第68話 謝罪


俺はただひたすらに夜の森を走る。


視界は完全に真っ暗で、前は懐中電灯を付けていてもほとんど見えない。いつもの俺なら確実に暗闇の怖さで参ってしまっているはずだ。だが……そんな怖さより葵がもしかしたら危険だという怖さの方が圧倒的に勝っていた。


──だから暗闇の怖さなんて無視して俺は進めた。

人間という生物は案外単純なのだ。


「はぁっはぁっ……」


息が思ったより早く切れた。それでも走るのは止めないが、かなり走るスピードは落ちた。


「ぐ……なんで、だよ。」


急いでるのに……体が重くてダルい。それに体がなんだか熱く、思うように動いてくれない。

キャンプファイヤーで無理した分のツケが回ってきたのか!?


「──あっ!?」


体の不自由さに気を取られ、走る方向に意識を向けていなかった俺。足が木の幹に引っかかり思いっきり転んだ。


思ったよりも勢いがあった為、数回横回転をしてようやく止まった。


「ぐっ、う。」


手足は擦り傷だらけ……思ったより、ダメージは大きい。その傷の中でも、特に足は血がそれなりに吹き出していた。どうやら膝辺りを深く切ったらしく、血が止まらない。


……でも不思議とその痛みは余り感じなかった。多分、今の俺が葵の事しか考えられないからだろう。


「よし……これなら、まだ行ける!まだ走れる!」


俺は立ち上がり、怪我なんて全部無視して再びハイペースで走り始めた。


☆☆☆


「──優馬くん、遅いなぁ。」


葵は優馬の分の仕事を何となくこなしつつ、優馬が仕事から戻ってくるのを待っていた。


既に7割程の生徒が肝試しに出発したが、さっき奈緒先生から連絡が入った。


どうやら優馬くんが行った仕事の件で、取り敢えず肝試しを近くにいた先生と協力して中止にした。

……何やら問題が発生したとか何やらで。


肝試しが中止という事になり、葵はかなりの精神的ダメージを受けたが……しょうがない。また、チャンスがあったら優馬くんと一緒に肝試しをすればいいんだ。


ネガティブにでは無く、葵はポジティブに考えるようにした。


ちょっと前の葵だったら、こうは行かなかっただろう。多分、大きなチャンスを逃したから自暴自棄になっていたのかもしれない。すぐに立ち直れなかったかもしれない。


──だが、優馬くんと出会った葵は精神的に成長したのだ。今の葵には友達もいるし、好きな人もいる。初めて学校生活というものが充実しているのだ。


ココ最近で、笑顔が増えた葵。だから簡単な妄想でも口角が緩む。


「──あれれぇ、珍しく笑ってるみたいだけど……何かいい事でもあったの、神崎さん?」


気配は無かった。いや、元々1人でいたから油断していたのかもしれない。だがどうやら人に見られていたらしい……


「ご、ごめんなさい!!」


咄嗟に羞恥心でいっぱいになったが、話し掛けてきた相手を見ると……葵は“恐怖”を表情に浮かべた。


「な、なんで!?」


相手が悪かった。だって……


「──リ、リン……さんっ!!な、何故ここに?」


前まで葵の事をイジメていた3人の内の1人だったからだ。


「何故って?うちも林間学校に参加してるから、ここに居るのは当たり前でしょ。」

「え、えぇ。」


な、なんだろう……リンさんの雰囲気が前とは全然違うような気がする。


久しぶりに話したというのもあるかもしれないが、前はもっとギャルっぽい口調だったような気がした。


最近では、彼女達を学校で見掛ける事は無かった。学校ではクラスの人や優馬くんなどの葵を守る視線があるからだ。なので、久しぶりに会ったリンさんは酷く見た目が変わっていた。


服は学校の体育着を着ているが、なぜか土や枝でボロボロだし、赤いペンキ?のような不自然な物も付いてるし……


なんと言っても、その狂気じみた目がヤバいと思った。そんなギョロりと血走った目線を葵だけに向け、まるで葵はターゲットの気分になったような気がした。


「──そ、それで私に今更何の用なんですか?」


葵は少しだけ距離を取り、身構え、いつでも逃げられる準備をした。今の所リンさんしかここには居ないが、どこからミユさんとマヤさんが乱入してくるかは分からないからだ。


「そんなに身構えないで下さいよ、今日のうちは神崎さんに謝罪に来ただけだから!」

「え!?」


警戒心を引き上げ、MAXにした葵。だがリンさんの言葉でその警戒心が一気に緩み始める。


「謝罪、ですか?」

「もちろん、神崎さんをイジメていた件のだよ。」


リンさんの言葉は葵にとっては全くの予想外で、動揺するのも仕方が無かった。


その言葉で若干の警戒心は緩んだが、決して0になった訳では無い。流石に葵も馬鹿ではないし、単純でもない。


葵は知っていた……イジメられる恐怖を、絶望を。

葵は優馬くんや友達と何とかそのトラウマを乗り越えたが、傷付いてしまった心は簡単には修復しないのだ。


「──謝罪を神崎さんにしたいんです。」


もう一度そのセリフを言ったリンさんは、1歩葵に近付いてそっと耳打ちをした。もちろん警戒はしていたし、近付かせるつもりも無かった。だけどリンさんの謝罪をしたいという心持ちのせいでどうしても警戒心が緩んでしまった。


「──謝罪はもちろんします。ですが、ここには周りの目があります。うち達は学校では既に肩身が狭い身、なので1度場所を変えて話をしませんか?その方がうち達も話しやすいんです。それにそこにはミユとマヤもいますし、2人も謝りたいと言っているんです。」


確かにここは肝試しの入口の場所で、今は人が居ないがその内先生も戻って来るだろう。リンさんについて行くという事は危険で、不安の気持ちは拭い切れない。


だけど……今のリンさんを見れば見るほど、その謝罪は本心から来ているものなのでは無いかと錯覚させられそうになる。だってあんなにも短期で、傲慢で、わがままだったリンさんが謝罪をしてくれようとしているのだから。


もし、この全てが演技だったとしたら……もはや賞賛してしまう程である。


そう結論を出した葵は今回だけ特別にリンさんについて行く事にした。





──でも、一応の為の保険はしておく。

それはたまたま近くにいた実行委員長に、これからリンさん達の所に行くと伝えておくという事と、優馬くんが戻って来たらこの事を伝えて欲しいという事だ。


これでもし、戻るのが遅かったらすぐに助けを呼んでくれるだろうと思った。後者の方はリンさんに気付かれないようにさりげなく伝えて置いた。


不安の気持ちで心は満杯だが、覚悟を決め向き合う事にした葵はリンさんと共に深い森の中に消えて行くのであった。


☆☆☆


「──はぁ……はぁっ、」


もう、既に体は限界だ。それぐらい全力で走っている。息は疲労からさっきよりも続かないし、負傷をした膝も徐々に言う事を聞かなくなって来ている。


それでも俺は走り続けた。疲労と頭痛と負傷。中々に状態は最悪だ。


多分、元気な葵と会えたらすぐに俺はぶっ倒れるだろう。だけどそれでも構わない。葵に危険が及んでいないという事で安心出来るからな。


そんな限界を超えた俺は、常軌を逸した驚異的なスピードで肝試しのスタート地点に戻って来た。俺はすぐに葵は探した。


「──葵っ!どこだ葵っ!」


かすれかすれな声。だけど、今の俺が出せる最大の声で葵の名前を呼んだ。だけど………返事をする声は無かった。


それに人すら居ない。

どうやら既に生徒達が撤退した後のようだった。


クソっ、一足遅かったのか………?

俺は更に不安が大きくなり、焦る。


「──あの、優馬君?どうしたの。すごい汗だけど何かあったんですか?」

「あ、実行委員長……!」


俺の大声に気付いてくれたのか……実行委員長が俺の元へ来てくれた。どうやら俺の事を待ってくれていたらしい。


俺はすぐに実行委員長の両肩を掴んで問いただした。「葵の事を知らないか?」と。今はなんでもいいから葵についての情報が知りたかったのだ。


実行委員長は俺に問いただされ少し戸惑った様子で、すぐに答えてくれた。


「葵さんは、名前は知らないですが不気味な人と一緒に森の奥へ歩いて行きましたよ。何か話があるとかで。」


そう言って実行委員長は葵ともう1人が歩いて行った方向を指差す。多分、方向的に滝の辺りだろう。


「そっか……ありがとう。」

「というか、優馬君。さっきから奈緒先生にトランシーバーで呼ばれてますよね?気付いていましたか?」

「え……!?」


俺は夢中になり過ぎていて呼ばれている事に気付いていなかったようだ。勝手に走り出してしまったから多分奈緒先生は相当お怒りであろうな。


だけど……今は怒られてる場合なんかじゃない。

実行委員長の発言で今回のターゲットは葵という事が確実になったのだから。


「実行委員長!これから来る先生達に葵が危険だと伝えて置いてくれ。」

「えぇ!?じゃあ優馬君はどうするんですか?」

「俺は葵をこれから探しに行く!」

「いや、待って下さい!優馬君自身が探しに行く必要は無いじゃないですか!ここは私に任せて下さい。」


疲れきりボロボロな俺を見てか、実行委員長がそう言ってくれた。だけど……


「今回ばかりは俺がやらなきゃならないんだ。」


葵をターゲットにした時点で犯人の目星はついている。そしてその犯人をこんな事を仕出かすまで追い詰めたのは紛れもない俺なんだ。

俺が蒔いた種だ、俺が解決しなきゃならないのだ。


「情報、ありがとう実行委員長。じゃあ後の事は色々と任せるよ。」


そう実行委員長に告げて、俺は再び走り出した。

実行委員長は俺を追い掛けようとしていたが、俺のスピードにはついて行けなかったようだ。


どうか……どうか無事でいてくれよ、葵っ!

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