第17話 商人ルーマウスの助言
ダンジョン街へ降り立つ前に私は足を運んで例の件を片付けておくことにした。
白百合に囲まれて漆黒の翼にくるまり、縮こまっている淫魔の姿があった。
「いつまでそうしているのかしら?」
翼の隙間から顔をちらりと覗かせるハルメナの頬はまだ赤く染まっていた。
「もう少しだけ、こうしていたいのです」
「アルトリアスが早く働かせろと直々に頼んできたわ」
「申し訳ございません。でも、もう少しだけ待っていてほしいです」
「どうして?」
「……あの時の、マリ様にしていただいた愛撫の感覚をかみしめていたいのです」
貴女は淫魔でしょ?
たかが羽を撫でられた程度でそんなんでは本職はいったいどうなってしまうのかしらね。
とはいえ、そんなことでここにずっと居られても、またアルトリアスから頼まれかねないので、ここはひとつ鬼となろう。
「ハルメナ?」
「……はい」
「今すぐに戻らなければ、もう二度とあなたとはああいうことはしないわ。それでもいいのかしら?」
その瞬間、ハルメナは黒翼をばさりと広げ、凛とした瞳をこちらへむけ毅然と立ちあがった。
「それでは、守護階層へと戻りたいと思います。マリ様、失礼いたします」
驚くほどに現金ね。
こんなに目に見えた反応をするとは思ってもみなかった。
まあ、これで動いてくれるなら簡単でいいのだけれど。
さ、早く街へ行きましょう――。
街へと降り、私は一先ず商人ルーマウスの元へと向かった。
彼はまだこの街に滞在しており、しばらくはまだここを離れないと聞いている。
店数はまだ全然少ないけれど、賑わいを見せるメイン通りに行き交う様々な種族たち。
そんな一角に構える店。
扱う品はこのダンジョンでは手に入らない外界の品物。
物は様々で、日用品や、素材、加工食品などを扱っている。
アバン商会という中規模商会が、ウィルティナ商業者ギルドに属するルーマウスが営む商会らしい。
彼の家名を掲げる商会では一定の需要がある品々を扱うようで、幅広く浅くが商会理念らしい。
あまり詳しくは聞いていないけれど、どこでも、いつも使っている物が手に入る店と、地元の者なら知っている名の知れた商会だとか。
彼はこのダンジョンへきて、ここにも支店を置きたいと私に挨拶を兼ねて頼み込んできたので、空いていた建物を彼に譲り渡し、今に至る。
こちら側、つまりは闇側の市場にはそこそこ店を構えているらしいので、街づくりに参加している他国の者たちも重宝しているようで、人の出入りは多いように見える。
店に入り店内を見回すも、ルーマウスの姿は見当たらない。
「これはマリ様。ルーマウスでしたら、奥の部屋で作業をしております。案内いたしますか?」
ピシャリと着こなす紺色の
彼はルーマウスが私に挨拶をしに来た時に付き人としていた者だった気がする。
「お願いするわ」
「かしこまりました」
軽く頭を下げてから私を案内し始めた。
奥の部屋へ案内されると、扉の前で男がルーマウスに声をかける。すると扉の向こうでガタリと物音がした。
私の名前を聞いて、慌てたのだろう。
返答の声音から容易に想像ができる。
そして中へ入ると、ルーマウスはワークデスクから離れた位置に立っており、私をデスクの方へと案内した。
部屋の中には本棚と、デスクが一つあるだけの殺風景な物で、来客用の椅子やテーブルなどは一切ない。だから、必然的に私をデスクへ案内するしかなかったのだろう。
デスクの上には書類の束が幾つかある程度で綺麗に片付けられている。
私は椅子に座り、ルーマウスと相対する。
「突然お越しになられるとは。申し訳ございません。なにも準備ができておらず……」
「気にしないで。私の方から用事があって来たのだから」
「もったいないお言葉でございます。して、いかような御用でしょうか?」
デスクの前で膝を折るルーマウスは小首を傾げる。
「交通の件だけれど、先ほど要望通りに別口を開設して自由に行き来できるようにしておいたわ」
「もうできたのですか!? おお! これは非常に助かります! では、さっそく他の商人連中に伝えたほうがよろしいですね。これで、今後の商いの流通は大分改善されると思われます」
「話が早くて助かるわ。それじゃあ、後のことは任せるわ。冒険者や、この街に滞在する者たちにも同じように連絡をしてくれると助かるわ」
「かしこまりました!」
「じゃあ、よろしくね」
「はい!」
「それと、これはまた別件だけれど」
「はい?」
「近日、ドルンド王国と貿易交渉を行う予定なのだけど、少しばかり助言を頂きたいのよ」
「あの貿易大国ドルンドですか?」
ルーマウスはすっと立ち上がり、部屋の扉の鍵を閉めてデスクの前に再び立つ。
その顔は神妙な表情をしていた。
「件の大国との交渉に関しては、あまり部外者に介入されては困る話だと思いましたので、入り口は閉めさせていただきました」
「別に構わないわ」
「先ほど、助言を頂きたいとおっしゃっていましたが、私など、一介の商人に過ぎない身。そんな私の意見でいいのでしょうか? マリ様には私よりも頼れる方はいると思うのですが……」
「そんなこと気にしなくていいわ。それに今この街にいる者の中で一番商人的観点から話ができるのはあなた以外にいないわ」
「恐悦至極でございます。では僭越ながら、一商人としての意見を述べさせていただきます。マリ様は、貿易大国であるドルンド王国と交易を行うに際して、なにを最も重要視されるのでしょうか?」
「うーん。そうね……。ドルンド王国はどちらかといえば、私が求める思想的立ち位置にいる国になるわ。中立国で、どちらの勢力にも属さず、脅かされることのない国。そんな理想を実現しているドルンド王国とはなるだけ友好的な関係を築いていきたいと思っているわ。このダンジョンで採れる素材はどうやら他では入手困難なものばかりと聞く。そんな重宝される素材を提供すれば、貿易大国であるドルンド王国も無碍には扱わないだろうし、他国よりもすこしの贔屓をしてくれそうだと思うのよね」
「つまりはドルンド王国との関係性を重要視されるということですね?」
「ええ」
「……交易に際して、必ず行う最初の取り決めが商品の輸出入に関わる税率設定になります」
社会の勉強で習った覚えがある関税の話ね。
正直全然理解していないまま適当に学生時代を過ごしてしまったのを後悔している……。
「関税と言うものよね? 申し訳ないけれど、私、そういった知識は全然持ち合わせていないから、細かく教えてもらえると助かるわ」
「かしこまりました。では――」
「ちょっと待って。教えてもらっている側が座っていては申し訳がないわね」
幾ら私がここの主で支配者である身でも、やはりこういうのは好きじゃない。
OL時代もそういった、教えてもらっている立場の者が偉そうに指図してくることが多々あったのを記憶している。私はそれが酷く嫌いで、いくら上司だからといっても、人間的にどうなの? って気持ちになった。
そんな、私が嫌っている人種にはなりたくはない!
だからこそ、今はルーマウスとは対等の立場での話をしたい!
私は管理ボードで、そこまで広くはないこの部屋に、簡易的な小さなテーブルと椅子を2脚出した。
「それに座って話しましょう」
ルーマウスは謙虚さを見せるも、私はそれを聞き入れることなく座り、対面にある椅子に彼を座らせた。
「では失礼いたします」
観念したように彼は椅子に座り話をつづけた。
「先ほどマリ様がおっしゃったように、交易に際して、必ずと言っていいほど、この関税と言うものが掛かってきます。関税とは、国家間での商品取引を行う際に発生する商品に掛けられる税金のことです。この関税の最も大きな目的は、安価で輸入できる国の商品ばかりを買ってしまわないように税金を掛け、国内の商品や産業を守ることにあります」
「その関税というのは一律なのかしら?」
「いえ、取り扱う商品によって関税率は変わってきますが、一概にいくらというのは決まっておりません。それらは交易国同士で話し合って決める内容になります」
「なるほど」
「まあ、基本的には商品の分類でやり取りをすることが多いと思われます。例えば、鉱石や木材といった素材関係。素材を加工した製品関係。細かく言えば、それらも細分化され、それぞれに税率を定めるものですが、そこまで話をするとなると果てしなくなるので割愛させていただきます」
「多分に決めることがあるのね」
これ、私一人で決めることができるかしら?
……絶対に無理だわ。
この商業的知識を持ち合わせた配下に手伝ってもらうしかないわね。
「さきほどマリ様は貿易に際して求めるものは関係性だとおっしゃりました。貿易の基本的な目的にはそういった関係性の構築というのも一応存在しますが、かなり稀有なものに当たると思います」
「なら、どういったのが一般的になるの?」
「貿易の目的は自国では入手できなものを手に入れるためや、国の経済を回すことを主な目的としています。他にも自国に誇れるものがあればそれを他国へ売り捌く。それらが本来、貿易の目的となります。またその過程で得た信頼関係によって、新たな貿易を掴んでいく。貿易大国からすれば、貿易というのは次の貿易を生むためのものなのです」
「なんだか少し難しくなってきたわ」
「貿易に関して、考えはいたって簡単でいいと思います」
「というと?」
「関係を築くための貿易であろうとそうでなかろうと、マリ様は、このダンジョンで採れた素材及び製品を種に、他国へ売り捌けばいいだけです。このダンジョンでの素材は一級品。またそれらを基にして作り出した製品もまた一級品。それらはこのダンジョンが誇るものです。それを他国へ売り、評判が良ければそれがさらにほかの国にも広がっていきます。噂が噂を呼ぶ。商売は商売を呼ぶ。たった一つの交易から、枝葉のように関係は広がり、潤いは生まれるのです」
「そんなうまくいくかしら?」
「いきます!」
あら、断言した。
「これは、扱う物が他とは違う希少なものだからです。これが、例えばここでなくても採れるものを取引するのであれば、その国における有用性を提示しなくてはいけません。なぜなら、他の国も同じ商品を扱うので、商売敵が生まれます。その中で生き残るには、それ相応の付加価値を相手に提示しなければ商売市場では勝てません」
「そうね」
「ですが、マリ様の扱う商品はそれに該当しません。私は闇側でしか商売をしていませんので、あくまで私の見解ですが、ここで採れる素材が他国で採れるかと言われれば採れないと断言できます」
「そんなにここにあるモノは希少価値が高いの?」
「はい。それに、単純な希少価値だけでなく、ここの立ち位置という面においても、他国とは一線を引いております」
「それは?」
「基本的に、ダンジョンと言う物を何処かの国が占領するというのは禁止されております。ですので、素材を商売道具として使うには、人員を派遣して素材調達を行い、採れた素材を他国へ流すほかありません。となればそれを行うための手間と費用が掛かるのです。それに対してここではダンジョン自体が一国という扱いになりますので、自国で採れた作物を売る国と同意義になります。そこで明瞭たる差が生じる上に、扱う品の希少性も違う。ともなれば、現状で敵になりうる国は正直いないでしょう。ですので、単純にここで採れた商品を他国へ流すだけで儲けは生まれますし、貿易交渉締結も問題なく進むかと思います。それほどまでにここでの優位性、有用性は高いでしょう」
「なるほどね。なら、交渉自体もそう難しいわけではないのね」
「ただ」
ルーマウスは眉間に皺をよせ私を見る。
「無暗矢鱈に商品を売るのは控えていたほうがいいでしょう」
「どうして? 扱う商品が多ければ、私たちは沢山儲けることもできるし、優位性を示すことにもなるわ。そうすればまた別の国との貿易にもつながると思うけれど……?」
「現時点での、このダンジョンにおける優位性は、その希少価値のある商品を買えることにあります。ですが、それを他国へ大量に輸出してしまえば、その価値は徐々に下がっていき、終いにはそれを基にこちらにない物を造り商品とする可能性だって生まれます。うまく市場を操るには、扱う商品、扱う数量に気を付けなければいけません。ですので、まずは商品を小出しにして貿易を結んだほうがよろしいでしょう」
そういうものなのね。
分かったようで、正直なところ、まだ分かっていないままだけど、云われた通りにすればまず間違いはなさそう。
私の考えよりも、専門家の意見の方が絶対的に信憑性があるもの。
「わかったわ。そのことは肝に銘じておく。非常に助かったわ。またこの礼はいずれさせてもらうわね」
「では、その際は是非、このアバン商会を御贔屓にしていただければと思います!」
「分かったわ。考えておく」
私は立ち上がり、ルーマウスの方へ手を伸ばす。
爽やかな笑顔をみせた彼は、優しく私の手を握る。
「これからも助けてもらうかもしれないけれど、その時はお願いね」
「一介の商人ではありますが、是非に協力させていただきます」
「今日はありがとう。それじゃあこれで失礼するわ」
私はルーマウスに見送られ店を出た。
冒険者への知らせもルーマウスがしてくれるとのことだったので、私が態々行く必要もなくなった。
とりあえず、ぶらりと街の様子を見てから城へ戻ることにした。
街はいつも通り平穏そのもの。
問題のようなことは何も起きていないみたい。
中心街の工事も進んでいる様子で、けたたましく音が鳴り響いている。
多種族が荷物の運搬やらで往来している中を歩きながら軽く挨拶をして困っていることが無いかを聞きまわっているけれど、みな一律に「大丈夫です」と返してくる。
気を使っているのだろうか。それとも本当に何も困っていないのだろうか。
正直わからない……。
まあ、みんながそういうならいいけれど。
中心街を抜け、城の北側。
工業区が迎えるも、そこにはまだ何もなかった。
これから進めていくといっていたけれど、それもまだ先のようね。
まあ、別に急いでることはないから私的には全然いいけれどね。
とはいっても、全く未開拓というわけではない。
ある程度の区分けはされているし、開拓された土地には既に資材の運搬がされている様子。
山積みになった資材があちらこちらに置かれており、いつでも作業を開始できるようになっている。
この広大な土地が全て製品工場や工房になるのを創造するとわくわくするわね。
今でさえ、何もなかった土地に建物が続々と建っていく様子は見ていて圧巻だし、それが私の指示のもとに生まれていくのが何とも言えない気持ちになる。
『――マリ様』
突然、メッセージが届いた。
声からしてロローナだ。
「どうしたの?」
『ダンジョンを出た森の中に怪しげな恰好をした者を発見いたしました』
「怪しげな? どんな格好?」
『漆黒の外套を目深に被り、森の中を潜むように歩いています。顔が見えないので性別や種族はわかりませんが、外套からはみ出ない尻尾や角の類が無いことから、人間か、角や耳、尻尾が非常に小さい種族かと思います。情報が少なく申し訳ございません』
「いえ、十分な情報よ。相手との距離はちゃんととっている?」
『はい。十分な距離を取りつつ観察を続けていま、ってあれ? いない……? うそ、さっきまであそこに……。申し訳ございません。見失ってしまいました。すぐに探し――きゃっ!!』
「ロローナっ!? 大丈夫!!? 返事をして!! ロローナっ!」
それから、彼女からの連絡は途絶えた――。
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