最初の街から出られない!

第1章 最初の街 アトラスト

第1話 勇者

リザード王国の都市、アトラスト。七年前の大災害の傷跡は徐々に回復していき、今や完全に活気を取り戻したと言っても過言ではないだろう。政治と経済の中心としての地位を再び築き上げられたのも、王の手腕によるものだけでなく、彼を慕い付いていった民達の働きあってこそのものだ。この信頼こそが、この街の強さだと王はよく演説で口にしている。

 この街の宿屋、の中でも特にお値段の張る高級宿屋『安らぎの宿』。リザード城の近くに位置しており、最高クラスのおもてなしを、というキャッチコピーを掲げる宿泊施設だ。そう豪語するだけあって、そのサービスの質は間違いなくこの街一、どころかこの国一と言っても過言ではない。だがこの宿は高級だ。とても高級、なのだ。気ままに放浪する旅人が、宿に毎回大金をかけて生きていけるだろうか。実際、この宿を利用する客は限られている。ここはふらっと立ち寄って何となく泊まるような場所ではなく、主に外部からやってきた使節や要人が利用するための場所なのだ。旅の者が泊まるならば、ランクが二、三個程下の格安の宿がある。本宿の主な顧客は国であり、客人のために手配する場合は必ずこの宿となっている。もしそんな内情を知らなくとも、真っ白な外壁と装飾に満ちた豪華な外観を見れば、旅人はすぐにでも自分に相応しい場所かどうか見分けがつくだろうが。

 ふかふかのベッドに、細かな装飾に富んだ備品。灯の一つとっても高級感に溢れている。数週間前からここに滞在しているが、いまいちこの雰囲気に慣れない。やはり自分はどうしようもなく根っからの田舎育ちの人間らしい。特に自分のこの薄汚れた服装とこの部屋は余りにも次元が違いすぎている。場違いなのだ。

朝早くからこうして自分の得物である剣を砥石で研ぐという行為も、この部屋には似つかわしく無い。けれど、自分にはここを満足に楽しめる才能がないらしい。せっかく良いところに泊まらせてもらっているのだから楽しもうと意気込んでいたものの、結局手持ち無沙汰になりいつも通りの日課に精を出している。

自分は貴族や要人には見えないことを自覚している。この国では珍しい黒髪だから遠方から来たとは思われただろうが、宿の人はあまりこの格好は良く思わなかったかも知れない。

研いだ剣を見て、うん、と頷き鞘に収める。クローゼットを開け、先の尖ったよれたハットと年季の入った故郷の民族衣装を取り出す。着替えた後、少ない荷物を小さな肩掛けカバンに全て詰め込む。

最後に忘れ物が無いか部屋を見回すと、人がやって来る前のようだ、という感想が頭に浮かんだ。それは俺が几帳面だからというより、興味がないから特に何も触らなかった、というのが正しい。

「よし、行くか」

 荷物を肩にかけ、部屋を出る。ドアを閉めると、タイミングを見計らっていたかのように、右隣の部屋のドアが開く。

「おはよう、ミーナ」

 青髪をまとめて二つのおさげにしていて、黒のローブを纏っている女の子。小さな顔は人形のように整っており、髪と同じ青の瞳は、眠たげで半開きでも大きくてくりくりしているのが分かる程。俺を薄汚れた服を着た職人のような見た目と例えるなら、ミーナは職人が丹精込めて作り上げた精巧な人形、と言った印象だ。リュックを背負い、魔法陣の描かれた魔道書を腰のホルダーに装着している。

「ヤマト……」

 じっと目を見つめてくる。小動物のように儚げに、身長のせいで自然と上目遣いで。

「どうした…?」

 ミーナは無言のまま、見つめ続ける。こういう時、彼女は大体何かを訴えようとしている。何か気に入らないのか、ずっと無言のまま。昨日の記憶をくまなく探してみるが、思い当たる節は無い。なら今日という日に関連する事なのだろう。いやきっとそうだ。こんな重要な日だ、思うこともあるだろう。

「不安なのか?」

 ミーナは無言のまま頷く。おお、当たった、と内心ほっとする。いつも表情からは中々心を読めず苦戦しているだけあって、ここぞという時に当てられた時は自分を褒めたくなる。

「大丈夫だ。アルもヒメルさんも強い。君を守ってくれる。それに、俺がいる。怪我はさせない」

「……私、ヒーラーだもんね。絶対先にやられちゃいけない」

「そうじゃなくても守る。心配するな」

「そっか」

 振り向いて廊下を歩いて行ってしまう。素っ気なくも感じてしまう態度だが、きっと彼女はいたって普通に振舞っているつもりだ。ただ、顔にも仕草にもでない。それだけのことだと俺は気にしないよう長い付き合いの中で学習していた。


 アトラストの市場。朝から人や馬車が行き交い、活気に溢れている。慌ただしく荷物を運ぶ人を見て、大変だな、と思うこともしばらく無いと思うと感慨深い。まだまだここへやってきて日が浅い筈だが、もうこの街に思い入れを感じてしまっている。それだけここが暖かく良い街なのだろう。

「やっぱり朝は人が多いな。でも今のうちに色々買っておかないと」

「わわ」

「ってミーナ! 人の波に流されてるぞ!」

 ミーナは反対方向に流れる人々に抵抗できず、川に流されるようにあらぬ方向へ移動していた。彼女の手を掴み、自分から彼女の方へ歩み寄る。ミーナは見ての通りの華奢で非力な女の子だ。男性どころか、普通の成人女性にも力負けしてしまう。俺が人混みをかき分け、ミーナが後ろを着いて行かなければ前にも進めない状態だ。

「おっ、ヤマトくーん! こっちこっち!」

 人混みの向こうからこちらに手を振ってくる女性がいる。

「あ、今行きますからちょっと待っててください」

 人の流れを横から掻き分け、やっとの思いで辿り着く。この女性はサヤさん。エプロンと腕まくりという服装で店の前に立っている通り、この店の店主だ。若くしてこの八百屋を営むパワフルな女性だ。この街へやってきた初日に巧みな話術で常連にさせられてしまった。全くもってすごい人だ。

店頭には新鮮な果物や野菜が並んでいる。サヤさんは待っていたと言わんばかりに木箱を抱えて持ってきて俺たちの足元に置く。床に置いた音からしてかなりの重さだと思うが、何なく持ってくるあたりたくましい。

「これ、頼まれてたやつね」

「馬車に積みたいのでまた後で取りに来ますね。お金だけ先に渡しておきます」

「はぁ……短い間だったけど、居なくなると寂しくなるよ」

「僕らもです。色々とありがとうございました」

 コインを渡し、軽く会釈する。ミーナも同調して顔を縦にぶんぶん振っている。無表情だが無感情ではない彼女のことだ、あれでしっかり感謝しているのだろう。

木箱の中身は干し芋や干し魚なのような保存食が主で明らかに一日そこらで食べきれる量ではない。保存を目的とした商品と品数である。

「ほら、これもサービスしとくよ」

 りんごを二つ、ポンと投げる。

「あ、ありが……」

 りんごを両の手でしっかりキャッチ、しようとした。が、しっかり握り過ぎてりんごは果汁をぶちまけて粉砕。一瞬何がおきたか分からず目をパチクリさせるサヤさん。はぁ、と溜息をつくミーナ。もう一度言うと、キャッチしたりんごは掴んだ衝撃で爆散した。あぁ、やってしまった。

「……え?」

「すいません……びっくりして握りすぎました」

「いや、そうはならないでしょ」

「なってしまいました」

 俺の筋力は生まれつき常人の2倍、いや3倍以上はあった。見た目は引き締まっているものの、筋肉が肥大し太くなる程でもない。これは鍛えた事によって手に入れた分もあるが、血筋による才能の部分がほとんどだ。そして十数年間生きてきた今でも不意にこのように力が出過ぎてしまう。突然の出来事に対応しようとする時などは特にだ。本当に申し訳ないが、わざとでは無いのでどうか許して欲しい。

「もう……特別だからね」

 ニッと微笑み、手で直接新しいりんごを二つ手渡してくれる。感動でまた握りつぶしかけたが、今度は慎重にりんごを優しく握った。こういう細やかな対応がこの店を繁盛させているのだろう。若くてもやっていけている理由が分かった気がした。

「お姉さん優しい」

「でしょー?帰ってきてもご贔屓にね」

「えぇ、また戻ってきます」

 店を去った後も、日用品やナイフなどの道具、武具などをまた別の店で購入し、荷物がどんどん増えていく。スカスカだった袋は今やパンパンに膨らんでいる。減った荷物と言えば道中で食べたりんごくらいなものだ。

「これだけ買えば大丈夫だよな」

「ん。……何か向こうが騒がしい」

 人々が壁となって遠くまで見ることは敵わないが、確かに遠くから騒ぎが起こっているような気配を感じる。

「こっちに来てるな。喧嘩って感じでもなさそうだけど」

 周囲も異変に気付きざわつき始める。すると女性の声で、

「キャー!! 魔物が入ってきた!!」

 そこにいた全員の笑顔が消えた。先程の悲鳴によって人の流れは全て街の中心側に向けて変わり、その早さも渓流のような緩やかなものではなく雨の日の河のような激しいものへ。悲鳴の方へ向かおうとしたが、これだけ沢山の人間の大移動には為すすべもない。攻撃できないぶん、俺たちにとっては強力な魔物よりも厄介だ。

「掴まれミーナ!」

「うん」

 店の柱にしがみつき、今の位置より後ろに下がらないようにする。しかしこうしていては前には進めない。

「くそ、俺たちが向かうべきなのに……いや、その必要も無くなったか」

 人々が皆走り去り、道が開ける。その先にいたのは、大きな熊、のような生き物。だがただの野生動物ではない。全長三メートルはある体躯に、丸太のような手足、そしてそれらが地につく度に溢れ出すオレンジの炎。これは人々が畏怖し、この世に跋扈する怪物。魔物である。

「向こうから来てくれるとはありがたい」

 戦車のごとき魔物の突進を前に、俺は道の真ん中へ堂々と歩み寄る。

魔物は前に障害物が出てきても一切突進の勢いを緩めない。それどころか、敵を認識してより興奮しているようにも見える。悠々と、魔物の品定めをしながらゆっくりと背中の剣を抜く。

「ファイアーベアだと? 山から降りてくるなんて珍しいな」

 ファイアーベアは口から炎を吐き、その炎を体に纏わせる。この魔物は耐火性の毛皮と体内に火炎袋を持ち、火を自在に操って狩りをするのだ。そしてこの炎を纏ったタックルは、狩りには使わない技。縄張り争いをする際に使う本気で相手を倒すために使うもの。獲物に使ってしまっては灰しか残らない。それを今使っているのが、何を意味するか。このファイアーベアは俺を一瞥し、ありごたいことに格下の生物ではなく本気で倒さなくてはならない相手と判断したようだ。

 剣を構えて走ってくるファイアーベアを迎え撃つ。あとは振り下ろせばどちらかが倒れ決着がつく。だが、そうもいかなくなってしまった。

「そこの男! 危険だ、すぐに離れろ!」

 熊の後ろを走ってくる鎧甲冑の二人組。

「門番の人達か……」

 魔物が速い……のもあるが、鎧のせいで二人の足は全くファイアーベアに追いついていない。本来は門の前で魔物を追い返すのが仕事だ、実力もある。ただ、その足の遅さがあだになった。凄まじいスピードで門を破って走り去ってしまったのだろう。対処する間もなく魔物を街に通してしまい、こうして騒ぎになっている、といった流れが容易に想像できる。

 だが、俺にとってそれは問題ではなかった。いや、確かに街に魔物がいる事態は問題なのだが、今彼が気にしているのはもっと他のことだ。

「門番の方々! 建物の陰へ隠れてください!」

「何を言っているんだ! 君こそ隠れなさい!」

「お願いします! こいつは任せてください!」

 門番達は、自分達が起こしてしまった問題故に強く人に命令するのも若干の負い目を感じていたが、背に腹は変えられない。何より市民の命が大切だ。しかしこの剣を抜き道の真ん中で仁王立ちするこの男は、自分にこの魔物を任せてくれと言う。彼が怪我すれば門番達の責任になる。そんな要求は当然飲めないのだが、片方の男が俺の顔を覚えてくれていたようだ。

「おい、あの人、今日旅立つ……」

「何? 本当か」

 走りながら抗議していたが、やがて言う通りに道の端の建物の陰へ隠れる。魔物の処理を俺に委ねてくれたようだ。

「よし、ありがたい。そう、そこがいい。そこなら絶対に当たらないはず……ミーナ!」

「うん」

 頷くと、腰に付けていた魔道書の留め具を外し、パラパラと開く。

「えーっと、どこだっけ」

「ちょ、出来るだけ早く頼むよ!」

「あった。ガイアウォール」

 適当にそう唱えると、道の端の地面から岩の壁がせり上がってくる。ちょっとした山脈と言えるほどの大きな壁。ちょうど建物を守るように道に沿って次々とせり上がってくる。建物の陰にいた門番達は、壁の外側へ隔離された。

「な、なんだこれは!?」

「すいません、すぐ終わらせます」

 ファイアーベアはもう目前まで迫っている。炎は勢いを増し、巨大な火球となって進み続ける。この巨体、スピード、熱。触れればただでは済まないのは子供だって分かる事だ。だが俺はむしろ前のめりなくらいで剣を構える。

「真っ向勝負か」

 にやり、と笑う。余裕の笑みではなかった。今までの人生で何度も経験してきたこの感覚。敵が強敵であればあるほど湧き上がってくる熱い気持ち。

 接触まであと十メートル。五メートル。三。二、一。

「エンシェンドブレードッ!!」

 剣は青い光を纏い、巨大なエネルギーの剣となって振り下ろされる。ファイアーベアの全長三メートルを越す、十メートルはあろうかという大きさの大剣が魔物を襲う。頭から直撃し胴体まで振り下ろされ、凄まじい衝撃波が周囲に発生した。煙どころか、逃げた街人に放置された木箱や樽まで空中に浮き吹き飛ばされる。それを待っていたかのように、岩の壁がしっかりと全て受け止めていく。炎は半分に引き裂かれ、マッチの火を吹き消すように消えてしまう。魔物は完全に沈黙し、ドシン、と地響きを残し地に伏せた。

 地面からせり上がっていた岩の壁は地面に沈んで消えて無くなり、何事もなかったかのように床が治っていく。

「おぉ、倒している! 流石あの人の息子だ!」

 門番が駆け寄ってくる。

「本当にありがとう! 俺達のミスを通りすがりに解決してくれるとは……」

「全く、こんな上級の魔物が山から降りてくるなんて聞いてないぞ」

 門番の一人がファイアーベアに近づく。

「近くで見ると本当に大きいな」

「待ってください、まだ生きて……」

 言い終わる前にファイアーベアが立ち上がる。その巨体は人間などとは比較にならない。その目は、目の前の生物に対する敵意で満ちている。例え違う生物でも、それだけは簡単に理解できた。背筋を駆け上がる恐怖が、その事実を嫌というほど理解させてくるからだ。振り下ろされる爪は、当たれば確実に首元の鎧を引き裂き体まで到達するだろう。

「し、しまっ……」

 一瞬で事は終わる。首は既に切られた。ファイアーベアの首の部分に、剣が刺さっている。俺が喉元へ剣を投げつけた。ファイアーベアは地響きを鳴らしながら倒れ、今度こそ動かなくなる。

「こいつはタフですよ。これでもまだ死んでいません」

「わ、分かった……後は任せてくれ。ご協力感謝する!」

「助けてもらったはいいが、この体たらく。俺達、門番を降ろされないだろうか……」

「それは……頑張ってください……」

 魔物の体によじ登って剣を抜き取り、その場を去る。

「行こう、ミーナ。遅刻したらみんなに悪いから」

「うん。怪我はない?」

「大丈夫。回復魔法を使うまでもないよ……」

 強がりではなく、本当に擦り傷さえ負っていない。それは間違いなく喜ばしいことなのだが、正直消化不良な部分もあった。山の主と言われるあの魔物と対面した時のあの感情が、行き場を無くして悲しく燃え続けている。物足りない。不謹慎だが、俺は密かにそう思ってしまった。

立ち去る俺達へ向けて、門番が並んで深々とお礼をする。

「やはり凄まじいもんだな」

「あぁ。もしかしたら、今度こそ魔王を倒してくれるかもしれない」

「勇者の血筋ってのは本当にすげえなぁ」

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