第171話 聖都防衛戦(1/4)
聖都の防護壁上で、見張りの兵たちが慌ただしく走り回っていた。
いつものように夜間の見回りをしていたら、なんの前触れもなく聖結界が消えたのだ。
緊急時のマニュアルに従い、急いで防衛を固めていく。しかし、その防衛指針というのは、聖結界の維持を前提としたものであった。
聖結界が消えた時の対処法などマニュアルに記載されているわけがない。今日まで、聖結界が消えた日など一度もなかったのだから。
聖結界に守られていなければ、聖都はほとんど無防備だった。
高く堅固な防護壁があるものの、それを守る兵士の数が多くない。
魔人の侵入すら拒む聖結界がある。さらにここは創造神が祀られた大神殿がある聖都サンクタムだ。
魔に連なる者が、この聖都には手を出すはずがないという油断があった。
実際には聖女が魔人に襲われることが度々あったが、神への信頼が揺らぐ可能性があるため、聖都の住人や一般の兵士たちにそうした事実が伝えられることはなかったのだ。
だからこそ、遠くに見える草原に無数の蠢く影を確認した時、兵士たちは動揺した。
何かが、この聖都に向かってきている。
聖都の西側──草原が見渡せる側の防衛責任者が、魔法使いを呼んで光弾を撃たせた。
魔法使いが放った光弾が草原の上空で弾ける。
その光に、夥しい数の魔物の姿が照らし出された。
「そ、そんな」
「なんだあの数の魔物は!?」
「ここに……聖都に向かっているのか?」
「今は聖結界が消えている。終わりだ、あんなの防げるわけが──」
「落ち着け! 聖結界は必ず聖女様が直してくださる。我々は魔物を聖都内部に入れないよう、全力でこの防護壁を守るのだ!」
防衛責任者は、尻込みする兵士たちを何とか持ち場につかせる。しかし今ここにいる兵士だけでは、時間稼ぎさえ困難であることが明白だった。
そのため、部下に援軍を呼びに行かせていたのだが──
猶予はなかった。
「──ひぐっ」
光弾を放った魔法使いの首を、鋭い爪が引き裂いた。
飛行できる魔物が数体飛来し、攻撃をしかけてきたのだ。魔法を発動し魔物の注意を引いた魔法使いが、その最初の犠牲者となってしまった。
「て、敵襲! 総員、迎え撃て!!」
そこから混乱が始まった。
聖都の防衛に携わる兵士たちも当然、対魔物の訓練を受けている。Dランクの魔物であれば、個人で討伐できる者たちだ。
しかし、飛来した魔物は全てがCランク以上の魔物だった。
「ぐっ、エレクロウが、何体も──」
雷を纏ったカラスが、兵士たちの間を高速で飛んでいく。その魔物に触れずとも、近くを通るだけで身体が痺れて動きにくくなる。
動きが鈍くなった兵士たちを、女面鳥身の魔物──ハーピーが襲った。
ハーピーはCランクの魔物だが、そこまで強いわけではない。武器や魔法を使う知能があるということで、危険度が高めに設定されている。
しかし、エレクロウの纏う電気で体の動きが鈍くなっている兵士たちにとって、空中を自在に飛び回りながら、足で掴んだ剣を振るってくるハーピーは脅威だった。
まず厄介なエレクロウを倒そうと、高速で飛び回る魔物に何とか剣を当てた兵士が、その身を焦がすほどの電撃に襲われた。
エレクロウは魔法や弓矢で、遠距離から倒すべき魔物なのだ。しかし、その魔法や弓矢が当たらないほど飛行速度が速い。
更にそれが、何十体もいる。
防護壁の上で動ける者がどんどん減っていった。
「くっ──お、お前! できるだけ派手な魔法を空に撃て!! 緊急事態を、街中に知らせろ!!」
防衛責任者が、生き残っている魔法使いに向かって指示を出した。
緊急事態を知らせる警鐘はあったのだが、それは既に魔物たちによって破壊されていた。
魔物の知能が高いというだけでは説明がつかない。真っ先に警鐘を破壊するなど、CランクやBランクの魔物が思いつくわけが無い。
この魔物たちを指揮する者がいるはずだ。
防衛責任者の予想は、最悪の形で正しかったと証明されることになる。
「それはダメだ。もう少し、時間をくれ」
空に向かって魔法を放とうとしていた魔法使いの腹部を、手が貫通していた。その手を引き抜かれると、魔法使いはズルリと崩れ落ちた。
いつの間にか防衛責任者と魔法使いの背後に現れた男が、魔法使いを殺したのだ。
「絶望や恐怖を与えるのなら、進軍を見せつけるのが良いのだが……此度の主の命令は、聖都を蹂躙することなのでな。まだ騒がれては困る」
警鐘が鳴っていないとはいえ、かなり激しい戦闘が防護壁の上で行われていた。それなのに、防護壁から少し離れたところにある居住区までこの騒ぎが伝わっていない。
実はこの男が──悪魔グシオン配下の魔人が、この防護壁周囲に認識阻害の結界を展開していた。そのせいで、居住区からはいつもと変わらぬ防護壁のように見えていたのだ。
時刻は深夜に近く、聖都の住人たちのほとんどが寝ており、聖結界が消えていることに気付く者などいなかった。
また、防衛責任者が緊急事態を伝えに行かせた彼の部下も、恐怖から逃げ出した数人の兵士も、居住区まで辿り着けていなかった。
それらを、狩る者がいたのだ。
防衛責任者の背後に、もう一体の魔人が現れた。
「この場から移動していたヤツらは全員殺したぞ」
「あぁ、ご苦労。あとは……お前だけだ」
気付けば、立っているのは防衛責任者だけになっていた。
「くっ、そがぁ!」
防衛責任者が、最初に姿を見せた魔人に向かって剣を振るう。彼はBランクの魔物を倒せるほどの実力者であった。
その彼の剣を──魔人は指一本で受け止めた。
そして防衛責任者に昇進した際、聖女に祝福してもらった自慢の剣を、いとも容易く魔人に折られてしまった。
「そん、な──」
「なかなか筋はよい。貴様ら人族の基準でBランクほどか? だが、俺の敵ではない」
防衛責任者の心が折れる。
数百──いや、千に及ぶ魔物の大軍が、聖都に向かってくる足音が聞こえてきた。
目の前には、自分が何十人いても敵わないほどの化け物が二体。
更にこの事態を、まだ街に知らせることすらできていない。
この状況を絶望的といわないのであれば、なんと表現すればいいのだろうか。
防衛責任者は武器を落とし、膝を突いた。
「聖女様……申し訳ありません」
「諦めるのは、まだ早いですよ」
「──!?」
防護壁の上で生きている者は自分だけだと思っていた防衛責任者は、後ろから声をかけられて驚く。
彼が振り向くとそこに、ひとりの女性が立っていた。
それは無数の死体が転がるこの戦場に、似つかわしくないほどの美女だった。
彼女の手には、見慣れない湾曲した剣が握られている。
「お前、俺の結界をどうやって通り抜けた?」
「結界? ……あぁ、なんかうすい膜がありましたけど、それのことですかね。それなら、斬っちゃいました」
「斬った、だと?」
「あと、お気づきじゃないかもしれませんけど……貴方も、もう斬ってますよ」
「な──」
この場に先に来た方の魔人が、粉々に切り刻まれた。同時に肉体の再生が始まるが、斬られた箇所が多すぎて、早くも再生限界を迎えたようだ。
その魔人は、黒い煙になって消滅した。
「き、貴様何者だ? いったい、我が同胞に何をした!?」
「私はティナ=エルノール。元はティナ=ハリベルという名前でした。魔人ならこの名前、聞き覚えがあるのでは?」
「ティナ=ハリベルだと」
魔人から殺気が漏れる。
全ての魔人にとって、ティナは憎悪の対処であった。
「それから、何をしたかって質問ですけど……斬ったんです。こんな風に──」
ティナの剣を持つ手が消えた。
消えたように見えるほど高速で振られた剣から、斬撃が飛ぶ。
それはハルトの剣術の師である彼女──この世界最強の剣士であるティナが、神から与えられた武器を持ってして繰り出した究極の剣技『烈空斬』。
無数の真空の刃が、並の剣士では傷すら付けられない魔人の肉体を易々と斬り裂いた。
二体目の魔人も、先の魔人と同じように一言も発することなく、ティナへの憎悪と共に消滅した。
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