第6話 魔王
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必要なものを買い揃え、アトラスト城へやってきた。快く門を通され、今は長い廊下を歩いているところだ。部屋は分かるからと案内は付けていない。
一人で買い物をしている間、ひたすら思考を巡らせていた。ファイアーベアの襲撃があれば嫌でも自分は事実を飲み込むだろうと考えていたが、実際のところそうでもなかった。全てが法螺話のような体験だ。自分が肌身で感じたことすら信用できないでいる。今この時も夢の中で、全て夢だったと考えるのが一番現実的な程だ。
自分を信用できないなら、今度は他人を頼るのが自然な流れだ。一人ではどうしようもないと観念し、仲間に相談することを決めた。特にミーナは信頼できる相手であり、 魔法に詳しいこともあってうってつけだ。アルベルトやヒメルも何か知っているかもしれない。
とんでもない話だと笑われるだろうか。いや、それでも構わない。小さな問題でも仲間と共有することが大事だ。でなければ何も進展する筈がない。一人で抱え込むということは、仲間を信用しないのと同じこと。
「やめておけ」
思索を遮るように後ろから声をかけられる。聞き馴染みがあるとまでは言えないが、その凛とした声色は耳に残っている。
「ヒメルさん」
壁にもたれてヒメルさんが立っていた。そこは先程自分が通った場所だ。考えながら歩いていたとは言え、ここまで近くにいた人間を見逃すだろうか。
「時間が巻き戻ったと馬鹿正直に告白する気か?」
「!」
『時間が巻き戻る』。そのワードを他人から聞いたのは初めてのことだった。どういうわけか自分以外の人間は巻き戻される前のことは全て忘れてしまう。この不可思議な現象を認識するのに時間が掛かったのも、思えばそれが起因している。周囲が何食わぬ顔で接してきては、おかしいのは自分自身だと思ってしまうものだ。
そうして自らの心さえ疑っていた俺の前へ、不敵に笑う彼女が現れた。それを救いだと感じてしまうのは仕方のないこと。一気に嬉しさがこみ上げる。
「覚えてるんですか!? あ、それとも俺の心を読んだとか!」
「余にあんな魔法は効かぬ。それだけのことだ」
分かりづらいが、覚えているということか。何にしろ、前回の記憶がある人間に出会えたのはとても大きい。が、一つ、ヒメルさんの言葉に違和感を覚える。
「同じ境遇ってことで良いんですよね? ……でも、魔法、とは?」
彼女はあの現象を魔法と呼んだ。魔法にも今や数え切れないほどの種類、派生がある。自分が全てを把握しているかといったら全くそんなことはない。魔法に精通しているものでも、専門分野以外を把握しきるのは難しい。だからあれが魔法という可能性は確かにゼロではない。だが何故彼女はそうだと断定出来るのだろうか。世界の時間を巻き戻すなど本当に存在するのだろうか。
「要するに、汝はこの街に閉じ込められているのだよ。何者かの魔法によってな」
「……何のために?」
「さあな。それは知らぬ」
要領を得ない答えだ。記憶がある、というのは非常にありがたい事ではある。自分以外に何の手掛かりもなく、相談できる相手もいなかったのだから。しかし魔法によって街に閉じ込めらているなどと突拍子も無いことを言われては疑念も生まれる。こみ上げていた感情は静まり、冷静になる。何を理由にそこまで自信ありげに発言出来るのか。何か手掛かりがあるのかもしれないが、普段から何故か自信満々なヒメルさんのことだけあって信用に足るかは怪しいところだ。
「ともかく、余以外に話すのはやめておけ」
「はぁ。それは何故ですか?」
「いいか、どこかに汝を陥れようとする者がいる。見えない敵に情報を流すなということだ」
あくまであの現象が人為的なものという前提で話を進めてくる。ここまで勝手に決めつけられると、彼女こそ騙そうとしてくる敵なのではないかと思えてしまう。
「お言葉ですが……これは僕らだけではどうしようもない問題だと思います。魔法に詳しい者を頼るべきです」
「ふん。まあいい」
待合室とは反対の方向へ歩いていく。何だったのだろうか。前回とは違う行動をしている辺り、記憶があること自体は信じるに値する。他に記憶が残っている人間がいるかもしれないという希望も芽生えた。後は本職の者に任せるべきだろう。
「とりあえず門の付近を調べてみる」
「あぁ、頼む。アルも宜しくな」
「役に立てるか分からないけど……」
街の外壁、その門の前までやって来たのは俺とミーナ、アルの三人。ここまでの経緯は簡単に説明できる。件の巻き戻しについて待合室の二人に話したところ、ミーナがすぐさま対応してくれたのだ。突拍子のない話であっても疑わない辺り、信頼の厚さを感じられる。アルも魔法使いということで、ミーナに問答無用で連れて来られた。彼の方は話を聞き、『この人大丈夫なのか』という顔をしていたが、口では何も言っていない。どうやら、ファイアーベアを早く倒したおかけでこのような時間を設けることが出来たようだ。
「また勇者殿が来てるぞ」
「見るな見るな、仕事してるアピールしとけ!」
門番達が俺達を不審がる。それも仕方ないだろう、もうすぐ旅立つというのに、突然壁を調べ出したのだから。もっと他にやることがあるだろと思っているのだろう。
ミーナはしきりに門をくぐって戻って来てを繰り返す。
「ん」
「わっ、引っ張らないで……」
アルの腕を引っ張り、門をくぐらせる。数秒間何もせず待ってみるが、特に何も起こらない。
「ヤマト、この門を通ったらなんだよね?」
「あぁ」
「……何ともない、ですけど」
アルの視線が痛い。流れで連れてこられたが、彼には話への信用も、俺への信用もない。ミーナが特別だっただけで、これがごく普通の反応なのだ。
「えぇと、二回とも俺が通った時だったんだ」
「じゃあ通ってみて」
「いや、それだとまた最初からになるだろう」
「確かに」
事の性質上、実演することが出来ない。これは大きな問題だろう。自分自身、と多分ヒメルさんにしか現象を認識できないというのに、どうやって現象を調べるというのだ。人を頼ろうにも、これでは鼻で笑われて終わりだろう。
「うーん、どうすればいいんだ!」
拳でトン、と門を叩くと石造りの柱の一部がクッキーのごとく砕け散る。
「あ」
「……ヤマトは触らないで」
「はい」
やはり自分だけでは無理そうだと悟った。
「門をくぐることで引き起こされるなら、門か壁に何かが有ると考えるのが自然」
ミーナとアルはペタペタと壁を触りながら地道に調べていく。どうやらシラミ潰しに直接調べていくようだ。壁は街の周りをぐるっと一周して囲われており、この短い時間の中で全部見て回るのは難しい。それでも俺の藁をも掴む思いに応えようと、ミーナは原始的な手段でもやり続けてくれている。
「アルは時間を巻き戻す魔法とか聞いたことないか?」
「僕は魔法使いとしては全然なので……分からない、です。ごめんなさい」
「いやいや、ミーナだって知らないんだ。それが普通さ」
このアルベルトという少年、余程自身がないのか常におどおどしている。十二歳にして魔法討伐の旅に参加するくらいだ、魔法が未熟というのは考えにくい。それでも謙遜、というより自虐に近い発言が多く見られる。重い責任に鬱々としているのか、元からそうなのかは分からない。少なくともこの三週間、俺がどれだけ励まそうとも態度はほぼ変わらなかった。愛想笑いをするようになったくらいだ。
少しずつ壁を伝って歩いていく。と、興味が壁の上方へ逸れる。
「あれ、何だ?」
壁が一番上から齧られたかのように深く抉れている。切り口はガタガタしていて、意図的に工事か何かのためにそうしたようには見えない。壁の分厚さは相当なものだ、並大抵の衝撃ではこうはならないだろう。
「……『大災害』、の名残です」
街の人と話していると時たま出てくる言葉。それを口にする時、誰しもが忌々しそうに話していた。七年前にこの街で起こった未曾有の天災、それが大災害。街が壊滅状態になり、人々の心にも深く刻まれている凄惨な事件であった。最近この街に来た俺とミーナは経験していないが、アルにとっては5歳ごろの話。俺はあえて、その話題を掘り下げようとはしなかった。
七年前に起こった事件の傷跡が未だ全て癒え切っていない辺り、その悲惨さが察せられる。自分はこれまで街の人々の活気や国王の権力といった陽の部分しか見てこなかった。その裏にある陰の存在を知ると、よりそれらが強く美しいものに感じられた。
その後も壁の調査を続けていったが、何の成果も得られないまま壁の四分の一まで進んで来てしまった。
「ヤマト。そろそろ帰った方が良い」
「そうだな。ごめんな、二人とも。わざわざ付き合わせて」
「だ、大丈夫です。……旅には出るんですか?」
その質問の意図は俺にも汲み取れた。たった今同じことを考えていたところだ。このまま出発するということは、また門をくぐるということ。
「二人がくぐっても大丈夫だったしなぁ……取り敢えずもう一回は挑戦してみるよ」
「……良かったです」
良い、とは。と、疑問に思ったが敢えて口にはしなかった。
儀式には相変わらず変化が無く、元々楽しむようなものでは無かったがより退屈に感じられた。もはやパレードも驚きが無く、これだけ沢山の人に応援してもらっているというのに何も感じなくなってきていた。人間の慣れとは想像以上に早いものだ。それに、関心は今街を出られるかどうかに向いている。魔王討伐を応援されたところで、旅立つことすら出来ないのだからそもそも頑張れる領域に達していないのだ。どれもこれも、ただの流れ作業に成り果ててしまう。
また最初からやり直しになるだろう、という気持ちがあるからか、街人への対応も適当になってきている。応援の声に一々手を振り笑顔を返していた一回目はどこへやら、前だけを見て若干早歩きでずんずん進んでいく。アルへの励ましも今回は無い。
ついに門の前へ。一度立ち止まり、深呼吸する。あの気持ちの悪い感覚は、覚悟無しにはいけないということだ。
「はぁ……よし」
気合いを入れて踏み出した時だった。後ろを歩いていたヒメルさんが、耳元で小さく、
「門をくぐる時、後ろを振り向け」
後ろ。不思議に思ったが、何も言わずすぐにそれを受け入れた。何度も試行回数を稼げるならば、毎回違うことをやってみるのは有効な手段だ。それに今まで前ばかり見て後ろがどうなっているのかは全く見ていなかった。そこに新たな発見があるかもしれないと踏んだのだ。
あと一歩で門を超える。というところまで来て、後ろを振り向いた。今のところ、特に不審な点はない。仲間が三人と、街人が沢山。それだけだ。いたって普通だ。
そして運命の一歩を踏み出した。
ぷつん、と世界が静寂に包まれる。あぁ、またか。この瞬間においても、慣れが事を退屈にさせた。むしろ落胆した、というのが正しいかもしれない。
初めての後ろは、意外と壮大なものだった。これだけ大勢の人間がまとめて動かなくなるなど、人生で一度も味わえない感覚だろう。色々と言っていたヒメルさんも、他の人と変わらずピタッと止まっている。今彼女には意識があるのだろうか。瞬きすらしない眼からは感情を読み取ることなど出来ない。
はぁ、またダメだったかと心の中でため息をつく。これでまた振り出しか。面倒だな。同じことを繰り返さなければならない億劫さを憂いたのも束の間。
ピクリとも動かない眼球の端に、何かおかしなものが映っている。地面の中に張り巡らされた木の根のような模様。複雑に入り組み、幾何学模様を描いている。光を放っておりそれだけで不審だが、気になるのはそれが描かれている場所だ。
肌だ。人間の肌、見えているのはと手だけだが、くまなく模様が浮かび上がっている。俺は直感的にそれが魔法陣であることを理解した。いつもミーナが近くにいたからか、何となく魔法に使われる模様のパターンを覚えていたからだ。そしてその魔法陣が肌に刻まれているその人物。浮かない顔で下を向いている少年、アルベルトだ。
俺は心の中で驚きの声を上げる。
衝撃が消え去らない内に、もう足が後ろへ動き始める。後ろを向いていた顔は前へ戻され、見たことのある景色が流れていく。もっとしっかり見たかっただけに歯痒さを感じる。やがて巻き戻りは加速していく。耳障りな音と目障りな景色。その全てが脳に入らないほど、俺は驚愕していた。
数分後、世界は再び動き出した。朝。いつもの宿だ。
飛び起きる。何度か迎えた朝だが、飛び起きたのは初めてだった。
「あれは、」
「あれは魔法だ」
自分の言いたかった言葉を先に言ってしまう。声の方を振り向くと、そこに人がいる。ヒメルさんだ。壁に寄りかかって立っている。
「なっ、えっ」
「これで余を信じる気になったか?」
ベッドの上で後ずさる。信じるどころか、いきなり部屋に現れたら警戒してしまうのが当然の反応だ。
「な、何なんだ!」
「余のアドバイスで手掛かりを掴んだ……その事実によって信用を得ようかと思ってな」
無意識に構えていた拳を下げる。確かに、それは事実だ。あの魔法陣を見つけ、わざわざ教えてくれたのなら信じる価値もある。しかしそれ以上に彼女は怪しい。情報は情報源が謎、経歴も謎、そして何より勝手に部屋に入ってきている。不法侵入者だということもまた事実であった。
「あんた、何者なんだ」
「余か?お前ならよく知っている筈だがな」
以前に彼女と出会った覚えはない。久しく会って見た目が変わっていたとしても、ヒメルという名の人物とは初めて出会った。
「時をも操る魔法を物ともしない、強大な存在だぞ。そんなもの、この世にたった一人しか存在しないであろう」
この世で最も強大な存在。そう聞けばこの世界の人間が思い当たってしまう人物がいる。世界中に轟く、恐怖の存在、絶対の支配者。
「余こそ世界を統べる絶対者、魔王である」
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