第212話 オーガと魔王と分身

 

 ある日突然、そいつが私のまえに現れました。


 それは、ヒトの形をしたバケモノでした。



 ──***──


 私は、たまに人間界に来ては、いずれ魔王となった日のための下準備を進めていたのです。


 その日は、魔王軍の幹部として取立てる予定だったオーガ族の族長と交渉をしていました。


「──では戦力として、この一族から十体のオーガを、魔王軍に取り入れて良いのですね?」


「はい。数は多くご提供できませんが、みな強靭な肉体を持つ者たちです。きっとシトリー様のお役に立ちます」


「十体で十分です。先程、ひとり見せてもらいましたが、かなり鍛えられていました。邪神様のため、素晴らしい働きをしてくれることでしょう」


「もったいないお言葉」


「ところで、族長」


「はい。なんでしょうか?」


「貴方……強いですね。どうです、魔王軍の幹部になる気はないですか?」


「ははは。シトリー様、お戯れを。こんな老いぼれに、なにができましょうか。どうか一族の力のある若者で御容赦ください」


「むぅ。まだ私は、貴方を仕えさせるに値しない、ということですか……」


「い、いえ! そのようなことは──」


「わかりました。貴方が幹部になりたくなるような魔王軍を作り上げてみせます! なにせ私には、時間がありますから」


 この時は、私が魔王でいられる期間が最低百年はあるものと思っていました。


「歴代最強の魔王軍を作り上げた暁には、貴方のために、幹部の椅子を用意しておきます。その時は、私の誘いを断らないでくださいね?」


 私は真っ直ぐ彼の目を見ました。

 族長は、私が本気だと信じてくれたようです。


「……畏まりました。そこまで仰っていただけるのでしたら、魔王軍幹部の末席にお加えください。ですが条件は、歴代最強の魔王軍を作り上げること──ですぞ?」


「──っ!! わ、わかりました!」


 この時、私は浮かれていました。


 過去に三度勇者と戦い、それらを撃退して生き延びた伝説のオーガを、魔王軍の幹部にできる目処が立ったのですから。


「それではまず、シトリー様の配下に加えていただく十人の若者を紹介しましょう」


「よろしくお願いします」


 オーガの族長と、彼の住処を出たところに──



 そいつが立っていました。


「おっ! 強そーなオーガ発見!! 見た目もかっこいいし、十八層目のフロアボスにちょうどいいね」


 それはヒトの形をした、でした。


 膨大な魔力の塊。


 それがまるでヒトのように動いて、珍しいおもちゃを見つけてはしゃいでいる子供のような明るい声で喋っていました。


「お、お前はなんだ? 何者だ?」


「シトリー様、お下がりください。こやつは……強い」


 オーガの族長が、私を庇うように前に出てきました。


 彼が纏うオーラは、私と交渉していた先程までとは全く違うものでした。


 伝説のオーガが、本気で警戒していました。


 私たちの目の前にいたそいつが、それほどまでに異質であったということです。


「貴様、どうやってここまで来た? 見張りのオーガがいたはずだ」


倒したよ」


「──なっ!?」

「……そうか」


 信じられませんでした。

 戦闘の気配など、微塵も感じなかったからです。


 しかし、周囲の魔力を探索してみると、動いているオーガは一体もいませんでした。


 そいつが言う全部とは、見張りのオーガだけでなく、この里にいた百体あまりのオーガ全て、ということでした。


 族長も、それに気づいたようです。


「シトリー様、お逃げください」

「えっ」


 族長がそいつから視線を外さずに、小声で私に逃げろと言ってきました。


「アイツは我々に戦闘の気配を一切感じさせることもせず、我が一族を屠ったのです。これがどういうことか、おわかりですね?」


 族長の声は、本気でした。


「恐らく私も奴には勝てません。しかし、シトリー様を逃がす時間くらいは、稼いでみせます!」


 その言葉と同時に、族長がヒトの形をしたそいつに飛びかかりました。


 踏み込んだ地面が大きく陥没していたことから、族長の突進の速度がとんでもなく速かったことが窺えます。


 それなのに──


「うひぃ、はえぇ! こんな強い奴いるなら、ちゃんとした武器持ってくるべきだったな」


 そいつは、族長の突進を二メートルほどの黒く、細長い棒切れで平然と受け止めたのです。


「シトリー様! 今のうちに!!」


 族長の言葉で、はっと我に返りました。


 魔界に帰還しようとしたのですが──


「う、うそ……転移門が──」

「シトリー様、早く!!」


 ヒト型の魔力の塊と激しく殴りあっている族長から、焦りがひしひしと伝わってくる声で急かされました。


 でも、私は魔界に帰れませんでした。


「て、転移門が開かないんです!」

「──なっ!?」


 魔界に帰るための転移門が、何度やっても開かなかったのです。



「ダメだよ。逃がすわけないじゃん」

「「──!?」」


 バケモノが、現れました。


 族長と戦っている人型のバケモノとは別の個体が、私の前に現れたのです。


 信じたくはないですが、そいつが私の転移の邪魔をしていたようです。



「っくそがぁ!」

「うぉぉ!?」


 族長が右手を肥大化させ、戦っていた人型をそれで殴って吹き飛ばし遠ざけ、私の身体を抱えて、その場から離脱しました。


 私の目の前にいた人型は戦闘する気ではなかったようで、族長の行動に驚いて動きが鈍く、なんとか逃げ出すことができました。




 オーガの族長は、私を抱き抱えた状態で森の中を疾走していました。


「シトリー様、ここから先は飛んでお逃げください! 恐らく奴らは、ありえないほど高密度の魔力で転移の邪魔をしているのです。奴らから離れれば、転移で魔界に帰還できるはずです」


「う、うん。わかりました!」


 族長が、私を空に放り出しました。


「族長、貴方も魔界に!」


「私はここで、奴らを食い止めます。少しでも時間をかせ──っ!? シトリー様! 後ろです!!」


「えっ」


 族長の声で振り返ると、そこに──



「飛んで逃げるのもダメ」


 悪魔がいました。


 いえ、悪魔は私なんですけど。


 でも、を表現するのは悪魔という名称がピッタリでした。


 そいつは手刀で、私の翼を斬り落としたのです。


「シトリー様!」


 落下する私を、族長が受け止めてくれました。



「危ないじゃん。転移のマーキング付けてないのに、魔界まで逃げられたら追えないぞ? せっかく見つけた上物なんだから」


「悪い。あの攻撃は予想できなかった」

「オーガって、手を肥大化させられるんだな」


 バケモノが、三体に増えました。


 族長と戦っていた奴、私の転移を邪魔した奴、そして私の前に翼を斬り落とした奴です。



「手だけじゃなくて、身体全身を大きくできるぞ」

「そーそー。巨人族みたいになれる奴もいるらしい」


「…………」


 森の奥から、絶望が歩いてきました。


 バケモノが二体、追加されたのです。


 合計五体のバケモノが、私とオーガの族長を取り囲んでいます。



 多分、魔王の力を解放すれば、二体なら倒せます。


 でも……五体は、無理ですよ。



「ってかさ、なんで俺たちって知識レベルに差があるの?」


「さぁ? 戦闘用に作られたから、その辺はテキトーなんじゃない」


「ふーん、完全コピーじゃないんだな」


「その方が個性が出て、色んな状況に対応できるようになるかも──って、本体が言ってた」


「「「へぇ、そうなんだ」」」


 五体のバケモノが、私と族長を囲んだまま会話を始めました。


 奴らの意識が、私たちから逸れているような気がします。


 今ならバケモノの一体を倒して逃げられる、と思ったのですが──


「まだ、早いです」


 私が力を解放しようとしたことに気づいた族長に止められました。


 確かに。

 私は焦っていました。


 この人型たちは、私の本当の力をまだ知りません。


 逃げ出すチャンスは、きっと来るはずです。




 ──これが判断ミスでした。


 実はこの時が、本当に最後のチャンスだったのです。



「このふたり、俺たちじゃテイム無理だよね?」


「うん、強すぎる」


「特におねーさんの方ね」


「オーガの姫かと思ったけど、もっと強いね」


「魔族クラス?」


「いや、魔人じゃない?」


「とりあえず、本体を呼ぼーぜ」


「「「おっけー!」」」

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