第2話 異世界への転生

 私の視界に映るのは澄み切った空と、鬱蒼と茂る草原が広がるありふれた世界だった。

 水平線まで見える何もないその景色に、私は少しばかりの失望を禁じ得なかった。

 私が想像していたのはもっと天空の城や見たことないような生物がそこら中を闊歩しているそんな風景だったのに……残念。

 でも、こんな世界でも、魔物は存在するとサラエラ様も云っていた。つまり、こんなほのぼのとしたところにも魔物は居る可能性があるということ。

 私は再び周りを仔細に見てみることにした。するとどうだろう。遠くの方で黒いが草原と空の境目にぽつねんと存在していた。


 何だろう?


 距離は結構あるため、判然としないその何かに、私は少しばかり恐怖を感じた。もしかしたら、あれがこの世界の魔物という存在かもしれない。でも、それは一切動かない。じっと、ただそこにあるかのようにこちらを覗いているみたいだった。

 私は恐怖よりも好奇心が上に立っていた。

 私の足はその黒い何かへと進んでいく。

 膝丈ほどある草たちを足で掻き分けながら進んでいくと、次第にの正体が判明した。


 穴?


 私が魔物と恐れていたその黒い何かは、威風堂々たる大きな入口のような穴だった。

 どうしてこんなところに穴があるんだろう……。

 だって明らかに不自然な作りだった。空と草原の境に、突飛もなくそこにある穴は空間という概念を歪めているのだ。空中に穴が存在するはずがない。

 平面でしかないその穴というものを確かめる為に、私はその穴の裏側を覗こうとした時だった。


 いたっ!


 頭が思い切り壁にぶつかったのだ。

 私は改めてぶつかったところを見てみると、そこは遠くの先まで続いている空間ではなく、蒼く光る鉱石が密集している壁だった。遠くから見ればそれが空の色だと勘違いしてしまうくらい鮮やかな蒼さのそれはよく見ればなんてことはない、明瞭でいて確固たる壁でしない。


 わたしはいったい何を勘違いしていたのだろう。

 ちょっと恥ずかしい……。


 ということは、あの空のように見えていた天井も、蒼い鉱石の天蓋だということになる。だとしたら、私は外に居るわけではないのか。なら、いったいどこに……


 私は壁から距離を置き、先ほどの違和感でしかなかったその穴を見る。

 今にしてみれば、違和感なんて微塵も感じなくなっていた。

 ふと、私は後ろの方を見てみると、同じような黒い穴があることに気がつく。

 この穴はこの空間の出入り口だということになるらしい。

 取り敢えず、魔物でもなければ、可笑しな穴でもない。


 一つ安堵のため息を吐くと、私は眼前の穴へと入ることにした。

 暗いその穴には下へ続く階段があった。

 まるで洞窟、いや、異世界だからダンジョンか。

 階段を下っていくと次第に明るさが先を照らしていた。出口だろう。

 そうして階段を抜けた先へたどり着いた私は言葉を失った。

 そこには常識では考えられない埒外な景色が広がっていたのだ。

 ここがどこかの中だということは理解できただけに、そのあまりの自然界といった景色には喫驚を禁じ得ない。

 ここがもし洞窟の中だとしたら、異常なほどに外の景色となんら変わらない森が広がっているのはおかしいだろう。

 逍遥しょうようとしながら、とぼとぼ歩いて行くと、ふと何かの鳴き声が聞こえた。鳥の囀りなんて可愛いものじゃなくて、グリズリーが憤慨の咆哮を投げたような低い声だった。

 私の神経は一瞬にして緊張状態となり、あたりを身構えながら確認する。

 草木のザワつきに私の静かな吐息が混ざる。

 メキメキと、何かが落ちた小枝を踏むような音が聞こえ、喉をグルグルと鳴らす音が聞こえた。


 ……近い。


 グルァァァァァァァ!!!!


 正面の林から、私の四倍くらいはあるだろう大きさの、額に立派な角を生やした一角熊が現れた。


 きゃぁぁあああああ!!!!!


 私は必死に叫んで咄嗟にその場から走って逃げ出した。しかし、熊に背を向けて走るのは自殺行為とよく言われていたことを今更ながらに気がつき、ふと後方を確認すると、そこに熊は居なかった。


 あれ?

 

 私は立ち止まり周りを確認してもクマの姿はなかった。

 先ほどまで轟いていた熊の咆哮と木々のざわめきが一切消え、静寂が流れ始め緊張が走る。


「危ないっ!!」


 何処からともなく、そんな声が私のもとに届くと同時に、凄まじい轟音と衝撃が私の後方で響き渡る。


 い、いったいないにが……。えっ!?


 振り向くと、先ほど見かけた大きな一角熊が火柱を上げて地面に伏せていた。


 ……どういうこと?


「おい、君!  大丈夫か?」


 熊に気を取られすぎて、その更に後ろに立っている人に気がつかなかった。

 改めて視線を声の方へ向けると、私は先ほどの熊と同等の驚きを眼前の女性に感じた。

 褐色肌に革鎧を纏い、銀髪の長い髪と美しい碧眼を有するモデルのような女性。そしてなにより、人のものとはかけ離れた鋭く尖った長い耳。

 これは俗にいう森妖精エルフというものじゃないだろうか。

 私はファンタジーには疎く、森妖精というのも友人から少し耳にしたことがある程度。

 だから、眼前に立つ女性が果たしてそうなのかは聞いてみないとわからない。

 私は熊越しに助けてくれた彼女に返事を返す。


「だ、大丈夫です! 助けていただきありがとうございます!」


「ならよかった! ちょっとまってな、今そっちに行くから!」


 そういうと彼女は驚くほどの跳躍を披露して巨大な熊の死骸を容易に飛び越えて私の前に着地した。

 靡く銀色の髪に見惚れていると、彼女は私に再度安否を問う。


「怪我とか無いか? それにしても……」


 私の体をつらつらと見ながら不思議そうな顔をする。


の、こんなで丸腰とはなかなか度胸が据わっているな。魔法に幾ら自信がある人でも流石にこのレベルのところに補助武器サブウェポンも身に着けないで挑む人は怱々そうそういないぞ」


「えっと……よくわからないんですけれど、ありがとうございます。先ほどは助けていただき本当に命を救われました。なんと感謝をすればいいか……」


「それは別にいいさ。それより、他に仲間はいないのか? もしかしてか?」


「ソロ? えぇ、まあ……」


 そんな私の言葉に目を丸くする彼女。


「君、もしかして冒険者じゃないのか?」


 冒険者? 違います違います! 私はただのOLです!

 そんな心胆の言葉は出せなかった。


「冒険者? いえ、私は先ほどここに来たばかりで、ここがどこかも、どんな世界なのかもあまりわかっていないんです」


「嘘……? それってつまり、召喚魔法か?」


 狼狽を露わにしながら彼女は私のことをジロジロと見る。


「たしかに、その身にしている服もみたことがないものばかりだし、こんな深層で丸腰の状況が何よりの証拠になる。一応訊くけど、魔法は使えたりするのか?」


「わかりません。来たばかりなので私自身、自分が何を出来るのかすら知らない状況です」


 彼女は私の顔をじっとみてから少し嫌そうな顔をして独白のように零す。


「……まさか、ってわけじゃないよな」


 彼女が口にした言葉に私は少し反応した。

 。この世界に飛ばされる前にサラエラ様から教わった世界の知識。

 勇者も魔王もいる世界だと。もし私が勇者だとしたら、私のすることってこの世界に何人もいる魔王を倒すことになるはずだよね? でも、その割に、私めちゃめちゃひ弱な気がするんだけど、大丈夫かな? さっきだって勇者のくせに熊すら倒せずにいたし。


 ……勇者の線、薄くない?


 まぁ、私が勇者って言うのだって彼女がもしかしてって言う推測で言っただけだし、そこには確固たるものはないわけで。


「えっと、この世界に召喚されたら、みんな勇者になるんですか?」


「いや、全員ってわけではないけど、殆ど勇者になっているな。そうはいっても、そもそも召喚魔法が行われること自体稀有だからあまり宛にはならない統計だ」


「あの、もしかして勇者が嫌いなんですか?」


「なんで、そう思う?」


「先程、勇者候補かもしれないと云った時、すごく嫌そうな顔をしたので、勇者が嫌いなのかなって」


 少しため息を吐くと彼女は続けた。


「その通り。私は勇者が嫌いだ。なぜなら、私はとは相容れない者だからな。この世界に来たばかりと言うことは、私の種族も知らないのだろう?」


 私は首肯して返す。


「私は不老長命の闇妖精ダークエルフ。一応になるけど、そもそもこの世界の勢力自体よく分からないと思うからそれも説明してあげよう」


 そう云って彼女は私に一般的な基礎知識を教えてくれた。


「この世界には闇と光の勢力がある。簡単に云うと、勇者側が光、そして魔王側が闇。つまり私は魔王側の勢力ってわけだ。だからと云って行き成り君を攻撃したりはしない。それにまだ君が勇者かどうかは分からないから手の出し様が無い」


 もし私が勇者ないしは光側の人間だった場合、私はこの人と敵対することになるのか。先程一角熊を倒したこの人と、戦うすべを知らない私は一体どうやって戦えばいいのだろうか。

 すべ無くして無残に死んでしまうのは容易に想像できる。けれどそうするとサラエラ様の願いであり、私のやるべき事である生き抜く事がいきなりダメになってしまう。せっかく別の世界で生まれ変わらせて貰っているのに、目的も満足に出来ぬまま死ぬことだけは許されない。

 取り敢えず、ひとまず、彼女とは敵対的関係にならないようにしなければいけない。


「その光側と闇側の区別ってどういう風になっているんですか?」


「大まかには種族で決められている。闇側の種族と光側と種族は既に決まっていて、私のような闇妖精は闇側。そんな感じでこの世界では種族というものが基本の目安になる。まれに光側の種族の中で闇側にがいる。私はが、その者はその種族にはないが体のどこかに証として出るらしい」


 だとしたら、私は人間だけど、その人間は果たしてどちらのなのだろうか。


「ちなみに人間はどちら側ですか?」


 彼女は間髪入れずに答える。


「光側だ。言っておくが、君は人間で光側なのは掛かるほど見ればわかる。けど、だからと言って人間とは等しく全員が私たち闇側と敵対しているわけではないのを知っている。敵意がない無害な者を殺しに掛かるほど魂は腐ってはいない。安心しろ」


 よかった。どうやら私は一先ず殺されずに済むらしい。


「そもそも、君が人間だろうが、そうでなかろうが、この世界に召喚されたというのなら、勇者かどうかでしか私は判断しない。もし、君が勇者候補だったなら、その時は残念だが、君を殺させてもらう」


「は、はい……」


 私はこの世界に転生して、なかなかの境地に立たされているのは嫌というほど理解できた。今後、私の存在が判明された瞬間から、私は危機的状況に陥るわけだ。それまでは恐怖と隣り合わせの時間が続く。

 闇妖精ダークエルフの彼女は、そんなことを云ってはいるものの割にはひどく私に優しくしてくれていた。この世界のことに関しても非常に丁寧に説明してくれている。

 もしかしたら、光側や闇側なんて勢力に分かれてはいるけれど、その実争いごとを嫌っているのではないだろうか。

 だとしたら、上手くやれば、もし私が勇者候補だった時も、彼女と戦わずに穏便に、下手をすれば仲間になれるかもしれない。

 とはいえ、どう話せばいいか全然思いつかないけれど……。


「そろそろ此処を離れた方がいいな」


 周りに視線を向けながらボソリと闇妖精の彼女が言う。


「追々説明する。取り敢えず私についてきな」


 そう言って彼女は道の無い森の中を悠然と進んでいく。私はその後を親の後について歩く子供のようにせかせかと追いかけた。


 森を歩く中、私たちは6回ほど魔物と遭遇した。その度に私は彼女に助けてもらった。ほとんど……いや、一切貢献できてはいなかった。むしろ邪魔ばかり。

 この世界の魔物と呼ばれるものは全てが全て兇悪と言うわけではないらしく、可愛い動物みたいなものもいて、少しだけ和むことができた。けれどここはダンジョンであり、魔物であることに変りわないと少しばかりの注意を受けてしまった。


 まるで終わりが無いように錯覚する一辺倒な景色を進むこと1時間くらいだろうか、ようやく私が降りてきたような階段に出会った。


「君はダンジョンというものについて知っているか?」


「いいえ」


 不意として質問されるも、私は答えられない。


「なるほど。この世界についてほとんど知らないわけか。取り敢えずここまできたので教えておく」


「はい」


「この世界にはダンジョンと呼ばれる地下迷宮が多く存在している。ダンジョンには多くの魔物が住み着き、異物を常に排除しようとしてくる」


「異物ですか?」


「ああ。ダンジョンにとって、勝手に入ってくる存在は全て異物とみなされる。もうわかっていると思うが、君や、私なんかもそうだ。ここはダンジョンの中で、私たちは異物だ。だから色々な魔物に襲われる」


「あの、質問いいですか?」


 私は説明してくれる彼女の話を遮ってしまう申し訳なさを感じながら、思ったことを聞いてみた。


「魔物は常に襲ってくるものじゃないんですか? ダンジョン? に関わらず外の世界でも襲ってくるのが魔物だど思うのですが違うのですか?」


「違う。そもそも、魔物はダンジョンにしか存在しない。外の世界は多くの種族が暮らしているだけで、争いはあっても、種族同士、勢力同士の抗争しかない。魔物との戦闘はダンジョンでしかできないのがこの世界の常識だ」


 ダンジョン限定の敵が、魔物というわけらしい。

 でも、話を聞くに外の世界の方が厄介な気がしてならない。種族同士の争いの方が危険ではないのだろうか? 知恵ある者たちの戦いほど恐ろしいものはない。

 だったらまだダンジョンでコツコツ戦って暮らしていた方が危険性は少ない気がする。でも、常時魔物と戦うのも嫌だな。


「で、ダンジョンの話に戻るが、ダンジョンはそれぞれ強さが違う。この世界では強さの基準をランクと云うもので分けている。D〜Sの5段階で、Sランクが一番強いダンジョンとなる。ダンジョンは一般的に下層へと続くもので、下層に行くにつれ、出現する魔物も強くなる」


「じゃ、今私たちがいるこのダンジョンは強さとしてはどのくらいなんですか?」


「Sランクだ」


「え!? それって最高ランクじゃないですか!?」


「そうなる」


 平然と言い放つ彼女は特に何のことでもないような態度だった。

 階段の先に新たに広がる森を進んでいく中でふと彼女は立ち止まった。


「ここでいいか……」


 森の中をやみくもに歩いていたわけではないようで、彼女が立ち止まったのは大きな木の切り株があるひらけた場所だった。

 切り株の大きさは近づけば如実に理解できる程のものだった。100人が手を伸ばしてようやく一周できるだろう程の大きさだった。

 そんな切り株に手を置くと、彼女は私に振り返り言う。


「それじゃ、服を脱げ」


「……へ?」


 慮外な言葉に、私は間抜けな声を漏らしてしまう。

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