第2話 出発

 アトラストの中心にそびえ立つ純白の城、アトラスト城。ここまで大きく立派な城は、リザード王国の中でもここにしかない。それもその筈、ここアトラストは政治の中心地であり、この城は国王の住まう場所。街全体を囲う外壁の次に、厳重な警備がなされている。と言っても先程街の門を破られたところなのだが。本来ならあんな事態はほとんど有り得ないと補足しておく。山の主であるファイアーベアが街に降りてくることが異例中の異例だっただけだ。

 城門前までやって来た俺とミーナ。門番に声をかけると、特に何を言うまでもなく顔を見ただけで『お待ちしておりました』と中に通される。水の溜まった堀に架けられた橋を渡り、門を抜け、さらに端が見えない程広い庭を抜け、城内へ入る。中は城の外見同様、豪華絢爛。来訪者に国王の権力を惜しげもなく見せつけてくる。こういった装飾は一般人からすると無駄に思えてしまうが、外交の際に権力を見せつけ、相手と対等かそれ以上の立場に立つため必要なものだ。質素な格好をしている俺には、内心自分が場違いに感じられて居心地が悪く感じられる。

「ヤマト様、ミーナ様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

 使用人の男性に連れられ、果てしなく長い廊下を歩いていく。その廊下にもいかにもな壺や絵画が飾られている。国王の権力の強さは、上っ面だけのハリボテではない。重箱の隅を突こうとしても突けない、こんなに広いのにホコリ一つ見当たらない徹底ぶり。ここまで格が違うと、人は嫉妬という感情すら湧いてこないものだ。

「どうぞ」

 部屋に通される。中にいたのは見知った顔だった。と言っても知り合ったのはつい数週間前の二人、これから共に旅をするためこの街に集った実力者だ。

「ごめんよ、アル。ちょっと遅れてしまった」

「大丈夫、です。まだ時間あるので……」

 屈んで少年に目線を合わせて話しかける。が、少年はおどおどして目を逸らす。魔法使い、アルベルト。生まれながらにして類い稀な魔力量を持ち、その力を人類へ貢献するため国王から直々に勇者のお供に指名された男の子。勇者一行の中では十二歳と最年少だ。

「ヒメルさんも、お待たせしました」

「……問題ない」

 リザード王国の端、辺境の地からやってきたという無名の女戦士、ヒメル。マントを羽織った長身の女性だ。自身の過去を語ることを嫌い、仲間になっても一切素性を明かさない謎の存在。だがリザード王国の大臣の一人が猛烈に推薦したことによって白羽の矢が立ったのだ。

 しかし、俺は三週間前に紹介された時から、ヒメルさんに若干の不安を抱いていた。戦士職は比較的体格の良い男性が多く女性には人気のない職業だ。だがそれが理由ではない。彼女は体格に恵まれており、パーティ内でも最も身長が高く、百七十五センチ程はある。戦士としての適正は間違いないだろう。しかし彼女の肉体はお世辞にも鍛えられているとは言えない。傍目には筋肉という筋肉は見当たらず、むしろ出るところが出ている女性的な印象だ。素性が分からないこともあり、実力に疑念を抱くのも無理はない、と思う

 とはいえ、これから共に旅をする仲だ。まずは親睦を深めよう。彼女の隣の席に座り、気さくに話しかけてみる。

「これから一緒に戦う訳ですし、お互いの戦闘スタイルを把握したいんですけど、どうですか?」

 出来るだけにこやかに、警戒心を取り去るような優しい声色で話しかける。すると彼女はこちらを一瞥したのち、対照的な冷たい声で、

「余は自由に戦う。聞く必要はない」

 えー、という声が口から出かけたが辛うじて喉元で止める事が出来た。どんな返答が来てもそれなら相性がいいですねだとか、初めて聞く流派ですねだとか、会話を続ける自信はあった。だがそれはまともに会話しようという気が相手に存在する場合の話。華麗に出鼻を挫かれ、これから大丈夫かな、と心が折れかけてしまった。

 一時間程の待機の後、使用人がやって来て国王がお呼びです、と伝えに来る。待機中、俺とミーナ以外は殆ど会話しなかった。アルは話しかければ対応するが、必要最低限の返事をした後すぐに目を逸らしてしまう。ヒメルさんは踏ん反り返って椅子に座り、何やら他の三人の様子を観察しているようだった。それをネタに話しかけてみたが、余のことは気にするな、と一蹴されてしまった。頼みのミーナも大人しく、自分以外とは積極的に話すことが無い。これから国王と面会するというのに、胃が別の問題でキリキリと痛んだ。これから本当に仲間としてやっていけるのか、と。

「どうぞ、お入りください」

 巨大な扉の向こうは玉座の間だった。人一人歩くには広すぎるくらいの赤く長いカーペットが引いてあり、その上を勇者一行は歩いていく。その先に国王が金で装飾された玉座に座り、周囲に家臣達が立っている。王の護衛役らしき鎧の騎士も数人控えていた。

「よく集まってくださった。人類のため立ち上がった四人の英傑達よ」

「はっ」

 王の御前で勇者一行が膝をつく。ヒメルさんはよく分かっていなかったのか一人棒立ちだったが、空気を読んで膝をついた。

「諸君らには我々人類にとって重要な使命を背負ってもらいたい」

 人類。その言葉の重みは並大抵では無い。たった四人の人間が背負うには途方もなく大きい責任だ。だが実際にこうしてその為の旅に出ようとしている。最終目的は、そう。

「打倒魔王。それが君達に託した我らの願いである。改めて聞こう。請け負ってくれるか?」

「はい、勿論です。全ての人間の希望となり、我々が未来を切り開いて見せましょう」

 使用人から伝えられた儀式用の決められた言葉。しかしその全てが真意であり、本心だ。魔王を討伐すること、それこそ俺たちがここに集まった目的である。

「その勇気を我々は信じ、讃えよう」

 王の膝元へ行き、袋を受け取る。中身は金貨だ。これからの旅で人間の街に泊まることは多く無いだろうが、この金貨は準備のための資金を肩代わりする、という意味だ。これも儀式的なものであり、事前にお金は支給されていた。この袋に入っている金貨はあくまでこの式の為のもの。他にも馬車や武器、防具なども支給されているがここでは割愛されている。あくまで儀式だ。それも『何度も』行われている伝統的な儀式。

「さぁ、旅立つのだ勇者達! 君達の遥かなる旅路に、ご武運を!」

 玉座から正面出口まで続く道の扉が開く。俺を先頭に歩き出す。廊下を通り過ぎて大階段を降り、城から出る。

「おお」

「すごい」

「なるほど。粋な計らいではないか」

 そこに広がっていた光景は、街人達によって作られた大きな一本道。街の人間の殆どが集まっているのだろう、門までの大通りの脇に人が所狭しと並んでいる。勇者一行を見送る盛大なパレードということだろう。これは誰にも事前に伝えられていなかった話だ。

 街の人々が老若男女問わず大通りに集結し、頑張れ、信じてる、など、激励の言葉を各々投げかける。その列は一切途切れることがなく、その後ろや大通りに面する家の窓なんかからもしっかり街の人が手を振ってきている。きっちり道は開けているが、その余りの数に、一つ一つの声援を聞き分け返事をしたくてもまずそれは不可能。感謝の意を込めて笑顔で手を振り返すのが精一杯だ。そして手を振り返す度に、自分達の責任を再確認した。

「きっと長旅になる。でも、必ずまたここにみんなで戻ってこよう」

 あくまで、笑顔で。勇者である自分であっても、不安が常に足首を掴んで歩みを鈍らせる。だからこそ、仲間達を積極的に鼓舞する。気持ちが身に染みて分かっているからこそ、自分が勇者としてみんなを引っ張って行かなければならない。それは旅の間、ずっと責務として背中にのしかかってくるだろう。今の内から、慣れておこうという寸法だ。

「うん。絶対」

「はい…」

「ふん」

 三人それぞれにしっかりと目を合わせる。すると、アルの顔色が良くないことに気付く。パレードの活気とは裏腹に、彼は不安や後ろめたさを感じているように見えた。それが何か、などと詮索するのは、感情を揺さぶってしまいかえって逆効果かもしれない。

 ならば、と彼の手を取り、目をまっすぐ見つめ、

「大丈夫だ。俺達がついている」

「……あ、ありがとう、ございます……」

 顔色を伺ったのか、多少笑顔になる。この程度では焼け石に水だろうと分かっている。それでも、やらねばならないのだ。俺は、勇者なのだから。

「行こう」

 街と外を区切る門へ到着する。ここを一歩出れば、俺達の旅が始まる。もう後戻りは出来ない。今受けている声援の全てが、背中にのしかかっているのだから。

「いざ!」

 そして、その長い長い旅路の一歩目を。

 踏み出そうとした。

 その時だった。

「魔王とうば」

 魔王討伐の旅へ、と声を発したつもりだった。一瞬、頭が混乱する。今、自分は言葉を発した筈だ。しかし、聞こえなかった気がする。自信がない。事実、声は出ていなかった。正確に言えば、喉が声を出す準備は出来ている。その声を出す動作の直前で、筋肉が、空気が、世界の全てが、止まったのだ。うるさいほどに湧き上がっていた民衆は、手を振るポーズのまま、笑顔のまま静止。声は一切聞こえなくなり、恐怖すら感じる程の無音が辺り一帯を包んでいる。

 足も、指先も、眼球すらも、一ミリも動かない。体の全てが凍りついたかと錯覚する人生で初めての現象。意識だけがこの不可思議な空間に取り残されている、そんな感覚だ。後ろを振り向けないが、歓声も足音も全てが無音になっているのだ、恐らく他の人間も静止しているのだろう。

 ふと、ゆっくりと視界が動き出す。ようやく終わるのか、と思った矢先、次の異常に気がつく。自分は確かに街の外へ出るため門をくぐるため前へ進んでいた筈だ。だが今、俺は『後ろへ進んでいる』。足が自分の制御を離れ、後ろへ歩いているのだ。おかしいのはそれだけではない、周囲の音や声がおかしい。聞こえる全ての音が聞き馴染みのない怪音となって耳に届いている。どんどん後ろへ進むスピードは速くなり、徒歩から早歩き、早歩きから走っている時の速さと加速していく。走りのスピード、と言っても走ってはいない。歩きのまま速くなっているのだ。当然、こんなにも速く歩く技術など持ち合わせていない。全ての音は次第に高く、速くなる。ついにそのスピードは普段の世界ではありえない速度に達する。目にも留まらぬ速さで周囲の景色が流れていく。四角い建物が、周囲を取り巻くストライプの模様にしか見えない。

 全てが流れ、流れ、なにもかもがぐちゃぐちゃの抽象画のような景色に圧倒される時間がしばらく続き……ある時を境にパッと全てが再び動きだした。

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