第12話 そして母となる

 眼前で私に抱き着く幼き少女は、私をじっと見上げて「ママ」と告げた。


 …………ん?


 ――あれ、聞き間違い?


 ――確かに最近聞き間違えることが多い気がする。だからさっきのもきっと聞き間違えよね。


 私は少女に同じように満面の笑みを返す。


 すると、少女はつづける。


「きゃはっ! ママっ!!」


 少女はまた私の胸に顔を埋める。


 ――おやおや? 


 ――どうやら聞き間違えではないらしい……。


 改めて少女を見る。

 少女の体、どこからどう見ても、私の要素など一ミリもない。

 てか、私はまだ誰ともやっていないわよ! 

 処女よ、処女!

 生んだ記憶も経験もない!

 きっと、少女の勘違いだろう。

 私と少女の母親が少し似ているだけに違いない。


「私は貴女のままじゃないわよ」


 少女は私の言葉の意味が分からないようで小首をかしげる。


「どうやら、まだあまり言葉を得意としていないようです」


「そうみたいね」


「マリ様。いつの間にご息女を?」


「いや、どう見ても違うでしょ! てか、違うってわかってるくせに言ってるわよね、それ?」


 エルロデアが能面な演技で私を揶揄ってくる。


「それにしても……」


 私は少女を優しく持ち上げて抱きかかえて、あたりを見る。

 すると察したメアリーが手ごろな椅子を用意して私の元まで持ってきてくれた。

 私はそれに腰を据えると、抱えた少女の頭を撫でながらエルロデアに訊く。


「この子が私の子ではないのは確かだけれど、なぜ私のことをママと呼ぶのか。なにか心当たりはない?」


「そうですね。その意志ある魔物ヴィレトゥスは確実にこのダンジョンによって産み落とされた存在なのは確かです」


「そうなの?」


「体をめぐる魔力の波長がこのダンジョンの物と同じです。付け加えて言えば、マリ様の波長とも似ています」


「てことは、この子は私の魔力とあなたの魔力によって産み落とされた存在ということ?」


「そうとらえても差し支えないかと思います。ですので、マリ様のことをママと呼んでいるのでしょう」


 ――マジか……。


「とどのつまり、私とマリ様の間にできた子供ということですね」


 能面だった彼女が見せた悪戯な笑みに、「それは違う!」と、一同は慌てて声をあげた。

 けれど、私はあえてスルーさせてもらおう。


「なら、この子には親という存在がいないということね。でも、このダンジョンで生まれたとなれば、それ相応に強いはずだけど……」


 少女のその幼い姿を見て、そんな雰囲気など微塵も想像つかなかった。


「全然そうは見えないわね」


「見た目だけでは判断がつかないのがこのダンジョンの性質です。小型の魔物も上層の大型魔物よりも数段強いなんてことはざらです。それで考えれば、この少女もまたなにかしら特質したものを持っている可能性があります。それに、見た限りですと保有する魔力量も多いようです」


 少女は私の顔を見上げ小首をかしげる。


「あなた、名前はある?」


「……?」


 どうやらないみたいだ。

 それとも私の云っている言葉が理解できないのか。


「マリ様、その魔物をどうするのですか?」


 アルトリアスが訊く。


「そうね。どうしようかしら。こんな幼い子をまた危険なダンジョンに返すわけにもいかないし……」


 そんなことをしたら私は罪悪感に苛まれて眠れない夜を過ごすことになるだろう。


「まあ、とりあえずはここで暮らしてもらう方向でいいんじゃないかしら? まだ言葉も発達していないようだし、ここで教養を身に着けてもらって、意思疎通が可能になったら、その時考えましょう」


「なら、誰かにその子の教育兼お世話係を任せる必要がありそうですね。これはなかなかに重要な役目だと思われます」


「とはいっても、みんなそれぞれで忙しいだろうしね」


 守護者たちは顔を見合わせている。

 正直なところ、正体不明な魔物の世話などしたくはないだろう。

 皆が悩みあぐねていると、エルロデアが一言。


「マリ様のご息女のお世話なんて、まるで正妻のようですね」


 その瞬間だった。

 一同が私の元に押し寄せて、我先にと立候補をしてきた。

 その光景を見ながら少しほくそ笑むエルロデア。


 ――なかなか策士だわ。


 この場に居る者たちを見回して、私は誰が一番適任かを考える。

 教育や世話といった観点で見れば、真面目にこなしそうなのはゼレスティア、レファエナ、サロメリア、メフィニアあたりだろう。

 そのなかでも、サロメリアは特に向いてそうだった。


「なら、ちょっとサロメリアに任せようかしら?」


 あまり彼女に仕事を任せてこなかったため、すこし彼女も物足りなさを感じていたかもしれない。


「本当ですか!? 光栄の極みでございます!」


「じゃあ、さっそくこの子を――」


 私は抱き着く少女を抱えてサロメリアに引き渡す。

 彼女は私から少女を受け取りと非常にうれしそうに表情を緩ませる。

 しかし、その表情は一変した。


「きゃー! ママっ!! ママーっ!!!!」


 私の手から離れてサロメリアの腕に納まった瞬間、少女は私の方へ向かって両手を伸ばして暴れだしたのだ。

 その姿はまるで母親の手元を離れた赤子のようだった。

 私は空かさずサロメリアから再び少女をもらい受けることにした。

 私の元に戻るや否や、先ほどよりも強く抱きしめられる。

 抱えている手を離しても絶対に落ちないだろうほどの力で少女はしがみつく。


「サロメリア、大丈夫か?」


 そんなアルトリアスの言葉も届いていないほどに、表情を凍らせたまま、サロメリアは直立していた。


「残念だったね」


 モルトレが諭すようにいう。


「ごめんね。サロメリア。どうも私以外は嫌みたい。ひとまずこの子のことは私が預かることにするわ。みんなもごめんね」


 私は魔物の少女を抱えながら考える。


 ――さてさて、どうしたものか。


「この子のことなんだけど、エルロデアも手伝ってもらえる? 流石に一人じゃ心もとないし。それに、ダンジョンから生まれたなら、貴女ことも親と認識する可能性があるんじゃない?」


「かしこまりました。ですが、ダンジョンから生まれたからといっても、好かれるかどうかは別問題だと思います。この通り、私はあまり表情が豊かではありませんので、幼きものには怖がられる可能性があるかと」


「ためしてみれば?」


 エルロデアの方に少女の顔を向けさせると、少女はむくりと顔をあげてエルロデアの方をじっと見る。

 エルロデアもすこし屈み少女を除く。

 するとどうだろうか。

 少女は先ほどと違っていやがったり、顔を背けたりはしなかった。

 じっと彼女の方を見ている。

 エルロデアが手を伸ばすと、少女の方からも手を伸ばしてきた。

 そして、エルロデアの手をそっと握る。

 その光景を目にしたサロメリアがさらにショックを受けてあたりに冷気をまき散らしていた。


「よかったわね。嫌がられてはないみたいよ」


「そのようです。これは少し驚きです。やはり、私とマリ様を実の親と認識しているのでしょう。ダンジョンから産み落とされた存在ということは私が母親でしょうか? そしてマリ様が父親?」


「はいはい。冗談はさておいて、この子の面倒を見ていくうえで名前がないと不便よね。名前を決めてあげないと。何がいいかしら?」


「名前ですか。一角蛇ホーンセルペントでいいんじゃないでしょうか?」


「それ種族名じゃない。流石に可哀想よ。もっとちゃんとした名前をあげたいわ」


 ダンジョンから産み落とされた新しい命。

 天からの恵み。


「グラスなんてどうかしら?」


「よろしいかと思います。本人も気に入っているようです」


 エルロデアが少女の方をみて言う。

 確かに少女は意味を理解しているのかわからないけれど、満面の笑みを浮かべていた。


「ならこの子の名前はグラスよ。みんなもよろしくね」


「かしこまりました」と一同が返す。


 さて、流石に少し疲れたわね。

 私はグラスに自身で立ってもらうように促すと、案外素直に私から離れてくれた。しかし、未だに尻尾は私の足に絡みついたままだけど。

 グラスの手を握りながら、傍らに立つ私。

 その光景はまさに母と子そのものだ。


「まだ不明瞭なことばかりだけど、ひとまずは良しとしよう。ダンジョンの魔物である以上、私と敵対することはまずないはずだから、当分は私の傍に置くわ。私がどうしても手が離せないときは基本的にエルロデアに頼むからそのつもりでいてくれる?」


「かしこまりました」


「なら、まずはこの子の服だけど」


 今のグラスは、治療室に置いてあった適当な服を着ているだけでサイズや諸々があっていないものだった。どうやらグラスは発見された当初、衣類を纏っていない生まれたままの姿をしていたらしい。

 とりあえず、このままではいけないと思うから彼女の服を用意しよう。

 服飾に関してはフローリアさんに頼めば早くて明日中には出来上がってくるだろう。

 なら、まずは彼女の元に行くとしよう。


 まだダンジョン入り口の転移門の件を解決していないけれど、それはそのあとでいいだろう。特段急務というわけではない。

 それに、ダンジョン管理の範囲なら、基本的にデスクワークだ。

 執務室に戻って作業ができるから優先順位は下げても特段問題はないだろう。


「今からフローリアさんのところに行ってくるから、みんなはもう持ち場に戻っても構わないわ。ただ、今回のようなことが他でも起きている可能性があるかもしれないから、そのことに少し注意を向けておいてほしいわ」


 守護者各位のまっすぐな返事をいただき、私はグラスの手を握ったまま蜘蛛人フローリアの元まで転移した。






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