第七章「四陣営戦争編」
【三人称視点】天啓の救済の大聖女と正教会①
ミンティス歴2030年 8月14日 場所ミンティス教国、スギュヌの町、教会(教派:ミント正教会、宗派:セペァジャ派)
ミンティス教国と言えば、ミント正教会が国教となっている国――そう考えるのがほとんどだろう?
だが、実際に国内に入ってみると、この国が一枚岩ではないことが明らかとなる。
大半を占めるのはミント教でも最大派閥を誇るミント正教会。これらは複数の宗派に分かれている。
次に数が多いのはミント正教会に抗議する意味で生まれた、ミント・プロテスタント教会。ピラミッド構造の態勢に異議を唱え、階級制度を廃止している。
そして、地方の一部で信仰されているミント聖公会。
また、一部地域にはミント教とは異なる神(邪神リコリス=ラジアータ)を信仰するリコリス教という宗教も存在し、邪教や異端として迫害の対象となっている。
ミント正教会セペァジャ派の教会に、後に
艶やかな濡羽色の髪を靡かせるその少女の美貌は、宗教画に描かれるどの
その美しさは、肖像画を描くことはできないと一流の絵師が筆を投げ捨てるほど。一部ではその少女をミントの現身や生まれ変わりだと信じる者も居たという。
勿論、その少女が
ミント正教会は顔だけで選ぶような量り売りアイドルグループとは違うのだ。
ミント正教会の
つまり、どっかの可愛い町娘を捕まえてきて
まあ、美貌が無いと出世は厳しいが……。
男尊女卑の根強いミンティス教国で出世するためには、いかに男性に気に入られるかが重要なのである。
さて、この
◆
「……邪神リコリス=ラジアータを信仰する邪教徒ですか?」
カタリナの双眸が優しく見開かれる。讃えられた微笑には彼女の奥底にある優しさが滲み出ており、セペァジャ派の司祭の心を揺るがした。
まあ、単に美少女の笑顔に対する耐性をその少年司祭は持ち合わせていなかったのである。
そんな少年司祭の前に突如現れた女神(少年司祭はそれ以外に形容できないと考えている)に対し、当初しどろもどろになったのは致し方ないことである。
「……そ、そうです! 邪神リコリス=ラジアータを信仰する邪教徒が最近信者を増やしているという噂が、あっ、ありまして。是非ともカタリナ様のお力で邪教徒達に鉄槌を下して頂きたいのです」
カタリナはただの
これらは、カタリナによると女神ミントに仕える
この話を信じれば、カタリナは女神ミントによって認められた正式な
勿論、ミント正教会はその存在が知らしめられた時点でも、完全に否定している。だが、その話を否定できないほど、実際彼女の法術は高い効果を発揮し、彼女の振るう武器は圧倒的な力を見せつけたのである。
「なるほど……分かりました。私の力で頼りになるのであれば、是非協力させて頂きます」
「ありがとうございます。……しかし、いいのですか? カタリナ様が傷ついてしまうのではないかと心配です」
「優しいですね、ユーゼフ司祭様は。ですが、ご安心下さい。私にはミント様の加護がありますから」
ユーゼフ司祭は、彼女が傷つく、或いは邪教徒の仲間になってしまうことを恐れていた。
その理由は、教徒ではなくユーゼフ個人の欲である。
自分の好きな人が、どこかに行って欲しくない。敵になって欲しくない。
ミント正教会を裏切り、邪教徒になるという選択肢を想像できなかったユーゼフはカタリナがずっとミント教の教徒であることを願ったのである。
絶世の美貌を持つカタリナは、ミント正教会を信じることだけに生涯を捧げる熱心な信徒を変えてしまうほど、強大な存在だったのである。
「もし、ユーゼフ様が私を心配してくださるというのであれば、ユーゼフ様が私を守ってくだされば問題ありません。……お願い、できませんか?」
潤んだ瞳で見つめられたユーゼフに、断ることができる筈もなく……。
◆
「……ミント正教会の連中か。紛い物女神に騙された哀れな者達よ。我らが神、リコリス=ラジアータ様こそが、この世界に存在する唯一無二の神。その神に選ばれし、司祭ユリシーナが、哀れな子羊達に本当の神威というものを見せてやろう!! そして、お前達はリコリス=ラジアータ様の奴隷となるのだ!」
「私は、屈したりはしません!! 女神ミント様への忠誠心が本物だということを証明してみせます!!」
堕ち確定のフラグを盛大に立てながらカタリナは前に出る。
その手には一振りの剣が握られていた。
「〝届け、届け、我が祈りよ! 戦場に立つ我が愛しい人を癒せ〟――〝
ユリシーナが唱えたのは、なんと【聖魔法】……しかし、その色は深淵のように深い闇のようだ。
その闇には当然、傷を癒す力はない。
「私のスキル――【反魂】は能力の性質を反転させるというものだ。これにより、私の【回復魔法】は直接体を傷つける闇となる」
ユリシーナは勝ち誇るように笑みを浮かべた。
未だかつて、ユリシーナの【反魂】によって変質した【回復魔法】に屈しなかったものはいなかったのである。
「……なっ、何! 何故、【反魂】が効かないんだ!!」
しかし、カタリナだけは別だった。女神ミントに直接加護を与えられている彼女は、あらゆる害悪を跳ね除ける。
永遠の処女であるカタリナを物理的にも性的にも犯すことはできないのだ。
「私には、女神ミント様の祝福があります。故に、いかなる物理攻撃、魔法も無力化してしまうのです。……お分かりいただけでしょうか?」
「――っ、まだだ!! おい、ゼルガド!!」
ユリシーナに呼ばれ、現れたのは法衣を身に纏ったスキンヘッドだった。
「――ゼルガド、リコリス=ラジアータ様の祝福の力を見せてやれ!!」
「畏まりました、ユリシーナ大司教。おい、女。リコリス=ラジアータ様の力を身を以て体感しろ。【快楽調教】!!」
ゼルガドの双眸が怪しく光る。【快楽調教】発動の合図だ。
対象に快楽を流し込み、屈服させて落とすスキル――【快楽調教】。
実際、この力によって多くのミント正教会の修道士が快楽に屈服して、リコリス教の信徒になっている。……といっても、最早そのほとんどが理性を失い、ひたすら快楽を求めるだけの奴隷と化しているが。
が、カタリナにそのような小細工は通用しない。
何事かあったのかと可愛らしく首を傾げるカタリナに、ゼルガドとユリシーナ、その他信徒達は揃って絶句した。
「何をなさったんですか? 私には、ミント様の加護があります。ですから、私に危害を加えることは何人たりともできません。……では、今度は私の番です」
――万天分かつ陰陽 天より降りし雨は地に落ち 地より昇りし蒸気は天へと還る
――即ち陰陽とは對を成し 循環する森羅万象 世界の条理
――生々流転 陰の気と交わりて生まれ落ちた命 陽の気のみとなりて天に昇る
――輪廻転生 陽のみとなりし魂 陰なる魄のみとなりて生まれ出づる
カタリナの玲瓏な声が詠唱を紡ぐ。抜き去られた西洋剣に青い輝きが増した。
しかし、それは
――血より生まれし古の神 其は谷を意味せし闇 水を守護せし存在を意味せし龗
――今こそ我が呼び掛けに応じ 条理崩れし世界を救え
その形はまさに、巨大な蛟。
「……まだ戦いますか? 私は争いを好みません。女神ミント様は何人も傷つくことを望まない慈悲深い存在ですから」
カタリナは
しかし、その剣を握る姿は到底素人のものでは無かった。
宛ら、剣の道を極めた【剣神】。
「……女神ミント様は、我らにも慈悲をお与えになるでしょうか?」
そして、その圧倒的強さの前にユリシーナが降伏したのを皮切りにリコリス教の信徒が次々と降伏した。
「〝嗚呼、惨き戦場よ! 戦に身を投じ、生命を散らした殉教者達よ! 戦火に焼かれ焦土とかした大地よ! せめて、せめてこの私が祈りましょう! いつまでも、いつまでも、祈り続けましょう〟――〝
「〝いと慈悲深き主よ! その慈悲でこの世の凡ゆる障害を消し去り給え〟――〝
カタリナは二つの呪文を唱え、信徒の体力を回復させ、魅了状態を解除する。
だが、正気に戻った元信徒達の心までは呪文では癒せない。
「皆様の心の傷までは私の力では癒せません。
カタリナの美貌は男、女の壁を超え、老若男女凡ゆる人々の心を掴む力があった。
ユリシーナ達は、その後カタリナとユーゼフと共にスギュヌの町の教会に向かい、そこでミント正教会の洗礼を受け、リコリス教を捨てた。
◆
「カタリナ様、まだお休みになられていなかったのですか?」
その日の夜、廊下を歩いて見回りを行っていたユーゼフは、カタリナに割り当てられた部屋に灯りがついていることに気づき、部屋の前で声を掛けた。
扉を開けたカタリナは、【生活魔法】でお湯を沸かし、紅茶を二杯入れると、一杯をユーゼフに渡し、再び本に目を落とした。
「私の趣味は読書です。特に、夜静かな時間にゆっくりと物語に浸るのが至福でして……迷惑でしたか?」
「い、いえ! ……しかし、あんまり夜更かしをすると明日のお勤めに支障が出ると思いますが」
「心配ありません。女神ミント様に奇跡を授けられた私に、最早睡眠や食事は必要ありません。
怯えの色を見せるカタリナの姿に、ユーゼフはどう声を掛けるべきか迷った。
女神ミントに選ばれた彼女がどれほどの重圧を感じているのか。
その身体が異質なものに変えられ、人間では無くなってしまった自分にどれほどの恐怖を抱いているのか。
その時、ユーゼフは目の前にいる
「……恐怖はありません。カタリナ様はどなたにも優しく接してくださいます。こんな私にも慈悲をお与えくださいました。……リコリス教の信徒達も皆殺しにすることはできたでしょう。しかし、カタリナ様はそんな彼らにも慈悲をお与えになり、全員を本来の道をに導いてくださいました。貴女様は、まさに慈悲深き女神ミント様そのもののようなお方……私はそんな貴女様を尊敬することこそあれ、恐れることなどあり得ません」
「……女神ミント様の慈悲の体現者ですか? では、ただのカタリナ=ラファエルならどうですか?」
ユーゼフは答えに困った。心の中にいるもう一人の自分は、この少女の弱みに付け込み、射止めよと命じている。
ユーゼフは、カタリナに対して知らず知らずのうちに想いを寄せていた……いや、初めて出会った瞬間に一目惚れし、心を射止められていたのである。
しかし、信仰心の強いユーゼフはその悪魔の声を徹底的に無視した。甘言の嵐を耐え続けた。
「恐ろしくありません。カタリナ様は、お優しい方ですから。多分、女神ミント様の使いで無かったとしても、貴女は変わらずお優しかったと思います。……そんなお優しいカタリナ様を恐れることなどあり得ません」
「そうですか。ユーゼフ司祭様は本当にお優しいですね」
向日葵のような暖かい笑顔を浮かべるカタリナに、ユーゼフの鼓動が早まったのは言うまでもない。
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