不成立

「いつから、いつからいたの、拓海君!?」


 先輩の困惑した声が響き渡る。うるさいBGMが止んだ気がした。

 まあ、驚かれるのは想定してたんですけど、僕の方もなんて言ったらいいのかわからないんです。一博君、どんな話をするのか教えてくれなかったし。


「えっと、その……。最初からです」

「いやっ! やめて!」


 先輩が逃げるように1歩、2歩と後ずさる。だけど、一博君に腕を掴まれてぺたんと座り込んだ。


「……騙したの?」

「そう、なりますかね。すいません」


 形としては、騙してしまったことになる。そりゃ先輩にとって僕がいるなんて想定していなかったはずだし。だからこそ、聞けない話もあったわけで。

 まあ、先輩からしてみれば困惑するよね。僕に聞かれたくない話も合っただろうし。それを一博君が上手く引き出してくれたわけだけど。


「そんな、酷い」

「ごめんなさい、でも先輩の本音を聞きたかったんです」

「そんなの、知らなくていいよ!」


 先輩が叫ぶ。

 知らないでいて欲しいことなら僕にだってある。だけど、それでも先輩のことを知りたいって思ったんだ。先輩のことを深く知りたいって。


「ねえ、いいじゃん。聞かないでよ。醜いわたしなんて君も知らなくていいでしょ? お願いだよ、全部忘れてよ」

「それはできません」

「え……なんで!?」


 先輩が驚いたような顔をした。なだめるように声を落ち着けて言う。


「だって、先輩は先輩ですから」

「……どういうこと」

「そのまんまの意味ですよ。先輩はどんなことをしようと僕の先輩です。美人でコーヒーを淹れるのがうまくてからかい癖があって、成績優秀で健啖家でかっこよくて、だけど肝心な時は自分一人で抱え込んでしまうような、そんな優しい韮崎文乃先輩です。醜いとかそんなこと関係なく、どっちも先輩なんです。それを見ないふりをするなんて、僕にはできません!」


 おっと。気持ちを入れ過ぎてしまった。カームダウンカームダウン。


「好きになった人のことは、なんだって知りたい。いい所だろうと悪い所だろうと、全部知りたい。そう思うのっておかしいことですか?」

「それは……、そうだけど」


 意図せずに告白するみたいになってしまった。だけど、それでもいいや。どうせ、ここで告白するつもりだったし。


「お願いします、先輩。先輩の本心が知りたいんです。だめですか?」


 ぐっと、先輩の瞳を見つめる。今にも零れ落ちそうな、その瞳を。後に引くわけにはいかないんだ。きっと、伝えるチャンスは今しかないから。

 微動だにしなかった。ここがゲーセンだってことも、一博君のことも忘れて、先輩を見つめる。


 儚げに笑った。そんな風に見えた。わたしの負けだねとでも言うように。そして絞り出すような、そんな声が耳に届く。


「……ズルい。本当にズルいよ。そんなの」

「ちょっとした、意趣返しだと思ってもらえたら」


 笑いかける。無理やりにでも笑顔を作る先輩に。これでいいんだって、安心させるように笑いかける。いつもみたいに変わらない笑顔で。


「終わったみたいだな。それじゃあこっちの用事の方もやらせてもらうぜ」


 そう思ってたのに、水を差された。本当に一博君って空気読まない人だな。なるほど、先輩が拒絶したのもちょっとわかる気がする。そりゃ約束だけどさ。


「俺が提示した条件を覚えているか?」

「覚えてますよ。忘れるはずがないでしょう」


 そうなのだ。一博君に先輩を呼び出してもらうにあたって賭けを一つしたのだ。その条件のことを言っているんだろう。間が悪いけど。


「先輩と話して、少しでも失望したことがあったなら潔く手を引け、でしたっけ。でも、その賭けは最初から不成立なんですよ」

「おい、そんなの聞いてないぞ!」

「そりゃ、言ってませんし」


 一博君が狼狽する。それを見て、一本取ったなとほくそ笑んだ。


「どういうことだよ!?」

「ずっと前に決めたんですよ。どんな先輩だろうと好きでいるって。例え先輩にどんな事情があっても、僕は絶対に先輩のことを好きでいてやるんだって。だから、そんなことで失望したりなんてするはずがないんです」


 そう言って息を吸い込んだ。


「いいですか。先輩がどんな人であろうと関係ないんです。先輩に昔付き合ってた人がいようが僕をからかって遊んでるだけだろうが色仕掛けしてこようが、ただ他の人と距離感が近いだけだろうが過去に問題を起こしたことがあろうが、そんなの、僕が先輩を好きってことには関係ないんです! 実は留年してたとかアンドロイドだとか、誰かの代わりに僕に構ってるとか実はドッキリだとか、もしそんなことがあったとしても、そんなのどうでもいいんです! どんなことがあったとしても、先輩のことを好きでいるって決めたんです!」


 荒い息を吐き出す。酸欠できつい。肩が上下してるのがよくわかる。だけど、伝えたいことの半分も伝えきれてないから。ここで止まるわけにはいかない。


「実験だったって聞いて、ショックじゃなかったかって言ったら嘘になります。でも、それでも別に先輩に失望なんてするわけないじゃないですか。例えそうだったとしても、先輩と一緒にいた時間が嘘になるわけじゃないんですから。先輩と一緒にいたときすごく楽しかった。コーヒー飲んで、からかわれて、悪戯されて。それで楽しいって思ったことは本当だから」


 思い出すことが多すぎた。そりゃそうだ、4カ月も一緒にいたのだ。たかが4カ月とはいえ、一緒の部活で放課後はほとんど一緒にいた。合宿にもいったし二人きりで出かけたりもした。その間、とっても楽しかった。先輩と一緒にいられて、本当に楽しかったんだ。そんな思い出を、すべて数え切れるわけがない。


「僕は先輩が好きです」


 それに、それだけあれば、先輩を好きになるのには十分だった。


「僕は、韮崎文乃先輩のことが好きです。その、異性として」


 ぐらつきそうになる体を必死で支える。だって覚悟は決めたんだから。


「屈託なく笑うところが好きです。からかってきてドキッとさせる仕草が好きです。おいしいコーヒーを淹れてくれるところとか、料理がうまい所も好きです。それに美人で、頭もよくて話も面白くて運動神経もよくて。健啖家で何でもおいしそうに食べるところとか、楽しいことが好きでいつもどうやって楽しませようか考えてくれてるところとか、ほめるのがうまい所とか。後はその、そこはかとなくエロい所とか、慎ましやかな胸とか……」

「それは悪口じゃね?」


 うるさい。一博は黙っとけ。


「それから、先輩が時折見せる憂い顔も好きです」

「えっ……?」


 先輩が驚いたような顔で僕を見上げる。まさか、問題を抱えた状態だからと言って、僕が嫌うとでも思ったのだろうか。


「普段明るいけど、ちょっと影がある。僕の前だと楽しそうにふるまってくれる。そんなの、嬉しいと思うじゃないですか。それに、僕は先輩が好きなんです。先輩の容姿が、性格が、口癖が、料理が。そういうのひっくるめて、全部先輩のことが好きなんです。そうやっていろんな表情をころころ見せる先輩のことが好きなんです」


 そうだ。僕はあの日、自分の過去のことを語る先輩のことを愛おしいって思ったんだ。


「先輩は一つだけ、勘違いをしてます。僕は先輩の一面を知れて失望するどころか嬉しかったんですよ」

「どういうこと……?」

「だって、先輩が僕に新しい一面を教えてくれたってことですから」


 そう言って笑いかける。僕の生涯最高ともいえる笑みで。


「好きな人のことは何だって知りたいものですから。先輩が黒歴史って思ってようが、僕からしたら先輩の新しい一面を知れて嬉しいってことに変わりはないんですよ」


 それは、ずっと言えなかった僕の本心だった。先輩にずっとからかわれたままだったけど、それでも楽しいって思えたのは先輩がいろいろ手を変え品を変え僕をからかってきたからだ。どんどん新しい方法でからかってきたからだ。そのたびに、新しい一面が知れる気がしたんだ。


「なんで、なんでそんなにわたしのことを想ってくれるの……?」

「なんでといわれましても、そりゃあ、ねえ」


 困ったように頬をポリポリと掻く。だって、仕方ないよね。


「好きになっちゃいましたから。恋心なんて、そんなコントロールできないですよ」

「そっか。うれしい、ありがとう」


 そう言うと、先輩はまたうつむいた。だけど、声色に元気が戻ってきたようなそんな気がした。


 なんて声を掛けたらいいのか、わからなくて。言うべきことをすべて伝えてしまったし、先輩が何を求めてるのかもわからなくて。ひょっとしたら整理するために話しかけて欲しくなかったのかもしれないけど。僕は声を掛けられないまま立ち尽くしてしまった。


 気まずいなあ。図らずとも告白してしまったわけで、不安にもなるしそもそも成功だったのかもわからなくてそわそわしそうになるし。

 ……まあ、体を動かさないように気を付けてはいるんだけどね。


 だけどそんな沈黙を破ったのは、一博君だった。


「……俺の負けだ」

「えっと、どういうこと?」

「賭けの話だよ。俺の完敗だ。覚悟も何もかも全然違ったんだなあって思い知らされてな。おとなしく文乃からは手を引くことにするよ」


 手をひらひらと振って一博君は笑った。


「それじゃあ、文乃とお幸せに。じゃあな」


 それだけ言って一博君は去っていく。うん、あれだな。KYなところと思い込みが激しい所を除いたら、結構いい人かもしれないな。


「わたしも、今日はこの辺で」

「あ、先輩!」


 さっと先輩が立ち上がる。


「今日はありがとう。また学校で! それじゃ!」


 それだけ言うと、先輩は走り去っていってしまった。僕はと言えば不意を突かれて追いかけることもできず。


 不安は、ある。そりゃそうだ、成功したのかどうかまだ明確な反応はもらってないから。ひょっとしたら地雷を踏んでしまったのかもと思わないこともない。

 だけど、先輩は言ってくれた。『また学校で』と。それはたぶん、僕と再びあってくれるということの証左だと思うんだ。


 今はそれだけでいい。そう思うことにしよう。

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