第10話 荒ぶる乙女

 一部始終かはわからないけれど、決定的な瞬間を見られていたのは確かだろう。

 各階層守護者たちが私の前でへたり込む守護者統括の姿と合わせてみれば、十二分に状況を把握できるだろう。

 そんな予想と危惧は、一瞬にして確固たる明瞭のものとなった。


 目が合ってしまった彼女らから、その視線をそらそうとしたとき、ドタバタとせわしない音がしたかと思うと、多色の声音が勢いよく飛んでくる。


「これはいったいどういう状況ですか!?」――

「うらやましい! うらやましいです!」

「統括という身でありながら、抜け駆けなど!」

「な、何を、何をされていたのですか!?」

「あまい、甘い匂いがしますよ!」

「マリ様! 僕にも! 僕にも!!」

「ナニカ分カらナイ。ケど、ウラヤマシい」

「あわわわっ! す、すごいです!」

「……ふっ」


 一斉に言われてどれがだれの言葉かもわからない状況で、私はひたすらに彼女たちから視線をそらした。

 けれど、向けられる熱い視線に気圧されて、私は渋々彼女らに向き直る。

 すると、吐息が届くほど近くに皆の顔があった。


「みんな、少し落ち着いて。これにはすこーし事情があってね」


「いったいどんな事情があったら、ハルメナがこんな表情になるんですか?」


 落ち着きを取り戻しつつあるも、まだ興奮気味なアルトリアスが訊ねる。


「そもそも何をしていたか知っているの?」


 一体彼女たちはどのあたりから……いや、そもそも何を見ていたのだろうか?

 彼女の翼のおかげで私がハルメナとキスをしていたことは見えていないはず。

 彼女の翼の檻が解けたときにはもう既にことは済んでいた。

 だから彼女たちは私がハルメナの翼の中から現れたところしか見えていなかったはず。

 なにも見られていないのであれば、そもそも私が心配することはないはずよ。

 見られていないのであれば、私は何もしていないのと同じ。

 まだ間に合うわ。

 彼女たちを言いくるめて、この場を収めましょう。


「熱い抱擁と、ハルメナの性感帯への執拗な愛撫です」


 ――ん? バレてる? な、なんで?


 ふと思い返してみる。

 彼女たちからは私の姿は見えなかった。見えるのはハルメナの背中と、私を覆う大きな翼だけ。

 でも、私は彼女を抱きしめていた。

 抱いた時の手が翼から出ていた気がする。そうなると、彼女たちはその手を目撃していたということか。


 ――なるほど。


 ――って……ちょっと待って。なにか重大な問題を私は聞いたような気がするけれど。


 ――性感帯への執拗な愛撫?


 ――私は別に彼女の大事なところには手を伸ばしてはいないけれど?


「あの舐めるような愛撫……」


 いつも厳格なアルトリアスが、頬を染めながら静かに零す。


「さぞ、筆舌に尽くし難い快楽だったのだろうな……」


 ハルメナの方をめ付けるアルトリアス。


「クソっ! 羨ましい」


 そんな彼女の睨みなど一切動じることなく、件のハルメナは未だに意識を何処かに飛ばしたままだった。


「翼をもつ種族にとっては、どこよりも敏感な場所が翼になります。マリ様はその最も敏感なところを執拗に弄ったのです」


「ご、ごめんなさい。そうとは知らなかったわ。ただ、ハルメナがとてもいい反応をしてくれたからつい意地悪をしたくなってしまったのよ」


「知らなかったのなら致し方ありません」


「レファエナ、怒ってる?」


「いえ。全然これっぽっちも怒ってなどいません。ご安心ください」


「とはいえ、マリ様。これはなかなかどうして看過できない事態ですよ」


 ハルメナから視線を戻したアルトリアスが真剣な表情で言う。


「そんなに!?」


 それは流石に大げさだ。

 なぜならこれよりもすごいことを過去に何度かしたはず。

 それに比べれば今回の件はまだかわいいほうだと思うけれど。


「最近は皆、マリ様の執務に邪魔をしないように、あまり積極的に求めずに我慢をしておりました」


 ――我慢って……。


「ですが、そんな中これ程の厚い愛を見せつけられてしまえば私たちも我慢ができなくなってしまいます」


「そうですよ。僕なんて全然経験ないですよ」


 モルトレがそう訴えるけれど、モルトレとオーリエとオフェスはちょっと倫理的に難しい。

 彼女らに手を出したとなれば、私はもう戻れないような気がする。

 そんな倫理観を今だ確りと携えている私は彼女たちの誘いはきっぱりと断っていた。

 とはいえ、今回のことも全てハルメナの暴走によるものな気がする。

 まあ、私もそれに乗ってしまった節はあると思うけれど、あれは淫魔としての能力が効いたせいもある。

 あの時、私は不自然なほどにハルメナのことを酷く魅力的に感じてしまった。

 彼女の瞳をじっと見ていくうちに意識がすーと遠のくような感覚だった。

 あれは確実に能力の一種に違いない。

 事の真意はハルメナが意識を戻してからゆっくりと聞けばいいだろう。


 とりあえず、今は目の前の問題を解決しなければいけない。


「みんな、いったん落ち着きなさい!」


 一喝するように私は彼女たちに告げる。


「先ほどの件に関しては申し開きはないわ。だけど、ここで騒いでいられても困る。だから、この件に関しては後日確りと対応させてもらうわ」


 そんな私の言葉に非常に不服そうな顔を見え隠れさせる配下たち。


「「「「「「「「「かしこまりました」」」」」」」」」


 それでも一番苦渋な顔をしているのはアルトリアスだった。

 苦虫を噛みつぶしたような表情のまま、ハルメナを見る彼女。


 ――そんなに?


 ハルメナとアルトリアスはこのダンジョンの管理を任されてから初めて創造した配下だ。最高の理解者でありライバルなのだろう。だから、私には理解できない二人だけの想いというのがあるはず。


「さ、それよりも」


 一同が私に目を向ける。


「守護者が揃って私の元へ来るということは何かしらのことがあったのじゃなくて?」


 皆が一堂に会するのは基本的に私が会議に招集した時と、食事の時。それから、最近ではお風呂の時だ。それ以外は基本、自身の守護階層の管理に務めている。

 だから、彼女らがこうして顔を揃えているというときは、何かしらことが起きているときだけ。


 大きな問題じゃなければいいのだけれど。


「はっ! そうでした!」


 アルトリアスがはたと言葉を零す。


「実は、ダンジョン内で生み出される魔物レナトゥスの中に意思をもつ個体が発見されたのです」


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