1-12
前川に抑え込まれた状態で、引きずられるように跳び箱の後ろ側に連れてこられた坂本は、跳び箱の後ろ側に敷かれたマットの上に、ほうり捨てられるように転がされた。
「なんだよおまえら、これ……」
マット上を無様に二転した坂本が上体を起こして顔を上げると、マットの周囲を取り囲むようにして立つ仁科と前川が、自分を冷然と見下ろしているのが見えた。
前川は坂本を見下ろしながら、厚い唇をにやりと引き上げた。
「水に流すんだから、俺らのカネもうけに協力してくれるよなあ、坂本」
「金もうけって……」
仁科と前川の間に、先ほどの見知らぬスキンヘッドの巨漢が割り込んで立った。無言のまま制服のブレザーを脱ぎ、ネクタイを緩めたそのしぐさに、坂本の全身にゾッと寒気が走った。
「おまえはいつもの調子でちょっと一発、こいつとヤッてくれるだけでいいんだ。そしたら俺らが動画に上げる。そうすりゃ、あとは待ってるだけで勝手に金が入ってくる。ちまちま売りやるよりずーっと簡単なお仕事だろ? ちゃんとおまえの取り分もやるからさ」
「いつものって……ふざけんな! こんなん、ただの
坂本の必死の叫びを、前川はフンと鼻で嗤いとばした。
「無理やり
「んだと……? じゃあ、死ぬ気でやってやるよ!」
坂本は叫ぶと同時に、痛む体に鞭打って跳ね起きようとした。だがその途端、巨漢スキンヘッドのヤツデのような手が、坂本の両肩を鷲掴む。なすすべもなくマットに押し倒された坂本は、その剛力に息をのんだ。
「くそっ……離しやがれ、このクソ野郎!」
必死にその手を振りほどこうと暴れながら眼前に迫るスキンヘッドの凶悪な顔を睨みつけるも、スキンヘッドは顔色ひとつ変えるでもなく平然と坂本を抑えつけたまま、しげしげとその顔を眺めまわしていたが、やがてにやりと口の端を上げた。
「へえ……よく見ると、なかなかの美形だな」
「なに言ってんだこのクソ、頭おかしいだろ! 離せ、離しやがれ!」
「ちょっとうるさいのが玉に瑕だな」
スキンヘッドはにっこり笑って左肩を押さえていた右手を離すと、砲丸のような拳を暴れる坂本の腹に叩き込んだ。
「……!」
坂本は目を大きく見開き、言葉もなく横向きに腹を抱えて丸まると、吐いた。だが、もとより胃の中は空っぽだったため、粘つく胃液が少し出ただけだった。
「おーい、西原、あんま絵面汚くすんなよ。あと、顔は殴るなよ。青あざだらけの汚い顔じゃ、売れるもんも売れなくなるからな」
「わかってるよ。僕も汚いのは好きじゃないから」
腹の痛みに動けずにいる坂本の髪を掴んで仰向けると、西原と呼ばれたスキンヘッドは鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で坂本のワイシャツのボタンをはずしにかかった。坂本はやめろと言おうとしたが、声がかすれて言葉にならない。あっという間にすべてのボタンをはずして前をはだけた西原は、あらわになった坂本の胸や腹を見て眉をひそめた。
「前川ー、こいつ、中身思いっきり汚いんだけど」
「え、なに? 汚いって……」
西原の言葉に身を乗り出した仁科と前川は、坂本の腹を見て「うわ」と小さい声を上げた。坂本の胸や腹には、ブチ模様の犬のように青あざがいくつもついており、きれいな部分を探す方が難しい状態だった。
「なにこれおまえ、もしかして、サドマゾの趣味とかもあんの?」
仁科があざけるように嗤ったが、坂本は黙って顔を背けた。
「なあ前川、これどうする? 俺たちがやったと思われても困るし」
前川は眉根を寄せて坂本に近づくと、ネクタイを掴んで坂本の首を引っ張り上げた。マットから体を無理やり持ち上げられ、痛みに顔をゆがめた坂本の、そのあらわになったその青あざだらけの肩を見やりながら、前川は面倒くさそうにため息をついた。
「まあとりあえず、多少手間はかかるが、補正をかければなんとかなるだろ。とりあえず時間もねえし、一発ぶち込んで撮っちまおうぜ。考えるのはそれからだ」
「この……鬼畜、野郎……」
坂本がかすれた声を絞り出すと、前川は面白そうに眉を上げ、さらにネクタイを引いて坂本の顔に自分の顔を近づけた。
「どっちが鬼畜だよ。あんとき、ボールを蹴り転がして俺に向坂を殺させようと仕向けたくせに、よく言うな。ま、仁科は完全に俺側についてる。あんときのこと誰かに喋ったら、立場がヤバくなるのはおまえの方だ。バラされたくなければ、言うとおりにしとくんだな」
前川は、ほうり捨てるように坂本のネクタイから手を離した。入れ替わりに、巨漢スキンヘッド西原が坂本に馬乗りになる。先ほどから動画を撮っている仁科とは違うアングルから前川も撮影に加わったことを確認すると、西原は横を向いている坂本の顎を掴み、強引に上向かせた。
――畜生。
抵抗をあきらめた坂本が、接近してくる西原の汚らしい唇から目を背けた、その時だった。
ガタガタと、扉をゆする音が響いた。
四人はハッとして、細く明かりの漏れる体育倉庫入り口を見やった。
「ねー、体育倉庫、鍵がかかってるよー」
「えーマジ? ふだん鍵なんかかかってないんだけどなあ。じゃああたし、職員室から借りてくるね」
次の時間の準備だろう、複数の女子の声が外側から響いてくる。仁科、前川は目くばせすると、無言で録画を切って立ち上がった。西原も立ち上がると、三人は一言も言葉を発さず、素早く体育倉庫裏の高窓によじ登り、音もなく外に飛び降りて逃げていった。
――助かった。
坂本はマット上に横たわったまま、ぼうぜんと体育倉庫の天井を眺めていたが、やがてゆっくり目を閉じた。自分もどこかに身を隠さなければ、先ほどの女子たちにこの醜態を見られてしまうだろう。だが、坂本はもうどうでもよかった。誰にどう思われようが、クラスでハブかれようが、ぼろぼろになってのたれ死のうが、別に構わないとおもった。もう、何も考えたくなかった。
カギを持ってきたのだろうか。重い扉をこじ開けるガタガタという音が響き、誰かが中に入ってくる軽い足音が聞こえた。さっきの女子だろう。自分を見つけたら、この子はどうするだろう。叫び声の一つでもあげるだろうか。そのあと、運が良ければ助けを呼んできてくれるのかもしれない。だが、坂本の淡い期待に反してその女子は、坂本のそばまで歩いてきたきり、黙って自分を見下ろしている。関わり合いになりたくないのだろう。このまま放置される可能性もあるなと、坂本が苦笑めいた笑みを唇の端に浮かべた時だった。
「……大丈夫?」
どこかで聞き覚えのある、か細く高い声。ハッとして重いまぶたをこじ開けた坂本が見たのは、枕元に膝をついて座りこみ、自分を心配そうに見つめている、石田結菜の顔だった。坂本は信じられない思いで、至近距離から自分を見下ろす、逆光に縁どられたその
「石田……さん」
「大丈夫? 起きられる?」
坂本はうなずきながらも、石田の顔を見ていられず慌てて目線をそらした。
「……どうして」
「仁科くん、ヘンな呼び出し方してたから……」
「いや……どうしてってのは、そういう意味じゃ」
自分の背中を支える石田結菜の優しい手のぬくもりを感じ、坂本は言いかけた言葉を飲み込んだ。
痛みにきしむ上体をやっとのことで起こし、小さく息をついた坂本の顔を、石田は心配そうに見つめた。
「坂本くん、このこと、先生に……」
「言わないよ」
言いかけた言葉を飲み込んで固まった石田結菜を視界の端に感じながら、坂本ははだけられたワイシャツのボタンをとめはじめた。
「石田さんは知ってるんだよね、俺らがやったこと……」
石田の返答はなかった。だが、その沈黙の意味することは一つしかない。坂本はボタンを留めながら淡々と続けた。
「もしこのことを教師にチクれば、あいつらは向坂にしたことを全部俺一人の責任におっかぶせてとんずらこく。というか、石田さんも知ってる通り、俺が向坂を落とすきっかけを作ったのはホントだから、言い逃れできないしね」
石田はしばらくの間じっと坂本の顔を見つめて黙っていたが、やがて呟くように一言、問いかけた。
「なんで、あんなことを……」
ボタンを留め終わった坂本は、その問いには答えなかった。うつむいて、じっと自分の膝のあたりを見つめていたが、ふいに顔を上げ、悲し気な笑顔を石田に向けた。
「ていうかさ、石田さん、もう俺にかかわんない方がいいよ。友達だとか誤解されたら、なにをされるかわかんないから。今日は、助けてくれてありがとう。でも、俺みたいな最低な人間、助ける価値なんかこれっぽっちもない。もうこれっきり、俺のことは無視してくれてかまわないから」
坂本はそれだけ言うと、跳び箱につかまってよろよろと立ち上がった。何か言おうとした石田にかまわず、後ろを振り返ることもなく、足を引きずりながら体育倉庫を出て行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます