第175話 賢者の怒り

 

「こ、これは……なにやらヤバそうじゃ」


 空気を震わせるほどの魔力が聖都中に広がっていた。その魔力からは、怒りの感情が読み取れる。


「ヨウコさん、これってもしかして」


「うむ。主様の魔力じゃ」


「こ、この空気を震わせている魔力が、ハルト様個人のものだというのですか!?」


「恐らくな。なぜ主様がこれほどまでお怒りなのかは知らぬが……もう避難は不要じゃな」


 ヨウコはルナと共に、セイラの護衛として聖都の住人たちを避難させようとしていた。


 その途中で聖結界が復活したので、避難をやめるべきか悩んでいた。


 魔物の大軍が攻めてきている西側防護壁とは反対の東側の門から、住人たちを逃がそうとしていたのだが──


 聖結界が張り直されたのであれば、聖都の外に逃げるより聖都に留まった方が安全なのだ。


 そもそも、住人たちを避難させようとしたのは、ハルトが帰ってくる前に、魔人や魔物が聖都への侵攻を開始したからだ。


 ハルトが帰ってきたのであれば、聖都から逃げる必要などない。


 彼のそばにいるのが、最も安全なのだから。



「聖結界が張り直されたのも信じられませんが、ここまでの魔力をたったおひとりで……」


「主様ならこれくらい当然じゃ」

「ですね。ハルトさんですから」


「あの、おふたりに聞くのも変な話ですがハルト様は昔、この世界を救った守護の勇者様、ですよね?」


「我はあまり詳しくは知らぬが、そのようじゃな」


「ハルトさんは、創造神様に転移させられてこの世界にやってきたことがあるそうです。セイラさんが昔お会いしたのは、そのハルトさんですね」


 ハルトは家族全員に、転移してきて勇者として活動した当時の話や、五歳児の肉体に転生して今に至ることまで全てを話していた。


 しかしヨウコは転生だの転移だのといった話に疎く、ハルトの話の途中で寝てしまったため、セイラに聞かれても答えられなかった。


 そんなヨウコに代わって、ルナがセイラに説明する。


「なんにせよ、主様が帰ってきておるのだから、ここはもう安全じゃ」


「そうですね。ただ──」


「うむ。なぜここまで主様がお怒りなのかが分からぬのじゃ。魔物の進軍を止めにいったティナやメルディが、あの程度の悪魔やその配下の魔人に後れを取るなど考えられん」


 ヨウコは周囲に漂うハルトの魔力にそっと触れる。九尾狐である彼女は、他人の魔力を吸い取る能力の他に、触れた魔力からその者の感情を読み取ることにも長けていた。


 ハルトの魔力は──


 後悔と怒りで満ちていた。


「いったい、なにがあったのじゃ……」



 ──***──


 西側防護壁の上空では、聖結界が張り直されるまで、マイとメイが飛来する魔物たちを撃墜し続けていた。


 精霊である彼女たちにとって、空を飛び回ることは容易く、やってくる魔物たちも精霊王級の存在となったふたりの敵ではなかった。


 聖結界が張り直された数分後──


「──っ!?」

「メ、メイも、感じた?」


「うん。ハルト様が、怒ってる」


 聖結界の外を飛行しているふたりのところにも、ハルトの魔力が伝わってきた。


「ティナ先生は?」

「無事」

「メルディさんは?」

「無事」


 地上ではティナとメルディが、千の魔物を相手に暴れていた。


「じゃあ、なんで?」

「わからない。けど……ちょっと、嫌」


「うん。なにがハルト様を怒らせたんだろ?」

「んー」


「「悪魔、かな?」」


「多分そうだよね」

「悪魔倒したら、ハルト様の機嫌なおるかな?」


「倒す?」

「うん、倒そ」


 空を飛ぶ魔物は、全て狩り尽くした。


 ふたりは魔物の大軍──とはいっても、既にその数はティナとメルディによって半減していた──の後方にある悪魔のものと思われる魔力のもとへと移動しようとした。



「貴様ら、よくも我が配下の魔物を──」


 マイとメイの前に、魔人が現れた。


 飛行系の魔物を配下に持つ魔人が、その配下を全て倒されたことに腹を立ててやってきたのだ。



「「邪魔です」」


「っぐう!?」


 氷の刃が魔人の右手を斬り刻み、炎が魔人の左手を灰に変えた。


「久しぶりに、アレやる?」

「うん。やろ」


 精霊体のふたりが手を繋ぐ。


「「ユニゾンレイ!」」


 相反する属性魔法の融合。


 通常であれば成立するはずのない魔法が、魔法を司る精霊そのものに無理やり行使されたことによって、この世界に魔法として発動した。


 燃える氷が、竜を形作り悪魔を襲う。


 その竜が魔人にふれた瞬間──


 地上を巻き込むほどの大爆発が起きた。


 中位精霊級だったふたりの魔法で、魔法耐性の高いマホノームを倒せたのだ。


 マイとメイは今、精霊王級になっている。


 更にふたりの契約者であるハルトの心が乱れたことで、普段は無意識にかけている力の制限が外れていた。


 そんなふたりの力が、完全に融合したことで彼女たちの想像を遥かに上回る破壊が起きた。


 魔法が直撃した魔人は一瞬で消滅した。


 聖結界はなんとか耐えたが、爆発の真下にいた魔物の大群は、ふたりの魔法によって蹂躙された。



 ──***──


「こ、これは!? メルディさん、こちらへ!!」


 頭上で、ありえないほどの魔力の高まりを感じ、ティナは慌ててメルディを呼び寄せた。


「ヤバいにゃぁぁあ!」


 メルディがティナの懐に飛び込んできた。

 それと同時に、ティナが幾重もの魔法障壁を展開する。


 その直後──


 辺りを爆風が蹂躙した。


 魔物や周囲の地形が吹き飛んだ。

 魔物だったものは、砂や小石と区別がつかぬほどにバラバラになっていく。


 その様子を、ティナとメルディは半透明の魔法障壁の中から見ていた。


 ギリギリだった。


 ──否、ティナの魔法障壁だけでは、この爆発を防ぎきれなかった。


 ティナとメルディが身に付けていたブレスレットから炎の騎士が出現し、ティナの魔法障壁の上に覆い被さるようにしてふたりを護ったのだ。


 そのブレスレットは、ハルトが家族全員に渡していたものだ。



「これは……マイさんとメイさんですね」


「ウ、ウチらを殺す気かにゃ!?」


「直前にハルト様の魔力を感じました。酷く冷たい、なにかに怒ってらっしゃるような魔力でした。恐らくそれが、ハルト様と召喚契約を結んでいる彼女たちに影響を与えたのでしょう」



 数十秒後、爆風が収まる。


 千体いた魔物は、その全てが跡形もなく消滅した。

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