EXTRA1

第1話 魔王オバロン・リベル・エラ・ジルファニス

 茂みをかき分け、重い足を前へ前へと運び、ことの知らせを迅速に王の元へ届けようと、傷を負った鬼人と狼人が生い茂る緑に紅い血で道を造っていく。

 魔物の脅威から逃れ、平穏な外界へ出た彼らは、真っ直ぐに自らの街へと向かった。

 森を抜け、天高くそびえるヒズバイア山脈の中を通り、反対を目指す。

 鉱石が多く眠るヒズバイア山脈は洞窟内の外壁に数多の鉱石がむき出している。採取して売ればそれなりの価値のある鉱石だったが、彼らにとって今はそんな事眼中にないと、稀に見つかる稀少な鉱石をも横目に流して只管洞窟内を進んで行く。


 早く、早く。知らせなくては。


 その一心だった。

 彼らの血痕がか細い線を描き、洞窟内に印を刻んでいくうちに、漸く先が明るくなり始めた。

 抜けた先は緑など一切存在しない岩盤地帯【フーレン】。山脈に囲われた盆地は火山の火口を彷彿とさせるものだった。そんな緑に見放された土地にぽつねんと佇む城があった。

 城というにはあまりに無骨な造りで、力で無理やり岩を重ねて作ったかのようなものだった。城というよりは砦の跡地のような場所だ。

 山脈の所為で、この地帯は常に上空では厚い雲が渦巻いており、太陽の光を遮蔽していた。

 薄暗い世界の孤独な城へと彼らは傷を抑えながら向かう。

 城の周りには人為的に尖らせた岩の柱が何本も突き刺さり、異形さを増していた。

 二人が城の入口まで着くと、入り口というにはあまりにも似つかわしくない、只の岩の切れ間のような処に、頑丈な岩で象られた醜怪な表情の樋嘴ガーゴイルが一体置かれていた。


(ぎしゅぎしゅぎしゅっ) 


 嫌悪感を禁じ得ない醜い笑い声が響く。


(なんだー? そのザマは)


 樋嘴の眼がギロリと動き二人をとらえる。


(粋がって出て行った割に、大層な結果を持って帰ってきたじゃねえーの?)


「……ッ!」


 反論しようにも、返す言葉もなかった。


「罵りはあとでゆっくりと聴いてやる。今は魔王様の下に急がなければいけないんだ」


(どの口がゆーか。あのお方に恥をかかせておきながらノコノコと帰ってきた分際でーよ。ぎしゅぎしゅぎしゅっ)


 閉じられていた石の嘴が大きく開いて笑う。


(まーここで俺が云った処で何にも意味はねーだろうけど。ぎしゅぎしゅっ。存分に殺されるといいさ。ぎーしゅぎしゅぎしゅっ!)


 不気味な笑いを高らかに奏でると、樋嘴はパタリと動かなくなった。

 岩の亀裂の釁隙に入っていく二人。中は緩やかな勾配となっており、下がるにつれて、両側の岩壁が徐々に圧迫感を無くしていく。そして十分に開けたあたりから松明が規則正しく岩壁に打ち付けられていた。暗い岩の中で、明るさを確保され、まっすぐ伸びる道を進んで行く。道の途中、幾つもの抜け穴が点在していたが、只管に彼らはまっすぐ歩く。

 そして突き当りにある大きな岩扉の前までくると、扉は勝手に開いた。岩と岩が擦りあうゴリゴリという重い音を響かせて。

 岩扉の先は大広間となっており、松明の明かりで朧の闇の中に蠢く人外の者が、同族である彼らを鋭い眼光で睨め付ける。

 二人の道が自然と開けていき、人込みの先に悠々と岩の玉座に鎮座する者が視界へと映り込む。目を閉じたまま石のように動かないその者の前まで歩み寄り傷ついた身体を休ませるように膝をついて頭を垂らした。


「ハウロア・ハウゼン」


「ガザフ・リエンツ」


「「ただ今戻りました」」


 その言葉に席増と化していた玉座の者がゆっくりとその眼を開いて行く。

 その瞬間、頭を伏せている二人は心臓を握られるような苦しい恐怖を抱いた。


「――それで」


 低く地響きすら起こすほどの声で問う。


「はっ! 件のダンジョンに行ってまいりましたところ、非常に強力な相手と遭遇。ダンジョン内にいた面妖な服に身を包んだ謎の女と交戦となり……」


「負けた、と?」


 恐怖の圧力に押し潰され臓器がすべて潰れてしまうのではないかと錯覚するほどの感覚に陥り、立った一瞬で気持ちの悪い脂汗が噴き出した。ぽたぽたと滴り、気が付けば下に汗の水溜りができていた。そして生唾を飲み込んで漸く彼は返事を返した。しかしその口は非常に重く、発した言葉は消え入りそうな声だった。 


「……はい」


 その瞬間だった。広間に集まっていた者たちが一斉に高らかに笑いだした。


「ぎゃーははははは!!」

「女如きに負けてやがるとか、どんだけ雑魚なんだよ!」

「あいつら悠々とここを出て行ったのに、だせぇーやつら!」

「俺らの面汚しだ!」


 飛び交う同胞の罵声が広間に響くなか、ハウロアとガザフには一切届いていなかった。そんな罵詈雑言なんか比にならない恐怖が目の前にあるのだ。自分の命の危機を目の前にして、そんな事など頭に入ってくるはずがない。


「面を上げろ」


 地響きを伴う低い声がそう告げる。

 広間に蔓延っていた喧騒が一瞬にして委縮した。そんな中、二人は言葉に恐る恐る顔を上げた。

 紅い眼光が闇で光る。その表情は一切変化しないまま、冷徹な面持ちで告げる。


「貴様らがそれほど負傷を背負うとは、その相手は相当の手練れと言う訳だな」


「は、敗北したことに、弁明の余地などありません」


「そんなことなど、今はどうでもいい」


「し、失礼致しました! 近郊に出現したダンジョンですが規模は不明。私共が潜れたのは12階層ほどでした。そして、その12階層で件の女と遭遇したのです。女は見慣れない黒い服に身を包み、一見は非常にか弱そうな人間のようなでした。しかしそれに反して、戦闘は高度な魔法を行使してきて、こちらの攻撃が一切届きませんでした」


「遠距離型の魔法師か」


 そこまで報告してからはたと気が付き、それを口にする。


「もしかしたら、あれがあのダンジョンのボスだったのかもしれません」


「――以上か?」


 被せるようにしてそう訊く。


「え? あ、はい。私共が得た情報は以上になります」


 紅い眼光はゆっくりと閉じていき、闇と同化した。そして、淡白に言い放つ。


「なら、貴様らに用はない――」


「え?」


 疑問を持ったのも束の間、それはどういうことかと訊こうとした瞬間だった。広間に何かが破裂する爆発音が轟いた。

 騒めきが横行する中で玉座の前では肉塊と血溜まりが広がっていた。

 先ほどまで敗北した二人を嘲笑っていた奴らは一同恐怖に身を縮めていた。何故なら、玉座に鎮座するここの主、魔王を怒らせればその身がどうなるか、眼前に広がる元仲間の様子を目にし理解したからだ。

 そんな恐怖に汚染された空間で、王はその重い口を開いた。


「随分と静かになったな。どうした? これから仲間を殺した奴らを潰しに行こうと云うのに、仲間想いの欠片もないのか貴様らは?」


 その威圧的な声に怯えながらも、ここで黙ってしまえば自分が殺される。そう悟った一同は無理に雄叫びを上げ始めた。そんな奇々怪々とした空間で、ずっと玉座に座っていた魔王が腰を上げた。


「準備しろ! 全軍をもって件のダンジョンを潰しに行く。怖気づくような者は今ここで俺が殺してやる!」


 一層喊声が高まり、王が玉座を降りていく。しかし、その先には血溜まりと肉塊が散乱していた。それを王に踏ませないために、数人の配下が刹那に動き一瞬にして道を綺麗にした。道を挟み、膝をついて首を垂れる配下を横目に魔王は岩のような鎧を動かして道を進む。

 下級の者は王の道を、喊声を上げながら造り、上級の者は王の後ろについてその道を歩く。

 道が途切れたところで、魔王は不敵に笑いを浮かべた。


「面白い。俺の顔に泥を掛けるなど、身の程を知らない屑が。徹底的に潰して思い知らせてやる。この領域を統べる魔王オバロン・リベル・エラ・ジルファニスに盾突いたことをな」


 魔王オバロンはヒズバイア近郊を統べる魔王としてその名を馳せていた。

 彼の強さを知っている者は絶対に逆らわないようにしているほどだ。彼の機嫌を損ねれば都市一つ一夜で消えるほどに危険な存在だった。魔王と云うに相応しい恐怖政治に近い存在だった。ただ、だからと云って、理不尽な占領や蹂躙などは一切していない。だから、心底彼を忌み嫌っている者は少なかった。過去に彼を怒らせて都市が消えた事は在ったが、それは彼を怒らせただけの事。魔王オバロンはそう云った面で見れば慕われずとも、忌避されてもいない中立的存在の魔王なのだ。

 闇域を統べる七人の魔王の中で中立的なのは魔王オバロンだけだった。

 岩城の入口で監視哨として石造と化した樋嘴も王が城内から姿を見せるとその姿に敬服して重く硬い体を動かして王の道を開けて跪くいた。


(魔王様。行かれるのですね? 城の番はこのベン・ラにお任せくださいまし。ぎしゅぎしゅ)


 魔王は彼に一瞥もくれずに吐き捨てる。


「ああ。任せた」


 城からぞろぞろと王の後を歩く配下たちは一同に戦争に気持ちを高ぶらせた歪んだ表情を浮かべていた。彼らの大半は戦闘を好むものばかりで、争いごとには率先して赴いていた。だが、そうそう頻繁に戦争など起こる事もなく、魔王オバロンも理不尽な暴力は好まない主義のため、街を襲ったり、行商人を襲ったりといった悪事は禁止していた。そのためストレスがたまりやすい彼らのために、魔王は城内に闘技場を造りそこで定期的に戦力強化のため、仲間同士で戦わせて彼らの順位をつけていた。自分の力を魔王様に認めてもらうために順位を獲得するために配下は必死になって戦う。そうして力として強力な勢力となった魔王オバロンの配下たちはその力を発揮できる恰好の場に浮足立っていたのだ。

 この世界では、魔王自ら動くと云うのはよくある事で、他の魔王も自分が統治している都市国家以外の場所にもふらつくことなど多々ある。

 そして、争いごととなれば魔王が動くことなど当たり前だ。


 ヒズバイア山脈を抜けた魔王オバロン軍は一旦そこで立ち止まった。

 この世界に突如として出現したダンジョンと、魔王の一端が死んだことに何かしらの関係性があると判断した魔王オバロンは森へ入る前に策を講じる為、ヒズバイア山脈の入口で拠点を造った。

 未知のダンジョンに未知の存在。戦力も殆ど把握できていないまま力ずくで押し切ろうにも、彼我の戦力差が大きければただの自滅覚悟の特攻隊だ。そんな無能な事をすれば、今後の魔王としての威厳が地の底に落ちてしまう。それだけは防ぎたかった魔王オバロンはこうした場を設けたのだ。ただ、自身の顔に泥を掛けたものに対する計り知れない義憤を抱いているのは変わらない。

 魔王オバロンは岩鎧を軋ませて、拠点に置かれた王の座に腰を下ろすと、相手の戦力を考察した。

 ダンジョンが出現したのは数週間ほど前の事。他の街に遣いを出したときに遣いの者が発見したのが最初だった。そして先日、配下に調べさせに行ったが、例の如く酷い負傷を負わされていた。送り出した配下は魔王オバロンの100はいる配下の中でも20のうちに入る程の上位者だった。だが、それが手も足も出ずに帰ってくるのだ、それは相当の相手だと理解できる。

 そして先日勇者に討たれた魔王の一角、第五魔王ゼレスト・ガーノルドの死。

 世界の均衡が崩れ始めた事で何か歪みの修正がこの世界に現れた可能性がある。そうオバロンは考えた。

 それが異常なまでに強力なダンジョンなのか、それともそのダンジョンに住む何か別の存在なのか。

 人間の女に自分の優秀な配下が敗北するなんてこと、到底考えられない。種族的にも下位な存在である人間に上位の鬼人と狼人が負けるはずがない。だとしたら、そのダンジョンにいたと云う存在が、新生の魔王という可能性がある。人間のような見た目で異常な力ともなれば、そう考えるのが妥当だろう。

 しかしながら、まだ情報は少ない。魔王オバロンは今より情報を得るために配下を近隣の街に向かわせ情報を集めさせた。

 情報があるとないとでは戦況に大きな差ができてしまう。

 最近誕生したダンジョンなだけに情報はまだほとんどないだろうが、何かしらの手掛かりを掴めればそれでいい。

 オバロンは自身の力にかなりの自負を持っている。もし手がかりが無くても、最終的には力で押し進んでも問題はないだろうと云う思いもあった。

 勇者に討たれた魔王ゼレストは力こそ七人の魔王の中で一番だったが、彼亡き今、次に強かった魔王オバロンが現状一番と云う事になる。ただ、勢力として魔王オバロンは非常に弱い。配下の数が他の魔王と比べると非常に少ない。平均的に1万以上いる魔王軍なのに、彼の軍はたったの100だ。流石に魔王同士の抗争となったら勝率は低い。ただ、魔王自体の力は絶大のため、1人でその穴を埋めることも出来るだろう。

 思案を巡らせる魔王は、再び石造の様に動かなくなってしまい、配下は魔王の邪魔をしないようにその場を少し離れたところで話し始めた。

 戦争に活気立つ配下だったが、油断していれば何時魔王オバロンに殺されるか分からない。彼の機嫌は何時も揺れる。そうして消された仲間は何人もいた。


 そして、森に異形の集団が根城を張ってから、一日が経った頃、街に送り出した配下が帰ってきた。

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