第19話 放浪者ヴァゼラミュ
『マリ様』
レファエナの声が届いた。
私は慌てて返すと、彼女からの言葉は意外なものだった。
『件の者ですが、どうやら私たちに敵意はないようです。ロローナも無事の様子で、安心していただいて大丈夫だと思います』
「そ、そう。よかったわ」
『どこかから噂を聞きつけてこの森に来たとのことです。城へお連れしますか?』
よかった……。
みんな無事なのが何より。
特段危険がなさそうなら構わないし、危険があっても、みんなで何とかすればいいだけの話。
「お願い。ここへ連れてきて。話をしたいわ」
どうであれ、一連のことを聞きたい。
ロローナとの連絡が途絶えたあの瞬間のこと。
そして、件の者の正体を。
数分したのち、玉座の間の大扉が開いた。
守護者たちに囲まれる形で入ってきたのは、外套を深くかぶる者だった。
確かに言われた通りの見た目で、種族などはわからないけれど、性別は女性だろう。
胸のあたりのふくらみからして間違いない。
守護者たちに案内され、距離を離した位置で立ちどまるその者に、私は声をかける。
「初めまして。私はこのダンジョンを治めるマリと言う者です。私の配下からダンジョンの外で怪しげな恰好の者がうろついていると報告を受けまして、確認を送った矢先に、その者と連絡が途絶えてしまい、すこし手荒に動いてしまったようで、非礼を謝罪します。見るところ、早とちりだったようですね」
守護者たちと一緒に並ぶロローナの姿を見て私は云う。
眼前の女性の表情は見えないけど、その声音は非常に陽気だった。
「早とちりではない。不躾にこそこそ視線を送られていては、思わず、つい殺してしまいかねないからな」
陽気な声とは裏腹に酷く殺気を帯びた言葉に一同が態勢を変える。
「おっと、これは失礼。別に争うつもりは毛頭ないので、矛を収めてくれると助かるのだが?」
私は配下に合図を送り、態勢を戻すように伝える。
「それで、あなたはいったい?」
「ああ、申し遅れた」
そういって、女性は目深に被った外套をさらりと脱ぐと、中から現れた長い深紅の髪を靡かせて視線を向ける。
燃えるような紅玉の双眸が、私を捉える。
「私は、世界を旅する流浪の逸れ者。ヴァゼラミュだ。よろしく」
私の配下と何ら遜色ない、いや、すこし勝っているかと思わせるほどに整った顔立ちをしていて、私は正直息をのんだ。
「ヴァゼラミュ様」
「言いにくいと思うから、ヴィゼでいい。私も君のことをマリと呼ばせてもらう。それと、逸れ者の私に様なんてつけなくていい」
「分かりました。ではヴィゼさんと呼ばせてもらいます。――それで、ヴィゼさんはあの森で何をしていたのですか?」
「何って、私は旅人だ? ただ気の向くままに旅をする。そんな旅の中で、ある噂を耳にした。オーレリア山脈を越えた先の森の中に新たに誕生したダンジョンがあるという噂を」
「そうだったんですね。ということは、ヴィゼさんは光側から来たということですか?」
「まあ、そういうことになるな。だが、だからといって、私自身が光側の存在かと言われると否定するほかない。でも、闇側とも違う」
「つまり、中立ということですか?」
「中立……どうだろう。長らく争いごとにはかかわってこなかったから、確かに中立といえば中立なのかもしれないが。私自身の根源は絶対に違うと言わざるを得ない」
「どちらの側にも属さない。つまりそれは中立と言えるのではないのですか?」
「どっちでもいい。そんな些末な問題に重きを置いてもしょうがない」
「そうですね。分かりました。――それで、ダンジョンへはいったい何しにいらしたのですか? 何かしらの目的がなければわざわざ訪れるようなところではないと思うのですが?」
「変わりゆく世界の一端を見に。かな?」
ヴィゼさんは意味深な表情でそういった。
「変わりゆく世界、ですか? なんだか随分と大仰な言い方ですね。まるでその言い方だと、長年生きて世界を見てきたような物言いに聞こえてしまいます」
彼女の見た目は20代中だろうと踏んでいたけれど。
この世界では見た目と年齢のズレは大いにあり得る話だ。
魔王ヒーセント様もかなりのギャップがあった。詳しい年齢までは聞いていなかったけれど、魔王オバロン様にババア呼ばわりされていたのを考えると想像の年齢とは違うことがわかる。幼女の見た目で中身は数百歳という可能性があるのがこの世界。それと照らし合わせると、一概に見た目で判断はできないということだ。
眼前の美女もまた、齢数百を超えている可能性だってある。
「まあ、あながち間違ってはいないな」
「見た目こそ、人間のようですが、もしかして
その瞬間だった。
一瞬で玉座の間の空気が凍り付き震え始めるのを感じた。
身震いを引き起こすような不穏な気配。
圧倒的な威圧感とでもいえばいいのか。
何とも形容しがたい感覚に震える。
「はっ! 私が亜人? あんな――っ! ……いや、すまない。私は亜人ではないが、何かと言われると答えることはできないな。ひとまずは人間と思ってくれて構わない。不本意だがな」
「かしこまりました。それで、世界の一端を見にこのダンジョンに訪れたところを私たちが勘違いをして警戒してしまったということですか。目的がそういうことでしたら、是非、このダンジョンの中を見て回りませんか? といっても、案内できるのは基本的にこの階層にある街のみになるのですが……」
「おお、本当に目ずらしな。ダンジョンの中に街をつくるなんて発想。そうそう思いつくようなものじゃない。私も長年旅をしてきたが、こういったところは初めてだ。是非案内を頼みたい」
「勿論です」
一瞬張り詰めた空気が嘘のように今では晴れやかだった。
「最近はめっきり目新しさが欠けていたからな。刺激が欲しくなってきたところだったのだ!」
「なら、それに応えられるように私も案内の方、頑張りたいと思います。では、さっそく行きましょうか?」
私は玉座を離れ、ヴィゼさんの元へ向かうと、配下たちが私の身を案じて声をかけてくれるけれど、私はそれを制し、彼女へ手を差し伸べる。
「では街の入り口まで行きましょう」
「統治者自ら案内をするなんて、かなり大胆だな? 不確定要素の多い私に無防備に手を差し出すなんて馬鹿なのか、それとも――」
「相手を信用してからこそ、関係は築けると思うんです。でも、やっぱり変ですかね?」
ヴィゼさんはきょとんとした表情で私を見ると、大げさに笑い始めた。
「どうやら甘々な若者だったようだな。世間知らずの小娘だ! でも、嫌いじゃないっ!」
笑いのツボはわからないけれど、好印象を持たれたのなら万々歳!
「気に入ってくれたのなら幸いです」
そうして、ヴィゼさんは私の手を取った。
その瞬間、私は転移を行い街の入り口へと移動した。
景色が変わり街がのぞける場所に立つ私たちの後ろに配下たちがぞろぞろと姿を現す。
誤解だったとはいえ、ロローナの隙をついて立ち回る彼女の動きは常人では考えられない。だから誤解とわかってもなお警戒をしてしまうのは仕方のないこと。
「さっきも驚いたが、ここの者たちは皆等しく転移魔法を使えるのか?」
「いえ、使える者もいますが、全員ではありません。私がこのダンジョンの管理者権限で造った魔法道具で、このダンジョンの中ならどこへでも自由自在に転移することができるようにしているだけです」
「ほう……」
私の説明に、ヴィゼさんは感嘆を漏らした。
「管理者権限とは、これまた懐かしい言葉を聞いた」
「なつかしい、ですか?」
「いや、こっちの話だ。気にしないでくれ。――なるほど。となると、もしかして彼女たちは……」
「はい。私が創造した者たちです」
「だからか。彼女たちからはマリ、君と同じ魔力を感じていた」
「そんなところまでお分かりになるのですね。案内がてら、すこしヴィゼさんの話も聞いていいですか?」
「面白い話を提供できるかはわからないが、望むのならそれくらいはしてやろう」
「ありがとうございます。恥ずかしながら、私はこのダンジョンから一度も出たことがないのです。だから、外の世界で長い間旅をされていたヴィゼさんの話を聞いてみたいのです」
「まあ、管理者と言う者は何時の時代もそうだろうな。わかった。俗世の話をしてやろう」
「助かります」
そうして、私は街の案内をするとともに、ヴィゼさんからこの世界についての色々なことを聞くことができた。
正直、これまでも様々な情報を知る機会はあり、それなりにこの世界のことに関しての知識も増えてきていたと思っていたけれど、どうやらそれはうぬぼれだったみたい……。
世界各地を旅するヴィゼさんの話はこれまでに聞き及んでこなかった新しいものばかりだった。知らない国や地名、勢力の情勢。種族の立ち位置など、本当に多くのことを私は知ることができた。
私の拙い案内とは決して等価交換できないレベルのものばかり。
それを補うわけではないけど、私のことも話すようにした。
とはいってもそれほど多くはない。
ヴィゼさんが満足するような話はきっとできないだろう。
「つまり、マリは八番目の魔王ということか? 随分とひよわそうな者が魔王となったのだな」
都度都度私に対して容赦ない言葉をかけるヴィゼさんに対して、私の配下が苛立ちを露わにしているのが伝わってくるも、辛うじて行動には映していないのが幸いだった。
多分、彼女から漂う異質なオーラが彼女たちの行動を抑制しているのだろう。
下手に喧嘩を売ってはいけないと、本能が警告するようなそんな感覚。
私が感じるということはきっと彼女たちも同じなはず。
「ヴィゼさんは魔王についても詳しいのですか?」
「魔王だけじゃない。勇者や光国に関してもそれなりに知っている」
「本当に、ヴィゼさんはいったい何者なんですか?」
彼女は不敵に笑う。
「逸れ者以外の何者でもない。すこし歳を重ね過ぎただけの旅人だ」
釈然としないまま、私の拙い案内は終わった。
「街の案内は以上です。見てもらった通り、まだ開発途中ですので見せられるものはあまりありませんでしたが、少しでも気に入ってもらえたらうれしいです」
「ああ。十分だ。正直、最初から驚いていた。私は同じようにダンジョン管理をしている者を知っていたが、そいつと比べると、やっていることのスケールが違いすぎる。管理者権限を使ってこんなことをする奴なんて、まずいないだろうな。街なんて作らなくても、根城さえ用意すれば、あとは自給自足で暮らしていける。あいつも最低限のことしかしていなかった」
「他にも私と同じような人がいるのですか? できればお話を聞きたいのですが」
「正確にはいた、だな。もう何十年も前に消滅したが。ダンジョンを踏破され、あっけなくな」
私はヴィゼさんの言葉に声を詰まらせた。
『死んだ』ではなく、『消滅』といったこと。
このダンジョンでの私の死は2つ。
ここへ訪れた何者かに文字通り殺されるか、あるいは、物理的には殺されずにいても、最下層にある契約盤に触れられシステム上踏破されたこととなり、私の存在が消滅するという死。
結果はどちらも同じだけど、その死の意味はまるで違う。
後者の死の方が私は怖い。
存在の消滅。つまりは私という存在、概念がこの世界から消えてなくなってしまうということ。魂も何もかもがなくなるという、想像ができないけれど、恐怖の終着点を思わせる。
そんなことを、私はヴィゼさんの言葉で改めて実感したのだ。
「そうですか……」
「心配はいらんだろ。あやつはなにも対策をせずに住んでいただけだ。配下も片手で事足りる。そんなんでダンジョン管理などできるはずもない。当然と言えば当然の結果だ」
「なかなか厳しいですね……」
「安心しろ。ここの防衛は称賛に値するほどだ。並みの者ならまずもって踏破はできんだろうな」
「そう云っていただけて少しだけ安心しました。私はここの防衛に関してそれなりの自負はありましたが、それが本当に正しいのか確証を得られないでいました。ですので、同じダンジョン管理者を知っているヴィゼさんに、大丈夫と云っていただけて安心です」
「おお、そうか。けど、持ち上げておいてなんだが、光国に属する聖域と呼ばれる場所を護る連中や、世界を旅する伝説の冒険者と呼ばれる者なんかは踏破する危険はあるだろう。そして世界の均衡を揺るがす勇者もまた然り」
聖域。
先ほど、街を案内しているときにヴィゼさんに聞いた。
どうやら、この世界には聖域と呼ばれるところがあり。光国の守護下にある場所のことを総じて聖域と呼んでいるらしい。聖王国に属する聖王騎士団は主にオーリエ山脈を越えた先に構える光国を守護していているとか。他にも、海域を守護する海警艇と呼ばれるものもあるらしい。
聖王騎士団は度々配下の話に浮上している敵対勢力なのは知っていたけど、海警艇というのは今回ヴィゼさんの話で初めて知ったものだった。
そんな海警艇も聖王騎士団と同等に強いらしく、ヴィゼさん曰く、そんな彼らは私のダンジョンを踏破する可能性があるという。
つまりは、私の配下と同等か、それ以上の実力を持っているということになるのだろう。
「肝に銘じておきます」
「少しよろしいですか?」
これまで私とヴィゼさんの会話に一度として口を挟んでこなかった配下たちが、それを破った。
「ヴァゼラミュ様の話からすると、私たち配下が外界の者に負けるといいたいのですか?」
ハルメナが代表していう。
「私が見た限りだと、そういうことだな」
いたって平静にヴィゼさんは云う。
ピリピリとした空気が私たちの周りを渦巻く。
「失礼ながら、まだここにきて少ししか経っていませんのに、いったい何をもって私たちの実力を測ったのですか?」
「そんなもの、この目で見れば大概わかる。それとも、私の目に狂いがあるというのか?」
「あまり、私たちの力を見くびらないでほしいものです。マリ様の配下である私たちがたかだか外界に生きる者たちに後れを取るなど――」
「ふっ。それこそ見くびっている。世を知らない愚かな自信家よ。貴様らの実力なんて自負できるものでもない。主であるマリを使って実力を誇示するな」
そのヴィゼさんの言葉に、一同が得物を手にとる。
街中で突然得物を取り出した一同に、周りを行く人々は驚き狼狽えてしまう。
「愚か者っ!!!!」
そう一喝したのは私ではなかった。
ヴィゼさんだ。
彼女の言葉はその場の空気を震わせ、地響きすら起こさせるほどのモノだった。
その彼女の圧倒的なまでの威圧により、私の配下や、その場にいた待ちゆく人たちも皆、気圧され膝を折る。
その光景は絶句を強いられるほどのモノだった。
私の配下が、彼女の立った一声に逆らえず、あまつさえ屈しているのだ。
「こんなところで武器を取り出すなど、貴様らが仕える者の意思を踏みにじる気かっ!」
「「「「「「「……っ!」」」」」」」
「せっかく作り上げたのだろ。それを無為にするなど主への忠誠を疑う!」
その時、彼女たちの顔から血の気が引いていくのを見てわかった。
自己嫌悪に苛まれ、自身が犯した過ちを酷く後悔する、そんな表情だ。
「感情のコントロールができないようでは、また同じようなことが起きるぞ。マリを慕うのであれば、いかなる時も冷静かつ慎重に事に及べ。じゃなければ、故人のような末路を辿ることになるだろう」
配下たちが意気消沈しているのは見ていて心が痛い。
「もう大丈夫だから、みんなは持ち場に戻っていいわ」
「……っ!? ですがマリ様!」
ハルメナの気持ちもわかる。
でも、これ以上彼女たちを一緒に連れ歩くのは少し難しいだろう。
私のために何かしようとしてくれる彼女たちが、ヴィゼさんとの衝突で、再び同じようなことが来てしまっても嫌だし、何より、私が苦しい。
彼女は悪い人ではない。
ただ、言葉が強い。
だから、私を慕う配下との相性は非常によろしくない。
彼女たちと私のためにも、ここは譲れない。
「これは命令よ」
諭すように優しく云う。
「……かしこまりました」
ハルメナの了承に、一同が一瞬動揺するも、直ぐに頭を下げ姿を消した。
「優しいな」
ヴィゼさんは私の顔をじっとみて笑う。
「何がですか?」
「配下への想いがだ。安心しろ。私はここが気に入ったし、マリも気に入った。今後一切、ここへは手は出さない。私の名に誓って約束しよう」
「ありがとうございま――」
私の言葉にかぶせるように、地鳴りのようなゴロゴロという音が響き渡る。
あたりにいる者たちもキョロキョロと周りを確認する中で、ヴィゼさんは高らかに笑い出した。
「すまないマリ! 飯をもらえないか?」
私は目を見開いた。
どうやら、今の地鳴りのような轟音は、彼女のおなかの叫びだったようだ……。
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