第10話 苦渋
レファエナの言っていることを理解できないといった顔で、互いを確認しあうフローリアたちに、その答えを教える。
「種族の生存が目的なのであれば、他の矜持をかなぐり捨てる気はありますか?」
「矜持ですか……。私たちは古の大戦からその絶対数を減らされ、危機的状況に陥っていました。それでもこうして森の中で密かに暮らしてきています。私たち蜘蛛人は、知っての通り女性しかおりません。子孫繁栄のためには他種族の男と身を結ぶ必要がありますが、他種族から見れば、私たち蜘蛛人は気味の悪い容姿をしているそうです。ですので、好意を寄せてくるものは殆どいません。しかし、私たちはこれ以上数を減らすわけにはいかなかったため、村を出て他の村や通りすがりの男を攫っては無理矢理その身に関係を結ばせるようなことばかりしておりました。だから、蜘蛛人という種族の悪い噂は広がり、私たち蜘蛛人に近づけば食われてしまうと、今日日皆が知っていることです。しかし、そうまでしてでも、私たちは生き残りたいのです。だから、私たち蜘蛛人は他に捨てるような矜持もなく、ただ蜘蛛人という存在が潰えないように必死なのです」
「なら話は早いです。私たちが貴女方に提供できるのは、どこよりも安全な居場所。絶対的脅威からその身を護れる安全な場所を私たちは提供します」
「そんなところがあるのですか?」
「あります」
間髪入れずにレファエナは答える。
「例の者を退けた者たちと、既に龍種と戦闘を行い倒した者がこうしてここに集っているのです。信じるには十分ではないでしょうか?」
少しばかり威圧的な視線を向けた彼女に、フローリアたちは身を縮めた。
「わ、私たちは別に疑ってなどいません。ただ、どうにも現実味がないといいますか……判断つきかねる思いなだけです」
幾ら目の前にいる彼女らが納得のできる実力を持っていたとしても、彼女の言う安全な場所と言うものが本当にあるのかは、また別の話。
そんなところがあれば、今頃その場所で平和に暮らせているはず。けれど、実際はこうして森の中や、土の中に隠れ暮らしている始末。そんな生活の末端からどうやって理想郷を信じればいいのか。
蜘蛛人である彼女たちは思う。
「まあ、云われても君たちからすれば、信じようのない眉唾な話だろう。なら、実際にその場所に来てもらえばいい。騙されたと思ってついてくればいいさ」
暗黒騎士はバイザーの中から赤い目を光らせて告げる。
しかし、フローリアは言葉を詰まらせる。
「不確かなものに、私たちは安易に行動することはできないのです。不確かだからこそ、慎重に行動し、確証へと導かなくてはいけないのです。少しの判断ミスが、種族の存亡にかかわりますので……」
いくら絶対的存在に殺されかけたといっても、古の大戦時には、多くの種族、多くの物、多くの命が消えていった。彼女たちのような不安を抱えるの種族はこの世界にはまだ沢山いるだろう。
蜘蛛人という種族は決して弱いわけではない。
過去に凄惨な戦闘があり、仲間が殺されたとて実力と数がいれば、多少の心配で済むものだが、種族として数が、当時の戦いの影響で極限まで減少し、吹けば消えるほどの灯となった今、力を誇示して今まで通りの生活を送れば、瞬きすれば種が絶えるだろう。そういった例えようのない緊迫感と恐怖が、今の彼女たちを追い詰めているのだ。
だから、眼前で構える修道女やその後ろで構える暗黒騎士の実力を理解してもなお、判然としないものに対して、それを信じて安易に行動することができないでいる。
少しの間沈黙が続き、アメスがそっと口を開いた。
「では、代表者を選び、その者たちを先に案内するというのはいかがでしょうか? そこで信用に足ると理解していただければ、後日、残りの皆さまも一緒に来ていただければいいかと」
「それでしたら……」
「では決まりということでいいですか?」
「はい」
レファエナはフローリアの返事を聞き即座に立ち上がり踵を返そうとする。
「どちらに?」
フローリアの問いに、彼女はあっけらかんに答える。
「戻るのですよ。仲間は負傷し、伝えなければいけない報告が山積みである今、悠長にしている暇はありませんから。貴女方も、ゆっくりはしていられないのでは?」
一刻も早く、レファエナ達が案内するところが安全かを確認し、脅威が去った今という好機を逃すのは愚策だろう。
フローリアは直ぐに護衛の者たちに声をかけ、先行員の人選を急がせた。
「アメスとディアータ、それからベネクはここに残ってもらいます」
「まあ、打倒ですね。私たち全員が戻ってしまえばここを護る者がいなくなる。一度襲撃されたところは今以上に危険な場所となるのは定石」
「そういうことです。現状、戦闘を交えたアカギリとカレイドは私と一緒にマリ様の元へ来てもらいますが……、カレイドはともかく、アカギリはまだ無理そうですね。それと、メアリーも私たちと共に戻ってもらいます。貴方は本来、ダンジョン内で、マリ様のお傍で仲間の治癒を行う立場です。ここにいる誰よりも早急に戻る必要があります」
「理解しています。今回は特例とのことで、マリ様からも直々に仰せつかっていますので」
「ここのことは任せてください」
アメスがレファエナにそう告げると、彼女は少しだけ口元をほころばせて返す。
「お願いしますね」
そして、すべての支度を終え、
選抜されたのは、ヴォルムエントで村の循環警備を任されている者たちで、皆、実力のある者ばかり。とはいえ、厄災の少年から村を護るために戦ったバランよりは幾分劣る。
「この者たちを同行させてもらいます。すみませんがよろしくお願いいたします」
「何かあれば私たちが守りますので、ご安心ください。では、私たちの仲間のこともなにとぞよろしくお願いいたします」
そういって、レファエナたちは急ぎ村を後にした。
彼女たちが去った後、フローリアは隠穴に居る仲間たちに命令を下した。
「移住の準備を始めなさい!」
それだけ言い放つと、広間に居た蜘蛛人たちが一斉に動き出した。
「信用できないのではなかったのか?」
その異様な発言に、ディアータはフローリアに尋ねる。
「安全という確証はまだありません。ですが、安全であろうとなかろうと、私たちにできる最善は、いつでもここを離れられる準備をすることです。先ほどのお話にもありましたが、ここはもう安全ではないでしょう。一度見つかった根城は、否応なく滅ぼされています。例の、村に来た少年の正体が本当に龍種かどうかは判然としませんが、もしそうであるのならば、ここはもう安全ではありません。隠穴といえど、見つかるのも時間の問題です。だから、どのみちここを離れなくてはいけません」
「見た感じ、この村には随分といるようだが。それでもそんな簡単に移動してしまえるのか?」
「無論です。命あっての物種ですから」
「……そうか」
同じ言葉を最近聞いたなと、ディアータはバイザーの下で小さく笑う。
「はい」と返事をするフローリアは自身も支度をするといい、奥へとその姿を消していった。
何かあれば彼女が呼ぶだろうと、ディアータは一旦医務室へと戻った。
寝台にはまだ意識を回復させないアカギリの姿と、ベネクの姿がある。
アメスはベネクの隣に座り、傷がついて手を優しく介抱していた。
そんな中、ディアータが襤褸雑巾のような姿となったアカギリの傍に立ちその姿を見下ろす。
魔王マリの配下は皆、彼女の恩恵を受けてその実力を増幅させている。だから、大抵の相手には傷を負うことすらないのだが、こうも瀕死状態にまでさせられるとは。例の少年が万全の状態であったのなら、私たちが来たところで戦いを終わらせることができたかどうか。些か疑問を強いられるもの。
既に龍種の炎龍を倒したディアータでさえ、今回相手した少年の実力が龍種のそれに匹敵すると感じていた。戦いこそ炎龍よりは楽だったとはいえ、片腕を失った状態で階層守護者であるレファエナと戦闘特化のディアータの攻撃に余裕で耐えるだけのタフさは尋常ではない。
だから、少年の方が、炎龍よりも確実に強い存在であったと彼女は認識している。
「……こ……ここは……?」
掠れる、空気が抜けるような声でアカギリが訊く。
「ヴォルムエントの地下にある隠穴だ。例の少年なら既に退いた。安心しろ」
ディアータの姿を見て、アカギリはすべてを悟り、霞みあがる視界を鉛の様に重い腕で覆い隠す。
「……私は、また……負けたのか……」
こみ上げる悔しさという感情が、彼女の胸を締め付ける。
一度、無様に負けを晒してから、マリ様によって修行をつけてもらったというのに、こうしてまた負けを晒してしまい、あまつさえ、他の仲間にも迷惑をかけてしまった。
そういった自分自身の実力の不甲斐無さに心底憤りを感じ、悔しさに感情があふれ出る。
「奴は強い。そして貴女も強い。ただ、少しだけ奴の方が上だっただけだ。気にするなとは言わないが、いつまでも悔やんでいても仕方がない。私たち配下のあるべき姿はいったいなんだ? それを貫くために、貴方は何をする?」
そんな厳しい言葉に、アカギリは唇をかんだ。
「……あんた、情報収集係のディアータだろ?」
直接話したことはなかったが、それでもアカギリは彼女に懇願するしかない。
なぜなら、眼前に立つその者が、寝台に横になる自身よりも強いという事実を理解したからこそ、彼女は頼むのだ。
「私を、強くしてくれ」
バイザーの下で、赤い瞳が彼女を見下ろす。
「私にできることはすべてしよう。だがそれも限りあるもの。それより先は自身で切り開くしかない」
「……ああっ」
バイザーの下でそっと笑みを零す。
「なら、まずは体を休ませた方がいい。急ぎたくなるだろうが、まずは療養に専念しろ。話はそれからだ」
そう言い残して、ディアータは医務室を出た。
「なあ、アメス」
「なんでしょうか?」
ちらっと寝台に横になるベネクの姿を見てから、天井に視線を移す。
「あの時、私はあいつの攻撃から皆を守りきれたか?」
その時を目撃していないアメスは訪れた時の状況から言葉を返す。
「私が来た時には、皆さんメアリー様の治療を受けておりました。ですので、詳細は分かりませんが……カレイド様は私が来た時には既に意識を保っておられました」
「……そうか。ありがとう」
アカギリは静かに目を閉じた。
あの時の私の行動で、何かが変わったかはわからない。
けれど、今こうして彼女が無事でいるのならそれでいい。
そう思いたかった。
でも、結局のところ、私は守り切ることはできなかった。
彼女にこれ以上傷をつけさせるかと意気込んでいたのに、このざま。
無様に滑稽じゃないか。
悔しい……。
悔しい……。
暗澹とした意識の中で、彼女はその言葉を何度も何度も反芻させた。
胸に刻みこむように。静かに、強く。
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