第3話 二度目の朝
「はぁ、はぁ、あー」
ようやく身体が解放された。まず息を吐けることでその事に気付き、『あー』と声を発した。次に手を握り、足を動かす。
「ここは……家? ……いや、『安らぎの宿』!」
まず自分がベッドの上にいる事に気付く。周囲を見渡す。部屋の備品はどれも細かな装飾に富み、灯の一つとっても高級感に溢れている。間違いなく、ここは安らぎの宿だ。窓の外の景色、自分の武器や服がかけているのを見るに、ここは今朝泊まで泊まっていた安らぎの宿だ。
「そうだ……確かここに剣を置いてたし……砥石もバッグから出していた」
どんなに細かな点を見ても、やはり間違いはない。安らぎの宿の、自分が泊まっていた部屋。それ以外の何でもない。数分間の混乱の後、息も整い頭が冷静になってくる。そうなれば、至る結論は一つ。
「夢、か」
夢。そう、夢だったとしか説明のしようがない。あまりにもリアルで長い夢だった、と違和感は感じるものの、夢だということを否定する材料にはなり得ない。
「ファイアーベアが街に出るなんて有り得ないしな……うん、夢だな」
剣を取り、砥石で磨き始める。柄を握った時、ファイアーベアを切りつけた時の感触がリアルに思い出された。
服を着て、帽子を被り、荷物も纏めた。
「よし、行くか」
ドアを開けると、隣の部屋のドアが開く。そこから顔を覗かせたのは、見知った顔だった。
「おはよう、ミーナ」
青髪をまとめて二つのおさげにしていて、黒のローブを纏っている。小さな顔は人形のように整っており、髪と同じ青の瞳は、眠たげで半開きでも大きくてくりくりしているのが見て取れる。リュックを背負い、魔法陣の描かれた魔道書を腰のホルダーに装着している。
「ヤマト……」
じっと目を見つめてくる。小動物のように儚げに、身長のせいで自然と上目遣いで。
「どうした…?」
ミーナは無言のまま、見つめ続ける。機嫌を損ねたか、何か気に入らないのか、ずっと無言のまま。だが、俺はそれが不機嫌な訳では無いとすぐに理解できた。
「不安なのか?」
ミーナは無言のまま頷く。
「大丈夫だ。アルもヒメルさんも強い。君を守ってくれる。それに、俺がいる。怪我はさせない」
「……私、ヒーラーだもんね。絶対先にやられちゃいけない」
「そうじゃなくても守る。心配するな」
「そっか」
廊下を歩いて行ってしまう。素っ気ない態度には慣れているとはいえ、たまに傷つくこともある。今のように意図が分からない場合は特にそうだ。だが、今回に限ってはそうでは無かった。完全に慣れてしまった訳でも、素っ気ない理由が分かったからでもない。
「この会話……同じだ」
既に一度、経験していたからだ。
アトラストの市場。朝から人や馬車が行き交い、活気に溢れている。
「やっぱり朝は人が多いな。でも今のうちに色々買っておかないと」
「わわわ」
「ほら、掴まって。流されるぞ」
ミーナの手を握って離れないようにする。これだけ人が多いとはぐれてしまう可能性があるからだ。特にミーナは華奢で、人の波に流されてしまう。……そこまで予測し、行動したのは、そうなると何となく分かっていたからだ。
「う、うん……」
「おっ、ヤマトくーん! こっちこっち!」
「今行きますね、ちょっと待ってて下さい」
八百屋のお姉さん、サヤさんが手を振ってくる。店頭には新鮮な野菜や果物がたくさん置いてある。
人の流れを横から掻き分け、やっとの思いで店の前に辿り着くと、サヤさんは待っていたと言わんばかりに木箱を抱えて持ってきて俺達の足元に置く。
「これ、頼まれてたやつね。もう出発?」
「いえ、まだ……馬車に積みたいのでまた取りに来ます。お金だけ先に渡しておきますね」
「はぁ……短い間だったけどもはや常連さんだったからね、寂しくなるよ」
「僕らもです。色々とありがとうございました」
コインを渡し、軽く会釈する。ミーナも同調して顔を縦にぶんぶん振っている。
「ほら、これもサービスしとくよ」
その瞬間、ハッとした。彼女がりんごを二つ投げ、自分はりんごをキャッチしたはずみで握り潰してしまうだろう。夢で経験したあのビジョンが鮮明に蘇る。
サヤさんは本当にりんごを二つ持ち、俺に優しく投げてくる。
「お、おっとっと」
服の裾を掴んで広げ、服でりんごをキャッチする。
「あはは、何その取り方!」
「いきなり投げないでくださいよー」
「お腹見えてる……はしたない」
笑われてしまい少し恥ずかしい思いをしたが、りんごを無事キャッチ出来てホッとしている感情の方が大きかった。同時に、『サヤさんがりんごを二つ投げてくる』ことを事前に知っていた自分に違和感を感じてしまう。彼女は今まで値段をまけてくれたり色々と優しくしてくれた人だ。確かに、サービスしてくれるかもしれない、と心のどこかで考えていてもおかしくはない。だが、『サヤさんが』『りんごを』『二つ』『投げてくる』とまで予測出来るものだろうか。そしてそれを受け取った後の事まで。
「あ、ありがとうございます」
「お姉さん優しい」
「でしょー? 帰ってきてもご贔屓にね」
「えぇ、また戻ってきます」
店を後にする二人。食料以外にも旅に必要なものはたくさんある、他の店へ歩いていく。
早速りんごを食べているミーナ。小さい口で本当に少しずつ、少しずつ食べている。見ていると本当に食べ終わるのか不安になるくらいだ。
「なぁミーナ、正夢って見たことあるか?」
「うーん……夢の中でヤマトと特訓したら、その日も特訓した。二回もやった感じで疲れた」
「ふふ、それはすまないな」
「特訓のし過ぎが私にも感染した」
指で横腹を小突いてくる。そうだ、きっとあれはただの夢なのだろうと胸をなで下ろす。旅に出ることばかり考え過ぎて夢にまで出てきたに違いない。ファイアーベアが街に出るなんてよっぽど気合が入ってるんだな、と一笑する。最期の謎の後ろ歩きだけは少し不思議だったが、夢だからな。そう考え、これ以上の推察はやめてしまう。こんな事で悩むなんてらしくない。
その後も日用品やナイフなどの道具、武具などを購入し、荷物が増えていく。スカスカだった袋は、今やパンパンに膨らんでいる。減った荷物と言えば道中で食べたりんごくらいなものだ。
「これだけ買えば大丈夫だよな」
「キャー!! 魔物が入ってきた!!」
その声に俺は誰よりも早く反応した。
「まさかな……」
先程の悲鳴によって人の流れは全て街の中心側に切り替わる。前に進むことすら難しい圧倒的な物量の前では、勇者であろうと無力だ。いやむしろ、人々を守る指名を帯びている勇者だからこそ、無力なのだ。
「くっ、だったら」
深くしゃがみこみ、大ジャンプ。普通の人間には到底不可能な跳躍だが、俺は生まれつき驚いただけでりんごを握りつぶすような異常な身体能力を持つ。訳ないことだ。そのまま店の屋根の上に乗り、屋根を伝って街の外側へ向かって走る。
「ヤマト!」
ミーナの呼び掛けにも答えず、まるで何をどうすればいいのか分かっているかのように迅速な行動を起こした。そう、分かっているのだ、どうすればいいのかが。この予想が外れてくれ、と願いながらも全力で走る。
人が皆走り去り、道が開く。その先には、大きな熊。だがただの熊ではない。全長三メートルはある体躯に、丸太のような手足、そしてそれらが地につく度に溢れ出すオレンジの炎。これは人々が畏怖する、この世に跋扈する怪物。魔物である。
「ファイアーベア……!!」
アトラストの近くにあるアトラスト山。豊かな自然に恵まれ、たくさんの果実やキノコ類が自生し、狩りの獲物が多いことから人気のスポットだ。だが、絶対にアトラスト山の奥地へ向かってはならない。何故ならば、山の主ファイアーベアの縄張りがあるからだ。
ファイアーベアは通常人里に降りてくることはまずない。縄張り意識の強さ故に、そこから立ち去ることを極端に嫌うからだ。山を降り、その上でこの街にやってくる確率は限りなくゼロに近い。
筈なのだが……。
「とにかく、ここで止めるのが先だ!」
剣を引き抜く。ファイアーベアは興奮し、逃げ惑う人々を追いながらただならぬ殺気を放っている。周囲が見えていないのかまだ俺には気付いていないが、ここで止めなければ惨状は免れない。剣を正面に構え、
「うぉぉ……!」
剣に青いオーラを纏わせる。勇者の一族が得意とする一子相伝の剣技を放つ前段階だ。全力で放てば上級の魔物と言えどひとたまりもない。だが此処は街中、そんな事をすれば下手すれば魔物が暴れる以上の損害が出る。たとえ手加減しても、タフなファイアーベアを倒す最低限の力を使えば必ず周囲に余波がいく。故に本来ならそれを受け止める盾が必要なのだ。
「はっ」
だが俺は既に跳んでいた。ファイアーベアの速度を計算し、丁度うなじに剣が叩き込まれる位置とタイミングでの跳躍。このまま剣を振り下ろせば、正面にある家は塵となるだろう。それを弁償する金など持ち合わせていないことは俺だって百も承知だ。
「ガイアウォール」
ぼそり、と微かに聞こえるくらいの小さな詠唱。勿論引き起こされる現象は一目瞭然。ファイアーベアを取り囲むように、岩の壁が地面から迫り上がる。二メートルほどの高さだが、暴走する魔物を引き止めるには十分すぎる壁だ。
「グアア!!」
勢いよく頭から壁にぶち当たる。が、怯むどころか岩に喰らいつく勢いだ。元々、これで脳震盪を起こすほど奴はヤワではないとミーナは知っている。それが目的ではない。これは余波を受け止める下準備に過ぎない。
「流石だ、ミーナ」
俺は彼女の方を見ていない。魔物の首筋のみを狙い済ましている。それでも分かるのだ、これは信頼を置く彼女の最高のサポートだと。
「エンシェント……ブレードォッ!!」
「ガァァァ!」
青いエネルギーで巨大化した剣は、狙い通りうなじの部分にクリーンヒット。ごう、と凄まじい衝撃波が周囲に発生し、悉くが岩の壁に受け止められる。
攻撃はこれで終わらない。剣を引き抜き、空中へ放り投げる。円形に回転したそれを、魔物の上から跳躍しキャッチ、剣先はしっかりと真下の獲物を見据えている。そして再び、剣は青い力の塊を纏い、巨大な剣へと変わっていく。
「二連撃ッ!!」
そのまま落下。ファイアーベアを突き抜け、標本の釘のように地面へ突き刺さる。軽く地面が揺れる程の衝撃。
ファイアーベアは沈黙し、地面に伏す。気を失っているのは確かだ。だが、これ程までの斬撃を急所にまともに食らったにも関わらず首は未だしっかりと繋がっている。手加減しているとはいえ、山の主の異名は伊達ではないという事だ。
岩の壁が崩れ去り、石畳の道は元通りに戻っていく。
「ファイアーベアが倒れているぞ!」
「う、嘘だろ!?」
鎧の騎士二人がのっしのっしと駆けてくる。門番の二人だ。
「あ、どうも」
「君は、勇者の……」
「すまない、ありがとう。本当は俺たちの仕事なんだが」
顔は見えないがいかにも申し訳なさそうな声色の二人。だが上級の魔物を止められる人間の方が希少だ。きっと二人に落ち度はないだろう。
「いえいえ……それより、そいつはまだ生きてますので」
「やはり凄まじい生命力だな」
「街を襲ったとなるとこいつの処分がどうなるか分からないが……とにかく魔法で眠らせよう。ヤマト殿、ご協力感謝する」
「いえいえ、お仕事頑張ってください」
「はぁ……俺達の処分もどうなるんだか……」
「……頑張ってください……」
山の主たるファイアーベアは、確かに危険な存在ではある。だがそれは他の魔物にとっても同じ事で、この周辺は彼の縄張りであるというだけで魔物が少ない。よって、『街を襲った凶暴な魔物』になっても簡単に殺すことはできないのだ。それに、ファイアーベアが縄張りを離れて人里に降りてくるなどあり得ないことだ。そう、本来ならある筈もない。ましてや、それを予測するなど。
俺は一先ず目の前の問題を片付けたことで、別の重要な事柄に思考を巡らせていた。
「……全て夢の通りだ」
朝起きてから全ての出来事が一度経験したものばかりだ。明らかにそれはたまたま当たった、なんて代物ではなく、予言の域に達していた。無意識の内に未来予測の魔法を会得したのか、誰かが魔法であの夢を見せたのか……。
と、色々な可能性を考えていると、視界の端に青い髪の毛がちらりと映る。下を向くと、ミーナが無表情で立っていた。側から見ればそうなのだが、幼馴染のヤマトにだけは彼女の僅かな変化を捉えることができた。
「……怒ってるの?」
返答もせず、ただ静かに目を見つめてくる。この沈黙は肯定の証だ。無言は時にどんな暴言よりも迫力を持つものだ。
「そうか、サポートしてくれてありがとう!」
「違う」
握りこぶしで横腹を突いてくる。
「いてっ」
振り向いて歩いて行ってしまう。いつも素っ気ないが今はそれ以上だ。
「……人の家の屋根を勝手に歩いたことか……?」
「一人で戦ったら危ないのに……馬鹿」
「え、何て? すまん、もう一回言ってくれ」
「や」
「いてっ」
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