第60話 露天風呂


食後、1人離れた場所にあえて移動した夜依はスマホを耳に当てた。


「もしもし……」


夜依は静かに、優馬と接する時よりも冷めた声を発した。


「夜依ね。久しぶり。」

「お久しぶりです。」


なるべく消極的に話す夜依からは相手に対しての敬いの気持ちなどは一切感じられない。むしろ憤りすら感じさせる。


「何で連絡してくれなかったの?必ず1週間に1回は連絡しなさいって、あれほど口を酸っぱくして言ったでしょう?」


そんな相手は夜依の声よりも更に冷酷な声だった。夜依には何一つ期待などしていない……そんな事までも分からせられる声色だ。


「私も学校や生徒会、部活などで色々と忙しいんです。別にテストで常に3位以内に入っているので全く問題無いと思いますが?」

「あっそう。そんなのは当たり前だからどうでもいいの。ただ名家の北桜家に泥を塗らないようにだけしてちょうだいね。私はあなたなんかの泥拭いなんてしたくはないから。」

「…………」


夜依は無言で唇を噛む。まだ自分の立場では反論して何を言っても無意味だと分かっているからだ。


「…………所で学校にいる男との進展はどうなったのかしら?北桜の人間ならもういい具合にまで事を進めたんでしょう?」

「それは………………その……」


夜依はその言葉で口ごもった。なぜなら相手が指している男というのは“神楽坂 優馬”の事だからだ。別に夜依は優馬に対してなんとも思っていない。なので進展は皆無に等しい。


「はぁ……夜依、あなたは名家の一人娘なのよ。この家系を継承させるためには、あなたは必ず男と結婚して跡継ぎを作ってもらわなくてはいけないのよ。」


それは……夜依が生まれた時から決まっていたこと。夜依が北桜である限り絶対に覆らない決まりなのだ。


「分かって……います。ですが私の人生は私自身の手で掴み取ります。ですので、私は男なんかとは結婚しません!」


だが夜依はそんな決められた人生なんて嫌だった。

だから昔から日々努力し、自立しようと頑張った。北桜家なんかに絶対に囚われないと覚悟を決めていた。


「“親”に向かってその口の聞き方はどうなの?また私が帰ってきた時にでもゆっくりと話し合いをしましょうね。」

「…………」


そう、電話の相手は夜依の母親である。

まぁ母親らしい事は一切された覚えの無い、ただのアラフォーのクソババアだけど。


「はぁ、これが反抗期というものなのかしら?そんな努力なんて無意味なのに……どうせ、男とも全く進展してないんでしょ。」

「…………」


取り敢えず無言を貫く。反論してもヘイトが溜まるだけだから。


「まぁいいわ。最悪私が全部やっておくから。」

「…………………は?」


だがその母親の言葉だけは無視出来なかった。

“全部やっておく”……とは一体?


「彼……確か神楽坂 優馬ね。そいつの情報を調べさせたけど……中々の優良物件じゃない。顔も良し、頭も良し、更に性格も良しなんてね。是非、彼を北桜家で迎え入れたいわ。」

「くっ……!」


夜依も優馬が男なのにすごいヤツだという事はとっくに認めている。だが、彼をただの道具としか見ていない母親に多少の苛立ちを覚えた。


「もし、彼を迎え入れる事が出来たのなら、叔父様もきっとお喜びになるはずよ。だから積極的に狙っていきなさい。」

「嫌です。彼の事は……嫌いですから。」

「はいはい、そういう在り来たりな返答は聞き慣れているわ。でも……それもそろそろ終わりにしなさい。じゃないとそれ相応の対応を取らせてもらいますからね?」


これは夜依にとっての脅しだった。


「……………はい。分かっています。」

「なら、精々足掻くといいわ。それじゃあまた。今度はいい報告を期待するわ。」


ピッ……夜依はすぐに電話を切った。


正直、家の事情などはどうでもいい。だけど……彼や周りの人に迷惑を掛けるのだけは絶対にダメだ。


だから高校を卒業する前までには何か手を打たないと……


現状、夜依の立場は本当に微弱で、家の中では1番位が低い。だが夜依なりに準備はしている。だから多少の勝機はあるはずだ。


「はぁ……早く戻らなくては……」


思ったより班の人達と離れていた事に気付いた夜依は深いため息を1つ吐き、踵を返した。その彼女の後ろ姿は若干の寂しさと大きな不安を纏っていた事は彼女以外誰も知る由はない。


☆☆☆


「あー、やっぱり露天風呂は最高ですなぁー」


俺は大きな声湯船に全身を沈め、林間学校での疲れを癒す。


今、俺は林の楽園にある貸切の露天風呂に入っている。


本来なら月ノ光高校の入浴時間は決まっているのだが、そもそもこの世界には男湯、女湯なんてものは存在しない。なので、男の俺は皆とは入浴時間をズラして入る事になったのだ。


別に俺は最後で良かったんだけど、「どうしても先にどうぞ!」と奈緒先生に言われたので、その言葉に甘えさせてもらった。


……:広大なスペースの露天風呂。その中にポツンと俺一人。


豪華で気持ちいいし、壮観で、満足なんだけど……やっぱり1人は寂しい。こんな気持ちになるのは最近では久しぶりだ。という事はつまり、最近はずっと皆と一緒に楽しく居たという素晴らしさを強く分からせてくれる。


高校に入学して心から良かった……そう思う事が改めて出来た俺であった。


☆☆☆


「──皆~~、用意はいい~~?」

「──準備万端っすよ。」

「──は、はい!!」

「──OK♪行こっか♪」


そこは露天風呂がある場所のすぐ近く。

……そんな何も無い場所に居たのは由香子、菜月、葵、春香の4人。


──そう彼女達は優馬の風呂を覗きに来たのである!


優馬が露天風呂にこの時間に入っているという情報は極秘で奈緒先生と数人の先生しか知らないはずだった…………だが、彼女達は知っていた。


なぜなら単純に優馬が彼女達に何処に行くかを教えてしまったからだ。


もちろん覗きはダメな事で……普通に犯罪である。

ましてや男の覗きなど極刑ものであろう。だが彼女達はやる。例え犯罪であったとしても、ダメだと分かっていたとしても。今しかチャンスは無いのである。


そして一致団結し、揃ったメンバー

(雫、夜依を除く)


「……やめときなって。怒られるよ。」

「雫は、優馬君の婚約者だからいいじゃん。いずれそういう関係にもなって見放題なんだから♪」

「……それは、まぁ、ね。」

「相変わらず、羨まし過ぎる程ラブラブだね~~」


「彼の裸に興味……ですか?」

「そうっす!」

「ハッキリ言いますが……無いです。だって私は彼の事を好ましく思っていないので。」

「そ、そうなんっすか?」

「すみませんね。」


雫と夜依の2人がいればもっと良かったのだが……2人とも強情で、決して頭を縦には振らなかった。

まぁ、無理強いはしない。


「──最後に言うけど、見つかったら即ゲームオーバーだよ。それでも行くっていう人は行くよ~~」

「──そんなの残るに決まってるっすよ。」

「──は、はい、ここまで来てノコノコと帰る訳には行きません。」

「──うんうん、じゃあ早く行こうよ♪優馬君、お風呂上がっちゃうよ。」


そんな会話をした後、4人は更に露天風呂に近づいた。露天風呂は木製の高い仕切りで四方が囲まれていて、中を覗き見る事は出来ない。更に仕切りもまだまだ新しく覗き穴なども見つけられなかった。


──だが彼女達には考えがある。


それはここが森林で囲まれているという利点を生かす事である。つまり、そこら辺の大きな木をよじ登れば、上から堂々と覗けるという訳だ。


「じゃあ行くよ♪」


4人は静かに木をよじ登り始めた。

目指すのは木のほぼ頂上にある枝で、そこならば露天風呂を確実に覗けるはずだ。


先頭は運度神経抜群の春香、その次に運動部の由香子、その次にまだまだ運動が出来る葵、最後に運動が本当に苦手の菜月だ。


彼女達は優馬の裸見たさに頑張り、異常なほどのスピードで木をよじ登るのであった。






「はぁっはぁっ。」

「ぜぇ、ぜぇ、」

「こんなに運動したのは久しぶりっすね……」

「そ、そ、そ、そうですね。」


4人共、息を切らしながらも、1人も欠ける事無く頂上へ辿り着く事が出来た。


この位置ならば満遍なく露天風呂を覗ける。4人は目を見開きながら露天風呂をガン見した。


湯気で大分見にくいが、確かに露天風呂の中を見る事が出来る。だが優馬君らしき影は見えるが、その姿をくっきりと目に焼きつける事は4人の中で1番視力がいい春香でも出来なかった。


「あ〜~あと少しなんだけどねぇ~~」


それでも自分達の頭の中で優馬を想像する彼女達は、はぁはぁと呼吸を荒くする。


「あ、あれ!優馬君だ♪」

「え、どこっすか?」

「わ、私も見たいです!!」


春香よりも後ろで覗いていた菜月と葵は気になってしまった。


「ちょ、押さないで!危ないから♪」

「私にも見せてくれっすよ!春香さんだけずるいっすよ!」

「わ、私も……早く見たいです!!」


と、菜月と葵は優馬の裸見たさに木の枝の端ギリギリで見ていた春香と由香子にぐっと近づいてしまった。


「ちょっと待ってそんなに近寄ったら……♪」


春香が顔を青ざめる。

そして春香が言葉を言い終える前に木の枝はボキッと音を立てて折れた。


「──だから言ったのにぃー♪」

「──はわわわっっ……!!」

「──うわぁーっっす!!!」

「──ひぇぇぇぇぇぇ~~!?」


4人は悲鳴を上げながら木から勢いよく落下した。間違い無くあの高さから落ちれば怪我所ではすまない。だが運良く……いや、運悪く?露天風呂に4人は着水した。


──ドボン、と言う大きな着水音。

強い衝撃が彼女達を襲うが、お風呂のお湯がかなりの衝撃を和らげてくれた。


そのため勢いよく落下した4人だが怪我無く助かった。


「──うぅ、大丈夫、皆怪我はない~~?」

「──は、はいっす。問題ないっす。」

「──大丈夫です。」

「──もー、酷い目にあったよ♪」


互いに無事を報告し合い一安心の様子だが……4人は最大の危機に瀕している事は未だに変わっていない。その事にまだ4人は気付けておらず、“彼”に声を掛けられるまですっかり忘れていた。


「──んーと?何で由香子、春香、葵、菜月が上から落ちてくるのかな?そこん所の説明を頼むよ。」


4人はハッと正気に戻り、急いで声の主の方向に振り向いた。もうヤバいという事は確定だが……少しでもその逞しい姿を目に焼き付けてやろうと考えたのだ。(特に下半身の部分を……)


「「「「あ………」」」」


だがそれは不可能な事だった……何故なら優馬は男物の水着を着用していたためだ。


優馬は何となくというか、念の為に水着を着ていた。


念の為だったけど……本当に覗いているとはね。まぁ、なんか別に……と思うけど、いい気持ちはしないよね。


「くうっ!なんで水着履いてるの~~

でも……これだけでも迫力がすごすぎィ~~」

「………そ、そうです!!」

「くぁwせdrftgyふじこlp…………♪」

「なんか神秘っすね。」


優馬の水着着用が分かり少し残念がる4人だったが……ここは男がほとんどいない世界。男の上半身でも刺激が強すぎる。


更に優馬は趣味で体を鍛え上げている。

そのため、彼女達には激し過ぎた。


鼻血を噴いてぶっ倒れる者、体を見た瞬間に気絶する者、興奮しすぎて頭がショートしてバカになる者、ピタリとそのまま硬直する者。


一人一人が別の行動をした。


「えっと……取り敢えず、風呂から上がりなよ。」


優馬がそう言うも、ちゃんと受け答えできる者はこの4人の中にはいなかった。


☆☆☆


……それからは本当に大変だった。


まず俺が服を着ないと、まともに会話すら出来なかったし、皆ずぶ濡れで風邪をひかない様に1回露天風呂に入ってもらったり。


一番の問題は皆のずぶ濡れの服問題だ。上着とかは何とか調達出来るけど……下着系は俺には無理だ。

だから心を無にし、一心不乱にドライヤーで皆の分を乾かす羽目になった。


はぁ……明日は部屋のお風呂に入ろう。うん、絶対そうしよう。


早々にそれを心に決めた、俺の初めての露天風呂であった。


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