第39話、嫌な予感の既視感は、その光景が二度目だから
SIDE:潤
それから、門番さんの許可を得て。
私たちは棗ちゃんの眠るお屋敷の中へと入っていった。
キクちゃんや命ちゃんと違って毎日来ていたわけじゃなかったけれど、そこは何度足を運んでも不思議な世界だった。
庭の広さですら、到底信じられないのに、その中にさらに中世ヨーロッパ風の豪奢な内装のお屋敷があるのだ。
異世を開かなければ、八畳程度の寮の一室に。
私自身も、もう大分前に魔物と戦った時、自分の異世を全力で展開してことがあったけど。
こうやって改めて考えてみると、ありえないというか物凄い力だよねってつくづく思う。
だってそれは、文字通り別の世界を作ってしまうものだからだ。
そして、それぞれ差はあれど、【生徒】たちならばみんながそれを扱える。
こうやって自分だけの世界を作ることもできるし、みんなで力を合わせれば、例えばそれまでなかったはずの本校校舎とその寮棟を、一夜にして作り上げることだってできるのだ。
【生徒】でない普通の人たちから見れば、あまりに荒唐無稽で非常識だろう。
人は自分と違うものを恐れ拒絶しようとする。
どこかで聞いたその言葉を、地でいっているのが私たちだ。
故に拒絶された者同士の結束は固い。
ううん、そんな堅苦しい言葉で表現するのは何だか嫌かな。
とにかく仲良しなんだよって主張したい。
たとえそれが傷の舐め合いだって言われようとも、変にギスギスするよりは何倍もマシだって。
……だけど。
あまりにお互いの繋がりが強すぎるからこそ、生まれてくる弊害もある。
一人で眠り続けるには広すぎるお屋敷。
キクちゃんは、脇目も振らずその一室を目指す。
そこは、女の子らしい暖色系に統一された、豪奢な天蓋つきのベッドのある部屋。
気品のある内装とあいまって、その部屋中を埋め尽くす、種類大小様々、色とりどりの意思あるぬいぐるみたちに囲まれて、棗ちゃんは眠っていた。
掛け布団から覗くのは、どちらかと言えばアウトドア派な小麦色の肌。
短いボブの、ひまわり色の髪。
そう、棗ちゃんはインドア派なキクちゃんとは対照的な、お外で駆け回るのが大好きなイメージのある元気っ娘だった。
でも、必ずしもそのイメージが彼女の全てじゃないんだろう。
まさしく、眠り姫を見るかのような今が、それを如実に表しているような気がして。
「……」
そんな棗ちゃんを、キクちゃんはじっと見つめている。
それに合わせて、ほとんど一斉に視線を返してくるぬいぐるみさんたち。
お互いの間にあるのは、何だかあまりいいとは言えない緊張感のようなもの。
大きくなってしまったどんちゃんのことといい、いつもはこんなことなかったはずなんだけど、今日は一体なんなんだろう?
私がそんな、いつもと違う理由について考えていると、キクちゃんはそのまま棗ちゃんの傍まで近付き、眠ったままの棗ちゃんを甲斐甲斐しく世話をする。
そこにある緊張感みたいなのは相変わらずだったけれど。
ぬいぐるみさんたちはそんなキクちゃんを見ているだけだった。
私もそこではっと我に返り、それを手伝って。
「……棗ちゃんが起きない原因って何なんだろうね」
身体を拭いて着替えをして、その髪を、ゆっくりゆっくりと梳いているキクちゃん。
棗ちゃんから視線を外さない俯き加減のその表情は、ぶっちゃけて言えば私の好きな表情じゃなかった。
ああ、うん。
それはキクちゃんが私のことを見てくれないから嫉妬してるとかそういうんじゃなくてさ、なんていうか正確に表現するのは難しいんだけど、今にも泣きそうで苦しそうっていうか、まるで棗ちゃんがこうなったのは自分のせいで責めてるような……そんな風に見えたんだ。
そんなキクちゃんを見てるのがなんとも我慢ならなくて。
私は割って入るみたいに、そう呟いていて。
「……これはあくまで想像ですけど」
別にそのことについてはっきりした答えを期待したわけじゃなかった。
分からないなら分からないで、荒唐無稽な『目が覚めない理由』をでっちあげて。そんなわけないだろって、キクちゃんの鋭い突っ込みが来るのを期待していたんだけど。
たぶん、私が考えている以上に、キクちゃん自身もその事について考えてたんだろう。
長い沈黙の後にそんな前置きをした上で、キクちゃんは語りだす。
「棗は、『デリシアス・ウェイ』の……演習場に現れた虹泉の秘密を知ってしまったんじゃないでしょうか。例えば、その創造主の正体。だから、こうして口がきけないように、眠らされてしまったとは考えられませんか?」
それは、私の考えていた荒唐無稽な理由、その一つだった。
「それは私も考えてはいたけど、根拠はあるの?」
第一、棗ちゃんの目が覚めなくなったのは、虹泉が発見されるよりもずっと前なのだ。
まぁ、棗ちゃんが今回の虹泉の創造主自体を見つけた、というなら話は別なのだろうけど。
「根拠があるわけじゃないんですけど、そう考えるのが一番しっくり来るような気がするんです。だから、一刻も早く眠りから覚まさせてあげる必要があるんです。誰よりも棗自身のために」
纏めるようなキクちゃんのそんな言葉には、何に置いてもといったゆるぎない意思のようなものが感じられた。
それは、ひどく危ういもので。
その危うさが実体化し、キクちゃんを傷つけてしまうようなことだけは避けたいと強く思った。
それはきっと、棗ちゃん自身だって望んでいないことのはずだから。
「……眠り姫を起こす手段って言えば、王子様のキスだよね」
私は、せめてキクちゃんが一人で背負い込み、そのことばかりを考え込まないように、そんな風にとぼけてみせる。
というよりは、半分くらいは本気だったかもしれない。
私が棗ちゃんの立場で、もし私の王子様にそんなことされようものなら、逆に幸せな意味で二度と帰ってこられなくなるんじゃなかろうかと妄想すらし始める始末で。
「潤のメルヘン脳に棗を巻き込まないでください。ただでさえ足を踏み入れかけているというのに……」
やれやれ、と言わんばかりに辺りを見回し、ため息をつくキクちゃん。
言い得て妙な言葉に、それなりにダメージを受けた私だったけど。
まだ負けん、とばかりに私は言葉を返す。
「むしろ、どこぞの馬の骨に奪われるくらいなら自分がって感じ?」
「ばっ……そ、そんなこと、考えるわけ……ないでしょうに」
それは、一度くらいは考えたことがあるぞって宣言しているにも等しい。
そんなキクちゃんの動揺ぶりで。
同姓とはいえそこまで想われている棗ちゃんがちょっと羨ましいな、とか思っちゃってる自分も、女の子ばかりのこの環境に感化されてるのかなってしみじみ自覚させられて。
それからさらに悪ノリがエスカレートして、起きるかもしれないから目覚めのキスをしてみようじゃないかと提言しそうになったその瞬間だ。
なんともタイミング悪く、部屋に鳴り響く【生徒】御用達の携帯兼通信機。
魔物の出現を知らせる警告アラーム……ではなく、歓迎会の終了時間に予めセットしておいたただのアラーム音だ。
「……そろそろ本来の歓迎会が始まる時間ね」
今年は一人くらい合格者がいるといいんだけど。
当然その一人に王子様……じゃなかった、吟也が浮かんだけど。
私としては無理に合格することもないよね、とも思っていた。
吟也の本校に入るっていう強い意思を無碍にするわけじゃないけれど。
もし合格するようなことがあれば、まともで普通な生活は二度と返ってこない。
それこそ、深海の底で呼吸を我慢しながら生きるような辛い日々が続くのだ。
冗談でなく、トーイ先生と言う先駆者の今の姿が、それを如実に表している。
トーイ先生は今でこそ好々爺然とした振る舞いをしているけれど。
実際はそんな見た目が信じられないくらい若い先生なのだ。
たとえそれを吟也が望んでいるとしても、やっぱり私個人としては今のままでいてくれたほうがよかったりするわけだけど。
そんな事を考えつつ、棗ちゃんにまたの挨拶をして部屋を出ようとして。
そんな私についてくるものの、何だか不思議そうにしているキクちゃんがそこにいた。
「キクちゃん? どうかした?」
「いえ。命さん、結局お見舞いに来なかったなって、そう思っただけです」
「約束してたの?」
「そう言うわけでもないんですけどね……」
今度は、どこか拍子抜けした様子のキクちゃん。
言われてみれば確かに妙ではあった。
今の今まで本校校舎は歓迎会中で、命ちゃん自身も立ち入り禁止のはずだから……。
「そう言えば、暇じゃないって言ってたよ。えっと……あ、そうだ。ごみ捨て係の日だ」
「成る程。せっかく授業のない日だというのに、ご愁傷様ですね」
嫌だとか面倒臭いとかそういった不真面目っぽいことは一切顔に出さない真面目な命ちゃんだったけれど。
珍しくぶすくれていたから比較的すぐに思い出せた。
ごみ捨て係は、元は他の委員と同じ扱いだったものが、同じ人だけでやるのもなんなので、交代交代みんなでやろうということになった、【生徒】のもう一つの仕事だ。
大人の事情というかなんというか、我が本校の土地の地下には、その敷地をすべて覆うほどのごみ処理施設が広がっている。
それは、紅葉台の街のみならず近隣市外のごみを処理するものだ。
国はその土地を本校に提供する代わりに、パイプラインで運ばれてくるそのごみの処理をすべて本校に任せている。
まぁ、今となっては【生徒】以外には入れない場所になっちゃってるし、それも仕方のないことかもしれないけれど。
「ご愁傷様って。そんなに面倒な仕事かな」
確かにちょっと臭うけど、係のやることといえば、パイプラインで集められたごみがベルトコンベアで運ばれていくのを眺めているくらいだ。
一度興味を惹かれて奥まで行った際に見た、雪だるま式に大きくなっていくごみやら何やらの塊が轟音立てる焼却炉に消えてゆく様は、ちょっと楽しいとさえ思ったくらいで。
「それは潤の心臓に剛毛が生え揃ってるからそう思うんですよ」
「……」
さりげなくも何もなく、思い切り貶されているような気はしなくもなかったけれど。
命ちゃんが来なかった原因が分かったのか、憂いの去った様子で歩き出すキクちゃんに私は反論の言葉を返す暇もなく。
行きと同じ手順でどんちゃんたちのいる庭を抜け、棗ちゃんの部屋を出ると。
目前に見えるはだいぶ陽の傾いた空と、静けさを湛える……渡り廊下を挟んだ本校校舎。
その色の深くなり始めた陽光に照らされ黄昏ている、命ちゃんの姿。
「あら。何をしているんですかね、あんなところで」
「……」
何だか、とってもイヤな予感がした。
イヤな予感って言っても、純粋に悪いものっていうより、私が一方的に困る感じのイヤな予感だ。
それは、間違えようもない既視感。
瞬間に思い出したのは、二階と八階で場所こそ違えど、魂を抜かれたような状態で立ち尽くしていた美音先輩のことで。
気付けば私は駆け出していた。
そんな急な私の行動に、キクちゃんが慌てて追いかけてくるのが背中で分かって……。
(第40話につづく)
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