリンさんはなんとも歯切れの悪い感じで答えた。そのため葵の不安感と警戒心を煽り立てる。
「そろそろって、ここら辺でいいじゃないですか?そんなに遠くだと戻るのが大変なんです!!」
流石に怪しい。それに我慢の限界だった。
いくら敬意の気持ちを持って謝罪をすると言っても、葵はリンさん達を許すかどうかは分からないし、なるべくこの人とは一緒に居たくないというのが本音だった。
「後もう少しだから。ほら、景色でも見てさ。」
「暗くて全く見えないですよ。それに私だって忙しいんです!!」
話の主導権を持っていかれて曖昧に濁されそうだったので、少し口調を強めに言ってみた。すると、リンさんは急に立ち止まり、その血走った目で再び葵を見た。
「はぁ………神崎さんが最後に見る景色だから、もっと嬉しく見ていれば良かったのに。」
そのリンさんのため息混じりの言葉で、葵は緊張感と危機感を最大まで引き上げた。そしてすかさず隠し持っていたトランシーバーの電源を入れようとする。
だが──────ドガッ!!!
トランシーバーの電源を入れて助けを求めるよりも先に葵の後頭部に激痛が走った。
「──あ"っ、ぐぅ!!」
どうやら誰かに後頭部を何かで殴られたようだ。意識が一瞬だけ朦朧とするも、途絶えなかったのは元々身構えていたからであろう。
だけど、大切なトランシーバーを落としてしまった。これでは助けを呼ぶ事は出来ない。
「あれれぇ?気絶しなかったよ。」
「もっと本気で振り下ろさなきゃダメだよ、ミユ。」
掠れゆく意識の中で、後ろを振り向いた葵。
聞こえる愉快な声の時点で相手の検討は付いていた。
「ミユさん……マヤさん……っ!!」
葵の予想は大的中だった。
やはり……やはり……やはりっ!!
葵は“後悔”の2文字で頭がいっぱいになる。
「ハロー神崎さん。」
「元気してる?神崎さん、気分はどう?」
奇怪な笑いをしながらミユさんとマヤさんは葵に話し掛けてきた。ミユさんの手には葵の血が付着した木の棒が握りしめられている。
痛みと絶望と恐怖で上手く状況判断が出来ない状態だが、何とか堪えて葵は怒りの言葉を叫ぶ。
「ど、どうして私に謝ってくれるんじゃなかったんですか!?どうしてっ、騙したんですか!!」
「はぁ?そんな訳ないじゃん。神崎さんなんかのモブに、強者であるうち達が謝る訳がないじゃん。」
だが、そんな葵への返答はなんとも傲慢でわがままなものだった。
「で、でも、リンさん。あなたからは真摯に謝りたいという気持ちが伝わって来ました。だから私は付いて来たんですよ!!」
リンさんは唐突に感情が変化した。だから葵は動揺しているのだ。まるで二重人格でもあるのかという程の変わりようだ。
「あんなの演技に決まってるじゃん。うちがアンタみたいなモブと話すだけでも汚らわしいんだから。心の奥底ではずっとぶん殴りたかったんだよ。」
「あ……ぁぁ。」
リンさんの言葉でさらに葵は絶望のどん底へと突き落とされた。これからされる事は……分かりきっている。前のイジメの続きである。
圧倒的な絶望。トランシーバーも使う暇は無い。そもそも助けが間に合わない。逃げる……のも多分無理だ。身体能力的に葵が勝てる部分は無いからだ。
「はっ……うっ。」
でも諦めちゃダメだ!!絶望しちゃダメだ!!
そう弱気になった自分に喝を入れた。そして脆くなった心を引き締める。もし、ここで心が折れたら……諦めたら。全てが終わる。
リンさん達がここまで自分を追い詰めた理由も分かるし、覚悟も理解出来る。だからこそ諦めきれない。
葵には秘めた想いがある。それは……葵自身の事を変えてくれた恩人の優馬くんにきちんと愛を伝えること。それだけは絶対に、絶対に死んでも伝える!! これだけは譲れないし、曲げられない。
「今から神崎さん、いや……うち達にとって害虫であるモブを処刑する。」
武器の木の棒を受け取ったリンさんはそう高々に宣言する。
「──アナタみたいなモブさえ居なければ……全部上手く行ってた。害虫でモブでキモイ、陰キャのアンタさえ居なければね。」
「──うち達は居場所を失った。今まで築いてきた物も何もかも。そして代わりにアンタは居場所を手に入れた。はぁ……こんなの酷い話よね。」
「──だからね、モブが居なくなれば……もう一度うち達の居場所が出来るって訳だよ。」
意味が全く分からない。だって1度壊れた物は決して元通りにはならないのだから。一度落ち切ってしまった人はこんなやり方じゃ一向に戻れないというのに。
「神崎さん、アナタを誘い込むにはね、優馬君がすごく邪魔だった。だから色々と細工もしたんだよ。だからね、助けという希望なんて持たない方がいいよ。」
「という事は、奈緒先生が言っていた問題って、」
「そーそー、うち達が全部やったんだ。」
葵はそう聞いた瞬間に俯く。
絶望仕切った訳ではない。葵の中で久しぶりに“怒り”という感情が湧いたのだ。
この人達が……楽しみにしていた“肝試し”を中止にさせたのか?心待ちにしていた優馬くんとの2人っきりの時間をっ!?
「なんか、キモく睨んでるけど……」
「そんな睨むなって。別にもうモブには林間学校とかって関係ない事じゃん~」
「──いい、2人とも。」
リンさんの問いにミユさん、マヤさんは無言の頷きで返した。どうやら覚悟が決まったらしい。
「じゃあ早速神崎さんには地獄を味わって貰うとしますか……」
万遍の笑みで狂気的な言葉を言うリンさん。
「っ……あなた達は狂ってる!!私は、信じてたのに……」
確かに疑いはあったけど、謝罪があればそれ相応な答えは返すつもりだった。だけど、それ以前の問題だったようだ。
「狂ってる?ギャハハ、うち達も自覚してるよ。だけどね、それがどうしたって言うの?もう、止められないんだよ!ぶっ潰したいっていう衝動がッ!」
リンさんはなんの躊躇もなく持っていた木の棒を葵に向けて振り下ろす。
──バキリと響いた音。
酷い鈍痛だった。頭を庇い咄嗟に腕で受けた事で、何とか致命傷のダメージ軽減には成功したが……それでも耐えられない程の痛みが葵を襲う。
躊躇などなく……本気で振り下ろしたようだ。
彼女達は人間としての何かが既に欠落しているように思えた。そう思わないと、こんな狂うはずがないと思った。
「じゃあ、ね。」
「うちらも。」
それからはミユさんとマヤさんも参加し……リンさんの言う通り『地獄』が始まった。
恨みの全てをただただ葵にぶつけられる。
躊躇の無い重い一撃一撃を葵はただ受け続ける事しか出来ず、逃げる事も出来ない。木の棒が血だらけになるほど、葵は殴られ続けた。
「──きゃははははは。最高ッ!!!!」
「──ざまぁァァァ見やがれッ!!!」
「──楽しぃぃ。ずっとこれを求めていたッ!!」
3人の愉快な笑いの声がその場を支配する。
…………正しく3人は悪魔だった。
──途切れゆく意識の中、葵は明確な“死"を感じる。こんな……つまらなくて、辛いだけの死なんて嫌だな。でも最期の走馬灯のようなものに映るのは、全てが優馬くんだった。
そしてただの想像の中で作られた優馬くんはずっと叫んでいる。
──────────葵っ、諦めるな!!と。
だから大丈夫だ。
心はもう絶対に、絶対に折れないから。
……数十秒が経過した。葵は全身を殴打され、ボロボロ。特に足を中心に狙われ、逃げにくくされていた。普通は意識を失っているか、絶望しているはず……
だけど葵はまだ意識は微かだがあるし、心は折れていない。だが、肉体が限界ギリギリであった。
「アれェ?もう死んじゃった?」
「きゃははハっ。爆笑なんですけどォう。」
「でも、でも、こレで優馬君はうち達の物だネ!」
既に3人は葵の意識が途切れていると思ったのだろう。だから暴行がピタリと止まった。そして喜びを分かち合っているようだった。
震え、若干の痙攣を起こす出す体。だがまだギリギリ言う通りに動く。逃げるチャンスは今しかないと思った。
「はぁっ!!」
恐怖の鎖、絶望の鎖、不運の鎖。これまで散々葵を懲らしめ続けた物を全て断ち切るかのように葵は全神経、全細胞……これまで築き上げて来た物、全て動員して体を動かした。
「「「──はァ!?」」」
3人が葵に気付く時には既に葵は3人の包囲を突破していた。
「あ!?こらッ!」
3人はすぐに追い掛けて来る。ここで葵を逃がしたらこれまでの事が全てが水の泡になるからだろう。
だけど、葵にだって意地はある。タダでやられる訳には行かないのだ。
あいにく、葵はここを一度歩いた事がある。それも地形などを意識しながらだ。だからこんなにも暗闇の中でも懐中電灯を付けずに走れる。
3人は不慣れな崖沿いを走るのは不得意なはずだ。だから足が限界で、ほとんど歩くスピードと変わらないはずの葵が今も捕まらないですんでいる。
「…………っう!!」
足にかなりの激痛が走った。そして徐々に動かなくなってくる。それは足だけに過ぎず、意識もだ。血を失い過ぎて頭がぼーっとしてくる。
多分もう少ししたら体が動かなくなって逃げられないと思う。あと数秒の内に見つかると思う。
──もう諦めてもいいんじゃない?自分なりに精一杯頑張ったんでしょ?
そう心が聞いてきた。
だけど……
──もう少しだけ。頑張って欲しい。例え諦めるという選択肢を選ばなければならなくても。最期の最期までは足掻きたい!!
自らの問いを自らで返答し、限界までやり通す事にした。
「──ちょこまかと、逃げんなよ、モブがッ!」
だけれど、起きてしまった……偶然の連鎖というものが。……普通はありえない。だけど、どうしてかそれは起こった。
葵が不運体質だからか?──否。
神様が葵の敵をしたのか?──否。
葵の普段の行いが悪かったのか?──否。
葵は決して悪く無いのだ。
☆☆☆
リンは葵に逃げられると思い当然焦っていた。ここで葵に逃げられればリン達の居場所は確実に戻って来ないと勘違いしているからだ。
始めはすぐに見つかるだろうと思ってた。そのために足を中心的に攻撃したのだから。だが、暗闇と滝の音で上手く身を隠し、葵がどこに逃げたのかが分からなかった。それに気を抜くと崖から落ちてしまいそうでゆっくり移動して慎重に探さざるを得なかった。
リンのストレスはそれによって限界値を突破し、爆発した。
「──ちょこまかと、逃げんなよ、モブがッ!」
そう言いながら、少しでもストレスの発散の為に葵がいるであろう適当な方向にさっき拾った葵のトランシーバーを投げた。
このトランシーバーは葵の唯一の希望。だから葵を確実に絶望させようと、目の前で壊す為に拾っていた物だ。こんな形で使う事になるとは思わなかったが、別に構わなかった。自分の物でもないし。
そんなリンが投げたトランシーバーはどうせ当たるはずがないだろうと思っていた。だが、トランシーバーが闇に消えてから数秒後に────バキッ!というトランシーバーが何かに直撃した音と共に、葵の苦痛の悲鳴が聞こえた。
☆☆☆
「──ぐっぁ?」
突然背中に痛みが走った。多分誰かが何かを投げて偶然にもそれがぶつかったのだろう。
既に心身は限界だって言うのに……なぜか冷静にそう判断が出来た。
葵は簡単に体勢を崩した。既に足はボロボロで……例え小さな衝撃だとしても体の軸がブレるのだ。
「あ……、え?」
だがしかし、偶然は更に葵の敵をした。
葵は崖側の方を走っていた。崖側は危ないが、視線と意識が中々に向きづらい場所でリンさん達には見つかりにくいと思ったからだ。
……でもそれが仇となる。
葵が体勢を崩して最初にもたれかかったのは、あの……古い木の柵であった。葵の全体重を受け、すぐに木の柵はミシミシと軋む。そしてすぐにバキリと音を立てて壊れた。
木の柵は長年の放置で腐っていたのである。
────葵の中で時間がゆっくりと経過する。
これは多分、死の間際とかに見るそれだ。
あまりにも理不尽な、偶然の連鎖……もはやこれは不幸の連鎖とでも言おうか……いや、結局は死の連鎖なのか。
「ごめんなさい……優馬くん。」
葵の心からの謝罪は、すぐに大きな滝の音で掻き消され────葵は崖から転がり落ちて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます