第32話 失われた時間



 意識が深く沈んでいくのを感じる。

 逃れようのない場所に捕らわれ、もがく事も出来ないような濃い泥沼に引きずり込まれていくようなそんな感覚。


 手を伸ばすが、俺の手はどこにも届かない。

 どこか逃れるはずだった場所が、正しい方向が分からなくなる。


 暗闇に、飲まれていく。


 ……。


 けれど、そこに色が付いた。


 声が付き、光が付き、景色が見えてくる。


 どうやら魔王に乗っ取られ、昏倒してしまっただろう俺は、夢を見ている様だった。


「……げろ」「……でも……」


 いや、これは夢ではなく回想なんだ。

 それは実際に、確かに過去にあったもの。


 消えたはずの記憶の映像だった。





「どうして、こんな事に」


 記憶の中。

 俺はユリカの手を引いて魔王城を走っていた。


 少し前の俺は、変な液体の詰まったカプセルに入ってて自分の事だけで精一杯だったはずなのに、なぜか今は人の面倒を見ている。その状況のおかしさに、少しだけ笑い出しそうになっていた。


 今から数十分前。

 培養室とやらの部屋にあるカプセルの一つに入ってた俺は、目覚めてびっくり。苦心してそこから脱出、トラップに掛かって仲間のパーティーと分断されていたユリカと出会った。そして、マジかマジかと更にびっくりしながら、少し前までやっていたゲームそっくりのラストダンジョンを歩いて行き、闇の間の前で魔王討伐に挑もうとしているアッシュ、ラクシャータ、セリアと会ったのだ。


 そうなれば自然と、この世界が俺が元の世界でやっていたゲームの世界なんじゃないかって事実に辿りつくのも必然だろう。更に更にのもしや、と考えるのはその先の事態。ユリカ達は魔王討伐に失敗して、バッドエンドルートに突き進もうとしてるんじゃないかという事。


 で、あんまり言いたくないが結果は、想像通りだった。


 今は、ラストバトルに敗北してしまったパーティー達の中から、どうにかユリカだけを助けて逃げ続けている最中だ。そうだよな、俺。って、誰に確認取ってるんだか。


「アッシュさんが死んでしまうなんて、それにラクシャータさん達が……」


 ユリカの足取りは重い。

 そのまま遅れられてはたまらないので、俺はそれをやや乱暴ながらも力まかせに引っ張て行く。


 現在地はまだ、闇の塔だ。

 ここから他の塔へ移って、転送装置を使い城から脱出するまでは一秒たりとも気を抜いてはならない。


 こんな所で、悠長に足を止めていてはまずいのだ。


「しっかりしてくれよ、あんた勇者の一員なんだろ」

「ですけど……」


 叱咤の言葉を飛ばすが、ユリカの様子は思う様にはならない。

 沈んだ声で、弱々しい反応を返すばかりだ。


 らしくない。

 画面越しでしか知りもしない俺ですらそう思う。


 彼女はこんな性格じゃないはずなのに、と。

 どんな時でも、凛としてて、生真面目で、真っすぐで、何があっても心折れたりしない気高い人間。


 今まではそう思っていた。なのに、あの一瞬でこんなにも変わってしまった。やはり突きつけられた敗北の結果がよっぽどショックだったのか。


 掴んだユリカの手は、様々な負の感情に翻弄される内心を表すかの様に強張っている。


 彼女がそんなだから、いつもは賑やかしとおふざけ担当である俺が不慣れなシリアスを担当しなけりゃなんないんだ。苦手分野にどストライクじゃないか。


「はあああぁぁぁ、ったく」


 本当にしっかりしてほしい。


 そんな俺の目の前に、掃討し忘れていたらしいモンスターが行く手を阻む様に現れたもんだから、あんまりいい感じじゃない言葉を吐いて、どっかでゲットしたレア武器で適当に切ってしまった。平和な世界出身だよね、俺。あー、やだな。心荒みそう。


 それでも魔王城の中を移動するのは楽だった。

 事前に余分な体力を使って内部のモンスター達をちまちま撃退していたらしい勇者達の労力があってか、敗走時には見張りの敵とすらエンカウントしなかったのだから。


「……だからって、アッシュ達は何でラストバトル前に体力を削ぐような事してんだか」


 裏を知ってるこちらから見れば準備万端だったとしても到底敵う相手ではなかったことぐらい分かってるけど。


 そんな風に愚痴れば返って来るとは思っていなかった反応が。


「王宮の兵士達は私達の手伝いができないって、魔王城に来る前にモンスターに待ち伏せされて襲撃を受けて……」

「……」


 相手の方が一枚上手だったという事ね。


 そう言う流れなら、向こうはこっちの行動をきっちりと把握してたんだろう。

 まるで、見えているかのように正確さで。


 俺は勇者パーティーの一人の顔を思い浮かべる。


 思い当たる節が無いわけではないんだよなあ。アッシュとのキャラクターイベントでそれっぽい事を話していた人物がいたのだから。だが、知っているからといって今言うべき事でもないだろう。


 そんな調子でひっしこきながらも、俺達は転送装置のある部屋まで辿り着くのだが、その時には不気味な地鳴りが建物内全体に断続的に響く様になっていた、おそらく追手の足音か何かだろう。


 魔王自身は闇の間から動けないので移動する事はできないのだが、モンスターを村々にけしかけて人間を襲わせているくらいだ。だから、こういった場合の手も打ってないはずはないんだろう。


 室内にある転送用の機械に近寄る。


「えっと、どうやって操作すりゃいんだよ。あーもう、わけわかめ! とか、下らねぇ事言ってる場合じゃねー!」


 転送装置を操作する機械を前にして鳴れない脳みそを総動員。四苦八苦するのだが、どこをどう動かせばいいのやら訳が分からなくて、めちゃくちゃ困る。


 髪を掻きむって声を荒げるもの、頼みの綱であるもう一人の臨時パーティーメンバーからの反応は皆無だった。

 この世界に来たばかりの俺などよりも、素人よりはましな方とはいえ彼女の方がよっぽど詳しいはずなのに。


 ぼうっと突っ立っている彼女の元まで行き、俺のちっちゃいお手てで彼女の頬をぺちぺち叩く。くそ、これが子供の体か、文句の表現が可愛いなちくしょう。


 漫画によく出てくる昔のテレビみたいに、人間もこれで直ったりしないかな。


「……ったく、おいこら。しっかりしろ、何とかしてくれよ。ここから逃げないと俺達死んじゃうんだぞ。勇者の仲間なんだろ。しゃんとしろ。死んだら、死ぬ! お分かり!?」

「……ぁ」


 自分で言ってて、こんな自分本位な言葉が彼女のどこに響いたのか分からないが、ユリカはわずかだけの意欲の色を瞳に覗かせ、操作台へと移動する。


「この機械で……、モンスターを町に……。セリアさんがいれば……」


 だが、作業は全く進まない。彼女でも動かすのは難しいようだった。


 仕方がない。


「ああもう、放棄しかないよな。出るぞ!」

「え、はい……」


 限りなく逃走成功の可能性が下がるが、この足でここから出ていくしか方法がなさそうだった。


 遠くから響いてくる地響きが段々と大きくなってくる。


 次第にそれは徐々にこちらへと移動してきて、接近に伴い、足元をすくわれるような揺れも追加してくる。これでは移動するのもままならい。

 判断ミスったかもしれないな。


 で、そんなにっちもさっちもいかない状況で、ユリカがこちらに涙が出る程有難い言葉をくれてくれる。


「もう、いいです。私が囮になりますから、貴方はその間にここから逃げてください」


 だとさ。


 普通なら、泣いて喜ぶだろうな。感激して。

 でも、生憎と俺はそこまで普通じゃない。アッシュ達ほど特別でもないが、人に埋もれて簡単に背景になるほど、うっすい個性してないんだよ。


「馬鹿かあんた!」

「え……?」

「見捨てられるわけないだろ」


 それに、この局面でそこまで非情にはなれなかった。


 俺は、呆然としているユリカにメダルを渡す。

 双月ふたつきのメダル。効果のよく分からないアイテムだ。

 気休めかもしれないが、適当なホラを吹けばお守り代わりになるだろう。


「これはすごい幸運を秘めたお宝だ。持ってると必ず良い事がある」


 一応レア的なもんだし、間違ってはいないだろう。嘘は言ってないし詐欺にはならないはず。

 もし話が違った場合は、賠償金払えないんで土下座で許してください。


「だから、あんたは真っすぐ走って、この塔から出てけ」

「そんな……。私にこれ以上誰かを置いていけっていうんですか!?」

「そうだよ。そうしなきゃ二人共死んじゃうだろ」

「っ!」


 言葉に詰まるユリカを見上げる。

 すごい泣きそうな顔されて、罪悪感が半端なかった。

 出会ったばかりの他人にここまですると、何かあれだよな。

 良い奴通り越して馬鹿だよな。


 そっか、馬鹿か俺。馬鹿なんだろうな。


「どうして、そこまで……。私達、さっき出会ったばかりなんですよね、それなのに」


 さあ?

 練さんの奥底にある秘めたる熱いソウルが目覚めちゃったからかもしれないし、乙女が好きなそういう桃色で青春なアレとかが理由かもしんない。


 でも、そんなじゃなくても俺はきっと同じ行動をとっていただろう。


「目の前で人に死んでほしくない。気分が悪い。理由なんてそれだけで十分だろ」


 難しい理屈や理由なんて知らん。

 俺は良いと思った事をする。行動する。たぶん、それだけだ。


 ユリカの体を先へ促す様に押す。


「戻るな。前に進め。生きてる限り」


 そう、かっこつけて。


 後で思い返す機会があったら恥ずかしくて悶え転がるかもしれないけど、これくらいは許してね?


 そうやって別れた俺は、追いついてきたそれに相対して死亡する。

 深い闇の底に意識を沈めていって、次に目を覚ました時は魔王城の中。培養層の部屋付近だった。





 傷だらけのユリカが倒れているのを見て、俺は何をどうしたのかよく思い出せない。


「メダルが……」

「喋んな、馬鹿」


 彼女の手の中には、ヒビの入ったメダルがあった。

 これが役に立ったのか? それで生き延びた?

 効果は移動? 時間の巻き戻し?


 レアアイテムが何をどうしてこんな状況にしたのか分からないが、悠長に考えていられる状況でない事だけは確かだった。依然として俺達は敵地の中。


『――、――』


 そこに声が聞こえてくる。

 女の人の声が。


 どこからか響いてくる声が伝えるのは案内の言葉だ。

 それを頼りに、俺はカプセル……培養層の並ぶ部屋に入り、それらを管理する機械を見つけて操作した。


 そして、ユリカを生き返らせたのだった。


 部屋の中に並ぶいくつもの培養層の一つ。そこに存在していた、魂の存在しないユリカの妹の体。その人を使って、記憶を転写。ユリカの命を繋ぎ止めた。やる時には躊躇したし迷ったんだが、聞こえて来る声が言った事を信じてふっきった。妹のその体には最初から魂が無かったのだと。生まれた時から、そんな感じだったらしい。


 服は汚れていたがしょうがない、説明する時はトラップに掛かったことにしよう。

 何故かユリカが怪力と不注意になっていたが、それは元の体の性能だとか。


 成長剤やら栄養剤やらの液体で満たされた培養層。

 そこに浸かっていた者達の体には、黒い二つの角をモチーフにした模様が体のどこかしらに刻まれている。


 ユリカの体にもそれがあったので、彼女はうなじにあるそれを隠す為に髪を降ろしたままにする事にしたらしい。


 それらの作業を終えて一段落した後、声の主は説明してくる。

 人を過去に送る事の出来るという、メダルの効果の事を。

 ユリカがそれを使って戻ってきた事を。

 そして、未来のユリカが戻って来たことによって、この世界にいたユリカが消えてしまった事も。


「……私が、私を殺した?」

「マジかよ。じゃあ、このメダルは使えないよな、もう」


 そして、声は続けて述べる。


『――、――』


 対象者でない俺の記憶がもうじきなくなる事とか。


 そのあるはずのない俺の記憶は、声の主が魔法を使ってここにいる俺の脳みそに引っ張って来て、今まで何とか保たせていたらしい。


 声の主についても色々聞きたかったが、時間が無かった。

 様子からして、室内に並ぶ培養層のどれかに入っている人だとは思うのだが。


 俺はもうじき、最初の記憶を忘れる。

 もう少しで、俺は見ず知らずの世界に来たばかりの俺になるのだ。


 その前に、できる事があるならしなければならない。


「ユリカ、俺は魔王の後継者だと思う」

「え……」

「知ってるんだ。俺の体は、魔王の次の器として作られた者なんだって、だから俺に気を付けといてくれ」

「……」


 逃走中に思い出した事実、その事を伝えたユリカは困惑顔だ。無理もないだろう。立て続けに色んな事が起きたのだから。


 だが、そんな事で驚かれていては逆にこちらが困る。

 本題はここからだからだ。


 魔王を倒す為に必要な事、リズを救出する事、アルガの暴走を止める事、二人に対魔王兵器を開発してもらう事を伝える。

 そして、もう一つ……。


「ラクシャータはお前達の仲間だ」


 本当ならこんな事、俺が話すのはおかしな事なんだろうけどな。

 ユリカの事だ。そう遅くないうちに真相に気づくだろう。

 だからその時の為に、事情を知っている俺が言える事を言っておかなければならない。


「ラクシャータさん? どうして今、それを……?」

「お前たちは四人でワンセットな。セット価格でお得なんだから、その状態を維持しとけよ。いなくなったら寂しいだろ」

「わ、分かりません。何を言ってるのか……」


 まあ、そこまで詳しく言ってやる必要は今はないだろうしな。


 そこで、残された時間がもうすぐ尽きるだろう事を感じる。


 俺は部屋の出口に向かった。


「うおっ、ちょ。危ねぇっ」


 恰好つけた感じで退場したかったのに、やっぱ練さんだなあ。

 偶然通りかかった魔物に襲われたのでボコって、レア武器らしきものを手に入れる。


 一番最初の時にもエンカウントした奴だ。

 同じレア武器ももらった。

 運命論なんて好かん俺だが、こいつは俺に倒される運命でも持ってたんだろうか。


「ユリカ達は、アッシュを説得して逃げろ。それがたぶん一番良い」

「……待ってください、そんなの」


 ユリカの言葉は最後まで聞かない。

 扉を閉めて、俺は走り出した。


 さて、練さんちょっとお散歩しちゃおう。

 魔王の所まで言って、ちょっくら乗っ取られて来ますか。


 別に俺、聖人君子でもなんでもないから自己犠牲するわけじゃないよ?


 死にたくないし、こんな体でも前世で何かあって生き返ったっていうんならもったいないし。

 一番可能性の高い道を選んでいくだけだ。


 猫だましの様なちゃちい手だけどな。

 ま、力を分ければ色々と時間稼ぎくらいにはなるだろ。






 ……


 で、

 結果はご存知の通りだ

 そうして、俺は忘れたんだ。

 いや、俺からすれば元の状態に戻ったって言った方が正しいだろうが。


 ユリカを助けた事を、一度アッシュ達がやられてしまった事も、みんな知らない事になってしまった。


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