第2章 第二王子

第7話 王と王子

「そうだ。余こそ世界を統べる絶対者、魔王である」

 魔王。確かにその存在を勇者である俺はよく知っている。生まれながらにして自身とぶつかり合う運命にある宿敵。全魔物の王ならば、前代未聞の魔法にも対応できる可能性がある。

 俺は頭の中で出来るだけ言葉を選んでから口を開いた。

「ヒメルさん……」

「ふふふ。どうした、驚きで言葉を失ったか?」

「今、真面目な話をしてるのでそういうのはちょっと……」

「……は?」

 驚きで言葉をなくしたのはヒメルの方だった。呆れ。俺は今、下らない冗談を言う年上らしき女性に呆れを感じている。

「やっぱりちゃんと素性を話して協力しましょう? この問題は僕らでは……」

「いやいやいや、ちょっと待て」

「何ですか?」

「もしかして信じてない?余が魔王ってこと」

「いや、まぁ、そりゃ」

「そりゃって。本当だから。ほら、角生えるし。触るか?特別だぞ」

 ニュッと彼女の頭の両端から二本の角が生えてくる。確かに立派な角だったが、その地味な現象がより、俺から信用を削ぎ落としていった。

「まず魔王がここに居るわけないじゃないですか」

「いや、そうなんだけどそうじゃないんだって!」

 こここら何を言われても俺は彼女のことを頭の変な角のコスプレをした人としか思われないだろう。この反応は至極真っ当なものだと俺は思う。

「取り敢えずどこ出身かから……」

「魔王だって言ってんじゃんバーカバーカ! 汝バーカ!」

 俺とヒメルさんの主張は暫く対立し続けた。


「さて……汝はどう考える?」

 十分ほど言い合った末、その話は取り敢えず保留ということで落ち着いた。今はまずこの謎を解き明かすことが優先だ。ヒメルさんは机に肘を突き、足を組んでいつものように偉そうにしている。が、彼女から風格など微塵も感じていなかった。

「アルが魔法で、ってことなんでしょうか。にわかには信じられませんが……でもあの魔法陣の大きさは見過ごせませんし」

 魔法を発動するには魔法陣が必要だ。紙だろうが、土だろうが、肌だろうがどこに刻まれていても構わない。そこに魔力を通すことで力を発揮する。魔法陣は魔法を使うための機構であり、魔力は燃料なのだ。魔法陣が大きく複雑であれば、それに伴い発動する魔法もより強力になる。反面、求められる魔力量も多くなっていく。あの身体中に描かれているであろう魔法陣と、起こっている現象の大きさ。辻褄は合う。

「奴の魔力量を考えると不可能ではないかもしれん」

 アルを魔法使いとして一言で表すならば、規格外、というのが最も当てはまっているだろう。初対面時、同じ魔法使いであるミーナが一目見ただけで尻餅をつくくらいだ。幼いにも関わらず勇者のパーティに選ばれたのもそれが理由である。あの小さな体の中に渦巻くエネルギーは、想像も出来ない程のものらしい。

「でも仮にそうだとしても、動機が分かりませんね」

「そんなもの『怖くて旅に出たくないから』で十分だろう」

 確かに、彼は臆病で卑屈で、何より子供だ。その気持ちは持っていておかしくないし、子供故の大胆な犯行とも取れるだろう。

「でもなんか違和感あるんですよね」

「動機など後回しで良い。誰が犯人かが最も重要だ」

「うーん……そうでしょうか」

 いくら手掛かりを一つ見つけたとはいえ、それだけだ。こうして憶測を立てても答えが見つかることはない。

「ともかく、時間が必要だ。汝は旅立つ日を遅らせてこい」

「は!?そんな簡単にできませんよ!」

「起きてから出発までの僅かな時間で何が出来る」

「それは……でも、その通りですね。街から出られない以上、そうするしか無いのでしょうか」

 短絡的な考えではあるが、それ以外に方法はない。何度も何度も同じことを繰り返していてもきっと事態は良くならないだろうし、時間の無駄だ。問題はどうやって国王を説得するかだろう。正直に現状を伝えても、まずミーナのように簡単に信じてはもらえないに決まっている。それに説得するのは国王だけではない。猛反対する臣下がいてもおかしくないし、ミーナはともかくアルも納得させる必要がある。

「……何とかするしかないか」

 覚悟を決め、身支度を始める。


 同じ頃、隣の部屋でミーナも身支度を済ませて直ぐにでも部屋を出れるように準備していた。ヤマトが部屋を出るタイミングを見計らって一緒に出て行く算段だ。

数分後、隣の部屋のドアが開く音が聞こえる。よし、と立ち上がり彼女もドアノブに手をかける。だがそこで違和感を感じた。いやに足音が多い。それに、話し声が聞こえてくる。独り言にしては派手過ぎないか、と思いながらドアを開けてみると。

「おい、わざわざ余が来てやったのだ。茶も出さずに追い出す気か」

「いや、時間ないんで……まず門番さんを働かせないといけないので」

 ちょうど見てしまった、ヤマトとヒメルが一緒に部屋から出てくるところを。ヤマトは分かる。何故ならヤマトの部屋だから。では何故この女がいる。そこまで仲良くなっていた風でもなく、下の階に泊まっていた筈のヒメルが。思考を巡りに巡らせたまま、彼女は凍りついていた。

「あ、おはよう、ミーナ」

「汝も付いて来い」

 色々と考えてみたが、今重要なのは過程や目的ではない。ヤマトが女を部屋に入れていた。自分を差し置いて。ミーナはとにかくその一点だけが気に入らなかった。

「いたっ、いたっ、ちょ、ミーナ、何で殴る!?」

「……何でも……」

 ひたすらヤマトの腰のあたりを殴り続ける。そこそこの強さで。殴るのに飽きると、今度はヒメルを睨みつけた。

「何だ?」

「……ヤマトに近過ぎる。もっと離れて」

「余に指図をって、いたっ、いたいぞ! 汝、おっかないな……」

 ヤマトの時よりもさらに強く、割と本気で殴りつける。ちなみにヒメルに対する攻撃はこの後宿を出るまで続いた。


 勇者一行は待合室に集まっていた。使用人の方に旅の出発の延期をしたい意思を国王に伝えてもらい、その答えを待っている状態だ。

「結局、延期の理由が分からない」

「すまない、今は詳しく話せなくて……話がまとまったらまたちゃんと話すから」

「汝は少し待て。時はいつか」

「ヒメルは黙ってて」

「……余に対する当たり強くない?」

 予想通り、ミーナは特に事情を深く離さなくとも俺の決定に従ってくれた。そこまでは良かったのだが、問題はアルの方だ。

「おーい、アル、こっちに来ないか?」

「……いえ……」

 延期の話をした時、特に反論は無かった。が、その話をしてからと言うものの、部屋の隅で一人俯いている。気分が沈んでいるのは明らかだ。本当は反論したいのに遠慮して何も言えなかった、ということも充分ありえる。そのため積極的に彼とコミュニケーションを取ろうと試みたが、ずっとこの様子ではまともに会話も出来ない。

 しばらくするとドアが開き、使用人の男がやって来て、

「お待たせいたしました。オースティン様がお呼びです」

 オースティンとは国王のことだ。どうやら話し合いが終わったらしい。

「俺が説得するから、みんなは後ろにいてくれ」

 無責任にも日程を土壇場で変えたのは事情があるとはいえこの俺だ。それにこのパーティのリーダーとしての責任もある。どの道自分がやらねばならない、と気合いを入れる。


「構わんよ」

「え? いいんですか?」

 まさに拍子抜けだった。立派なヒゲを蓄えた大柄で強面のオースティン王だが、意外なほど融通を利かせてくれた。

「魔王を討つという大切な任務だ。準備は万端でなくてはならぬ」

「しかし、パレードにあれだけの人を集めたり、色々とそちらにも事情が……」

「……おや、パレードのことは隠していたつもりだったが、知っていたか」

 思わず口を手で抑えた。そうだ、まだこの時は知らない筈だ。やってしまった。

「よい、よい。それも些細な問題だ。気にすることはない。それより、出発はいつ頃を希望する?」

「どれくらい時間がかかるかはまだ……一先ず、一週間時間を下さいませんか?」

 些細で済まされるものなのだろうか。わざわざサプライズであれだけの準備をしていては、中止するにもかなりの手間がかかる筈。

「構わんよ。今から呼びかける……コホン」

 そう言い、懐から一冊の本を取り出す。魔道書だ。国王たる人物が当然のように出してくるのでたまげてしまった。

 ページを決めると、すぅ、と気合いを息を吸い、

「善良なる市民たちよ。速やかに手を止め、我が声に耳を傾けよ。繰り返す、速やかに手を止め、我が声に耳を傾けよ」

 王が呟くと、頭の中に声が直接響いてくる。頭蓋骨の中で反響しているような奇妙な感覚だ。

「本日予定されていた勇者一行の出発、及び送迎パレードは延期となった。繰り返す」

 周囲を見渡すと、驚いているのは俺とミーナ、ヒメルさんの三人だけだと気付く。かと言って他の人たちもこの声が届いていない訳ではなさそうで、みなじっと静聴している。

 パレード延期の旨を伝え終わると、魔道書を閉じ、

「これで良い。たったこれだけの手間だ、気にするでない」

「あ、ありがとうございます」

 説得のための言葉を頭の中でいくつも並べていたのに、こんな芸当を見せられて快く許してくれるなどと予想できただろうか。呆気にとられて緊張も解けてしまう。

「気を使うことはない。ただ、詳しく話を聞きたい。勇者殿だけ残って貰えるか」

 使用人がドアを開ける。他の三人は退出して欲しいようだ。詳細が聞きたいならむしろ全員いた方が都合が良いように思えるが、国王は俺との対話を望んでいるらしい。

 三人が退室しドアが閉まると、国王が口を開く。

「延期した理由……いや、どんな理由でもそれは構わないのだが……」

 先程までの尊大さを押し出したような態度は消え、何かを心配しているかのような人間的な一面を見せてくる。あくまで仕事として偉そうにしているのがこの王であり、民からの慕われぶりも傲慢を良しとしないその性格が一つの理由だ。

「アルが何か迷惑をかけていないか、と」

「息子さんを心配していらっしゃるのですか?」

「ううむ……」

 アルベルト・ネルソン。彼は類い稀な才能を持って産まれた魔法の申し子であり、同時にリザード王国の王、オースティン・ネルソンの息子。この国の第二王子である。

「もしかして、なのだが……理由を深く話せないのは、我が息子が原因だからなのではないか?」

「え? いえ、そんなことは」

「よい、よい。もしそうであっても否定するであろう? 兎に角聞いてくれ」

 本当にそうではないのだが、言葉は遮られる。

「あの子は臆病なのだ。もし今はどうも無かったとしても、旅の中で歩みを止めてしまうことがあるかもしれん」

 誰であってもこれからの旅に恐れをなしてもおかしくはないが、そういう話ではなさそうだ。彼は魔王討伐以前に、アルの持っている性格について憂いていた。

「そなたはあくまで戦いの腕と勇気を買われている。それを分かった上で、旅の間あの子のことを頼んでもよいか?」

「それは、はい、勿論……」

 それだけ伝えられて、俺も玉座の間から退室させられた。もっと深く根掘り葉掘り聞かれると思っていたのに、何もかも呆気ない。融通が効くのは良いことだが、拍子抜けだった。

 部屋を出ると三人が待機していた。

「……どう、でした?」

 消極的なアルが珍しく自分から質問しててくる。

「何も聞かれなかった。ただ、アルが怖がってないか心配? はしてたよ」

「そうですか……」

 出来るだけ柔らかい言葉を選んで心配してくれている、という情報だけ伝えたのだが、アルは暗い表情をする。父親のことだけあって何か思うところがあるのかもしれない。

「これからどうしようか」

「旅を延期した理由を教えて」

 今回はミーナ含めて誰にも時間が巻き戻った、などとは話していない。一先ずはヒメルの言うことに従って二人で調べることに決めたのだ。だが不都合があれば直ぐにでもミーナに相談しようとも考えていた。こればかりは信頼度の差があるため仕方のないことだ。今直ぐにでも言いたいところだが、ここは我慢しよう。

「ごめんよ、もう少し待っていてくれ」

「……」

 ミーナが露骨に不機嫌になる。やはり蚊帳の外にされるのは納得がいかないようだ。旅の仲間なのだから当然のことではある。

「色々あってな……。じゃあこうしよう。俺とヒメルさんが調べ物をして、必要な時、適宜二人の力を借りるよ」

 ミーナが更に嫌そうな顔をする。アルもどうやら不満げだ。

 魔法使いの二人を待機させる理由は二つあった。一つはヒメルさんの言う通り、情報を見えない敵に渡さないため。二つ目は、もし本当に人為的なものだった場合、二人に被害が及ばないようにするため。あの現象を魔法と断定していたヒメルさんだが、あながちその意見は馬鹿にできない。自然にあの現象が起こるか、と言われると確かに疑問符がつく。人ではなく魔物や精霊などの仕業であっても、俺が街を出た瞬間だけ発動するのであれば狙いは自分だ。変に他のメンバーに危険が迫ってはいけない。これは勇者としての責任が俺にそうさせていた。

「そうだ、じゃあミーナは宿の手配をしていてくれ」

「……分かった」

 安らぎの宿は今日でチェックアウトしている。かと言ってまたあの高級宿屋を使わせてもらうのも気が引けるというものだ。しかしこれからいつまでこの街にいるのか分からないのだから、拠点は絶対に必要になる。

「アルは家にいてくれていいから……それじゃ、行ってくる」

「何、余に任せておけばよいのだ。大人しく待っておれ」

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