第20話 大英雄、ご飯がない


 翌朝、残念ながら土下座の機会には恵まれなかった。

 テーブルには空っぽになったパトレシアの鍋と、レイナが書いたと思われるメモがあった。


「『パトレシアさんにお礼を言っておいてください』……か、どこに行ったんだろうか」


 レイナが作ったシチューも無い。俺のご飯が無い。

 キッチンの戸棚をのぞいてみるが、見事に何もない。


「まさか、食料庫も……」


 不安になって、地下にある食糧庫も見てみたが、食べられそうなものはなかった。


 食べものを没収するほど怒っている。

 愛想を尽かして出て行った……とは想像したくない。


「だめだ、何もかもがおかしい。それに……」


 昨日の映像だ。

 真っ赤な血を浴びた女の姿。身に覚えのない血の感触が、べっとりと手に残っている気がした。

 

 人間の命をこの手で絶ったのは初めての経験だった。あの映像の中のやつは、そんな残酷なことを何のためらいもなくやってのけた。


 一体誰なのだろう。

 覚えがあるようで、はっきりとはしない。良く知っているはずなのに、頭のどこかでつっかえてイメージが固定しない。まるで自分の影法師かけぼうしを追っているようだった。


「しかし、腹減ったなぁ」 


 そんなことを考えながらレイナを待っていたが、昼過ぎになっても帰って来なかった。グゥーと8回ほどお腹が鳴ったころには、もはや空腹を抑えることができなかった。


 腹が減っては何とやら。

 シャツに着替えて、テーブルの上に書き置きを残す。夜中にまでにはレイナが帰ってきてくれることを祈ろう。


「行ってきます」


 誰もいない家を出て、ナツの家へと向かう。

 ナツに食糧を分けてもらおうと窓から覗いてみたが、残念ながら留守だった。養鶏場ようけいじょうの方にもいなかったから、ひょっとしたら卵の納品に行っているのかもしれない。タイミングが悪かった。


「……となるとリタの家に行こうかな。酒場だから食糧くらい置いてあるだろ」


 という訳で、再び人に頼ることにした。

 浅ましいとは思ったが、食欲にはあらがえない。もう腹が減って仕方がなかった。


 森を抜けると、隣町まではすぐだ。 

 早足で10分ほど歩き、人の多い大通りへと到着する。リタの酒場は夕方になるまで開かないので、当然だが電気は付いていなかった。


 『準備中』と書かれた札を叩いて、コンコンとノックする。何度かノックした後で、寝ぼけ眼のリタが現れた。


「アンクか。どうしたこんな時間に」


「すまん、何か食べるものがないか」


「……いつからわが大英雄は文無しになったんだ。朝ごはんすら自分で調達できなくなったなんて……かわいそうなアンク」


「人をそんなあわれむような目で見ないでくれ。文無しじゃなくて、単純に食べるものが無いだけだ」


「それはそれでどうかと思うけれど。えー、レイナちゃんはどうしたの?」


「実は……」


 昨日の晩に起こったことを正直に話す。

 リタに嘘をついても3秒で看破されてしまうので、ここは素直に起こったことを話すことにした。さすがにパトレシアの家で起きたことは言わなかったが、表情がニヤついていたので多分バレている気がする。


「女に振り回されるとはねー、アンクらしい。良いよ、入んな」


「助かる」


 リタに招かれて薄暗い酒場の中に入る。彼女もさっき起きたばかりで、朝ごはんを食べていなかったらしく、1人も2人も変わらないからということで一緒に作ってくれた。


 リタが作ってくれた豚の野菜炒めは、厨房の火力もあり本格的で美味しかった。


「うまい。腹が減って死にそうだったんだ」


「うちの食糧持っていって良いよ。ちょうど仕入れ過ぎたところでさ」


「ありがたい、レイナも喜ぶよ」


「……なぁ、そのレイナちゃんのことなんだけど」


 リタはフォークを置いて、改まった感じで口を開いた。


「私はあんたが嫌われていると思わないけどね。知っている限りだと、むしろ好かれているんじゃないか。好かれすぎて屈折くっせつしている気がする」


「屈折……ってなんだよ」


「つまりレイナちゃんはあんたのことが好きなんだよ」


 リタは真顔で言った。


「いやぁ、どうだかな。この前なんてちょっと触っただけで、振り払われて拒絶されたし」


「照れてるんじゃないかな」


「照れ、てる……?」


 俺のことを振り払ったレイナの表情を思い出す。

 あれは照れてるとかじゃなくて、本当に嫌がっている感じだった。あんなに顔を真っ青にして「照れてる」はちょっと考えられない。


「ないない」


「そうは思わないけどね。わざわざ、あんな狭い家の専属メイドになってくれているわけだし。それとも、よっぽど給料が良いのか」


「給料……う」


 あれ? 給料?


「どうした」


「……俺、レイナに給料払ってたっけ?」


 リタの顔が凍りついたように固まる。フォークを床に落としたことも気にせずに、リタは心底あきれたような言葉を放った。


「アンク、もしかしてお前給料を払っていないのか」


「……そうかもしれない」


「かもしれない?」


「いや、払っていない。多分、払った記憶がない。レイナに対して何かをあげたことがない」


 思い返してみても、レイナに対して給料を上げたことはない。

 それどころか、買い物の時の貨幣だってあげていない。いつも気がついたときには食料があって、料理を作ってくれていて、洗濯も終わっていて、部屋の隅々まで綺麗になっなっている。


 それにも関わらず、俺はレイナに対して貨幣やそれに代わる何かをあげたことはない。


「なにそれドン引き」


 リタが深いため息をつくのも当然だった。


「そりゃ不機嫌にもなるよ。あんたがサラダ村に帰ってきてから、1年ちょっとかい。その間、彼女は無賃金むちんぎんで働いていたわけだ」


「ごめん……」


「私に謝ってもしょうがないよ。しかし、どうしてレイナちゃんも何も言わないのかね。生活にも困るだろうし」


「分からない、住み込みだから普通に生活する分には問題ないと思う」


「だとしてもねぇ……無賃金むちんぎんでこき使うなんて、あんた人でなしにも程があるよ」


 リタに散々にめられる。

 大英雄として帰ってきたにもかかわらず、メイドを無賃金でこき使い、昼ごはんまでタカリに来ているなんて、我ながらかなりのクズ野郎だ。反省しよう。


「金には困っていないんだろ。『異端の王』を討伐した報奨金ほうしょうきんがたんまりあるって噂を、うちの客がしてたよ」


「あー、あれまだもらっていないんだよな」


 『異端の王』を討伐したことによって、俺には大聖堂から功労金こうろうきんという名目で、一生を食べるには困らないほどの金貨をもらえるはずだったが、なかなか手元に届いていなかった。


「まだ届いていない?」


「あぁ、山のような金貨をもらえるはずだったんだが……音沙汰おとさたない」


「……呆れた」


 リタは片肘をついて、がっくりとうなだれた。


「まったく自己管理って覚えたほうが良いよ。すぐに無茶するところもそうだし、頓着とんちゃくしなさ過ぎるところもそうだ」


「反省する」


「それはそれとして……金よりも『異端の王』の話が気になるな。100年に1度の大災厄。世界を滅ぼすと言われた悪の化身を倒した話。そういえば、ちゃんと聞いてなかった」


「そんな大したことはしていない。あいつも本質は他の魔物と変わらないから」


「いや、あんたの口から聞いてみたいね。『異端の王』がどんな奴で、あんたがどうやって倒したか」


 リタは興味津々きょうみしんしんといった感じで身を乗り出してきた。


「そんなに楽しい話じゃないけれど」 


「良いよ、仕込みはほとんど終わってるし。私は時間ある」


 気は乗らないけれど、ご飯を作ってもらって、食料までお世話になろうとしている。別に話の1つくらい構わないか。


「分かった。長い話だから、ちょっとかいつまんで話す」


 俺は『異端の王』とのことについて、リタに話し始めた。

 転生や女神のことについてはぼんやりと隠しておいた。特に禁じられている訳ではないが、不要な問題を引き起こしかねないので、あまり人前では言わないようにしている。


「『異端の王』とは……」


 俺はリタにかつて世界を襲った災厄とその旅路について、語り始めた。

 

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