第4話 あたらしい家族③
同じ家に住んでいるとはいえ、玲と一緒に登校するわけではない。
玲の朝は早かった。どうやら、さくらが朝食の支度をする前に出て行ってしまっているようだ。
キッチンに並ぶ、四つの弁当箱。涼一、聡子、さくら。そして、玲の分。いっぺんに作るぶんには問題ない。
両親には出勤前にさっと手渡せたし、自分の分もバッグにしまったが、残る玲の弁当をどうしようかと持て余す。
とりあえず、自分の持ち物とは別に、青い紙袋の中に入れていつでも渡せるように準備して家を出た。
「学校に行けば、いるよね」
毎朝、遅刻ぎりぎりで教室に飛び込んでくるから、玲の朝が早いことは全然知らなかった。せっかく作ったし、無駄にはしたくない。聡子も、玲に家庭の弁当を食べさせたがっていた。
さくらの作ったものでよければ渡したいけれど、校内で堂々と渡すのは恥ずかしい。
悶々としながら電車に乗り、気がつけばもう学校の教室で。人目につかない靴箱あたりで遭遇できたら、すれ違うときにさりげなく渡せるのに。衆人環視の、教室内では無理。
しかも、玲はまだ登校していない。
「あんなに家を早く出ているのに」
夜遅くには家にいた。遊び歩いている様子はない。たぶん、早朝の三時とか四時に出ている。朝の寝起き顔を見られずにすんでいるけれど、気になって仕方がない。
担任が朝のホームルームをはじめる、という時間になって、玲はようやく教室に姿を現し、席に着いた。遅い。
「柴崎、もっと早く登校しろ」
毎朝の恒例、担任の突っ込み。
「うーい」
玲のだるそうな返答も、毎朝の恒例で。
さくらと玲の席は遠い。机の横にひっかけたままの紙袋を、何気なく渡そうにも渡せない距離。わざわざ、玲の席まで出向かなければならない。
教室移動のときとか。体育のときとか。休み時間に入ってすぐとか。昼休みの直前? なるべく早めに始末つけたい。これじゃ、勉強に集中できない。
これまでは、ほとんど喋りもしなかったクラスメイトなだけに、急に親しげに弁当を持って来たりしたら、周りにどう思われるだろう。
手渡しできる自信が、ない。
紙袋の中に手紙を入れ、玲のいない隙に、そっと机の上に置いておくのはどうだろうか。
「おい。弁当、くれ。俺の弁当、持っているんだろ」
不意打ちだった。
さくらがぐるぐる考えていたことが、一瞬のうちに吹っ飛んだ。
ホームルームが終わり、一時間目がはじまるほんの短い時間に、玲はさくらのところへ弁当を受け取りに来たのだ。
「母さんから、メールをもらった。今日から、お前の弁当があるからって」
ああ、そうか。メールか。そういう手があった。
けれど、さくらは玲のメールアドレスも、電話番号も知らない。あとで、教えてもらうしかない。こちらの連絡先も、押しつけてやる。
「はい、これ」
さくらは無表情で紙袋を渡した。
「悪いな。ありがとう」
玲が笑った。とても嬉しそうに。
思わず、さくらも笑みを返した。紙袋を大切そうに下げた玲が席に戻ってゆく。そして、バッグにしまってくれた。
……お、終わった。
肩の荷は下りたものの、大きな代償を引き換えにしたような気がする。
視線が、痛い。
さくらとしては、なるべくこっそり渡したいのに、玲が拒否する。
翌日は、学校の靴箱の中に弁当箱を突っ込んだら、怒られた。食べ物と靴を一緒にするやつがいるか、と。その夜は、家で大口論になってしまった。
「だったら朝、お弁当を作り終わるまで家にいてほしい」
つい、本音が出てしまった。
「待っていられない。どうせ学校で会うんだ。用件は学校で済ませればいい」
女子の心というものが、玲はちっとも分かっていない。ひそかに、玲を好きだという子は多い。さくらが毎日せっせと弁当を作って学校で堂々と渡していたら、まるで彼女みたいではないか。ほかの子を傷つけたくないし、要らない恨みも買いたくないのに。
「勝手に言わせておけ。そのうち、うちのことも知れるだろうし。こそこそしているほうがおかしい。それより、携帯電話を出せ」
玲はさくらの携帯を取り上げると、勝手に操作して登録を済ませた。
「俺、夕食に間に合わないときも、よくあると思う。親たちだって、残業とかあるだろうし、なるべく連絡つけるようにする。だから、夜食ぐらいは用意してくれると助かる……お前の作るごはん、うまいし。弁当も、すごくうれしい」
素直に褒められて、さくらは身体がかあっと熱くなった。
「う、うん。ありがと」
玲はあまり在宅しない。
五人家族になったのに、平日の夕食は、さくらひとりなんてこともよくある。はじめは、奇妙な家族を嫌ってのことだとばかり思っていたが、玲は外でなにかしているらしい。
もちろん、内容は話してくれない。
「とはいえ。お前のこと、家政婦扱いしているわけじゃないからな。困ったこととかあったら、頼ってくれてもいいし……あ、金のこと以外で!」
「お金?」
「俺、金はないから。あっても、貸さない。文房具とか、マンガの貸し借りならいいぜ」
不意に、やさしさをばら撒くのはやめてほしい。あたたかくて、つい頼りたくなってしまうから。
「うれしい」
涙がこぼれそうになる。さくらは、泣くのをこらえる。せいいっぱいだった。
異変に気がついた玲は、動揺している。
「おい。そこ、泣く場面か? 俺、なんか悪いことしたわけ。気に障ったら、ごめん。うち、女家族っていないから。どう接していいか分からなくて」
「聡子さんがいるのに?」
「あれは、父親代わり」
「……なるほど」
とても納得できる。生物上の性は女性でも、家族の立ち位置としては、父親。
「お前、意外だった。もっとおとなっぽく見えたのに。案外、子どもだった」
「それは、こっちのセリフ。玲って、学校では女の子の憧れの存在なのに、服は脱いだら脱ぎっぱなし。食べ終わったら食器を下げないし、靴も揃えない。テレビ見たままぐうぐう寝たり、部屋はいつ掃除しているかって」
「これは、痛いところを突かれました。その、ここではさくらが世話してくれるから、つい甘えちゃって」
「その調子じゃ、全然掃除していないんだ。では、今から掃除機を」
「やめろ。やめてくれ、さくらさん」
「『こそこそしているほうがおかしい』でしょ。妹に見せられない部屋って、どんな部屋なのかな。ちょっと、偵察に」
「今日はやめてくれ、頼む! どうしてもというなら、先にお前の部屋を見せろ」
「私の部屋の話は関係ないでしょ、この場合」
「なにを。携帯電話の待ち受け画面が、乙女ゲーの攻略キャラのくせに。部屋では、こそこそと、ひとりで恋愛ゲームばっかりやっているんじゃないのか」
「ちょっと、あれを誰か知っているの? 玲こそ、オタク趣味」
「さくらもな」
「二次元はラクなの。スキャンダルがないぶん、無駄に傷つかなくて済むし」
ふたりは組み合いながら、玲の部屋に行く行かないの問答をはじめた。
「この、頑固が」
「強情」
相手をけなしつつも、遠慮しない仲になれたのは心地よかった。隔てていた壁が、少しずつ崩れている。
「ただいま。あらまあ、手なんかつないで。仲よくなっちゃって。ふたりとも」
ふたりが睨み合っていると、聡子が帰宅した。
「つないでなんかない。これは、睨み合い、組み手だ」
さくらは腕を引いた。玲の手も、素早く引っ込んだ。
「聡子さん、お帰りなさい」
「ただいま。おなか、空いたー」
「すぐにあたためますね。座ってください」
「まあ、ありがとう。やっぱり、娘はいいわね。よかった、涼一さんと再婚して」
「ばか親。こいつを、気安く家政婦にするな。図々しい」
「もちろん、家政婦になんて、しない。さくらちゃんは大学を出たら、わが社の幹部に迎え入れる。いずれは、会社を継いでもらいたいの」
「は?」
「長男は偏屈だし、次男は風船。柴崎家には、婿を取るつもり」
さらっと、爆弾発言が飛び出した。
「ひとりで、勝手に決めつけるなよ。さくらの気持ちとか、考えたことはあるのか」
「あるわよ。ねえこの案、いいと思わない? いずれは、社長。家具屋の、かぐや姫」
「安直な表現」
「うわあ、もしかして嫉妬。でも、玲を社長には、できない」
「絶対に、なりたくないわ! 俺には、やるべきことがある」
さくらはキッチンで聡子の食事の支度をしていたが、玲は怒鳴って自室に籠もってしまった。
「どうしましたか、玲は」
「難しいのよ、最近。でも、口をきいてくれるだけましっていうか。高三だもんね、もう。いつまでも、子どものようなつもりでいたけど、自分なりに進路とか将来のことを考えているみたい。さくらちゃんは、高校を出たらどうするつもりなの?」
「……進路、ですか」
突然の質問に、さくらはうろたえた。
「私、ですか。夢ですけど、できれば聡子さんみたいに働く女性になりたいので、実務を学びたいかなって。漠然とですが」
「とてもいいことだと思う。頑張って。私、さくらちゃんを応援する。女も、職を持つべきよ。一度きりの人生、常識に縛られず、もっと貪欲に生きなきゃ」
「は、はあ。ありがとうございます」
この調子では、涼一との間に子どもが生まれたとしても、自分の道を邁進する聡子のことだ、育児はさくら任せになりそうな気がする。想像しただけで、おそろしい。
さっさと、家を出たほうがいいかもしれない。東京ではない、地方の大学受験を考えておくべき必要がある。このマンションから、通えない場所へ。
さくらは、ぼんやりと考えた。
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