第3話 僥倖

 兵士の言葉の意味を理解するのにロンダ王は時間を要した。


 獣人の娘。


 近日中に訪れた獣人は数多くいる。

 この国は交易大国であり多種族が多く往来する大商業国。

 獣人だけでなく他の種族が日々目まぐるしく行き来するこの国で、特定の種族のことを言われても判断するのは難しい。

 しかし、兵士の言葉。『例の』という言葉の意味。その意味を鑑みれば、おのずとどういった獣人が該当するのか見えてくる。

 そして、ロンダ王はその意味を理解したとき、驚きに表情を崩した。


「まさかっ! 一体何のために……。いや、そんなことはいい。わかった。直ぐに私の部屋に案内しろ」


「かしこまりました」


 兵士は踵を返した。


「こいボルノア。これは緊急事態だ」


「はい」


 ロンダ王と、ボルノアは直ぐに王の部屋へと戻っていく。

 執務室へと戻った二人は迎え入れる準備をしつつ、例の人物がここへ訪れた理由を考えた。

 しかし、その結論が出ることがないまま、執務室の扉はノックされた。


「ロローナ様がお見えになりました」


 扉の向こうで兵士の声が聞こえる。


「入れ」


 ゆっくりと扉が開き、兵士の影から姿を見せたのは狼人の少女だった。

 少女は部屋へ入るなり、礼儀正しく頭を下げる。


「お久しぶりになります。ドルンド王国国王、ロンダ・ギヌ・ドルンド様」


「こちらこそ、ロローナ殿。突然の訪問、驚きました。して、此度はどのような御用でこちらに?」


「マリ様から仰せつかり、この度、ドルンド王国との交易を結びたく、ダンジョンへの招待を申し出に伺いました」


 眼前の女性から発せられた言葉に、ロンダ王は生唾を飲んだ。


「今、なんと……?」


 狼人は耳をピクリと動かし小首を傾げる。


「そちらとの交易を行いたく、ダンジョンへ招待しにきたのです」


「我が国と交易を?」


「はい。それほど驚くことではないと思うのですが……」


 吃驚に顔を引きつらせる王に疑問を浮かべるロローナ。


「これは僥倖ですね。丁度、我らもそちらと交易ができればと思っていたところだったのですよ」


「それはマリ様も喜ばれます。ではさっそく準備をしてもらっていいですか? 交易交渉に際してどなたが交渉に臨まれるのか、決める必要があるともいますので」


「そのことですが、交渉にはこの私が入ろうと思いますが問題ないでしょうか?」


「王自らですか? それは好都合です。もともとマリ様も王様との対談を望まれておりますので、ぜひお越しいただきたいものです」


「それはよかった。ただ、国を空けることになるので、いくつか準備をしなければいけないため、数日時間を頂きたいのですが、大丈夫でしょうか?」


 そういうと、狼人のロローナは笑顔で返す。


「その心配はいりません。交渉にどれくらい時間が掛かるかは分かりかねますが、一日も掛からないでしょう。移動に関しても気にしないで大丈夫ですので、国を不在になるのは所要の数時間だけになります」


 彼女の云っていることが理解できなかったロンダ王は、隣に立つボルノアに目を送ると、彼もまた王の方を見ていた。


「それはどういうことでしょうか?」


 そう訊く王に、ロローナは徐に空中に異空間魔法を発動し、中から正方形の大きな盤を取り出した。

 魔法が刻まれたそれを軽々しく掲げる彼女はそれについて説明した。


「これはマリ様がご用意された簡易転移盤と言うものです。この上に乗ることで、対となる盤が置かれたところまで転移できる代物です。既に、こちらの転移先はマリ様の城となっております。ですので、移動には時間を要しませんので、大仰な準備などは必要なく、気軽に行き来できるということです。ご理解いただけましたか?」


 そんな彼女の説明に絶句する王たち。


「転移装置……そんな技術が……」


 多国との交易を行うドルンド王国でも、彼女の持ち出した簡易的な転移装置はまず出回らない。そもそも転移魔法自体が特殊な魔法な上に、それを物に付与するといった技術はまだできていなかった。魔法道具や魔剣といったような代物なら流通はしているが、あくまでそれは低レベルの魔法の付与を行った物ばかり。

 特殊魔法に分類される転移魔法を仕える者が少ない中で、それを付与する技術を合わせる者など皆無。故に、この世界には転移装置なんてものはまだ存在していなかったのだ。

 それを軽々しく、造りましたなんて云ってのける存在が今眼前にいることに驚きを隠すことはできないだろう。

 ますますこれから迎える交易交渉に気を強めるロンダ王は、にやけそうになる顔を引き締めて、彼女を見る。


「そういうことでしたら、確かに特別な準備は必要ないかもしれませんね。ですが、一時的とはいえ、国を離れるますので、その間の指示はさせていただきたいです」


「分かりました」


 そう云い、ロローナは王の執務室の一角に転移盤を置き、その横にじっと立つ。


「準備ができましたらお声かけください」


「では、後程声を掛けさせていただきます。どうぞその間、ご自由に寛いでください」


 そう言い残し、ロンダ王は執務室を後にした。

 急ぎ足で王は謁見の間に向かった。

 王が玉座に腰を据える時、既に眼前にはボルノアが声をかけ集めた者たちが立ち並んでいた。

 大臣のガードンと交易官のオズン、それに並び、側近のボルノア。

 三人が立ち並び、王の言葉を待つ。


「既に話はあったと思うが、先刻議題に上がった件で、既に使者が見えた。これから交易交渉に赴こうと思う。少しの間私が国を留守にするため、その間、ガードン。よろしく頼むぞ」


「かしこまりました」


「それと、オズンとボルノアには私と共に魔王のところへついてきてもらいたい。それに際して、オズンよ。何か土産を用意してくれ。失礼のないものをな」


「はっ!」


「あまり相手を待たせても無礼になる」


 ロンダ王は唾をのむ。


「これは大いなる好機。ドルンド王国が大きく動くかどうかの転換点になるだろう。そのことを心してくれ。では各々準備を始めろ」


 皆が部屋を出てから、ロンダ王はひとり息を吐く。

 その重いながらも、弾んだ息遣いは彼の心境を現していた。

 玉座に背を預けながら、微笑を湛える。


 相手もこちらと同様に交易を望んでいる。

 ならば、ことはきっとうまく進むだろう。

 そうなれば、我がドルンド王国も新たな未来が拓くに違いない。


 古の大戦より定められた勢力抗争。

 その中立を誇るドルンド王国も、けして安全とは言えない時世。

 適応しなければいずれ滅びるのは明白。

 それはドルンド王国だけではない。

 聖王国も同じこと。

 多国との貿易を結び、同盟を掲げても、それを崩壊させる力は現れる。それに対応するには今以上に強い守り手が必要だ。


 古の大戦時、世界を混沌に陥れた龍種。

 それを容易く凌駕する存在を目の前にしているのだ。

 絶対に協力関係を結ばなければいけないことは王であるロンダ王でなくても理解できること。


 目の前に広がる希望に、王は成すすべなく身を震わせた。



 ――そして、時は満ちた。



 交易官のオズンと側近のボルノアを連れ、ロンダ王は執務室にいるロローナの元へと向かった。

 部屋を出た時と何も変わらない姿勢で、まるで人形のように静かに目を閉じる狼人の少女。


「準備はできましたか?」


 ロンダ王が彼女に声をかけるよりも先に、彼女は訊く。


「待たせて申し訳ない」


「ではこちらに」


 彼女はそう云って、自身の隣に置かれている盤へと案内する。


「私が先に立ちますので、同じようにして盤に乗ってください。それと、この転移盤ですが、この国の者以外には決して使わせないようにしてください。マリ様の赦した者だけがこれを使用し、マリ様のお傍まで行くことができるのです。万が一にでも他者に使用などさせ、マリ様に危険を及ぼした場合は、私ほか、マリ様の配下が全力をもってこの国を亡ぼすことになるでしょう。その事を努々忘れないようお願いいたします」


「かしこまりました」


 王の言葉に小さな頷きを返して、彼女は静かに盤の上に乗る。

 盤の範囲に収まるように彼女が立つと、盤に刻まれた模様が光出し、盤を境界に光が立ち上り、彼女の体を包み込んでいく。そして、光が彼女のすべてを包みこんだと同時に、彼女の姿はその場から消えた。


「おおっ!」


 思わず感嘆符を零す王。


「では、まずは私が先に行かせていただきます」


 ボルノアが彼女の後に続き、盤の上に乗る。

 ほどなくして彼の姿も消え、オズンが続く。

 そして、最後になった王は部屋に残る大臣のガードンに語気を強めて云う。


「ロローナ殿が云っていた事、重々気を付けるように。私が不在の間は決してこの部屋には誰も居れるな。部屋を警備し、来訪者が来ても引き取ってもらえ。いいな」


「はっ! 肝に銘じます。王が行かれた後、直ぐに部屋の警備を整えます」


「頼むぞ」


「どうぞ、王。ご武運を――」


 そして、王は光の先へと姿を消した。


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