第2話 あたらしい家族①

 ……時は、一時間前にさかのぼる。



 この日、笹塚さくらの心は半分の期待と、半分の不安とでせめぎ合っていた。初対面の人と、大切な会食の予定があった。


 父……笹塚涼一が、再婚したいという。


 現在、さくらは齢十七。高校三年生。世の中はわきまえているつもりだ。

 涼一のたったひとりの娘として、お相手の女性に対して多少の嫉妬はあるけれど、父の希望ならば叶えてやりたい。なにより、家族が増えるのは嬉しい。


 お相手は取引き先の女性、三十五歳。その若さで、十八と十七になる息子がふたりいる(!)らしい。自分と同じ年ごろというのが気にかかるものの、仲よくなれたらいいな、素直にそう思っていた。


 父が仕事で留守にしているとき、さくらはいつもひとりだった。孤独には慣れていたつもりだが、やはり誰か近くにいてほしい。誰か、というより率直に言えば、家族がほしかった。

だから、さくらは顔合わせの席を控え、かなり緊張していた。


 自宅でのひとときを、楽しく過ごしたい。そんな自分を、受け入れてもらえるだろうか。


 ふだんよりも少し着飾ったワンピース姿のさくらは、自分の姿を鏡に映す。

 好感度の上がるだろう笑顔をにこっと作ってみる。口角をもっと上げたほうがいいのか、それともまばたきの回数を増やして少し媚びるか。


 悩んでいるうちに時間がどんどん過ぎてゆき、結局最後は流れ作業で席に着いてしまった。


 父の恋愛を、母の登場を、祝福したい気持ちはある。なにせ、さくらの母が亡くなってから、もう十五年ぐらいが過ぎている。

 涼一はひとり娘を背負って頑張ってきた。仕事のかたわら、学校の当番や役員までやってくれた。授業参観にも、運動会や発表会にも来てくれたし、宿題も見てくれた。ときには、さくらと一緒になって近所の神社のおみこしも担いだ。

 片親だということを引け目に感じたことはない。とても感謝している。


 そんな自慢の父が再婚、となれば多少の瑕疵については目をつぶり、応援するつもりでいた。


 だが、新しいきょうだいとして、さくらの目の前に現れたのは、同級生。


「絶対に噂になるよね。問題化するだろうな」


『兄』となる柴崎玲は、容姿がよく頭もよく、ひそかに想う女子も多く、人気がある。なのに、突然さくらが妹という事態、非難の嵐になることは目に見えている。


「学校、いやだな」


 高校三年ともなれば、幼稚ないじめなどは起こらないと思うけれど、陰口は覚悟しておかねばならなかった。とても憂鬱。


***


 だから、翌日からの学校でもなんとなく意識してしまい、ふだんから疎遠だった玲は、さらに話しかけづらい存在になった。

 放課後になっても、なんとなく家に帰れないさくらが、自分の席でうだうだしていると、後ろから頭をスコンと、はたかれた。


「俺のこと、避けているのか。お前んとこの荷造りはどうなった」


 玲の手には、現代文の教科書が握られている。これで、たたいて来たらしい。さくらは玲を軽く睨んだ。


「全然進まないよ。急に引っ越しっていわれても」

「だよな。俺も今の家、好きなのに。ひとりで残りたいって言ったら、もう売り払ったから無理だと。行動力ありすぎで、強引な親だ、まったく」


 今週末から、同居がはじまる予定。


「そうだね。どうしてそんなに急ぐのかな。子どもが高校を出て大学生になってからでもいいのに。私、結婚そのものについては賛成だよ。父さまには幸せになってほしいし。誰か素敵な人があらわれてくれたらって、ずっと思っていた」

「俺もだ。母さんはずっとひとりでがんばってきた。まだ若いし、いい男がいたら無理をしてでも、喰いついてほしかったし。でもなあ、この状況。だけど、母さんは……」


 玲はあたりを見回して、小声になった。


「涼一さんとの子どもが欲しいらしい」


 思わず、ぶぶぶっと、さくらは吹き出した。子ども?


「子どもって、あ……赤ちゃんのこと? 私たちの弟妹を」

「そ。若いといっても、母さんは三十五歳。一年でも半年でも、早いほうがいい。好きな男の子どもを生みたいと思うのは、女としてごくごく普通の欲求だそうだ」


 となると、二十近く歳の離れた弟妹ができる、ということになる。ちょっと、複雑。


「すごいね、聡子さん。行動力、あるね」

「子ども、となると同居したいらしい。早く孕むには、一緒にいないと……って。母さんも焦っているんだ。理解してくれと、頭を下げられたよ。母さんには母さんの人生、生き方があるから、面と向かって懇願されると断れなかった。それ聞いたら、頭ごなしには反論できなくなって」

「……そっか」


 生々しい話だけれど、高校生の息子が理解してくれるという信頼のもと、聡子は同居を選んだのだ。玲は意外と母親思いで、やさしい。


「なるべく、協力しなきゃね。反対反対言っている暇、ないか」

「相当、非常識だけどな」

「ううん、いいと思う。父さまの赤ちゃん、生んでくれたら私もうれしい。私は聡子さんのこと、応援したくなった」


 さくらは笑ってみせた。


「お前、善人っていうか、お人よしだなあ。いいやつ過ぎ。親が、壁一枚向こうの部屋で、あれこれいたすんだぜ」


 あきれた、とでも言うように、玲が首をすくめた。


「そんなこと、気にしない。仲がいいなら、多少のことは我慢する、なるべく」

「多少は、な。多少じゃない、と思うが」


 会話が途切れた。

 玲は、窓の外を見やった。校庭では、運動部の放課後練習がはじまっている。

 なんだか、気まずくて、これ以上の会話も続きそうにない。さくらは荷物をまとめて逃げることに決めた。


「じゃ、お先に。柴崎くん。また明日」

「おい待て、こら」


 さくらが別れの挨拶を告げると、玲が食い下がった。


「学校内では『柴崎くん』でもいいけど、家では名前で呼べ。ややこしいから」

「な……、名前」


 指摘されている意味が分からずに、さくらは聞き返した。


「鈍感。うちには弟がいるから、『柴崎くん』はふたりなんだよ。それに、社会的にお前は別姓を名乗り続けるとはいえ、家では『柴崎家の一員』だ。名前がいやなら、お兄ちゃんとかでもいいぜ。特別に」

「いいえ、いいえ! では、たった今から、名前で呼ばせていただきます。えーと、玲くん?」

「『くん』、なんてつけるな。気持ち悪い。小学生か」

「それなら、玲お兄ちゃん?」

「どんどん違う方向に進んでいるぞ」

「じゃあ。れ、玲?」


 ……呼び捨てなんて、火を吹きそうなぐらいに恥ずかしい。さくらが小さな声でぼそぼそとつぶやくと、ようやく合格点が出た。


「よし。その調子で」

「ところで、玲……の弟くんって、どんな人? 顔合わせに来られなかったってことは、とても忙しいんでしょ。なにをしている人なの?」

「会えば、分かる。あいつについて、俺に質問するな。ひとくちでは言い切れない。厄介な存在なんだ」


 すげない言い方だった。これから姉弟になるというのに、厄介とはいったい。


「俺だけじゃなくて、弟のことも名前で呼んでくれ。弟の名前は、『類』だ」

「はい、『るい』くん。心得ました」


 どんな子なんだろう、『るい』くん。気になる。


「母さんのことは……そうだな。お前の気持ちもあるだろうが、できれば『お母さん』と。娘ができるって喜んでいたからさ」


「私だって、すごくうれしいよ。きれいで、仕事ができる人だもん。でも、ずいぶん若いんだね。驚いた」

「俺たちぐらいの歳のときには、俺も類も生まれていたからな。家のしきたりで、高校には進学せずに婿取りしたらしい。父が死んだ後に猛勉強して、親の会社……家具屋を継いだんだって。家事育児は丸投げしてさ。母さんのアイディアで、昔ながらの家具屋をインテリア雑貨の形態にシフトして、今じゃ日本の主要都市に十以上の支店を展開する敏腕社長」

「壮絶人生なんだね。聡子さん、じゃなかった。お母さん。憧れるよ、私」

「気合いはいいけど、いきなり無理するな。いざというときは、やればできる。殊勝な妹をもってこれ幸い。じゃあな、さくら」


 先にさよならを言ったはずなのに、玲はさくらの肩をぽんと叩いて教室を去って行った。さくらは、ぼうぜんとしてその場を動けない。

 妹。

 さくら。

 ……頭に血が集まって、のぼせそうだ!


「おーい、見たぞ。さ、く、ら!」


 ぱたぱたと走り寄ってきたのは、さくらの友人・松原純花(まつばらすみか)だった。


「あやしい。あやしいなあ。さくらって、柴崎くんと仲よかったっけ。名前で呼び合ったりして、親密」


 純花には、親の再婚のことをまだ告げていない。急な決定で、あわただしかったこともあるし、クラスメイトと兄妹になったと告白するには気恥ずかしかった。


「これには、深い理由があって」

「なになに、付き合うって? さくらが柴崎くんを好きだったなんて、ひとことも聞いてないよ。薄情なやつ。でも、いいなあ。柴崎くん、ちょっと無愛想だけど、かっこいいもんね。背もけっこう高くて、うらやましいっ」

「いや、違うの。あのね、実は」

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