第33話 大英雄、湿地帯を進む


 カルカット市はサラダ村から南に行ったところにある、大きな街だ。幾つかの森や村を抜ければ、3時間くらいで到着する。長い道のりだが、やはり大きな街にしかないものは沢山あるので、利用する村民は多い。


「随分と道が慣らされていないな」


「ここが早道なんだよ」


 ナツに先導されてサラダ村からカルカット市へと繋がる近道を歩いていく。本来は一旦、カサマド町に入ってから街道を進まなければならない。ナツの言う通り、距離的には若干遠回りということになる。


 俺たちが進んでいる道は湿地帯になっていて、地面が泥のように柔らかい。ぬかるんでいて、快適とは言えないが、数歩先を行くナツはロバにまたがって、難なく進んでいく。


「良いロバだな。これだけ荷物を抱えているのに、疲れもないし」


「リタに譲ってもらったロバでね。もう結構な年寄りなのに、泥道でも安定して歩けるから、安心なの。ねー、チャリ?」


「グヒィ、グヒィ!」


「変な鳴き声だな……」


 チャリと呼ばれたロバは鼻息を荒げて、自慢げに進んでいく。ナツだけにはかなり懐いているみたいで、さっき俺が触ろうとしたら嫌そうに呻り声をあげた。「男に触られるなんて死んでも嫌だ」というような妙なプライドを持っているようだった。


「しかし、この辺りは何もないんだなぁ」


 俺たちから少し後ろを歩きながら、キョロキョロと辺りを見回していたサティは退屈そうに言った。


「まともな草木が生えちゃいない」


「昔はもっと豊穣な土地だったんだけどな。今では土地も悪いし、まともな草木も育たないし、いるのは……魔物くらいだ」


「そうか、瘴気が少しだけ濃いね。良くない思念が渦巻いているのかもしれない。あっちの方かな」


「あ、おい! どこに行くんだよ」


 道を外れて、森の奥へと歩き始めたサティを慌てて追う。泥の混じりの濁った水たまりを飛び越えて、サティは早足でと歩いて行った。

 向かっているのは霧の深い森の方角。湿気が肩に重くのしかかるような、暗くて日の当たらない木々の間だった。


「待てって! おい!」


「こっちだ。うん、瘴気しょうきがどんどん濃くなっていく」


「そっちは…………! 違う。何もないぞ!」


 俺の忠告を聞かずに、サティはどんどんと森の中を進んでいく。後ろからナツも付いてきていて、「グヒィグヒィ!」と警戒するようなチャリの鳴き声も聞こえてくる。


 クシナが言うところの瘴気しょうきは俺でも感じ取れるほどに、濃くなっていた。ピリピリと肌が痺れるような嫌な感じ。魔物たちの低い唸り声も聞こえてくる。


「ナツはそこで待ってろ!」


「ううん、大丈夫。チャリは瘴気に強いから! それよりサティさんは……?」

 

 白い霧に阻まれて、もはや前方が見えない。

 人の姿に身をやつしても、仮にも女神。万が一はないとは思うが……、


「アンク、危ない!」


 素早い。

 視界の端を黒い影がよこぎった。


「ちっっ! 固定フィックス!」


 瘴気があるところに、魔物はいる。

 このままだと俺たちの方が危ない。


 即時発動できるサイズの小さな箱を、襲ってきた魔物の喉元を締めるように固定する。もっとも効率的に敵の動きを止めることができる支点の動きを止める。

 

 鋭く尖った犬歯けんしと、四速歩行の強靭きょうじんな四肢。

 間一髪のところで、その攻撃をかわす。軌道を外れた魔物は、激しく地面と激突した。


「ドロハイエナか……! 厄介だな」


 グルグルグルという獣の声は周囲から聞こえてくる。

 ドロハイエナは基本的に集団で狩りをする生き物。それが魔物化によって凶暴性を増して、見境なしに人を襲うようになってしまっている。


 この辺のはサイズも少しでかい。


「複数いるみたいだね……」


「視界が悪すぎるな。一旦退避した方が良さそうだ」


「任せて、私がやるよ」


 ナツがチャリにまたがったまま、手を伸ばして魔法を発動した。


「地の魔法、そびえ立つものプリティブ・ムル


 ズズズズ、と。地響きを立てて俺たちの周りの地面がせり上がっていく。

 取り囲むように、数メートルせり上がった大地がドロハイエナとの間に壁を作り出した。


「グヒィ、グヒィ!」


「サティさん、こっちだって! 行こう!」


 チャリに先導されて、辺りの様子をうかがいながら後退していく。ビチャビチャと泥の地面を踏みながら、ドロハイエナから遠く離れたところまで退避していく。


「あいつ、どこまで行ったんだ……?」

 

 木々の間、大量の得体がしれないキノコが生える湿地帯。

 方向感覚が分からなくなりそうだが、今は走るしかない。動きの素早いドロハイエナを、まともに相手にするのは骨が折れる。俺だって殺さずにやり過ごす自信はない。


 だいぶ進んだところで、辺りの様子をうかがうう。瘴気は濃いが魔物の声は聞こえない。とりあえずくことが出来たようだ。


「魔法、うまくなったな」


「えへへ、ありがとう。実はこっそり練習していたんだ」


「タイミングもばっちりだった。成長したな」


 俺がそう言うとナツは嬉しそうに微笑んだ。

 

 大地の動きを操る魔法は、術者のマナのコントロールが重要だ。炎や雷のようにただぶっ放せば良いものとは違って、どういう風に動かすかというイメージが必要になる。うまく使うことが出来れば、さっきみたいに守りにおいて有効な性能を発揮する。


「アンクがいない間、私も頑張ったんだ。イメージの練り方と、基本的な防御魔法くらいは出来るよ」


「すごいじゃないか。それだけ出来れば、十分に魔物と戦える」


「そうかな、アンクにそう言ってもらえると嬉しいよ。でもね……」


 ナツはその光景を見て、辛そうに顔を伏せた。

 目の前に広がっていたのは、言葉を失うような悲惨なものだった。


「実際にはそこまで役には立たなかった。ほら見てよ、ご覧の有り様。ここに来るのも久しぶりだなぁ」


「そうか、もうここは……」


 前方の霧が晴れて、視界が開けていた。

 見えてきたのは壊れた建造物や、崩れた家々。畑だったと思われるボウボウと雑草が伸びた土地、血がこべりついた柱、バラバラに破壊された柵だった。


「おーい」


 見上げると、屋根の上にサティが座っていた。青い髪をなびかせて、俺たちに向かって呑気のんきに手を振っていた。


「お前、どこに行っていたんだ。おかげで酷い目にあったぞ」


「悪いね。おかげで発見できた。この辺りが瘴気の源だ」


「ここが……?」


 サティは頷いて、猫のようなしなやかさで屋根の上から軽々と地面に着地して見せた。


「『異端の王』を倒したにも関わらず、やまない瘴気。もしかしたら、ここに原因の一端があるのかもしれないね」


「瘴気のみなもとって……どういうこと」


 サティの言葉を聞いたナツの顔は、血の気を失って青ざめていた。その顔は何かにおびえているようにも見えた。


 彼女の瞳を観察するように見ていたサティは、フッと息を吐いて言葉を続けた。


「瘴気というのはね。言ってしまえば怨念おんねんのようなものなんだ。この世界における悪いもの、世界の歪みのようなもの。それが瘴気となって大気を汚す。普通の人間には見えないし、予兆出来るものでもない。それが少しここには溜まり過ぎているんだ」


 サティはくるりと辺りを見回した。


「ここは……そうだね。凄まじい魔物の被害にあったんだろ。一体どこなんだ?」


 いくつかの家屋が寄り集まった小さな集落。

 知っている。痛いほどに知っている。


 ここから少し離れたところには、村長の家と共営の畑がある。さっきいた湿地帯のような場所は、もともと水車小屋だったところだ。澄み切った川が流れて、良くそこでナツと遊んだ。


「……俺が生まれた場所。旧サラダ村。お前が言う瘴気の源があるとしたら……たぶん、もっと先の集落の中心部だ」


「へぇ、そしたら案内は……ナツに任せた方が良いかな」


 サティは、かつての故郷の惨状に目に涙をめるナツを見て言った。


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