【三人称視点】天啓の救済の大聖女と正教会②

 ミンティス歴2030年 8月14日 場所ミンティス教国、スギュヌの町、教会(教派:ミント正教会、宗派:セペァジャ派)


「カタリナ様は、どのような本を読むのですか?」


 ユーゼフは、ふとそんな疑問を口にした。

 目の前にいる少女――女神の如き聖女ラ・ピュセルがどのような人物なのか、その人となりを知りたいと思ったのである。


 それに、共通の話題があれば会話も弾むだろうとユーゼフは考えていた。

 流石に恋愛のの字も知らないユーゼフが流石に聞き出した話題から距離を詰めようなどというという下心は持ち合わせてはいなかったが。


「そうですね。色々な本を読みますが、最近はミンティス教国の聖人伝説や民間伝承ですね」


「……民間伝承ですか?」


 聖女ラ・ピュセルであるカタリナが聖人伝説を読むのはなんとなく想像できたが、民間伝承を読むとは流石に予想できなかったユーゼフは、思わず驚きの表情を浮かべてしまった。

 良くも悪くも正直なユーゼフに隠し事はできないのだ。


「ええ、これが意外に興味深いのですよ。使われている技巧を確認したり、関係を調査すると、この伝承がこの伝承の派生であるとか、この民間伝承が聖人伝説に吸収されているとか、そういうことが分かったりするんです」


 ユーゼフは、カタリナのように本を読んだことは無かった。

 ユーゼフの読書が表面を削るようなものだとすれば、カタリナの読書はその内容を分解して体系づけるようなもの。


「カタリナ様は、どうしてそのような読み方をするようになったんですか?」


「そうですね。最初はただ読むだけで楽しかったんです。それが次第に満足できなくなって、一度こういう読み方を始めたら元に戻れなくなってしまったという感じですね。ですから、ユーゼフ様のように純粋に読むということは大切だと思いますよ。一度解体バラすと純粋にその物語を楽しめなくなりますから」


 しかし、そう言いながらもカタリナは決して悲観的に自分の読書方法を見ているようには思えなかった。


 いや、そもそもカタリナが自らの読書を嫌っていることはあり得ないだろう。

 本を片手に紅茶を嗜んでいる、その姿は剣を振るっている姿や【回復魔法】で傷を癒している普段の聖女ラ・ピュセルの姿よりも、遥かに輝いて見えた。


(……この人は、凄い人かもしれない。でも、それ以前に普通の女の子なんだ。本当は、陽だまりで微睡みながら本を読んでいるべきなのに、そうやって生きれば今以上に輝けるのに、世界がそれを許さない。……僕にできることは少ない。だけど、僕はこの人に平和な世界に居て欲しい)


「カタリナ様、私、もっと頑張ります。頑張って少しでもカタリナ様のお役に立てるようにします」


 カタリナはキョトンとしたまま固まった。


「はい、よろしくお願いします、ユーゼフ司祭様」


 しかしすぐに調子を取り戻すと、クスッと笑い、その後陽だまりのような優しい笑みを浮かべた。


「……あ、あの! 二人きりの時はユーゼフと呼んで欲しいです」


「本当にいいんですか? ……う〜ん、呼び捨てにするのは失礼だと思いますし、ユーゼフ君と呼ばせていただきましょう。代わりに私のことはカタリナと呼んでください」


「カタリナ……様」


「ただのカタリナで結構ですよ? もし、嫌なのでしたらさん付けでも構いませんが」


「それでは……かっ、カタリナさん」


「ユーゼフ君。改めてよろしくお願いします。頼りにしていますよ」


 初心な反応を見せるユーゼフに、カタリナが弟に向けるような暖かい視線を向けていたことにユーゼフは気づかない。



 ミンティス歴2030年 8月16日 場所ミンティス教国、スギュヌの町、教会(教派:ミント正教会、宗派:セペァジャ派)


「……ジュレェウの村近くに赤い竜と白い竜が出没しているのですね?」


 スギュヌの町に足を運んだジュレェウの村の神父は、小さく頷いた。


「はい……ドライグ・ゴッホとグウィバーという二体の竜です。この二体は仲が悪く、その戦いに巻き込まれたジュレェウの村の被害は甚大で」


 ドライグ・ゴッホとグウィバーは、ミンティス教国の民間伝承にも登場する赤い竜と白い竜だ。

 この二体は格別仲が悪く、互いの姿を見たが最後、どちらかが死ぬまで果てしなく争うと言われている。


 ミンティス教国に同じく存在する伝説の竜――クエレブレよりも遥かに強大な力を持つこの二体の竜を倒すためには、通常ミンティス教国の最高戦力――騎士修道会を頼らなければならない。

 ミンティス歴2030年5月に反対側に位置するウィランテ大山脈で起こったトロル大侵攻に匹敵する被害が出るだろうと、ジュレェウの村の神父は考えていた。


「分かりました。危険に晒されたミント教徒を見逃すことはできません。私が参りましょう」


「ほ、本当に聖女ラ・ピュセル様のお力をお貸しくださるのですか!?」


「はい……勿論、私は見た目通り非力です。大した力もありません。ですが、それでもミント教徒が苦しんでいる姿を見過ごすことはできないのです」


 カタリナの神々しい姿に、ジュレェウの村の神父は顔を上げることができない。


「私も参りましょう。カタリナ様は、女神ミント様の使徒――その御身に傷をつける訳には参りませんから」


「ありがとうございます、ユーゼフ司祭様」


「おいおい、水臭なぁ。俺達もカタリナ様について行くぜ。俺達に真の道をお教え下さったカタリナ様に何かあったら大変だからな」


「その通りだ。カタリナ様を守るのは私達の役目……私達を置いていってもらっては困る」


 ユリシーナとゼルガドも同行を申し出、四人でジュレェウの村を目指すことになった。



「〝嗚呼、惨き戦場よ! 戦に身を投じ、生命を散らした殉教者達よ! 戦火に焼かれ焦土とかした大地よ! せめて、せめてこの私が祈りましょう! いつまでも、いつまでも、祈り続けましょう〟――〝極光之治癒オーロラ・ヒール〟」


 オーロラのような淡い光が広がり、傷を負った者達を癒していく。


「おお、傷が。ありがとうございます、カタリナ様」


 道中、寄ったウァレレムの町の教会で、カタリナは傷ついた信者達に【回復魔法】を施した。


「しかし、これほどの大法術……本当に大丈夫なのですか?」


 ウァレレムの町の教会の神父が、カタリナの身を心配する。

 これだけの大法術を使えば大きくMPを消費する筈だ。いくら、聖女ラ・ピュセルだとしても無限に【回復魔法】を使うことはできない。

 万が一の場合にMP切れになることを神父は恐れていたのである。


「私は女神ミント様から無限の魔力を授かっております。より、多くの信徒を救えるようにと」


「おお! 慈悲深き女神ミント様は、我らに慈悲をお与えくださった!!」


 神父の言葉に呼応し、教徒達から歓声が上がる。


「ところで、皆様はどちらに向かわれるのでしょうか?」


「ジュレェウの村です。ドライグ・ゴッホとグウィバーが出現し、暴れているそうでして……ミント教徒が傷つく姿を女神ミント様はお望みではありませんから」


「なるほど! それは素晴らしい。もし、よろしければ本日は我が町の教会に一泊なさりませんか?」


「お気遣いありがとうございます。……実は、どこかの宿を探そうと思っていたのです。お言葉に甘えさせていただきますね」


 ミンティス教国の教会には、旅をする聖女ラ・ピュセルに寝床と食事を与えなければならないという不文律が存在していた。

 とはいえ、その風習をアテにして旅をする訳にはいかない。あくまでそれは、ミント教徒のお心遣いなのだ。


 神父に案内され、カタリナ一行は教会の奥へと進んでいく。

 立派な礼拝堂で祈りを捧げた後、カタリナ達は奥にある来客者用の部屋に通された。


「カタリナ様、そして護衛の皆様。何か私達にできることはありませんか?」


 治癒の奇跡を与えたカタリナへのお礼の意味を込めて、神父はカタリナ達に最大級のもてなしをしようと考えていた。


「お気遣いありがとうございます。……そうですね。この町で一番本が集まっている場所をお教えください」


「そんなことでよろしければ。護衛の皆様は?」


「私は特にありません。ユリシーナさんとゼルガドさんは?」


「私は特にないな。ゼルガドは?」


「欲を言えば美味しい食事と暖かい風呂かな?」


「はは、ゼルガド様は正直でございますな。勿論、食事も風呂も上等なものを用意致しますよ」


 神父は好々爺然に笑った。


 カタリナは神父に案内され、教会の最奥にある図書館へと向かう。そこに、護衛としてユーゼフも同行した。

 しかし、ここは教会内。聖女ラ・ピュセルを害するような存在が現れることはまずあり得ない。


 ユーゼフの護衛は本来必要のないものではあったが、護衛というのが完全にただの名目であることに神父もカタリナも気づいていたので、そこに文句を言うことは無かった。


「ここが図書館でございます。もし、気になった本がありましたらお持ちいただいて構いません」


「ご心配には及びません。私は常に書写の用具を持ち歩いておりますから」


 紙と硯と筆を荷物から取り出したカタリナは神父に微笑みかけた。


「カタリナ様は書写もお得意なのですか?」


「意外でしたか?」


「……いえ、素晴らしいことだと思います」


 異世界カオスにも至る所に男尊女卑が根付いている。

 そして、それはミント正教会においても同じことだった。


 彼らの崇める神は女神・・ということでも分かるように女性である。

 にも拘らず、女尊男卑ではなく男尊女卑の風習が根強いのは、ミント正教会の中枢にいるのが男故か。


 政治家が自分に都合のいい政策を押すように、官僚が自分に都合のいい政策を作るように、どの世界でも権力者が都合のいいルールが作られるものである。


 ミント正教会は、女性に学は必要ないという考えをもっていた。彼らが女性に求めるのは、多くの信徒を集めるための偶像になること――それは、聖女ラ・ピュセルであり、修道女シスターである。


 しかし、一方でミント正教会はミント正教会を宣伝する看板にするために、聖女ラ・ピュセルにある程度の権利を与えてしまった。

 その結果、男尊女卑の思想を持つ男性教徒達は、聖女ラ・ピュセルに対して何も言えなくなってしまったのである。


「それでは、ユーゼフ司祭様、参りましょうか?」


 ユーゼフを連れてカタリナは歩き出した。

 その横顔は凛々しく、エネルギーに満ち溢れている。


 神父は、そんな女性の姿に危機感を覚えると同時にその圧倒的な美貌に魅了されてしまった。



「沢山本がありますね。……あっ、この本は読んだことありません」


 カタリナは聳える本棚から、気になる本を見つけては、その本を棚から引き抜く。

 中には、カタリナの背よりも高いところにある本もあった。


 ハイヒールを履いたまま背伸びして必死に本を取ろうとする彼女は、いつもの凛々しいカタリナからは想像もつかないほど可愛らしく、ユーゼフも思わず見惚れてしまった。


「もう……笑わないでくださいよ」


 頬を染め、カタリナがユーゼフに抗議する。

 その顔がまた可愛らしく、ユーゼフの顔は緩んでしまい、ポカポカとカタリナに叩かれることになった。


 しかし、そんなカタリナの姿もまた可愛い訳で……という無限ループに陥った。


 カタリナにはいくつもの顔がある。


 聖女ラ・ピュセルとしての毅然で凛々しい顔。

 たまに見せる年相応の少女らしい顔。

 傷つく信徒を思う憂いの表情。

 そして、気を許した者にしか見せない子供っぽく可愛いらしい姿。


 しかし、その全てがカタリナ=ラファエルなのだと、そしてユーゼフはそんな彼女のことが心の底から好きなのだとこの時、気づくことになった。


(僕は、カタリナさんの笑顔を守りたい)


 ユーゼフはこの日、人知れずそう決意した。


「る〜るる〜るる〜るるる〜〜♪ る〜るるる〜るる〜るるるるるる♪」


 ヨハネス・ブラームスの『ハンガリー舞曲第五版』を口遊みながら軽快に筆を走らせるカタリナ。

 なお、ユーゼフは当然ながらこの曲が何なのかを知らず、カタリナの故郷に伝わる地方曲だと考え、特に指摘することは無かった。


 日本では近世に大量に作られた宿紙と呼ばれる漉き返しの紙に匹敵するほどの粗悪な紙に、一目で安物だと分かる筆にも拘らず、作り出されるものは文句無しの逸品。

 その字は一目見て分かるほど達筆だった。しかし、達筆過ぎて読みにくいという訳ではない。

 読みやすいが美しい、まるで書き手の気品が乗り移ったような字だった。


 しかし、それにしても早い。筆の動きが尋常じゃなかった。

 よくそれだけの速度を維持しながら、美しい文字を掛けるものだ。

 その上、一字不違という職人芸と言うべき書写を行っていた。


 この姿を見せられて、彼女が聖女ラ・ピュセルだと思うものはいないだろう。


「なるほど……ということは、『泉の竜』の説話は『ドライグ・ゴッホとグウィバーの伝説』の派生なんですね」


「えっ! まさか、その速度で筆写しながら内容理解までしているんですか!?」


 思わず声を荒げてしまうユーゼフ。


「えっ? もしかして、ユーゼフさんはできませんか?」


 純真無垢な瞳を向けるカタリナに、ユーゼフは何も返せなかった。

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