別に話さなくていいですよ

 空は夏だと言うのにもうすっかり闇に覆われてしまっていた。夏の大三角がよく見えそうだ。


「疲れましたね……」

「流石のわたしももうクタクタだよ。流石に10時までいるとは思わなかったもん」

「ははは……、そうですね」


 乾いた笑みが漏れる。どうも、閉館時間までいようなんて言った張本人です。でも、先輩とちょっとでも長く一緒に居たかったんだもん、仕方ないよね。


 母さんに今日は遅くなるから晩御飯いらないって伝えておいたし、先輩の方も結構自由らしいから、特に問題はない。流石に午前様になったらダメだろうとは思うけど、11時までには家に帰れるはずだし。


 道路はすっかり静まり返っていた。何人か僕らと同じように閉館時間まで残っていた人はいるみたいだけど、それ以外にはほとんど人の気配も感じられない。電車もこの時間になると終電に向けて本数が減ってきているみたいだ。


 そんな中を、街灯の灯りだけを頼りにして先輩と2人歩いていく。暗くてよく見えないけど、ちょっと寂しそうに見えた。


「でも、僕は楽しかったですよ。先輩と一緒にいられて。クタクタだけど、色々やってすごく楽しかったです。先輩はどうですか?」

「そだね。わたしも、楽しめたかな」

「なら良かったです」


 そう言って微笑む。まあ、ちょっとだけ無理もしたけど、そう言ってもらえるなら疲れも吹き飛ぶしね。


「ねえ、1ついいかな」

「別に1つでも、2つでもいいですよ」

「それじゃあ、なんだけど……」


 先輩が儚げに笑う。


「君は、聞かないんだね」

「……」


 一瞬、意味がわからなかった。先輩がなんのことを指しているのか。

 遅れて、一博って呼ばれた人物のことだったと思い当たる。


「普通だったら、あいつのこと気になるんじゃないかと思ったんだけど。君は聞いて子なのかなって思ったから」

「まあ、そうですね」


 ははは、なんて愛想笑いが出た。


「興味ないの?」

「別に……、そう言うわけじゃないですよ。でも、それは僕から聞くことじゃないんじゃないかなあって。それだけです」


 先輩が口を閉ざす。そして無言になった。

 伝わりづらかったか。


「だから、その。先輩が話さないのは何か考えがあるんじゃないかなって。興味はありますけど、でもだからと言って、先輩の考えを無視してまで問い詰めることじゃないって言うか、だからその、先輩が話したくなったら聞きますから。はい。だから、話したくなかったら、別に話さなくていいですよ」

「そっか。ありがと」


 ふっと先輩が笑う。うまく喋れなくてわちゃわちゃしてるのを見られた。ちょっと恥ずかしい。そう思って顔を赤らめる。


 だけど、先輩は僕の様子を見ていないみたいだった。


 向かい風がやってきて、Tシャツがはためいた。随分と涼しい風だった。


「一博とは、小中と同じ学校だったんだ」

「……え、あ、はい。そうなんですね」


 びっくりした。てっきり話さないものだと思ってたから。


「確か、前に話したことがあったと思うんだけどさ。誰かに恋い焦がれるってのがどんな感情なのか知りたいって」


 そう言えば、球技大会の時だったかにそんな話をした気がする。

 意味がわからなくてほとんど聞き流してたけど。


「その、実験をしたんだよね。一博で」


 すっと、先輩が目を閉じる。


「わたし、クラスの方じゃあんまり友達いなかったからさ。それなら、一博のところの方がいいかなって。それに、クラスメイトをわたしの利己的な実験に付き合わせるのも気が引けたからさ」

「自分が誰かを好きになれるかの実験、ですか……」

「そ。君の言う通り」


 その表情は、悲しんでいるようにも、笑っているよにも見えた。


「誰でもよかった。言い方は悪いけど、一博を選んだのはよく知っててちょうどよかったから。一博のクラスの男子も同時に試せるって思ったし。母数が大きくなればひょっとしたら1人ぐらいいいと思える人がいるかもしれないってね。だけど、ダメだった」


 ようやく、意味がわかった気がする。先輩が、どうして人をからかうのか。どうして、先輩が逃げ出そうとしたのか。


「好きになれないか何人もの男子に声かけたんだけどね。結局はうまくいかなくて、逆に男子同士が結託しちゃって計画どころじゃなくなっちゃった」

「そう言うことだったんですね……」

「君は驚かないんだね」


 先輩の顔を見る。寂しそうに笑った。


「怒ったりしないんだなって。ほら、本命も決めずに何人もに粉かけてたわけだからさ」

「あ……」


 普通に考えればそうか。エリさんから聞いたってことは、先輩は知らないんだった。


「真に受けないでよ。それより、その後のことなんだけどね。色々と大ごとになっちゃってさ。わたしとしては誰も本気じゃないって言ったんだけど、一博は信じられなかったみたいでさ」

「なんとなく、わかります」


 だって、先輩は好きなんだって思い込もうとして真似てたから。本人以外からはそれが偽物なんてわかるわけないよね。


「それで、結構つきまとわれてさ。接近禁止令が出てたんだよ。それで出来るだけ行動範囲内にいかないようにしてたんだけどさ。とうとう見つかっちゃったんだ」


 ピッ、という音がして、僕はようやく駅についていたことに気づいた。


「ごめんね、変なことに巻き込んじゃって」

「別に先輩が謝ることじゃないですよ」


 ホームまで降りる。電光掲示板はもうすぐ列車が来ることを示していた。僕のは逆方向だからまだ来ないけど。


「ううん、わたしがキチンと終わらせておくべきだった。そしたら、君に不快な思いさせることもなかったのにさ」

「そんなことないですよ。むしろ先輩のことをよく知れてよかったくらいです」

「それならいいんだけど……」


 そう言って虚勢を張った。電車が入ってくる。


「1つだけ、言い訳させてもらってもいい?」

「どうぞ」


 先輩が電車に乗る。ドアが閉まっていく。


「何人もからかったけどさ。だけど、1人として恋愛感情抱いてた人はいないから」

「わかってます!」


 その言葉を言い終わる前に、扉は閉まってしまった。

 届いていてくれと願う。僕の返答が先輩に聞こえていますようにって。


 先輩が何を言いたかったのかはなんとなくわかった。きっと先輩は、僕が一博たちと同じ扱いなんじゃないかって不安に思っている、なんて考えてたんだ。それは確かにそうかも知れないけど。だけど。


 そんなの、僕は気にしないって決めたから。先輩が僕に恋心を抱いて葉がどうだろうが、あるいは好きになりたいっていう実験のつもりだろうが、僕は先輩を好きでいることをやめないって。


 そんな思いを込めたんだ。

 届いたかはわからない。だけどきっと届いたはずだって思った。だって、先輩の横顔が笑ってたんだから。そう思うことにした。



 その翌日から、先輩と連絡が取れなくなった。

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