電車の中で

 考えごとをしていた。

 エリさんから言われたことだ。それが、ずっと頭の中を回ってた。

 昨日、それを聞いた時からずっと頭の中でそれを考えていた。

 今日は楽しみにしていた写真部の合宿だというのに、頭の中でそれを検証することに夢中だった。


「あれ、拓海君? お~い」


 だから、先輩が現れたことに気づかなかった。


 トントン


「はい?」

「わ~い、引っかかった」


 子どもっぽく人差し指で僕の頬を突きながら先輩が笑う。しまった、完全に油断してた。


「なんかぼうっとしてたみたいだからさ。どう、元気出た?」

「まあ、そうですね。気にしても仕方ないですし」


 やれやれと首を振る。とりあえず、合宿の間でも頑張って忘れよう。楽しみたいしね。そう思って、目を落とす。


「って、どういう格好してるんですか!?」

「どういうって、こういうだけど?」


 服の裾をちょこんと掴む。いや、問題はそれじゃないって!


「そうじゃなくて、なんで下履いてないんですか!」


 そりゃ、先輩の生足には目線を奪われますけど! いや露出高いのも別に嫌いじゃないですし、なんかちょっと期待はしますけど! だけど、だからと言って、下にスカートもズボンも履いてこないのはダメだと思うんですけど! Tシャツが大きめで太もものところまであるとはいえ、そこはしっかりとするべきだと思うんですけど!


「そんなことないって。ちゃんと履いてるよ、ほら」

「ちょっと、めくったら見えますよ!」


 先輩がピラっと服をめくる。ちょっと、それをやったら見え……、


 ……あれ?


「下にショーパン履いてるもん。流石に、そんな恥知らずな恰好では外でないよ~。君は履いてないと思っちゃったみたいだけど」

「う、それは……」


 完全に僕の早とちりです。って、あれ!?


「先輩、お腹お腹! お腹見えてますよ!」

「あ、やっば!?」


 パッと先輩が手を離すと、Tシャツが元の位置に戻った。一応、他の人から死角になるような位置に陣取ってたはずだし、僕以外は誰も見てないはず。だからたぶん、問題ない。


 ……僕の心臓がバクバク言ってるのを除けばだけど。それにしても、先輩のおへそってなぜか妙に視線吸い寄せられるよね。肌白いからかな。


「あ~、赤くなってる。水着姿なら向こうで十分見せてあげるからさ」

「べ、別に期待なんてしてませんから!」

「そんなこと言わなくてもいいのに~」


 先輩がくるくると回る。Tシャツがパタパタ翻って目に毒だ。


「楽しみにしてたのは知ってるよ。わたしもそうだしね。それじゃあ、集まったことだしさっそくレッツゴー」


 そう言って先輩は腕を突き出す。いつもと変わらない先輩の行動にちょっと笑った。



 *****



『あの、それどういうことですか?』

『どういうも何も、そのままの意味だけど。ボクの学校の生徒と恋愛事件起こしたって聞いたことがあってね』


 昨日のエリさんの言葉が蘇る。


『それ、詳しく聞いてもいいですか?』

『いいよ。と言っても、ボクも他人から聞いた話なんだけどね』


 そう断ってエリさんは話だしたんだった。僕もソノも耳をすませて聞いていた。


『去年の、文化祭の時に初めて会ったって聞いてる。それで、その韮崎先輩と仲良くなった男子が何人もいたって』


 気づかれないように、隣に座る先輩の顔を盗み見る。先輩は鼻歌を歌いながらガイドブックを読んでいた。先輩には僕が昨日のことを思い浮かべていること、気づかれちゃいけない。


『それで、仲良くなって遊んでいるうちに、何人かの男子が本気にしちゃったらしくて』

『まあ、先輩は誰でもからかってきますからね』

『それで、冬休み前だったかな。男子の間で誰が韮崎さんの好きな人かっていうので喧嘩があったらしいんだ』


 その言葉を聞いて、僕はゾッとしたんだ。ひょっとして、僕も喧嘩を売られるんじゃないかって。


『だけど、酷かったのはその後だった。男子みんなで、韮崎さんを問い詰めようってことになったらしくて。二股かけたのか、どうなのか。後、誰が彼氏なのか。だけどその時、こう言ったらしいんだ。『誰も本気なんかじゃない。全員ただの男友達だと思ってる』って』


 誰かを好きな人として意識しているわけじゃない。そうなのだろう。だけど、言われた方はショックだったに違いない。だって、自分は先輩のことが好きで、彼氏だと思ってるような奴もいたわけで、なのに先輩からすれば大した興味も持たれてなかったなんて面と向かって言われたのだから。

 僕だって、面と向かって、友達としてしか意識できませんって言われたら凹む自信がある。だからこそ、まだ告白できてないわけで。


『それで、暴走した男子もいたらしいんだけど、その場は他の男子が抑えてくれたおかげで酷いことにはならなかったらしいよ。だけど、それを許せない人がいた。韮崎さんのことを好きだった男子のことを好きだった女子だよ』


 それを言われて、ハッとしたことがあった。


『韮崎さんが粉かけてた男子は、学校でも結構人気あってね。しかも女子からすれば、弄んだ挙句に捨てたわけだ。起こらないはずがない。そういうわけで、怒った女子が彼女のことを攻撃した。最後には警察が介入する羽目になって、何人かに接近禁止令が出されたって聞いたよ。ボクのクラスは関わらなかったから、友達から聞いた話だけどね』


 そう言って、エリさんは口を閉ざしたのだ。


 先輩の顔を見る。何食わぬ顔をして、鼻歌を歌っている。だけど、考えてみればヒントはいろんなところにあった。


 まず、いろんな男子とスキンシップをとるような女子は、女子の集団からハブられることが多い。エリさんの高校の女子が怒ったというのも、わかる話だ。本気じゃないのに、男子の心を弄ぶような人は嫉妬されるし、恨まれる。

 先輩は、僕の家に泊まりにきた時に、泊めてくれるような人は僕しかいないって言っていた。あの時は、僕の家に来るための方便かと思ったけど、本当だったんだ。本当に、僕くらいしか泊めてくれるような人がいなかったんだ。同性の友達はいなくて、異性の友達は安牌アンパイが僕しかいなかった。

 球技大会の時もそうだ。先輩は、活躍できなかった。理由は先輩にボールを回す人がいないから。それどころか、抜け出したほうがよかった。女子のサッカーは見てた通り団子状態の混戦になる。そんな中に先輩がいたら、間違いということで足を踏んだり蹴飛ばされたりするかもしれない。だから、先輩は抜け出してきた。僕のところに来ようと思ったんじゃなくて、抜け出した先にたまたま僕がいた。それだけなんだ。


 思い出してみる。そういえば、先輩が女子と歩いているのを見たことがない。高2の女子ともなれば、友達とおしゃべりしたり、どこかに遊びに言ったりするのが普通だと思えるのに。


 ……寂しくはないんだろうか。

 そんなことが頭に浮かぶ。同性の友達からハブられて、疎まれて。みんなで遊びに行くようなこともない。ボウリング場もカラオケも1人で行く。そんな先輩は寂しいと思ったことはないのだろうか。


 あるいは、だからこそ僕をからかうのかもしれない。僕をからかって、構ってもらって、そのストレスを発散しているのかもしれない。そんなことを思う。

 そう言えば、僕と遊びに行く時、先輩はいつも笑ってる。部活の時も、笑顔でからかってくる。それも、満面の笑みで。


 ……それは、普段辛いからこそ、楽しさが際立ってるんじゃないか。そんなことを考えた。


『それで、タク。お前はどうするんだ?』


 ソノの言葉が蘇る。


『拓海がどうするって、どういうことだい?』

『ああ、そっか。こいつ、その韮崎先輩のことが好きなんだよ』

『ええ!? そうなのか!?』


 そうだ。それに、僕は頷いたんだ。


『悪いことは言わない。やめときなよ。たとえ悪気がなかったとしても、そんな人と付き合うべきじゃないと思う。彼女が拓海のことを好きとは思えない』

『それは俺も同意。そりゃ、タクがそれでもいいならって言うなら止めはしないけどさ。本気じゃないと思うぞ』

『だけど……』


 先輩の顔を盗み見る。相変わらずの笑顔だった。


『つっても、俺の個人的意見だから気にするな。タクがやりたいようにすればいい』

『ボクも色々言ったけど、最後は君が決めるべきだと思う。まあ、オススメはしないけどね』


 エリさんの声が頭の中で響いた。


『それで、君はどうするんだい?』

「そんなの……」


 前の席に、エリさんの幻影が見えた気がした。そうだ、僕はこう答えたんだ。


『そんなの、決まってる。ずっと前に、決めたんだ』


「あ、もうすぐ着くみたいだね」


 ギクッとした。アナウンスが鳴って、先輩が立ち上がる。気づかれてないよね?


「ほら、ぼやぼやしてると乗り過ごしちゃうぞ」

「分かってますよ。だから、そんなに急かさないでください」


 そう言って立ち上がる。まだ、アナウンス鳴っただけだから、そこまで急がなくても。まあ、いいけどさ。


 先輩は、僕が考えたことを全く知らない。そんな笑顔だ。だけど、それでもいいのかもしれない。エリさんに言った言葉を舌の上で転がす。


「たとえ、先輩が僕のことを好きじゃなくても、一緒に入られたらそれでいいって」

「え〜、何か言った?」


 先輩が振り返る。ここは通路だぞ、全く。


「なんでもないですよ」


 そう言って僕は笑った。

 先輩は、去年恋愛沙汰を起こしたかもしれない。でも今は、先輩と一緒に居られる合宿を楽しもう。そう思う。

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