1-11

 思いがけない石田結菜の援護射撃に困惑しつつも、何とか午前中の授業を終えた坂本の携帯の着信音が鳴ったのは、昼休みだった。

 

――お、入った!


 仕事の依頼だ。昼飯もないため手持無沙汰に机に突っ伏していた坂本は大急ぎでメールを開くと、了承の返信を書き込もうとして表情を曇らせた。また男の客だ。以前はよく中年女性からも依頼をもらったのだが、最近は比較的若い男の客が多い。男の客は、仕事のうっ憤でも晴らしているのか、昨日の「アイ」のように乱暴で自己中なセックスを強要する客が多く、リスクも高い。坂本は女性客の方が好きなのだが、金銭的に追い詰められている今、四の五の言って客を選べるほどの余裕は、坂本にはなかった。


 当たり障りのない了承の文言を書き込み、送信ボタンを押そうとした時、ふいに頭上から伸びてきた誰かの手が携帯を奪い去った。

 その「誰か」は、坂本の返信メールをにやにやしながら読み始めた。


「えー、なになに? ご依頼を承りましたって、なんの依頼だよ?」


 仁科だった。勝手に送信者のメールを開こうとしている。坂本は椅子を鳴らして立ち上がった。


「なにすんだよ仁科、返せ」


 坂本の抗議の声などどこ吹く風でメールを表示させると、仁科はしげしげとそれを眺めた。


「えー……なになに? バスターミナルに五時半、三十八歳の……男だ男! 坂本、今日も男とヤルのかよ?」


 仁科の裏返ったはやし声に、教室で昼飯を食べていた連中がちらりと目線を坂本に流す。


「……ああ。そうだよ。悪いかよ? おまえらがどう思おうが、『売り』は法律でも禁止されてねえし、学校側も黙認してる。俺以外にも、こっそりやってるヤツは結構な数いる。なんか文句あんのかよ?」


 坂本が押し殺したような声で答えると、仁科は肩をすくめた。


「別にい。ただ、法律とか校則ってのはさ、つまりは『政府や学校が責任を取ってくれる範囲』を定めてるだけであって、法律で禁じられてないってのは要するにさ、売りをやるようなゲスは死のうが生きようが政府や学校はは知ったこっちゃないって宣言してるだけの話だろ? やってるヤツらだって「こっそり」やってるってのは、要するに大っぴらにしちゃ恥ずかしいゲスな仕事だからであって、開き直られても困るっつーかさ」


「ゲスだろうがなんだろうが、金がもらえりゃ俺はそれでいいんだよ。携帯を返せ」


「ちょっとつきあってくれんなら、返してやってもいいよ」


 仁科は楽しそうにそういうと、上目遣いに坂本を見やった。


「前川が、おまえを呼んでんだよ」



☆☆☆



 仁科が坂本を連れて行ったのは、学園ものの呼び出し場所の定番、体育倉庫だった。

 古びて開きの悪い横開きの扉をガタガタ言わせながら開けると、仁科はお軽い調子で中に声をかけた。


「おっまたせ~、連れてきたよん」


「遅せえよ、ったく。午後の授業まであと三十分くらいしかねえじゃねえか」


「まあまあ。三十分あればなんとかなるっしょ」


 坂本は仁科の背中越しに薄暗い体育倉庫の中を透かし見た。古びた跳び箱の上に、体格のいい男が片膝を立てて座っているのが見える。背格好からして前川に違いない。が、その隣にもう一人、見知らぬ男が立っているのが見えた。前川に負けず劣らず背が高く体格がいい、いかにも体育会系といった雰囲気のスキンヘッドの男だ。同じ制服を着ているが坂本は見かけたことがないので、もしかしたら同学年ではないのかもしれない。

 仁科はさっさと体育倉庫の中に入っていったが、坂本は警戒心をあらわにして入り口に立ち尽くしたまま、地を這うような声音で問いかけた。


「……何か用かよ?」


 前川はいかつい顔に困ったような笑顔を浮かべ、右手をあげた。


「よお、坂本。悪かったな、わざわざ来てもらって……実は、ちょっと謝りたいと思ってさ」


「……謝る?」


「今朝のことだよ」


 坂本は探るような眼でじっと前川を見つめた。前川は跳び箱から飛び降りると、頭をかきながら入り口に立つ坂本に歩み寄ってきた。


「俺もさ、仁科がバカにされた話を聞いてちょっとカッとなったっていうかさ、おまえが売りやってるってのも全然知らなかったんで、そんなことをやってるくせに仁科をバカにする資格なんかねえだろって吹き上がっちゃったっていうかさ。でも後からよくよく考えてみたら、おまえのやってることは、そんなバカにするようなもんでもねえよなって反省したっていうかさ」


「ゲスはゲスだけどなー」


 前川に代わって跳び箱に腰かけた仁科が、吐き捨てるように言葉をさしはさむ。坂本は仁科をちょっとにらんでから、目の前に立つ前川に目線を移した。坂本より十センチ以上背の高い前川は、坂本を見下ろしながらその目線にこたえるように笑ってみせた。


「つまり……水に流せってか?」


「まあ、そんなとこ」


 あれだけのことをやっておきながら、あっという間に宗旨替えする前川の調子のよさには呆れたが、教師に受けのいい前川とのつながりは切るには惜しい。坂本は鼻でため息をついたが、小さくうなずいた。


「……わかったよ、今回だけな」


「マジか! ありがとう、坂本」


 前川はいかにも感極まったようにそう言うと、大げさな身ぶりで坂本を抱きよせた。


「なんだよ前川、やめろって……」


 前川に抱き寄せられ、引きずられるようにして体育倉庫に足を踏み入れた坂本は、面食らいながらも自分をきつく抱き寄せる前川の腕を押し返そうとした。

 だが、前川のたくましい腕は坂本の両腕を羽交い絞めにしたまま、微動だにする気配がない。


――!?


「今だ、仁科!」


「あいよっ」


 坂本を押さえつけたまま前川が仁科に合図すると、仁科は脱兎のごとく入口に走り寄り、体育倉庫の建付けの悪い扉を閉め、中から鍵をかけた。

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