第100話 最大の敵


 ラサラは俺の言葉を聞いて、少なからず怒っているようだった。『意味はない』と言われたことに怒り狂うように、彼女の瞳からはポタポタと真っ赤な血が垂れていた。


「私が……やったことが間違っているですか」


 黒いローブの奥の瞳が俺を見る。魔力こそないが、静かな敵意が俺を見る。

 その様子を見て、後ろを歩くナツから呆れたため息が聞こえた。


「いや、今のはアンクが悪いよ」


「そうそう、ちょっとあおりすぎよ」


「ナツ、パトレシア……お前らどっちの味方だ」


「弱いもの味方ですー」

 

 後方からヤジが飛んでくる。


「人の意見を完全に否定するなんて大人気おとなげないよ」


「そうそう余裕を持って、人の言うことを聞くのが大事」


 そんなブーイングを彼女たちは後方から浴びさせてきた。

 そんな2人の様子に、ラサラも困ったように笑った。


「私も……意見を曲げる気もありません。私は正しいことをしました」


「そうか。じゃあ俺も謝らない。お前たちは悪いことをした」


「はい、それで十分です」


 ラサラは小さく頷いて、少しした後で立ち止まり階段の下を見た。深い暗闇の先を見えて言った。


 一層傾斜が深くなっているその階段はずっと先まで続いていた。奥を見えながらサティは「少し強い魔力を感じるね」と言った。


「これが君の仲間かな」


「はい、ここから知り合いの魔力を感じます。私よりもずっと深い憎しみの魔力を、この先から響いていきます」


「もしかして……バイシェか」


 俺の記憶に呼び起こされた人間と言えば、あと1人。

 やせ細った骸骨がいこつのような身体。レイナたちをさらった実行犯の1人だ。


「……強いのか?」


「はい、邪神教の中でも、もっとも武闘派だと恐れられた男です。誰よりも深い憎しみを抱えていたバイシェは、私よりも強かった。その彼がこの先にいます」


「あいつも『死者の檻パーターラ』で蘇っているんだな」


「あの人も死んで、私と同じように蘇っています。ただ……彼は、いまだにあらがっているように思えます。無責任ですが、先には進まないことをお勧めします」


 ラサラは暗闇の先に現れた扉を見て、開けないように、と言った。


「……いや、行く、どちらにせよ、俺の行くべきところはもっと先だ」


「そうですか、では私も参ります。私1人では心もとなかったですから、正直、ありがたいです」


 ラサラは珍しく、素直にお礼を言った。

 後ろにいるナツとパトレシアたちにも同意を取る。目の前に立ちふさがるドアを開いたら、危険な敵がいると言っても、彼女たちはなんてことはなさそうに返答した。


「大丈夫だよ。私たちのことはなんとかする」


「命の危険があるかもしれない。それでも来るか」


「うん、大丈夫」


 ナツとパトレシアは頷いて、覚悟を決めるように前を向いた。


「私たちだって何も準備せずにここまで来た訳じゃないよ。任せて、アンク」


「そうか、頼りになるな」


「アンク、ちょっと良いか」


 サティはドアノブを握ろうとする俺にささやくように、耳打ちした。他の人に聞こえないように小さな声でサティは言った。


「私から最後の忠告をしておく。良いか、君がいくら素晴らしい大英雄になろうと、世の中には1つだけ救えないものがある」


「なんだよ、やぶから棒に。英雄に救えないもの……?」


「悪役だ。悪役の心は、ヒーローには救えないんだよ」


「……それはどういう意味で言っているんだ?」


「そのままの意味だよ」


 サティは俺の肩をぽんぽんと叩くと、ひきずっていたニックをおんぶして扉の前に立った。


 いつだってサティの言葉の真意は掴みかねる。

 サティは俺には見えてはいないものが見えていて、分からないことが分かっている。


「聞いても無駄か……」


 サティにまともな答えを期待しない方が良い。こいつは人をはぐらかすのが大好きだから。


「じゃあ、開けるぞ」


 ドアノブに手をかけて扉を開いた。長年使われていなかっただろう扉は、ギギギときしんだ音を立ててゆっくりと開いていった。


 扉の隙間からほのかな光が差し込んでくる。それと同時に視線のすぐ先を影が横切った。


 鞭のようにしなる影は、部屋の中央で鎮座ちんざしていた。


「ヒド……ラ?」


 パトレシアが唖然あぜんとしてつぶやく。

 扉から出てきた俺たちを迎えたのは、何本もの頭を持つ巨大な蛇だった。口からシューシューとガスが漏れるような音を出しながら、ヒドラはちっぽけな俺たちに視線をやった。燃えるように輝く緑のまなこと比べても、普通の人間よりも巨大だった。


 まるで自分が羽虫になったように思える。ここまで巨大な敵と相対するのは初めてだった。


「さすがにこんなに大きいのは想定していなかったかなー……」


「ごめん、やっぱり逃げても良い?」


「……自分の身は自分で守るんだろ」


 ナツがゴクリとつばを飲み込む音が、やけに大きく聞こえた。

 扉を開けてしまった以上、すでに遅い。ヒドラは俺たちのことをしっかりと見据えていて、今にも襲いかかろうと牙を向けている。


「久しぶりの大型の魔物だな……」


 どこへ逃げようが、こいつは絶対に俺たちを殺す。

 鋭い瞳は、燃えるような怒りで塗られていた。ラサラが言っていたような、深い人間への恨みで染まっていることは、祭壇中に轟く唸り声を聞いて理解できた。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る