女湯を覗こうとする男達は「銭湯では暴れるな」で止められる筈。

 異世界生活十日目 場所アルルの町、宿屋クルミ荘 大浴場


 夕餉の後は、宿の大浴場へ。

 このアルルの町には三箇所ほどしか入浴施設が無いらしく、そのうちの一つがこのクルミ荘の大浴場らしい。


 ちなみに、中世期のヨーロッパではお風呂に入る習慣がなく、発生する体臭対策のために香水を愛用していたというイメージが一般的だが、近年では中世期のヨーロッパでも古代ローマの人々が愛した入浴の習慣が残っていたのではないかと言われるようになってきたらしい。

 まあ、入浴中に飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎをするという娯楽を享受できたのは貴族だけだったらしいが、それでも公衆浴場で入浴することは庶民にもできたのだろう。中世ヨーロッパ的な世界観は崩されていないようだ。


 全身を洗ってから、頭に四つ折りにしたタオルを乗せて湯に浸かる。タオルは湯につけない――完璧だ。……これで、銭湯のマナーにうるさいおじさんにも文句は言われないだろう。異世界にそんなおじさんがいるかは不明だが。

 地球では、防水袋に入れた本を持ち込んでいたが流石にこの世界にビニールの袋は存在しない。折角の書物が水でふやけるのは勿体ないので諦めた。


 俺以外の男達はさっきから男湯と女湯の間の仕切りの付近でたむろしている。どうやら覗きをするつもりらしい。……どこの世界にも居るよな。まあ、入浴している時に騒ぎ立てられさえしなければ別に止めたりしないけど。

 異世界に来て初めての風呂だ。存分に楽しまなければ勿体ない。……ゲームクリエーターとしての糧にはしないけどね。――それを邪魔するのであれば、それ相応の罰を受けてもらわないといけないなぁ。


 おっ、おっさん達が動き出した。まずは木の壁に穴が開いていないかを確認するみたいだ。

 だが、宿側もその辺りはきっちりしている。穴は開いていなかったのだろう。おっさん達はがっくりと肩を落とした。……分かりやすいな、お前ら。


 ちなみに、中世期の浴場は混浴がほとんどだったらしい。その結果、浴場が売春の温床になり、裸になって他人と接触すれば安易に純潔を失う恐れがあるゆえ特に若い女性の共同浴場への接近は禁止された。

 キリスト教会が共同浴場への接近の禁止を訴えるのはこれが理由だったらしい。……まあ、男女の混浴を避けたことで売春業のほうはますます盛んになったらしいけど。


 だが、おっさん達も諦めきれないようだ。……とっとと諦めろよ。

 おっさん達が組体操の要領で組んでいく。おっさんタワーだ。……うん、誰も得しないね。寧ろ皆損だ。本気でやめてもらいたい。 


 見ている方の気にもなってくれ、なんで脂と汗まみれのおっさんの身体が積み重なっているのを眺めていないといけねえんだよ。えっ、目を逸らせばいいって? いや、なんで被害者の俺が手間を掛けないといけないんだよ!


 おっさんタワーが完成した。スライ●タワーでもク●スタ●タワーでも断じてない。――うん、この世から消し去りたい。


『キャー! 変態ィィ!!』


 向こう側から声が聞こえたのと同時におっさんタワーのてっぺんが吹き飛ばされた。うん、変態だよね。見てれば分かるよ。というか、その変態をずっと見ていないといけなかったこっちの身にもなってよ! 「キャー! 変態ィィ!!」って言いたいのはこっちだよ!!


 タワーのてっぺんが崩れたことでバランスを崩したおっさんタワーが崩れる。崩れる先にあるのは湯船……これ、マズくね。

 俺の上に大量のおっさんが降ってきた。うん、降ってくるなら女の子とかが良かったよ。飛行石で減速した女の子とかさ。それだったら加速度的にギリギリなんとかできそうだけど。……脂と汗にまみれた肉厚感溢れるおっさんとか御免被る。


 俺はおっさん達に伸し掛かられた。高いというかぶっ壊れなステータスが幸いしてか痛くなかった。痛くなかったけど、滅茶苦茶不快だ。


「ボウズ、すまねえ。だが、今度こそ俺達は楽園をこの目で見る。お詫びと言っちゃあなんだが、お前も一緒にあの壁の先にある楽園を――」


「〝漆黒の影よ、裂き分たれて糸となり、汝を拘束せよ〟――〝影縛之拘束シャドウ・バインド〟」


 足元から影の触手を生み出しておっさん達全員を拘束して逆さ吊りにする。吊るされた男ザ・ハングドマンだ。……汚いものが見えた。……くそ、なんてものを見せやがるんだ。ちゃんと隠しておけよ!


「銭湯で暴れちゃ駄目だよ!!」


 とりあえず、銭湯で暴れる子供達にするみたいな注意をおっさん達にした。うん、当たり前のことなんだけど、このおっさん達はこれができていない。つまり、常識がないんだ。なら、子供と同列に扱ってやらないといけない。いや、子供はまだ可愛げがあるけど、おっさん達はむっさいだけだ。


「おい、ボウズ! とっとと離せ! 離せよ!! ……離して下さい。離して、下さい。お願いします。もうふざけたことはしませんから! ……もう、覗きはしませんから! ……どうか!」


 どうせ一時凌ぎの謝罪だろう。こういう奴に限って再犯するんだ。

 どんどん声が小さくなって涙目になっていっているけど、そもそもおっさんの涙って誰得? だから気にしない。

 さあ、お灸を据えてやろう。まあ、今からするのはお灸とは対極だけど。……幽霊が出て背筋が凍るのに焦熱地獄になっている『牡丹灯籠』ではないか。


「〝悪魔の王を封じる極寒の最下層より、摩訶鉢特摩の洗礼を与えよ〟――〝コーキュートス〟」


 男湯のおっさん達を捕縛している付近を対象に魔法を発動。おっさん達はカチコチだ。お湯もカチコチだ。……自分でやっておいてなんだけど、めっちゃ寒いな。

 適当な魔法で湯船に張った氷を溶かし、栓を抜いて脂と汗まみれの水を抜く。水魔法と火魔法でお湯を張り直し、ついでに〝セイクリッド・ピュリファイ〟で水を浄化しておく。……汚物は消毒だ! 的な?


 湯船に浸かる。うん、いい湯加減だ。

 一通り堪能したら、湯船から上がる。流石に可哀想だからおっさん達に〝ヘルブレイズ・ゲヘナ〟を掛けてあげた。

 えっ、そんなことしたらおっさん達黒焦げになるって? なればいいなって思ったんだけど、残念ながら黒焦げにはならなかった。多少焦げが残った人がいたかもしれないね。後は凍傷か……股間が凍った人が居たかも。……俺は股間スマッシャーとかじゃないから別に狙った訳じゃないけど。……吸血姫でもないし。


 結論、風呂で暴れるな。汗と油で風呂を汚すなだ。俺はカッとなってやっただけだ。俺は悪くない。省みるのはお前達がしろ。俺は部屋に帰る。……蛙じゃないよ。



 部屋に帰る。結界魔法を張り直す。よし、完璧だ。


 寝る前に読書をしようとスマホを探す。電子書籍を保存できるアプリを立ち上げて読書開始。

 ……えっ、お前は電子書籍反対派じゃなかったんかって? なんで普通にスマホで読書しているんだって?

 一通りの文学作品はスマホに保存しているんだよ。本を食いたい衝動に駆られた時のためにやっていたんだけど、まさか異世界に来てから役立つとは思わなかった。

 というか、結局地球では一度も本を食う一線は越えなかったけどね。越えたのは異世界に来てからだ。今の俺なら欲望に負けて貴重な古典籍を食べてしまうかもしれない。……こんな奴が地球に帰って本当に大丈夫なのだろうか? ……モシカシテ、オレッテチキュウニカエラナイホウガイイノ?


 本を読む。川端康成の『伊豆の踊子』だ。……あっという間に読み終わった。


 本を読む。芥川龍之介の『地獄変』だ。こっちもあんまり時間が掛からなかった。目ばかり冴える。


 本を読む。『地獄変』の芸術至上主義に関連して菊池寛の『藤十郎の恋』だ。うん、どっちも芸術に全てをかけ過ぎだな。菊池寛は「生活第一、芸術第二」をモットーにしていたみたいだけど、若い頃は結構芸術至上主義に傾倒していたらしいからな。最後まで芸術至上主義を貫いた芥川龍之介と、生活に重要性を見出した菊池寛、純文学の時代が終わりを告げるのと同時に自殺という形でこの世を去った芥川龍之介と、通俗小説作家として実業家として生きた菊池寛。同じ新思潮派でも随分対照的な人生を生きた二人だな。……まあ、菊池寛は友人の身代わりとなって第一高等学校を退学し、一人だけ京都帝国大学から『新思潮』に参加させてもらっていたらしいけど。……この辺りが夏目漱石に対する菊池寛と他の新思潮派の考え方の差を生み出すんだけど……えっ、興味ないって?


 本を読む。〈芸術至上主義〉に関連して世紀末芸術に移行。オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を読む。


 本を読む。日本文学に戻り、さっき夏目漱石の名前が出たからとりあえず代表作の『こゝろ』と『坊つちゃん』を読んでみる。うん、同じ作者なのに全く違う。

 『こゝろ』は勿論上巻からだ。高校の授業で取り上げられるのは下巻のほんの一部だけだが、あの話は「私」と「先生」を対比させながら読むのに意味があるのであって、下巻一つを取り出すのでは本当の意味で理解したことにはならない。……まあ、読み返しだから内容は大体頭に入っているけど。

 『坊つちゃん』は主人公の坊つちゃん語りの一人称による破天荒な地の文が印象的だが、そのように捉えていると登場人物に投影された明治維新の勝者と敗者、「あなたはまっすぐで、よいご気性だ」と言った清を裏切るまいと破天荒に振る舞う坊つちゃんの姿を見逃してしまう……まあ、この辺りは「坊つちゃんは最初から親譲りの無鉄砲だ」って言い張る学派にキレられそうだけどね。俺は親譲りの無鉄砲だと印象づけた派だ。何故なら、坊つちゃんに長文の手紙が書けないならこんな一人称語りの小説が完成する筈がない。


 本を読む。夏目漱石の小説を読んだから、今度はよく夏目漱石と対比される森鴎外にした。

 代表作の『舞姫』を……ってアプリ内を探していたら『舞姫』が初出された『國民之友』があった。よし、こっちで読むか。

 しかし、『舞姫』って高校三年の時の教材に入っているけど、実際には使われない作品として有名だよな。……まあ、うちの現文担当の木下女史は是が非でも『舞姫』をやると思うけど……木下だし。


 そういえば、木下女史は元気にしているかな? 「『源氏物語』〜青表紙本を巡る旅〜」のことを話したらめっちゃ行きたがっていたし、きっと事前登録も済ませたのだろう。……俺も行きたかったな。あのクラス召喚さえなければ。……やっぱり、あの老害次会ったら殺ろう!!


 本を読む。ここは流れで杢太郎に行くべきなのだろうが、一度芥川龍之介に戻って、そこから無頼派へ。

 太宰治の『女生徒』と『ダス・ゲマイネ』、『千代女』、坂口安吾の『桜の森の満開の下』、織田作之助の『天衣無縫』、石川淳の『焼跡のイエス』を一通り読んでみる。


 ……とりあえず、連想ゲームで読書を続けているけど、全く眠くならない。眠くならないから本を読む。……今夜は長くなりそうだ。

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