第34話 旧サラダ村跡地


 暗黒の季節。

 プルシャマナにおける魔物侵攻は、いつしかそう呼ばれるようになっていた。各地で魔物が跋扈ばっこして集落やキャラバンを襲う事件は、俺が神託(もとい女神からの命令)を受ける前から、多発し始めた。


「サラダ村にはね、あまり魔物が現れなかった。辺鄙へんぴな場所だから、瘴気も薄いんだろうって思っていた……その時が来るまでの話だけどね」


 村長の家に行く途中で、ナツは当時のことを話し始めた。

 進むごとに霧は濃くなっていて、視界も悪くなってくる。だが辛うじて見える景色は、俺が少年時代に去ったサラダ村の面影を辛うじて保っていた。


 倒れた木製の柵の向こう側に見える地面は、ぼうぼうと雑草が生えていた。


「ほら、あそこが共営畑。ちょうど人参が取れる季節だったなぁ。みんなで明日が収穫かななんて話していてさ」


「キャロットケーキ……だったな。懐かしい」


「うん、私のお母さんの得意料理だった」


 感情を押し殺して、ナツはまっすぐ前を向いていた。地面には巨大な魔物が這ったと思われる跡が付いていた。消えない傷跡のように、経った月日にも関わらずクッキリと残されていた。


 地面についたその跡を、サティは興味深げに触れた。


「珍しい生物だな」


「サラダ村を襲ってきたのは、ナーガの大群だった。恐ろしくしたたかな蛇の魔物。本来は瘴気の濃いエリアにしか出現しない、幻影魔獣たち」


「ナーガか。この跡だと10メートル以上はあるね。小さな村ならば滅亡は避けられない」


「私も抵抗したけれど……私の魔法を敵はやすやすと突破してきた。見張りの人たちも真っ先に殺されて、結局あそこに逃げ込むしかなかった」


 ナツは一際大きな建物を指差した。

 高床式のその建物は半壊していて、中の様子がむき出しになっている。壁だったと思われる丸太が転がっていって、無残という他無かった。


「村長の納屋か。めちゃくちゃになっているみたいだけど」


「地下室がある。どこかから救援が来るのを信じて、生き残った私たちはあそこに逃げ出したの。ナーガの毒は凄まじくて、あの中でも何人もの人が死んだ」


「うん、臭うぞ。あそこが瘴気の源みたいだ」


 くんくんと鼻を動かして、サティは頷いていた。

 そこへ向けて、進み始めた俺たちに対して、ナツはその場で立ち止まって惚けたように動こうとしなかった。


「……ナツ、やっぱり止めるか」


「あ、ううん、大丈夫。瘴気の源があるなら、一刻も早く行かないと」


「そうか……お前は強いな」


 ナツは俺の言葉に微笑みを見せた。それが無理していることくらいは、さすがの俺にでも理解できた。


 この旧サラダ村跡地はナツの両親が死んだ場所でもある。本当は目を伏せてですら行きたくない場所のはずだ。


 サラダ村の魔物の襲撃にあったのは、兵士でもなんでもないただの農民たちだった。強力な魔物の大群に太刀打ちできるはずもなく、100人近くいた村人のほとんどは死亡した。


「アンクこそ、大丈夫?」


「俺は……問題ない。ただ少し嫌な予感がする」


「たくさんの血が流れた。たくさんの人が死んだ。たくさんの人が苦しんだ。瘴気の源がある場所の条件としては十分だ」


 サティは沈んだ様子の俺たちをよそに、納屋に入った。薄暗い室内にはものというものはほとんど無かった。無残に割れたガラスが散らばり、足で踏むとパキリという音がした。


 床の木を剥がして、隠れていた地下室へと繋がる扉を開けると、サティは魔法を使って中を照らした。


「ここにも……血が……」


 石造りの壁にベットリと付いた血を撫でる。どす黒く染みついている血は床の方にも垂れていた。かつて誰かがここで苦しんだ死んだ痕跡だ。


「この地下室にも、ナーガが襲ってきたのか?」


「この血は、ナーガの毒牙を受けた人の血。ナーガの毒は治癒不可能なの、体内に入る恐ろしいほどの血を吐いて……そのうち死んじゃうの」


「……ひどいな」


「むごい光景だった……一生忘れることができないほどに」


 ナツの声は震えていて、相当怖がっていることは間違いなかった。彼女を励ますように、チャリが小さな声で鳴いた。


「グヒィ、グヒィ」


「うん……ありがとう、チャリ」


 少し笑顔に戻って、ナツはチャリのふさふさとした頭の毛を撫でた。


「アンク、チャリを置いていく訳にはいかないから、私はここで待ってるね」


「大丈夫か、1人で」


「良いの、ドロハイエナくらいなら私でも戦える。それに、この場所がこれ以上汚されるのは、私も我慢ならない」


 汚された故郷を見た悲しみだろうか、ナツの瞳には今までみたことが無いほど強い意志が宿っていた。


「何かあったら、呼んでくれ」


「うん、気をつけてね」


 ナツも気をつけてな、と言い残して地下室への深い階段を降りていく。そこまで深い訳では無い。せいぜい1階分の深さまで掘ってある地下室は、丈夫そうな石でしつらえてある。


 こもったような嫌な匂いを払いながら、俺はサティの光を頼りに、瘴気の源があると思える地下室へとたどり着いた。

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