1-4

 昼食の時間になった。

 この高校は公立だが、いろいろなところに外部資本が参入している。学食はその最たるもので、確実に在校生の利用が見込まれるため、貧相なメニューにも関わらずそれなりの値段がついている。だが、低賃金長時間の過重労働に喘ぐ多くの家庭では弁当を作る時間的精神的余裕がないため、学生の大多数がその割にあわない学食を利用している。

 よって、クラスに残って弁当をつつく人間はごく限られている。そんな少数派に坂本も属していた。というか、最近かなり無理やり弁当派に転向した。石田結菜が弁当派の一人だったからだ。


 坂本は通路側の後方の席で弁当のフタをあけながら、石田結菜の後ろ姿にちらりと目線を送る。

 石田結菜はカバンから出したお弁当を手に、当たり前のように窓際の席に座る向坂柊人に歩み寄り、隣の席にちょこんと腰掛ける。

 いつものように。

 坂本は口に運んだ箸の先を折れんばかりに噛みしめる。

 そう、これこそが、坂本が向坂柊人をイジメ始めた最大の原因だった。


「いやー今日も仲がいいよねー石田さんと向坂」


「……だからなんだよ」


 向かい合わせの席で同じく弁当の蓋を開けた仁科が本当に何気なくムカつくセリフを口走るので、坂本は眉間に思いきりしわを寄せて仁科を睨みつけた。不用意なことを口にしたと気づいた仁科が慌てた様子で言葉を継ぐ。


「あ、いや、あの二人の関係、わかったよ。どうやら幼馴染で、住んでるのが同じ公団住宅跡地なんだってさ」


「んなこと俺も知ってる。俺が知りたいのは、な ん で あんなに毎日一緒にいるんだってことだよ。ただの幼馴染って感じ超えてるだろ。その超え具合が果たしてどこまでってことで」


 小声でささやきつつ、ちらりと目線を石田に流す。何を話しているのか、石田が楽しそうに笑う横顔が垣間見えた。


――何話してんだよ、だいたいあの向坂が、まともに話なんかできんのか?


 坂本は、向坂の声をほとんど聞いたことがない。出欠確認の時、小さな返事を事務的に返すのを聞いたことがあるくらいで、喋れないわけでも聞こえないわけでもなさそうなのだが、発表したこともなければ指名されて答えたこともない。坂本が向坂をイジメていたのには、彼の声を聴いてみたいという思いもあった。叫び声でも泣き声でも、どんな顔で何をしゃべるのか確かめたかったのだ。そうすれば、いったいなぜ石田があれほど向坂と一緒にいるのかの謎が解けるような気がしていた。


「でもまあ、しばらくは放っておくしかないね。なんたって、前川が手を引いちゃったわけだから」


「わかってっけど……なんだって前川のヤツ、いきなり宗旨替えしたんだ?」


「やっぱ前川も怖かったんじゃないの? アレはさすがにやり過ぎだったもん。俺も内心かなり焦ったし」


 仁科の語り口はどこかホッとした調子だった。その清々したような表情を横目で見ながら、坂本は聞こえないように小さく舌打ちした。


「やっぱ、今どきはいじめなんてはやんないって。アレは物資も時間も余裕のあった時代の遊びで。今の俺たちに正直他のヤツのこと気にしてる暇なんてないじゃん。生きるのでいっぱいいっぱいだしさ。前川は、ほら、結構アイツは体力的に恵まれてるじゃん。だから細かいところに気が回るんだよな、きっと」


 前川は学食組なので昼食時はいつもこの場にいない。普段は顔色を窺っているのか、前川のことにはほとんど言及しない仁科も、この時間は気楽にあれこれ話してくる。坂本はおにぎりをほおばりながら、そんな仁科をじとっとにらみつけた。


「おまえだって向坂のこと気に入らねえとか言ってたじゃん」


 仁科は慌てたようににきびだらけの鼻頭ににじんだ汗をぬぐった。


「え、そりゃ、話しかけても無視するしクラスの活動には非協力的だしムカついたのは確かだよ。けど、あそこまでいろいろやろうとは前川に言われなきゃ思わないよ普通。おまえだってそうだろ? 坂本」


「あ、……まあ、そうだけどな」


 坂本はあさっての方を見ながら嘯いた。表面上、坂本は「前川の言葉にのせられて」いじめをしていたように見せかけている。いざ何か大きな問題に発展した時は前川に責任をおっかぶせられるからだ。その実、昨日のようにさりげなくイジメをエスカレートさせるよう前川を仕向けているのは坂本だったのだが。

 だからこそ、前川が手を引いてしまった現状、前川に全ての責任を負わせたいなら向坂に対するいじめの継続は困難だ。自分で全ての結果責任を引き受ける覚悟は坂本にはない。というか、仁科の言う通りそこまでしている時間的精神的余裕もない。

 

――怖がってないで正攻法で攻めるしかない、か?


 坂本が上着のポケットにそっと手を当てながら前方に座る石田に目を向けた時、前扉から誰かが入ってきたのが目に入った。水沢きららだ。訓練の時間は技能的体力的に大きな開きができるため二クラス合同で能力別に分け、石原が成績のいい方を指導している。水沢はある程度成績がいいため訓練は石原のクラスに在籍しているのだが、もともとは隣のクラスなのだ。


 水沢は石田たちの席の前に立ち、くすくす笑いながら何か話している。何を話しているんだろう? 坂本が二人の様子を見るともなく眺めていると、水沢きららが坂本を見た。と、おずおずといった感じで石田も振り返ってこちらを見たのだ。坂本はおもわず口に運びかけた箸の動きを止めてしまった。

 何を思ったのか水沢きららは座っていた机からぴょんと飛び降り、坂本の方に歩み寄ってきた。

 水沢きららは箸を止めて凍りついている坂本の前に立つと、白い頬に極上の笑顔を浮かべてにっこり笑いかけた。


「坂本、一颯かずさくん、……だよね?」


「……そう、だけど」


 隣に座る仁科のテンションがグングン上がっていくのを感じながら、坂本が警戒と疑問とほのかな期待の入り混じった答えを返すと、水沢きららはその透き通るような頬にどこかいたずらっぽい表情を浮かべた。


「放課後、ちょっと話があるんだ。時間、つくってもらえないかな」


「……話?」


「うん。結菜……石田さんのことで、ちょっと」


――マジで?


 二次関数的に急上昇する心拍数を必死で落ちつけながら、坂本はできる限り鷹揚に見えるように頷いて見せる。


「え、別に、いいよ」


 水沢きららはホッとした様子でにっこり笑った。


「よかった。じゃあ放課後、屋上に来てね」


 軽く右手を上げて踵を返すと、どこか不安そうな様子の石田結菜に手を振り、弾むような足取りで前扉から教室を出ていく。

 石田結菜は水沢に小さく手を振り返してから、戸惑ったような目線を再びちらりと坂本に向けた。

 その一瞥に、坂本のテンションが一気に頂点に達する。


――マジかよもしかしてこれって……もしかするともしかしてもしかするんじゃないか?  


「うわ、ちょっと何? 水沢きららに呼び出しを食らうって、おまえ、いったい何やらかしたわけ?」


 焦ったように襟首をつかんで上下にゆする仁科の言葉を呆然ぼうぜんと聞き流しながら、坂本の頭はもうすでに妄想でいっぱいに膨らんではちきれそうだった。

 向坂はその間ずっと、下を向いて黙々と箸を動かしているだけだった。

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