第79話、面白おかしく、一緒に暮らしたかっただけだから


SIDE:吟也



がくんといきなり急ブレーキがかかったかと思うと。

前のめりになり、一気に高度が下がっていって。

そのままきりもみしながら墜落してしまう。



「い、いててっ……」


それでも翼による浮力が残っていたのか、たいした怪我はないようで。

腰をさすりながらよろよろと起き上がる。


「あっ」


と、そこで目に入ったのは。

プリズムの粉をまいて、その小さな身体の何倍も大きい翼に、埋もれるように倒れ伏す、銀色の髪の女の子の姿だった。



「お、おいっ。だ、大丈夫?」


僕は慌てて、駆け寄り両手で抱き上げる。

すると、どういうカラクリなのか、すうっと翼が風に紛れて消えた。



「うっ。……あ、ごしゅじん」


女の子は弱々しい口調で呟いて、僕を見上げる。


ごしゅじん。

今までそう呼ばれたことなどないはずなのに。

その時何故か僕は、自分のことをそう呼んでいるのだと、確信があった。


「平気?」

「う、うん。もうちょっとやったのにな。やっぱりクリア、よわよわやなぁ」


僕の問いかけに、女の子はバツが悪そうに呟いて、よろよろと立ち上がる。



「クリア? 君はクリアっていうの?」


心の底に引っかかる、その名前。

何だか僕は、忘れてはいけないことを忘れている気がして。

思い出さなくちゃいけないことがあるような気がして、必死に記憶の紐を辿る。


だけど、そこには何もない。

真っ暗な闇だけが、視界を塞いでいる。


「うん、そうや。ごしゅじんがつけてくれた、名前やで」


そう言って笑う女の子。

その声は、明らかに傷ついていた。

悲しそうだった。

クリアという女の子は、泣いているようにも見えた。



「……っ」


ぐっと、心臓を掴まれるような思いがした。


僕の心の奥底にあって溶けないイメージ。

どことも知れない遠い遠い場所で、ひとりぼっちで泣いている女の子。


大切な妹、僕の家族。

なのに、助けてやることも、涙をを拭いてやることも、あたたかい声をかけてあげることも、僕にはできなかった。


その、名前しか知らない女の子。

何故だか分からないけど、目の前の小さな小さな少女とダブった。

もうこれ以上、こんな顔をさせちゃいけない、そう思った。


だけど。

僕が何か行動を起こす前に、脳天を揺るがすような、【魔物】の鳴き声が頭上から響いた。

続いて獰猛な喉を鳴らす、猛獣の声。



「くっ、しつこいやつらやなっ」


クリアという名の女の子は、焦りの滲んだ顔で僕を心配げにかえりみた後、再び背中に七色の翼を宿す。

そして、追ってきた数体の怪鳥と、その声を聞きつけてやってきた刃みたいな大きな牙を持った、青色のトラの前に立ちはだかった。

僕の姿を、覆い隠すようにして。



「さぁ、早く逃げるんやっ! 思っきし反対側やで! 境界線のことまでっ!」


そう叫ぶ女の子は、もう僕のことを見ていなかった。

見えるのは、僅かに震える七色の翼。

細かく細かく丁寧に編みこんである、白銀色の三つ編み。

それは男のくせにって馬鹿にされても、気に入ってた僕の編み方と同じで。



「うおおおっ!」


気付けば僕は絶叫し、駆け出していた。

そんな女の子の前に立つように。


「アホゥっ、な、なにしてんっ!」


その突然の行動は彼女の言う通り、アホなことだったんだろう。

怪鳥の鋭い爪が、トラの魔物の獰猛な牙が、僕に襲い掛かる。




「《綴気(フレイ・バインド)》っ~」


しかし、その爪も牙も僕には届かなかった。

かわりに聞こえたのは、耳に入るだけで眠気を誘うような声と。

マシンガンの連射にも似た、激しく打ち鳴らす金属音。


恐る恐る顔をあげると、目に入ったのは重なり合ってバッテンをつくる、

巨大な鉄の棒。

いや、それは巨大なホッチキスの針だった……が、魔物たちを貫き、吹き飛ばして地面に縫い付けているのが見える。



「……もう、危なっかしいったらありゃしないっす。思わず目が覚めちゃったっすよ。なんつって。……あふ、眠い」

「……あ」

「か、カチュはん!?」


そう言ってブレザーの左下のポケットから眠気まなこのまま顔を出す、長い長いクリーム色の髪の小さな女の子。

それは突然のことなのに、思ったほど僕の中に驚きはなく。



「しっかし~、やんなっちゃうっすよねー。みんなったらすっかりカチュのこといないていで通夜みたいな会話してるんすから~。カチュがこんなに眠くて……あふぅ、大変な思いしてるってのに~」


そのまま緩慢にそんなことをぶつぶつ言いながら僕の服の上を這い上がって、左肩まできても当たり前のように受け入れている僕がいて。



「ま~、敵を欺くならまず味方からって言いますしね~。あの敵さんもうまく騙されてくれたみたいっすし……はふ、これで晴れて眠気から解放されるってものっすよー。流石にカチュのデリケートな身体で、ボスの記憶を全て預かるのはー、つらかったっす……」

「え? そ、それって」


眠たげで小さな彼女は、自分の偉業を自慢するように、そんな事を呟いて。

倒れこむようにもっと小さな唇が、僕の頬に触れた……その瞬間。



「……いっ!?」


まるで、洪水のように流れ込んでくる記憶。


それは当然のことであるかのように、僕の記憶だった。



             





僕の家、紅恩寺家は、千年続く、名家で。

ただ、ちょっと普通の名家とは毛色が違っていた。

何故ならば、名家は名家でも人間の言うそれではなく。

【魔物】が跋扈するようになるより遥か昔から、この地に暮らし、根付いていた人間ならざる超常の存在。【妖の人】の名家だったのだ。


僕たち【妖の人】の一族は、世界の陰日向に、ひっそり隠れて住む闇の住人……

なんてことはなく。

かなり昔から、人間との共存を図る努力をしてきた。

時には人と同じ形をとり人の社会に混じり、時には自然や、そこにある『もの』として。


その中でも紅恩寺家は、率先して人との共存を望んだ一族で。

これでもか、と言うくらいに人間に溶け込もうとした。

人と【妖の人】の違いってなんだ? って思うくらいに。

特に、人間の作り出した人工物……機械とか車とかコンピューターとかが大好きで。

たぶん、それらを扱う仕事につくことで自分たちは人間なんだって、人間が大好きだって、自信を持ちたかったんだと思う。



だけどそんな自信も、ある時突然現れた【魔物】によって、大きく揺らぐことになる。

共存ではなくただ滅すべき対象として、人間を見ていた【魔物】たち。


多くの人が死んだ。

【妖の人】たちは、大切な仲間を、友人を、家族を守るために必死に戦った。

しかし、人外の姿と化し戦う【妖の人】たちを、人間たちは仲間だと認めてはくれなかった。

【魔物】も【妖の人】も同じ人間の敵だと、そう認識するようになった。

誰も彼もがそうだったわけではないけれど。

その認識による悪影響の拡大を避けるため、紅恩寺家……吟也の祖父に当たる人物は、紅葉台から去ることを決めた。

対【魔物】の本部が作られた、この紅葉台から【妖の人】の多く隠れ棲まう、神戸へと。

それは、吟也たちが引越しを決めた数十年も前の話であることは、余談であるが……。



去った理由は単純だった。

【妖の人】に、紅恩寺家に、人間たちと敵対する気はなかったからだ。

ただ人間と面白おかしく、過ごしたかっただけだから。


故に紅恩寺家は。

人間たちに対【魔物】のための力を与えて。


ひっそりと遠くから見守ることに……決めたのだ。



              (第80話につづく)






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