第3話 あたらしい家族②
教室内に誰もいないことを確認してから、さくらは今回の件について話しはじめた。いつか知られてしまうなら、早いほうがいい。純花に打ち明ければ、少しはラクになれるかもしれない。
「えーっ、親が再婚、義理の兄妹。で、スピード同居! しかも、弟さんもいる」
もちろん、目が飛び出そうになるほど、純花も驚いた。自分も同じ反応だった。とても、よく分かる。
「つらいね、さくら。よく我慢していたね。高三の大変な時期に」
よしよしと、純花はさくらの頭を撫でた。
「でも、父さまや聡子さんの気持ちも尊重したい。家族になるんだし」
「おーお、いい子ちゃん。でもねえ、相手が柴崎くんか。女子に睨まれそうだね。彼、人気があるんだよ。噂が広まったら、しばらく面倒そうだね」
「学校では、他人の顔する。別に、なんにもやましくなんかないもの」
「うん。そうしなよ。堂々と。なにかあったら、私に相談して。すぐに。どんなことでもいいからさ」
「ありがとう」
さくらは純花に感謝し、一緒に駅まで帰った。
***
次の土曜日。さくらは涼一と一緒に、新居に引っ越しを済ませた。
新居は最寄りの私鉄駅からもほど近い、築浅マンションの七階南東角部屋だった。聡子がひとめぼれで購入を決めたという。駅前なのに落ち着いていて眺望もよく、さくらもまずまず気に入った。
ひとりずつに渡される鍵の受け取りは、まるで儀式のように荘厳で。さくらは、家の鍵にいちばん大切にしているマスコットのキーホルダーをつけた。
しかし、五人分の家財となると、かなり膨大。片づけにはしばらく時間がかかりそうだ。しかも、引っ越しの当日にも、弟の姿はなかった。
「ねえ、玲。弟くんって、別居しているの?」
「ばかか。専用の部屋、あるだろ。荷物も。もちろん同居だ、同居。そのうち帰ってくるから、そのときに紹介してやる。それより、早く手を動かせ」
「そんな言い方、気になる」
「あいつは日本一多忙な十七歳だから」
「なにそれ。そういえば弟くんは、親の再婚に賛成なのかな」
「『勝手にしろ』って。親の恋愛沙汰には、まるで興味がないらしい」
いまだに姿見ぬ、弟・類。なんとなく、さくらは不良的十七歳の姿を想像した。
***
吟味したはずなのに、ふたつの家庭から持ち込んだ家具が被り、ダイニングテーブルやソファなどの大物家具が二セット揃ってしまっている。部屋が狭くなって仕方がないので、引っ越しの次は家具の引き取り業者を呼ばなくてはならない。
「まったく、なんでこんな余計な作業を」
「悪いねえ。力仕事は若い男子に限るから。よろしく頼むよ、玲くん」
涼一が満面の笑顔で言うと、玲は拗ねたように、ふいっと顔を逸らした。照れているらしい。猫のようだった。意外な顔。学校では、見たことがない。
さくらは聡子と部屋や家具の掃除をしながら片づけを進めているものの、聡子には家事のセンスがまるでなかった。少し動けばバケツの水をひっくり返すし、ぞうきんも満足に絞れない。さくらは根気よく、やさしく聡子に手順を教えながら、ゆっくりと作業を進めるしかなかった。
家事が苦手という前情報は聞いていたが、まさかこれほどとは。
そんな聡子の様子を、涼一は新しい娘ができたかのように、あたたかく見守っている。
この瞬間、柴崎家の主婦業は、さくらに任されるだろうことを悟った。
聡子が活躍するのは、来客があるときだ。ガスの開栓手続き、電話の開通、新聞の勧誘に管理人への挨拶。対人の手続きは、てきぱき明るい笑顔でこなしてゆく。
さすが、仕事で活躍しているだけはある。
結局、後処理はたいしてはかどらず、時間だけが過ぎ、初日の夜は外食になった。明日、日曜日。立て直したい。
***
くたくたになっても、容赦なく次の朝がやってくる。居心地が悪いのか慣れないのか、玲は朝からいなかった。片づけ、そっちのけである。
さくらとしては、恥ずかしい寝起きの顔を見られなくて済んだので気楽だが、家族としては問題行動だと思う。
不在の弟部屋も、段ボールの山が手つかずのままだ。ちらっと見えてしまったが、十七歳の男子にしては、服や靴がやけに多かった。
「素晴らしいわ、さくらちゃんの朝食。感動。聡子社長ブログに載せないと」
「いいえ、そこまでされては」
「だめよ、謙遜したら。いいところは褒める、だめなところはきちんと指摘する。それが、我が社の方針です」
「は、はあ」
聡子は朝食の写真を何枚か、携帯で撮影した。
「今朝はパンだったけど、洋食派?」
「いいえ。一日おきに、和食も出していました」
心底感激したかのように、聡子は深く頷いた。
「これは、涼一さんが再婚しなかったはずね。料理上手な女の子が近くにいるんだから。実は涼一さんって、女性に人気あるのよ」
父の涼一が、異性に受けていたとは。女性の人気なんて、これまで気にしたことがなかった。
「言っておくが、さくらの弁当も絶品だからな」
いかにも自慢げに、涼一は突っ込んだ。鼻高々だ。
「えっ、お弁当? 素敵」
「うちの高校、お昼は自由ですから。学食もありますけど」
「えーっ、いいなあ。明日から、私もほしい!」
「おいおい。さくらが大変だよ。俺の弁当。さくらの弁当。聡子の弁当に、玲くんのも? 四つ、いけるか?」
予期していない展開に、さくらは戸惑った。
「玲の分も?」
「そうね。類は仕方ないけど、玲の分がないのは、かわいそうね。さくらちゃん、お願い。私は、ランチミーティングも多いから、たまにで構わない。そういえば、お弁当なんてずっと作っていなかった。玲に、家族ができてよかったと思えるひとときを、与えてくれないかしら。あの子、いつもあんな感じでしょ。涼一さんたちから、家庭的なあたたかさを分けてもらえたら」
「おう。もちろんやってくれるよな、さくら?」
ふたりは、さくらが断るとは微塵も思ってもいないらしい。
クラスメイトにほぼ毎日、お弁当を作る? まさか一緒には食べないけれど、お弁当の内容が同じと気がつかれたら面倒なことになりそうだ。
かといって、時間のない朝に、何種類もおかずを作っている暇はない。
玲のお弁当については、自分の分とはおかずの配置を変え、ぱっと見で、だますしかない。
「分かりました。やってみます。お弁当、欲しいときは、前日の夜までに言ってください」
「ありがとう。素敵な娘ができて、私は、ほんとうにうれしいわ」
「さくらは、世界一の娘だ!」
覚悟していたものの、食事係はさくらで決定だった。掃除と洗濯ぐらいは、家族で当番制になったらいいな、うっすらと淡い淡い期待をいだくさくらだった。
***
着々と荷も解けて段ボールの処理が進み、だいぶフローリングの床板が見えてきた。基本、後片づけは週末にしかできないので、ここが頑張りどころ。
どこかに行ってしまった玲は、問題外。戦力にならない。
「そういえば、弟さん……類くんは、どうしていつもいないんですか」
思っていた疑問を、さくらは聡子にぶつけてみた。聡子は複雑そうな、困惑を浮かべていた。
「あの子は、ちょっと特別なの」
「特別というと、全寮制の学校、とかですか」
「うーん。まあ確かに、今は合宿みたいな生活をしているわね。口で説明するより、実際に会ってみたら分かる。そのうち。ごめんなさい」
玲と、同じことを言われた。
疎外を感じる。
家族になりたいと言ったのはそっちのほうなのに、今さらなぜ隠しごとをするのだろう。同級生と兄妹になったのだ、もうこれ以上の驚きはないと思うのに。
「なにか、隠したいことでも、あるんですか」
「いいえ、隠したいわけではないの。ただ、さくらちゃんの生活ペースを崩したくないから。これ以上、驚かせてばかりの生活も、申し訳ないし」
もう、充分に崩れています。
さくらは反論したかったけれど、俯く聡子の姿を見ていると言えなかった。憂い顔の聡子も、文句なしにきれいだ。
「まあまあ。類くんのことは、後回しにして。さあ、おやつを食べよう。父さん、ケーキを買ってきたよ」
「ありがとう、涼一さん。じゃ、コーヒーを淹れるわね」
しまった。うまく、ごまかされてしまった。
コーヒーだけは上手いらしい聡子が、張り切ってキッチンに消えた。
弟である類の部屋には、手つかずの段ボールが不気味に積み上げられている。
いつ、帰って来るのだろうか。会えば、ほんとうに分かるのだろうか。
「柴崎家の事情だよ。理解してやってくれ」
涼一がさくらをなぐさめた。
「事情って。私はもう、柴崎家の一員なのに。どうして知らされないの。父さまは知っているのに。教えて。気になる。私だけ、知らされていないなんて」
「お前が若い女の子だから、どうやって伝えようか聡子も悩んでいるんだよ」
「どうもこうも、ひとことでいいじゃない。家に戻れないなら、せめて写真を見せるとか」
「それもそうだが。ここは引いてくれないか、さくら」
まさか、少年院などに、いるのだろうか。いやな想像がさくらの頭によぎる。それとも、重い病気で長期入院中?そんな理由だったら、詮索されたくない。
聡子か玲が話してくれるか、本人が帰って来るのを待つしかない。
「……分かった」
だが数日後、とんでもない形で、さくらは類と出逢うことになる。
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