第164話 悪魔の怒り
ここまで頭にくるのは何万年ぶりだろうか。
目の前にいる騎士が憎い。
その騎士を創り出した賢者ハルトが憎い。
心底、憎くてたまらない。
あぁ、いいことを思いついた。
奴にも同じことをしてやろう。
アイツはこの聖都に来た時、女を連れていた。
ひとりは見覚えのある女だった。
忌々しいティナ=ハリベル。
我が同胞の悪魔ベレトを倒した勇者一行のひとりだ。
ベレトは邪神様の命令で魔王として人間界に君臨し、世界に恐怖と絶望を広めていた。
アイツは私より序列が低く、本人の力も大したことはないが、部下の魔人を上手く使い、効率よくヒトの国を壊滅させていった。
その手腕に、感心したものだ。
それを……あの女、ティナと異世界からきた勇者が倒したのだ。
その時、邪神様のお心が荒れたことにより、魂で繋がる私たち全ての悪魔は勇者を、そしてティナを怨んだ。
私が準備した娘を壊したハルト。
邪神様、そして全ての悪魔の敵であるティナ。
このふたりを同時に絶望の淵に沈める方法を思いついた。
ふたりを捕え、強制的に子を孕ませ、育てさせよう。
その子供がロベリアと同じ年齢になるまで、私の管理下で生かしておいてやる。
ヒトとはめでたい生き物だ。
監禁され、行動を抑圧されてもなお、その状況下で数年過ごせばそれに慣れてしまう。
悪魔に飼われていることも忘れ、幸せを感じ始めるのだ。
その仮初の幸せを、ぶち壊してやる。
奴らの目の前で、十六年間育てた子供を殺す。
きっと奴らは子供より自分を殺せと言うはずだ。
私はその言葉を無視して、奴らの子を殺そう。
奴らは驚くだろう。
悲しむだろう。
絶望するだろう。
次は自分の愛する者の番ではないかと恐怖するだろう。
そうでなくてはつまらない。
悪魔のモノに手を出したことを、悪魔に楯突いたことを心の底から後悔させてやる。
ハルトはティナ以外にも複数の女を連れていた。
そいつらにも、ティナとハルトにしたことと同じことをする。ハルトと一緒にいたことを後悔させてやる。
仮にハルトと関係ない者であったとしても、そんなことはどうでもいい。
私はハルトの顔が絶望に歪めばそれでいいのだ。
ティナが涙を流しながら、子を助けて欲しいと懇願する姿が見たい。
ハルトと一緒にいた女たちが悲しむ様子を見て、ハルトが心を病むのを見たい。
その時の、奴らの感情を喰いたい。
ハルトやティナ、女たちの絶望する顔を楽しみながら、奴らの魂を頂こう。
賢者まで上り詰めた者と英雄の極上の魂。
きっとそれらは美味なはずだ。
不思議と力が湧いてくる。
これが、怒りか。
復讐を楽しむ気持ちか。
久しく忘れていた。
いや、怒りだけではないな。
千年もヒトの姿のまま悪魔の力を行使して過ごしてきたからか、真の力を解放した今、以前とは比べ物にならないほど力が増していた。
それだけではない。
転生を繰り返すこと数十回。
その全てで、私はヒトの限界値まで己の能力を高めてきた。
魔導師、剣闘士、弓士、付術士、暗殺者──
それらの職で使用できる技や魔法を、今でも全て使える。もとより圧倒的な力を持つ悪魔の自分が、技を手に入れたのだ。
「これはいい」
これならば──
聖女を護るように立つ炎の騎士の前へと移動した。
騎士は迎撃してきたが、悪魔の力を解放した私にとって、その攻撃はあまりに遅かった。
「こんなものか」
私の手には、炎の騎士の核と思われる魔力の塊がある。
騎士が私に攻撃してくる瞬間、その身からこれを抜き取ってやったのだ。
核を抜き取られた炎の騎士は、その場に霧散していった。
所詮は人族の魔法、やはりこの程度か。
「そ、そんな……」
助かると思っていたのだろう。
聖女が恐怖を滲ませていた。
「洗礼の必要がなくなったから、お前はもう要らないのだが……まぁ、少しそこで見ていろ」
大神殿の中央にある巨大なクリスタルへと近付く。
「なっ、なにをするの!? まって、それはダメ! やめて!!」
私がなにをするつもりか気付いたようだ。
もちろんやめる気などない。
俺は悪魔の力、そしてヒトとして培った技術の全てを注ぎ込んで、聖都を護る忌まわしいクリスタルを殴りつけた。
数千年もの間、大神殿と聖都を護り続けてきたクリスタルに大きな亀裂が入った。
「ちっ、さすがに硬いな」
「うそ、そんな……」
クリスタルの完全破壊には至らなかったが、その機能を停めることはできた。
聖女の様子を見てもわかるように、聖都を覆い守護していた聖結界が消え去ったのだ。
これほど容易なことだったのか。
であれば娘など造らずとも、私ひとりで聖都を壊滅させることができたではないか。
思えば娘にはかなり手間をかけた。
全てが無駄だったとは思わない。
娘との生活は、それなりに楽しかった。
改めて、娘を殺したハルトへの憎悪の気持ちが濃くなる。
「さて、これでお前たちを護るものは何もなくなったが……どうする?」
「…………」
聖女は放心していた。
反応がないというのもつまらない。
「──ひぐっ」
聖女の首に手を当て、その身を持ち上げる。
首が締まり、苦しそうな声を上げた。
「長く聖女を務めてきた貴様の魂は、さぞ美味であろう。だが、できればお前の魂は絶望で真っ黒に染め上げてから喰いたいのだ」
既に聖女の心は折れている。
しかし、まだまだコイツの魂は美味くなる。
殺してくれと懇願してくるような状況まで傷つけ、辱め、追い込み、苦しめよう。
何度か殺してみてもいいかもな。
無理やり次の聖女をつくって、そいつに蘇生させれば何度でも楽しめる。
おぉ、我ながら素晴らしい考えだ。
「そうだ。お前にもハルトとの子を作らせてやろう。どうだ? 私に従うのであればお前も生かしておいてやるぞ」
十数年の間だけだがな。
「……貴方は、彼に勝てないわ」
「なに?」
ハルトの名を聞いた途端、聖女の目に光が戻った。
あの賢者が私に勝てると信じきっている──そんな強く、ハッキリとした意思が読み取れる。
創造神の助けなどない──それをわからせてやった時に折れた聖女の心が、あの賢者を拠り所にして回復していた。
期待、希望、勇気──聖女の心は正のエネルギーで満ち溢れていた。
気持ち悪い。
せっかくへし折った心が、完全に回復している。
これでは再び心を黒く染め上げるのに、非常に手間がかかる。
──面倒だ。
「気が変わった。やはりお前は今、殺す」
聖女の首を締める左手を高く掲げ、右手に暗黒の剣を召喚した。
この剣を目にして恐怖すると、その者の魂を穢し輪廻の輪から逸脱させる魔剣だ。
この剣に恐怖して、斬られた者は、たとえすぐに蘇生魔法を使用したところで生き返ることができなくなる。
それなのに──
聖女は恐怖していなかった。
未来を信じている。
希望に満ち溢れている。
やめろ、そんな目で、私を見るな!!
「死ね」
魔剣を、聖女の心臓に──
「──ぐっ!?」
目の前にいたはずの聖女が消えた。
聖女だけではない。
聖女の首を締めていた私の左腕も消えた。
痛みを感じる。
悪魔になって初めての経験だった。
炎の騎士に吹き飛ばされた時もダメージはあったが、痛みを感じはしなかった。
身の丈ほどある大剣を携えた青年が、聖女を抱えて立っていた。
そいつが──その賢者が私の腕を斬り落とし、私から聖女を奪っていったのだ。
賢者は、私がこの世で最も嫌いなふたつの感情──希望と勇気に満ちた声で聖女に語りかけた。
「待たせてごめんな。でも、もう大丈夫」
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