第135話 スタンピード
Bランク冒険者のはローレンス、絶望していた。
数百もの魔物が大挙して、彼が守護するガレスの街に迫っていたからだ。スタンピードと呼ばれるそれは、数多の種の魔物が寄せ集まり、その進路上にある全てのものを破壊しながら進んでいく災厄だ。
ローレンスは過去に、小規模のスタンピードを四つの冒険者パーティを指揮して撃退した経歴を持つ。そのため冒険者ギルドからこの街に派遣され、防衛の指揮を任されていた。
しかし今回のスタンピードは、かつて彼が撃退したC~Dランクの魔物およそ三十体が暴走していたスタンピードとは規模が違った。
攻めてくる魔物の中にBランクを超えているものも何体か確認されている。ここまで高レベルの魔物が、自然に集まってスタンピードになることはない。
実は、これを引き起こした元凶がいた。
ヒトに害をなす存在──魔人だ。
しかし、この時点でローレンスたち冒険者は、魔人の存在を認識していなかった。
街の中では人々が、スタンピードが迫ってきている西側の防護壁とは逆、東側へと避難を始めていた。
今回のスタンピードを防げないと判断したローレンスが街の自警団に、住人の避難を進言したのだ。
「
「今更なによ。いつものあんたなら、魔物の数が百を超えてるって知った時点ですぐに撤退の判断下すでしょ?」
手に持つ弓と矢のチェックをしながら、茶髪の女弓士がローレンスに対してそう言った。
「そうだな、ギルドからの手当が良かったとは言え、一ヶ月もこの街に滞在したのがまずかった」
巨大な盾とランスを装備した色黒の厳つい男は、自嘲気味な言葉を漏らす。
「えぇ、この街の人たちや自警団の皆さんにすっごく良くしてもらっちゃいましたからね。今さら私たちだけ逃げるなんてできませんよ」
そう言ったのは前のふたりと同様、ローレンスのパーティーメンバーである女僧侶だ。
住人を逃がす時間を少しでも稼ぐため、ローレンスと彼の仲間、そして街の自警団は街の西側防護壁の前でスタンピードを食い止めようと陣を張っていた。
冒険者は自由に生きる者たちだ。ギルドの指示でこのガレスの街の守護を任されたとはいえ、自分の命が危ないと判断すると、すぐさま逃げ出す冒険者が多い。
しかし、ローレンスたちは逃げることを選ばなかった。近いうちにスタンピードが起こると予測され、この街に派遣されてから一ヶ月。魔物の脅威から街を守るために来てくれた彼らに、街の住人が精一杯のもてなしをしてきたからだ。
自警団との連携を強化するため、街の周囲の魔物を一緒に狩ったり、酒を酌み交わしたりしているうちに仲良くなってしまった。
女弓士の言う通り、いつものローレンスなら魔物の数が百を超えていて、しかもBランクの魔物が複数いると知れば、直ぐに撤退の判断を下すだろう。
しかし彼の手首には、この街の子どもがプレゼントしてくれたブレスレットがつけられていた。渡された時の眩しい笑顔──それを守りたいと思ってしまった。
だから逃げられなかった。
「ローレンスさん、本当にすまない。あんたたちを巻き込んでしまって……」
ガレスの街の自警団団長がローレンスたちに頭を下げる。想定を遥かに上回る規模のスタンピードが迫ってきていると知った時、彼は冒険者たちが全員逃げ出すと思っていた。
しかし四組いた冒険者パーティーのうちローレンスたちだけは、この街に残ってくれたのだ。
この街に向かってきているスタンピードは、今ここにいる戦力だけでは絶対に防ぐことができない。それでも自警団がここにいるのは、家族や友が逃げる時間を稼ぐため。
この場にいれば確実に、あと数分後には命を落とす──そんな場所に、この街の住人でもなければ、街に知り合いもいないローレンスたちがいてくれるのだ。
団長はローレンスたちに心から感謝すると同時に、申し訳なく思っていた。
「バカ言うなよ団長、俺たちだって仕事で来てんだ。やっと本業ができるってもんよ。そんなことより、お前が死んだらユーカが悲しむんだから、絶対死ぬんじゃねーぞ」
ローレンスが街の外の見回りをしている時、自警団団長の娘ユーカが魔物に襲われていた。
彼はユーカを救い、そのお礼に彼女は昔から大切に集めていた願い石を使ってブレスレットをつくって彼にプレゼントした。
「ローレンスさん、あんたもな。あんたが死んでも娘は悲しむんだ」
「分かってるよ。……ってことで、作戦は『いのちをだいじに』だ。いいか? 絶対に無理するんじゃねえ。家族を、友を、仲間を、この街を守るぞ!!」
「「「おぉぉぉぉぉ!!」」」
ローレンスは、かつて異世界から来た勇者がよく仲間に言っていた言葉を借りて、パーティーメンバー、そして自警団に活を入れる。
無理をするのは
──そうローレンスは考えていた。
彼は単独でもBランクの冒険者だ。腕に自信があった。そして、向かってくるスタンピードの中にいるBランクの魔物を、個人で倒せるのは彼だけだった。
Cランク以下の魔物は自警団と彼の仲間になんとか防いでもらい、彼は防衛線を破壊しうる戦力であるBランクの魔物を倒していくつもりでいた。
もちろん、ひとりでBランクの魔物と戦い続けるのには無理がある。しかし、それをしなくてはこの街を守れない。
ローレンスは仲間や自警団への指令とは裏腹に、自分だけ死ぬ覚悟をしていた。
地鳴りがする。
およそ三百体の魔物が向かってくる音だ。
スタンピードが近づいていた。
「……
「はい。スタンピードの発生と規模をレターバードでギルドに伝えました。恐らくあの御方にも連絡してくれるはずです」
「問題は少し前に別の大陸でスタンピードが発生したって噂があることだな。もしその噂が本当ならそっちに行ってるはずだ」
「そうか」
『彼』が来てくれるかもしれない──そんな希望が消え、ローレンスは内心絶望していたがそれでも落胆する様子は見せない。
ここにいる全員が、今は『彼』でなく自分を心の拠り所としていると気づいていたから。
スタンピードが射程圏内に入る。
「魔法部隊! 弓部隊! ありったけ撃ち込ぇぇえ!!!」
ローレンスの合図で防護壁の上に待機していた十二人の魔法使いと、三十人の弓士たちが一斉に魔法と矢を放った。
スタンピードの前方を走っていた魔物が、それに被弾し倒れる──しかし、その亡骸を踏みつけ、魔物たちは街への進撃を続けた。
進撃は止まらないが、恐らく五十体くらいは削れたはずだ。魔物は残りおよそ二百五十体。
この後、魔法部隊と弓部隊はスタンピードの後方に魔法と矢を放ち続け、その数を減らすことになっている。
「いくぞ!!」
「「「「おぉぉぉぉ!!!」」」」
ローレンス率いる地上部隊の戦闘が始まった。
出だしは順調だった。魔法と矢で魔物たちの勢いを殺すことに成功していたから、ローレンスの仲間と自警団は連携して数十の魔物を倒すことができた。
そんな中──
「──ぐっ!」
ローレンスはBランクの魔物三体の猛攻に耐えていた。いくら彼でも三体を倒しきることなどできず、そいつらが自警団のもとに行かないように引き付けておくので精一杯だった。
仲間の女弓士が防護壁の上から援護してくれるが、彼の周りにCランクの魔物を近付けないようにすることしかできなかった。
「くそがぁ!」
ローレンスはダークウルフに左手を
かなり強引な方法だが、防衛線を崩しかねない三体の魔物を消すことができた。しかし、噛まれた左手から血が止まらない。
「ちっ……これは、まずいな」
彼がそう呟いた時──
「ローレンスさん!」
ひとり魔物の群の中に突撃していたローレンスの側に、数人の自警団員に囲まれた女僧侶がやって来て回復魔法をかけ始めた。
彼女と一緒に来た自警団員が周りの魔物を牽制してくれるので、女僧侶はローレンスの回復に専念できる。
「バ、バカ!! こんな前まで出てくんじゃねぇ!」
「貴方が、いのちをだいじにって言ったんです! なのに……なのに、こんな戦い方おかしいです!!」
「そ、それは──っ!? あぶねぇ!!」
「きゃあ!?」
ローレンスが女僧侶を抱えて横に跳んだ。
その直後、彼らがいた場所に禍々しい大剣が、轟音をたてて振り下ろされた。
周囲の魔物を牽制していた自警団員を吹き飛ばし、オークファイターがローレンスと女僧侶目掛けて攻撃してきたのだ。
現れたのは五体のオークファイター。Bランクの魔物の中でも上位の存在だ。
Bランク上位種が五体──ローレンスが戦って勝てる見込みはゼロだった。
「ここまでか……」
彼は女僧侶を力強く抱きしめ、彼女を庇うように身を屈めた。
オークファイターの剣を身体で防ぐのはまず不可能だ。であれば自分ごと女僧侶を斬らせてしまおう。そうすれば、少なくとも愛する女性をオークに穢されることはなくなる。
そんなことを考えた。少しでも女僧侶の恐怖を和らげられるように、震える彼女を全力で抱きしめた。
オークファイターが大剣をかかげ、それをローレンスの背に──
派手に血しぶきが舞った。
その血はローレンスたちのものではなかった。
大剣を振り下ろそうとしたオークファイターの両手が切断され、大量の血が噴き出していたのだ。
「なんとか間に合ったな」
声が聞こえ、顔を上げたローレンスが見たものは──
黒髪の青年が、僅かに湾曲した剣を振るい、一瞬のうちに五体のオークファイターを斬り伏せる姿だった。
「まさか……あ、貴方は、別の大陸にいるはずでは!?」
「そー! だから、めっちゃ急いで
そう言いながら青年は、先程オークファイターに吹き飛ばされた自警団員に、何かの薬をふりかけていた。
かなりの深手だったが、その傷がみるみる消えていく。
「それじゃ、この人をお願いします」
有無を言わさず、青年はローレンスに気を失っている自警団員を受け渡す。
「おっ! 願い石のブレスレットか。それのおかげで、間に合ったのかもな」
ローレンスの手首につけられたブレスレットを見ながら青年がそう言った。
願い石はそれを身につけると御守りのような効果を発揮する。また、望みを強く意識しながら加工することで、願い石は望みに合わせた色に輝く。
ローレンスが身に付けているブレスレットは安全祈願を意味する黄色に強く輝いていた。
「後は俺に任せて」
黒髪の青年──遥人は、ローレンスに背を向けると手に持つ剣を構えて、こう言い放った。
「この街を、
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