【三人称視点】天啓の救済の大聖女と正教会⑦

 ミンティス歴2030年 8月25日 場所ミンティス教国、スギュヌの町、ボロボロの屋敷


「僕は……僕はなんてことを」


 これまでの記憶を取り戻し、ユーゼフは激しい絶望に駆られた。


「……ユーゼフ君」


「ち、近寄らないでください。僕は、僕は、貴女の側に居てはいけない。……僕は貴女に剣を向けたから」


 後退るユーゼフにカタリナは少しずつ近づいた。

 光の剣を捨て、完全に武装を解除した。このまま攻撃を受ければ、カタリナは抵抗できずに死んでしまうだろう。


「……それが何だと言うのですか? 力を得ようとして間違った方法を選んでしまっただけのこと。その程度の失敗は、大して珍しいものではありません。失敗は次へと繋げるための原動力ですから、目一杯失敗すればいいのです。それに、私は生きています。それに、無傷です。五体満足の私がユーゼフ様に何の罪を問えばいいのでしょうか?」


 微笑を浮かべるカタリナにユーゼフはもう何も言い返せない。


「それよりも、随分可愛い姿になりましたね」


「か、可愛い!?」


 想いを寄せる相手から可愛いと言われ、複雑な想いを抱くユーゼフだった。


「……ユーゼフ様、変身を解くことはできますよね?」


「はい……ですが」


「もう、ユーゼフ様は人間ではない。そう言うことですか? 別に気にしませんよ? ユーゼフ様の魂がそのペンダントであっても、ユーゼフ様の中にあっても、ユーゼフ様はユーゼフ様ですから」


「……か、カタリナ様」


 涙を浮かべて泣きつくユーゼフの頭を撫でるカタリナの姿は、何も知らない者が見れば仲良しの姉妹と思うほど微笑ましいものだった。


「ちょ、ちょっと! なんであっさり降伏しているのよ!!」


「……ペトロニーラ様、貴女も降伏してくださいませんか?」


 突如、ペトロニーラを圧倒的な重圧が襲った。今すぐに心臓を握りつぶされてしまいそうな、完全に生殺与奪を握られてしまったような、そんな感覚に陥る。

 発狂しなかったペトロニーラは強い心を持っていたと言えるだろう。失禁し、恥ずかしい姿を見せてしまうのも致し方ない。


 それは、ただ威圧した訳ではない。本来、聖女ラ・ピュセルが持ち得ない最高位の威圧スキルによって発動されたものだ。

 ゼルガドは、それを【絶望の波動】と呼ばれる最高位の恐慌スキルではないかと推測した。


(……カタリナ=ラファエル、貴女はまさか!)


 点と点が繋がった気がした。

 彼女こそ、女神ミントの寵愛を受け、この世界とは異なる世界から転生した転生者リンカーネーター

 この神の加護が薄れた世界を救うために、救済を与えられた本物の使徒。


 そう考えればあの強さにも、あの武器の数々にも、時々口にするこの世界には存在しない文化にも納得がいく。

 カタリナが語った曖昧な生い立ちは、女神ミントが用意した偽物――そういうことであれば、納得がいくこともある。


「女神ミント様は、温厚で懐の広いお方です。あの方は必ず皆を救います。それは、異教徒である貴女もです、ペトロニーラ様」


「……ほ、本当に私を。救ってくださるのですか?」


「ええ、勿論です。ですから、降伏してください。もう、貴女と争う必要はありませんから」


 こうして、ユーゼフ失踪事件は、ペトロニーラの降伏をもって無事に解決したのだった。



 教会で事情聴取が行われた。しかし、ペトロニーラの記憶がごっそり抜け落ちていたことが判明し、ユーゼフを闇堕ちさせた存在が何者かを特定するまでには至らなかった。


 そして、現在。


「――ああ、やっぱりユリシーナちゃんは可愛いわ❤︎」


「やめて下さい、ペトロニーラ」


 ユリシーナはペトロニーラにモフモフされていた。

 肩身の狭いゼルガドは今すぐ部屋を出たいのだが、かつての上司――ユリシーナが「それは許さない」と鋭い視線を向けてくる。


(……いつまで俺はここにいればいいんだ? イチャラブするのは勝手だが、ここでやるなよ!)


 ユリシーナは、他人には【快楽調教】を使えというのに、ユリシーナ本人に向けようとすればそれだけで「殺すぞ!」とでも言わんばかりの気迫で襲い掛かってくる自分勝手な人物だ。……まあ、当然のことだが。


 ゼルガドは今まで何人もの女を落とし、抱いてきたので女体は見慣れているのである程度の耐性はついている。鼻血を垂れ流しにしながら無表情を貫くことは可能だろう。


 だが、ユリシーナ側は全く耐性がない。例え不可抗力だとしてもガチギレするのは必至だ。

 それが、ゼルガドが直接手を下さない場合であってもである。


「うふふ、興奮してきた?」


 ペトロニーラがユリシーナの服を脱がし始める……始まってしまった。


「ユリシーナさん、ペトロニーラさん。俺は先に失礼します!!」


「うぅ……裏切り者!!」


 ユリシーナの弱々しい叫びを無視してゼルガドは部屋を脱出した。

 ユリシーナの裸を見た罪で半殺しにされるか、見捨てた罪で半殺しにされるか……どちらも半殺しにされることに気づいたゼルガドは後者を選んだのである。


「ありゃ、後で怒られるな」


 ユリシーナとペトロニーラが逢瀬を遂げる? 密会ではなく堂々とだから逢瀬とは言わないのだろうが……部屋から猛ダッシュで逃げるゼルガドは、教会の一室で向き合う二人の男女を見つけた。


(――こっちもかよ!!)


 カップルが二つ生まれると残り物になるゼルガドは、「これは、女性の心に消えない傷を刻みまくった俺への報いなのかもしれない」と密かに納得した。


「……さて、お二人さんの恋はどうなるのか。俺的にはユーゼフを応援したいけどな」


 今や弟のように思っているユーゼフの告白――その行く末がどうなってもゼルガドは労うつもりだが、やはり恋が成就することに越したことはない。


「カタリナさん、貴女のことを幸せにします。ですから、僕の妻になってください!」


(おいおい、いきなり飛躍し過ぎだろ! まずは恋人からスタートして徐々に距離を詰めていく――恋愛ってそういうもんじゃねえのか?)


「……ごめんなさい」


(ホラ見たことか。焦り過ぎだ)


 流石のゼルガドでも分かるほど、ユーゼフの告白は必要なステップをすっ飛ばしていた。

 これではフラれるのも致し方ないだろう。


「……先に断っておくけど、ユーゼフ君は魅力的よ。努力家で直向きに頑張っていて、そんな一途なところに好感が持てる。……これは、聖女ラ・ピュセル……いえ、私の体質の問題なの。……私は清い身体で無ければ聖女ラ・ピュセルとしての力が失われてしまう。聖女ラ・ピュセルであり続けるためにどうしても純潔を守らないといけないのよ。……聖女ラ・ピュセルであり続けなければ、沢山の人を救えなくなるから」


 ユーゼフと子を成すということは、聖女ラ・ピュセルの力を失うことを意味する。


(……そんな話、聞いたことがないけどな)


 カタリナだけが特殊なのだろう。誰よりも【神聖魔法】に精通するということは、同時に対極にある闇に堕ちやすいということ。


 いや、それだけで済めばまだマシだろう。もし、これほどの【神聖魔法】に愛された存在が反転したならば災禍にすらなり得る。


(……愛する人を手に入れるためには、愛する人が悪に染まってしまうことを受け入れなければならないか。……これは、ユーゼフには酷な問いだな)


 一人の身勝手を優先するか、大人数の幸せを優先するか? 聖職者であれば、ほとんどが大人数を優先する。

 真面目な聖職者であるユーゼフならば、絶対に大人数の幸せを優先するために、カタリナを諦める。


「……分かりました。そうですよね、カタリナ様が闇に堕ちてしまったら大変ですから。……僕、少し外の風を浴びてきますね」


 部屋から走り去っていくユーゼフの目に涙が浮かんでいるのを、ゼルガドは見逃さなかった。


「……アイツの頑張りを労ってやらないとな」


 どうやって励まそうか言葉を選びながら、ゼルガドはユーゼフの後を追った。



「ああ、美味しかった」


「……私は最低な気分ですが」


「でも、気持ちよかったでしょう?」


 舌なめずりをするペトロニーラを、はだけた服を直しながらユリシーナは半眼で睨む。


「……ところで、話は変わるのだけど」


「これ以上何か?」


「あらあら、冷たいわね。……聞きたいのは、カタリナっていう聖女ラ・ピュセル……いえ、大聖女アーク・ピュセルのことよ」


 ペトロニーラが出した予想外の話題に、ユリシーナは不信感を募らせる。


「……襲ってはダメですよ」


「襲わないわよ……確かに美味しそうだけど。あの熟した二つの柔らかそうな果実とか。……ってそういうことじゃないわ。あの娘は、本当に女神ミントの使徒なの?」


 ペトロニーラの問いの意味が、ユリシーナには分からなかった。


「……あの娘がユーゼフを見た時、一瞬だけど心底面倒そうだと言いたげな目をしていたの……ほんの一瞬だけどね。大切な仲間を救うのに面倒ってどういうことなのか……彼女は本当にアナタ達のことを大切な仲間だと思っているのかしら?」


「私を惑わそうとしているのかしら? 私は一緒にいる間に、あの娘は誰に対しても手を差し伸べる慈悲深い女の子だという印象を持ったわ。それは、ゼルガドもユーゼフも同じ筈よ。あの娘がそんな非道な訳ないわ」


「……別に私はリコリス教にアナタを戻そうしている訳ではないわ。もう、アタシはリコリス教の教徒ではないし。……ただ、少し気になったってだけよ。単にアタシの見間違えかもしれないし」


 ここでペトロニーラが嘘を言う理由は無い。

 彼女が今もユリシーナをリコリス教に戻そうという野望を持っている可能性は完全に否定できないが、ユリシーナ達に疑心暗鬼を起こさせ関係を破壊するならば、自信なさげに言うことはないだろう。


 嘘を言っている訳でなければペトロニーラの言う通り単なる見間違いが、それとも……。

 ユリシーナは、頭を振って疑念を振り払った――大切な仲間が非道な人間ではないことを信じて。



「……巨獣の討伐ですか?」


「はい……実は偵察に行った冒険者がやられてしまって。このままでは被害が拡大してしまいます。……お恥ずかしい話、今の冒険者ギルドには巨獣に対抗できそうな冒険者チームは存在しません。……二組、白崎華代様という方が率いる冒険者チームと、一ノ瀬梓様という方が率いるチームがこの国のどこかに居る筈なのですが、連絡が取れず……そこで、回復・戦闘共に優れるカタリナ様とそのお仲間の皆様に協力をお願いしたいのです」


 ユーゼフ失踪事件で関わった冒険者ギルドの美人受付嬢――シャナ=ラジャマズル。

 そんな彼女が教会を訪れた理由は、この言葉からも分かる通り礼拝とは無縁だった。


 いや、女神ミントの使徒たるカタリナに迷える仔羊シャナが救いを求めてきたと考えれば、これもまた教会の仕事の一つだと言えるか。……多少、強引ではあるが。


「……巨獣と言いますと、確か魔力溜まりで独自の進化を遂げた魔獣ですね?」


 魔王領や魔王領に近いミンティス教国内には魔力の濃度が非常に濃い魔力溜まりという場所が存在している。

 その場所で育った魔獣は通常より遥かに巨大で、その戦闘力も桁違いになるらしい。


「分かりました。その依頼、お受け致します。……皆様もそれでいいですよね?」


 カタリナが決定してしまった以上、護衛であるユーゼフ達に否というのは厳しい。

 それに、ユーゼフ達も今回の依頼を受けたいと考えていた。断る理由は元から無い。


「ありがとうございます。……場所は、ウィランテ大山脈です」


 ウィランテ大山脈はジュドヴァ=ノーヴェ魔族王国とミンティス教国を隔てる大山脈だ。数ヶ月前にはオログ=ハイと呼ばれる特別なトロル率いるトロル群による襲撃があった危険地帯である。


 その時は神聖騎士修道会と獣法騎士修道会によって討伐されたが、だからといっていつ来るかも分からないミント正教会の騎士修道会を待つ訳にはいかない。

 打てる手があるのであれば、先に打っておきたい――それが、スギュヌの町の冒険者ギルドの総意だった。


 カタリナ一行は早速ウィランテ大山脈を目指すことにした。

 メンバーは、カタリナ、ユーゼフ、ユリシーナ、ゼルガド、そしてミント教に改宗したペトロニーラ。


 ペトロニーラは「ユリシーナちゃんと離れ離れになるくらいなら、リコリス教を捨ててミント教徒になる」という理由で、ミント正教会に改宗した。

 未だかつて、このような理由でミント正教会に改宗した者は居ないだろう。


 今回の目的地――ウィランテ大山脈はジュレェウの村から更に進んだ場所にある。

 今回は別の町、村を経由しながらウィランテ大山脈の麓にあるリュフォラの町を目指し、その町の冒険者ギルドで巨獣の情報を集める手筈になった。



「――堕天比翼・六連剣」


 ゴシックロリータを身に纏った黒髪美少女が手に現れた二本の黒剣を翼のように広げ、堕天して黒く染まった翼をはためかせてゴブリンジェネラルを切り裂く。


 洗脳が解けた後、ユーゼフの手元には魂を取り出して作り出した思いを顕在化させ堕天騎士へとその身体を変化させる石――ソウルハゥトが残った。

 最早、普通の人間には戻れないユーゼフだが、彼はそれを「戦える力を得られたから結果オーライ(意訳)」とポジティブに考え、その力を忌避せず使おうと考えたのである。


 堕天騎士となりカタリナの刃を向けてしまった――その罪を乗り越えたユーゼフは、もう足手纏いではない。


「魔法剣・煉獄の刃! おら、焼き尽くせ!!」


「〝届け、届け、我が祈りよ! 戦場に立つ我が愛しい人を癒せ〟――〝聖祈之治癒セイクリッド・ヒール〟」


 ゼルガドの【魔法剣】とユリシーナの【反魂】を用いて発動した〝聖祈之治癒セイクリッド・ヒール〟がゴブリンの群れを確実に潰していく。


「私達の出る幕はありませんね」


「……そうですわね」


 そんな三人を見ながらカタリナとペトロニーラは肩を竦ませる。

 カタリナの出る幕は無かったのは前回の道中と同じだが、今回はそこにユーゼフが加わったことで更に盤石な布陣になっている。

 尚更、二人が参戦する理由は無くなっていた。


「……というか、カタリナ様には巨獣討伐という大きな役割がありますよね? 何の役割もないのはアタシだけです」


 カタリナにはペトロニーラと違い大きな役割があることを思い出し、ペトロニーラは力のない自分を呪う。


「そんなことはありません。……ペトロニーラ様の力はそう簡単に使えるものではありませんが、とても頼りになる力です。神器が無ければあの暴走状態の魔精霊を討伐できませんでした……ペトロニーラ様が力を使うということは、私達がそれほどの危機に直面したということです。その力を使うような危機が来ないことを私は切に願っています」


 ペトロニーラの【精潰愚力】は圧倒的な力を持つ代わりに制御が効かない。力という一点を見ればその力はゼルガドやユリシーナを優に上回るが、それだけだ。

 ペトロニーラがその力を使わざるを得ないということは、即ちカタリナ達が全滅の危機に直面している状況ということである。

 当然ながら、カタリナはその状況を望んでいない。それは、ペトロニーラも同じだ。


「……しかし、何もしないというのも辛いわね。冒険者ギルドで法術使いに弟子入りアプレンティシップしてみようかしら?」


「それはいいですね。ペトロニーラ様が法術を使えたら心強いです」


 カタリナの純粋無垢な笑顔を心の汚れたペトロニーラは直視できなかった。

 何故、一度でもカタリナを疑ってしまったのだろう? ペトロニーラは激しい自己嫌悪に陥った。


「皆様、ティシュトの村が見えて来ましたよ」


「よし、後もう一踏ん張りだ!! ユーゼフ、ユリシーナさん!!」


「――任せてください。全て切り刻みます!」


「私の【反魂】でみんな纏めて倒してあげる!」


 それから数分後、見える範囲の魔獣を全て倒し切ったカタリナ一行は、ティシュトの村に入った。

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